第19話 皇子の療養休暇 ⑪公爵令嬢

 どうやら自分は、たかが貴族令嬢の暇つぶしの茶話会と、この会合をなめていたようだ。

 講師たちの話が一通り終わった後も、真剣に、至極まじめに議論を交わしている令嬢たちを見て反省する。


 古い歴史を誇るこの国は、まだまだ保守的で、男性優位が原則。特に貴族間では今なお女性の本分は釣り合う家名の男性に嫁ぐことだという風潮が強い。

 貴族の女性には、まず第一に、夫を立て、跡取りを立派に育て上げ、家名を守る淑女であることが要求される。

 教養は大切だ。しかしながら、必要以上に頭が切れる女性が小賢しいと嫌がられるのは、経験上知っている。


 男子禁制の仮面茶話会、か。


 男性の目の届かない、仮面で素性をあいまいにしたこの場だからこそ、思う存分、自分の能力を発揮し、正直な意見を述べあう機会が持てるのだろう。最初耳にしたときは、奇異な集まりとしか思えなかったが、実際に参加してみて、令嬢たちにとっての憧れの会になっている理由がよくわかった。

 それにしても・・・


 最終的に議論をまとめ上げ、今後の予定を述べてから、閉会を告げて壇を降りたアマリアーナに、心の中で喝采する。


 見事な手腕だ。出しゃばらずに講師に任すべきところは任し、若い令嬢たちの意見や疑問は、どんな些細なものでも拾い上げる。意見がありながらも口に出せないシャイな令嬢でさえ見逃すことなく、さりげなく問いかけることでその考えを自然に引き出すとは。


 そもそも、仮面で表情が半ば隠されているのに、どうやって推測しているのか?


 結構な観察眼に高騰なテクニックが必要なはず。


 少なくとも、彼女は、ちまたでささやかれているように辺境暮らしを嫌ってこの皇都に留まっているわけではなさそうだ。


 急に左の耳たぶが熱くなる。

 耳に張り付いたイヤリングから伝わる微かな振動。

 できるだけ自然な動作で小首を傾げて通信魔道具イヤリングを左手で覆うと、装備者だけに聞こえる声に、耳を澄ます。


「お嬢様?」


 問いかける侍女に、大きく頷いてみせる。


 とりあえずは、自分の役割を果たすことに専心しよう。


 『ビーシャス公爵令嬢』は、お茶を飲み干すと、ゆっくりと立ち上がった。


*   *  *  *  *


 さて、残すは、あと一人。


 厨房の係や給仕人がうろうろしている大テーブルの方にちらりと目をやって、後片付けもあらかた終わりつつあるのを確認する。


 講師の方々は送らせたし、招待客も引き上げた。

 しばらくは差しで話ができそうだ。身内に関する個人的な興味を満たすことにしようか。


「この度はお招きいただき、ありがとうございます」


 ドレスの裾を軽くつまみ、優雅にカーテシーをする相手に、アマリアーナは微笑みかけた。


「こちらこそ、急な誘いに応じていただけてうれしいわ、ビーシャス公爵令嬢」


 昔から人の感情を読み取るのは得意だった。一番感情を表すのは目だが、たとえ目が隠されていても、感情は、口元やちょっとした動作、声の調子などに現れるもの。たとえどんなに隠そうとしても。


 辺境伯に嫁いでから、さらにその技量に磨きがかかったと自負もしている。


「私、あなたにお会いしたいと思っていましたの。ずっと」


 これはまたとない機会だ。じっくりと見極めるための。

 あれほど才に恵まれながら、何も望もうとしなかった弟に、国を捨ててまで結ばれたいと言わしめた女性の本性を。


 さて、まずはどう問えば、このご令嬢の感情を引き出すことができるかしら?

