第1話 ラノベ作家

 ぼくは中学2年生まで小説も読んだことがなかったし、ましてやラノベなんてものが世の中にある事も知らなかった。

 ぼくの世界にあったのはネット番組と野球だけ。

 それがぼくの世界を支配していた。

 ラノベと出会うきっかけは宮崎いすずだった。

 中学2年生になって、初めていすずと同じクラスになった。

 それまで彼女とは喋ったこともなかった。

 噂では聞いていた。すごく可愛い女の子がいるって。

 だけど噂だけで姿をお目にかかることはなかった。

 6つの小学校が集まるマンモス中学校で、顔も知らない同級生が結構いた。

 初めて宮崎いすずを見た時、マジ天使、マジ神、こりゃあエラいもんと出会ってしまった、こんな可愛い女の子が世の中にはいるのかよ、と思ったものだ。

 その当時、彼女は墨汁のように髪は真っ黒で、処女雪のように触ったら溶けてしまいそうな肌に無垢な瞳をしていた。

 誰も触れてはいけないモノのように神秘的だった。

 彼女の性格も知らないから勝手にいすずの事を好き勝手に妄想して好みの女性にしていたんだと思う。

 今なら考えられないけど出会った当初は授業中も、休み時間も、ずっと彼女を目で追っていたのだ。

 彼女と出会った全ての男子は宮崎いすずのことが好きになった。

 ぼくも彼等と同じように宮崎いすずが好きだった。

 彼女は休み時間に本を読んでいた。

 心臓を暴走族のバイクのように鳴らしながら、ぼくは彼女に近づいて行った。

「何を読んでいるの?」

 と思い切って、ぼくは尋ねた。

 彼女は聞き慣れない本のタイトルを言った。

「なにそれ?」

「ラノベ」

「ラノベ?」

 ぼくは首を傾げる。

「商品に付いているシールのこと?」

「それラベルじゃないの?」

 河川敷に落ちている犬のウンコでも見るような目で、彼女がぼくを見る。

 自分が言ったことが間違っていることはわかった。

「ラノベを読んだことないの?」

「小説も読んだことがない」

 とぼくが言う。

 彼女がまじまじとぼくの顔を見る。

 見られているだけで口から心臓が飛び出しそうだった。

 彼女の目がぼくをバカにしている。

「しょーもない顔してるもんね」

「そんなことないよ」

 つーか本を読んだことが無いのと、しょーもない顔は関係ないだろう。

「でも小説も読んだことがないんでしょ?」

 ぼくは焦る。読んだことはないだけど、これから読めばいいじゃん。ぼく、天才。

「これから読むんだよ」

「ふ〜ん」

「なにか貸して」

「人に物を頼む時の言い方っていうのがあるでしょ」

 といすずが言う。

 ぼくは本当にバカで喋ってみたら意外と喋りやすい子じゃん、と浮かれていた。

 このまま恋に落ちて、付き合ったりするのかなぁ? 

 いや、そんな事で簡単に付き合わねぇーだろう。だけどその当時のぼくはちょっと喋っただけで本気でそう思っていた。

 たしかに人に物を頼む時の言い方っていうのがある。彼女の言う通りだ。

「貸してください」

「いいよ」

 彼女はそう言って、机から本を取り出す。

 本を貸してくれるなんて絶対にぼくの事好きじゃん。

 その当時のぼくはそう思った。ただのアホです。

「さっき読み終わったから」

 いすずが今読んでいた本と同じタイトルの1巻を差し出した。

 彼女から本を受け取る。

 宮崎いすずからラノベを借りたのが本を好きになる切っ掛けだった。

 この切っ掛けがなかったら、もしかしたらぼくは一生本なんて読まなかったかもしれない。


 

 その本のタイトルに妹、という文字が入っていて、実際に妹がいるぼくには拒絶反応があるタイトルだった。

 とにかく本を借りたんだし、これを読まないと彼女と付き合えないような気がしたから、読んだ。

 感想は、意外といけるじゃん、というものだった。

「次の巻、貸して」

 とぼくが言う。

 純粋に貸してほしいという気持ちと本の話題を終わらせてはいけないという思いがあった。

「持って来てない」

 といすずが言う。

「他にどんもの読んでるの?」

「なんで言わなくちゃいけないの?」

「知りたいから」

「知ってどうするの?」

「それを読むんだ」

「相当キモい事を言ってるよ」

「えっ? そうなの?」

「別にいいけど」

 そんな会話をした次の日に5冊ほどいすずから本を借りる。

 借りっ放しもなんだし、と思ったぼくは、自分でも古本屋でラノベを買って、面白かった物を彼女に貸すようになった。

 なんだったら読んでない本まで貸した。

 その本の会話を彼女がしてきても話についていけず、道路の脇に転がっている謎の軍手を見るような目で見られた。

 彼女と会話するためにラノベの詰め込み教育をしなければいけなかった。

 寝ても冷めてもラノベを読み続けた。

 とにかく本という繋がりを切りたくなかったのだ。



「相当、ラノベにはまってんじゃん」

 といすずが言う。

 ポクリとぼくが頷く。

「ラノベ作家になったら付き合ってあげてもいいよ」

「えっ?」

 ぼくは彼女を見る。

 なんて言った?

