第18話 皇子の療養休暇 ⑩取引現場
驚いた。本当に、きっかり、3時。
薬の売人というのは、みな時間に正確なのだろうか?
3時を告げる『大いなる恩赦の書』教会本山の大聖堂の鐘の音。それと同時に突如、現れた人影に、エクセルはそんなことを考える。
それまで所在なさげに周辺をたむろしていた5人の男たちが、人影に向かって、一斉に足早に歩きだした。薄っぺらい本を片手で掲げながら。
そう、彼が手にしているのと同じ12ページしかない、中途半端な皇都案内本を。
その8ページ目に記載されているのが、ここ、皇都王立図書館。真ん中に書かれているイラストは、彼が今いる、この北門だ。
最初にページをめくったときは、なぜ描かれているのが中央門でなく北門なのか怪訝に思ったものだが、今ならその理由がわかる。こっそりと人と逢うにはもってこいの場所だからだ。
図書館利用者の多くは中央門か、馬車乗り場に近い南門を通る。わざわざ森に面した、古ぼけた北門を通る者はいない。余程の用がない限りは。
たとえば、禁じられた薬物をこっそりと入手するための待ち合わせとか。
『客』と思しき男たちのうち2人には見覚えがあった。
平民の恰好をしているが、いわゆる黒い噂の絶えない家門、現皇王と元老院のやり方に不満たらたらで隙あれば取って代わりたがっている『由緒ある名門貴族』の従者たちだ。
念のため、フードを深くかぶりなおす。
後れを取らないように、他の顧客たちの真似をして片手に本を持ち、門の前に佇む売人らしき人物のところへ向かう。
現れ方から判断しておそらく術者であろう、ベールで顔を隠した侍女風の女性の許へ。
黙したまま眼前に並ぶ男たちに、女は軽く会釈し、携えた籠に手をやった。
「お約束のものはこちらに」
籠の中身を取り出そうとしたその手が止まった。一瞬、怪訝そうにその眉が顰められる。
取引相手の数が予定と異なることに気が付いたのか。
慌てて背を向け逃げ出そうとした女の腕を掴み、ねじり上げた。呪文を唱えようと口を開けたところを、当身を食らわせて黙らせる。ぐったりした身体を右手で抱えて、振り返ると・・・
事前に茂みに潜んでいた衛兵たちが、一目散に逃げる男たちに飛びかかっていた。
「
衛兵たちの包囲を抜けかけていた男に軽く電撃を浴びせて、卒倒させる。
荒事はあまり好みではないのだが、致し方ない。
今日こそ一網打尽を目指しているので、一人も取り逃がすわけにはいかないのだ。
自分だってそろそろ休みが欲しい。切実に。
ドレスの色はおのおの月を表し、その月を表す数は、取引場所の載ったページを示す。で、宝石の数が取引の時間ねぇ。
今回の、蒼いドレスに宝石3つの首飾りは、案内本の8ページにある場所で3時に取引を行うという意味。
まあ、これでケインの読みがどんぴしゃりだったのが、実証されたわけだ。
あれで、
よく考えれば、これは、ごく単純だが案外といい方法かもしれない。
実際に辺境伯夫人の当日の装いを見るまで、取引相手でさえ、取引の場所も時間もわからないし、万が一、バレた場合は、すべてを辺境伯夫人、あるいは辺境伯夫妻のせいにするという手もある。
誰が考えるだろう?男子禁制の、皇都で令嬢たちに評判の『仮面茶話会』で、そんな情報が堂々と伝達されているなんて。
おまけに、取引相手は自分の配下を直接動かす必要さえない。参加するご令嬢の護衛騎士に、当日の夫人の装いを伝えてくれるようにちょっと頼むだけでいい。憧れの的のアマリアーナ夫人の衣装について、娘が知りたがっているとかなんとか理由をつけて。
「すべて予想通り。あとはよろしく」
右の耳に煌めく銀色のイヤリングに触れて呟くと、左のイヤリングから了解の意が聞こえ、接続が切れた。
う~ん。今からでも、別邸に行ってみるか。もしかしたら、ファレルおすすめの『新作』の出来が直接拝めるかもしれないし。
まだ抱えていた『売人』を衛兵の一人に手渡し、男たちが引き立てられていくのを見送る。
「ご協力ありがとうございました。カッツエル閣下」
「お疲れ様。本当の一大事になる前に、お役に立ててよかった」
畏まって礼を言う隊長の労を笑顔でねぎらう。
「後始末はお任せするよ。残りもすぐに片付くんじゃないかな」
相棒の困惑した顔を思い浮かべながら、黒騎士団副団長エクセル・カッツエルはその抜けるように青い瞳を楽し気に瞬かせた。
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