 ツキアウ? 

 彼女の言葉を理解した時、体がマグマに落とされて消滅するぐらいに一気に熱くなったのがわかった。

「君、私の事好きでしょ?」

 ぼくは何も言わなかった。

 ただ鼻くそを指先でこねるようにモジモジしているだけだった。

 バレていたんだ。

 いや、バレていたんじゃない。

 彼女は生まれてから自分の事が好きな男としか出会っていないのだ。

 いすずの事だから、どういう心理で言ったのかはわからない。

 もしかしたら、ただぼくの反応を見て楽しむために言ったのかもしれないし、ラノベ作家になるなんて無理だから私のことは諦めろ、という意味で言ったのかもしれない。

 だけど、この言葉で、ぼくの夢が決まってしまった。

 ラノベを貸してくれた人がぼくに夢まで与えた。



 部活を終えて、クタクタな体で、とにかくぼくは書いた。

 書きまくった。

 書きまくるんだジョー。燃え尽きたよ真っ白にな状態になるまで毎日書いて書いて書いた。友達が遊んでいる時も書いていたし、友達がぼーっとしている時も書いていたし、なんだったら勉強している時も書いていた。

 書いて書いて成長するしかなかった。

 彼女と付き合うために。 

 そして宮崎いすずが3年の先輩と付き合っていることを知った。

 ぼくが所属していた野球部のキャプテンだった。

 どうやら彼女はラノベを先輩から借りて、それをぼくに貸していたらしい。

 宮崎いすずと先輩が付き合っていた事があまりにもショックで、車に引かれた肉まんのように心がエグれた。

 もしかしてあんな事やこんな事もしているのかな?

 それなのに、平然と、ぼくにラノベを貸していたのかな?

 アイツはどういう心理でぼくにラノベを貸したんだよ。

 しかも先輩の又貸し。

 ラノベ作家になったら付き合ってくれる、って言ったのに。

 本当に信じていたのに。

 本を貸してくれるんだから、もしかしたらぼくのことちょっとは好きなのかな、って思っていた。

 いや、正直に言います。絶対にぼくの事好きじゃん、っと思っていた。

 ラノベ作家になったら付き合ってあげる、という言葉が、「タッちゃん、私を甲子園に連れてって」ぐらいのセリフに聞こえていた。

 甲子園に連れて行ってやるぞ、って気持ちで頑張っていた。

 全て勘違いだった。

 野球部の先輩はラノベを読むタイプには見えなかった。

 髪の毛は坊主だったけど、サイドにギザギザ模様があって、部活以外の時はピアスも付けているような人だった。

 何代目かは知らないけどジェーソー◯ブラザーズを聞いていそうなタイプだったし、ラノベどころか本なんて焚き火の時にしか使わないっしょ、みたいな人だと思っていた。

 そんな宮崎いすずの彼氏に部活が終わった後に近くの公園に呼び出された。

 もう足が土を掘り起こすほど震えていた。

 いくら水を飲んでも喉が乾いていた。しかも水の飲み過ぎでオシッコもしたい。

 先輩は頭をボリボリと掻きながら現れ、ぼくの目の前に立った。

 そしてぼくの事を殺しそうな目で睨んだ。

 野球部の先輩だから挨拶はちゃんとしなくちゃ、っと思って「お疲れ様です」と元気百パーセントで言ったけど返事はない。

 先輩に睨まれ続ける。

 隣町の宴会が聞こえそうな沈黙の後に、先輩が口を開いた。

「なんで呼び出されたかわかってるか?」

 先輩が言った。

 はい、と答えるしかできない威圧感。

「それじゃあ、なんで呼び出されたか答えろ」

「ラノベ、面白かったです」

 ぼくは、本当に、思ったことを口にしていた。

 もしかしたら「ラノベ面白いよな? あの本読んだ?」みたいな会話になるんじゃないだろうか、と甘い期待を抱いだけど、そんな事はなかった。

 言葉が終わる前に先輩の拳がぼくの頬に入った。

 ボコボコにされて、野球部も辞めて、宮崎いすずのことなんて1ミリも好きじゃなくなったけど、ぼくはラノベ作家になりたいという思いは消えなかった。

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