 俯きがちに笑みを浮かべた令嬢を、アマリアーナはじっと見つめた。 


*  *  *  *  *


 近くで見ると、思ったより背が高い。

 アマリアーナも女性としては背が高い方だが、彼女は自分とほぼ同じ、いや、やや彼女の方が長身であるように見える。

 背後に控えている侍女もかなり長身なので、ブーマ国では背が高い女性が多いのかもしれない。


 首筋をぴったりと覆う幅広チョーカー。オフショルダーの肩口にふんわりとかかった白いストール。ピンクのデイドレスは、ハイウエストになっていて、その下の部分はゆったりとした、長めのフレアになっている。


 露出はかなり少なめだが、女性らしさをそれなりに強調しているのではないだろうか。

 斬新なデザインなのだろう。少なくとも皇国の社交界では。


 その道のエキスパートである侍女メニエラがさっきから食い入るように見つめていることから考えて。


「素晴らしい茶話会でしたわ、サリナス辺境伯夫人様ユア グレイス


 ビーシャス公爵令嬢が言った。

 少しハスキーだが、よく響く声だ。


わたくし、すべてに感銘を受けました。茶話会にもこの場所にも。辺境伯夫人様のお人柄にも。それに、伺っていた通り、いえ、それ以上に、素敵な装い。美しさの中にも確かな知性を感じられます。素晴らしいセンスをお持ちでいらっしゃいますのね。毎回、拝見するのが楽しみだったと叔母も申しておりました」


「まあ、あの方がそんなことを。また、ぜひ、お茶をご一緒しましょうと伝えてくださいな」


 これは、社交辞令ではなく、アマリアーナの本心だ。

 令嬢の叔母である侯爵夫人は、ごく最近まで茶話会の常連で、お気に入りの一人だった。落ち着いたらすぐにでも、メンバーに復帰してもらいたい女性だ。


「私の装いについては、私ではなく、ここにいるメニエラのおかげですわ。毎回、彼女に任せていますから」


 アマリアーナは専属侍女を紹介しようと、振り返って驚いた。


「メニエラ?」


 顔が真っ青だ。明らかに様子がおかしい。

 他国とはいえ王家の血を引く貴族令嬢に手放しでほめられたのだから、てっきり有頂天になるかと思ったのに。


「まあ。こちらが。今夜の御衣裳の手はずもあなたが?」


 令嬢が話しかけながら、一歩近づく。

 メニエラがおびえたように首を振りながら後退った。

 震える声で尋ねる。


「あなた、誰です?」


「もちろん、エレノア・フォン・ビーシャスですわ」


「いいえ。他の者は騙せても、私にはわかります。ビーシャス嬢は、ブーマの社交界では名の知れた方。もっと背が低い女性だったはず。おみ足が、そのように筋肉質のはずがありません」


「足?彼女の足がどうかしたの?」


 フレアスカートの下から覗く令嬢の足を、思わず覗き込もうとしたアマリアーナの腕を、メニエラはグッと掴んで、引き寄せた。


「まあ。よく見てられますのね。専門家ってすごい!足は盲点でしたわ」


 『令嬢』の背後から『侍女』が感心したように言った。


 『令嬢』が大きく息を吐いた。


「だから、無理だと言ったんだ。やっぱり、ファレル、お前が『ビーシャス嬢』になるべきだった」


 その雰囲気ががらりと変わる。


 笑みを形どっていた唇から表情が抜け落ちた。

 その背筋が伸び、一瞬のうちに実際に背が高くなったのに驚く。


「あら。私よりずっとお似合いですよ、そのドレス。まあ、でも、補正下着は上だけでなく下半身用ガードルも着てもらうべきでした。次回は、可愛いブーツもサイズを用意して、完璧を目指して見せます」


「次回は絶対にない。ブーツもガードルも、断じて、着るつもりはない」


 この妙に平坦な、無機質な話し方・・・。

 変声機でも使っているのか。声は違っているが、これは間違いなく・・・


「誰か!誰か、護衛を呼んで!この女は偽物よ。すぐに連絡を!」


 メニエラの金切り声が響き渡った。


 温室の周囲で待機していた別邸の護衛たちが、瞬く間に、アマリアーナを守るように立ちはだかった。


 メニエラが護衛騎士の一人とともにアマリアーナの手を引いて階段の方へ走り出す。


 後を追おうと前に出た『令嬢』と『侍女』が大きく飛びのいた。と同時に、まさにその場に矢が降り注ぐ。


「さすが、辺境伯の部下。反応が早い」

 

 テーブルの影に素早く身を隠して、『令嬢』がぼそりと言った。


「て言うか、早すぎません?どうするんです、これ?」

 

 同じように身を顰めた『侍女』は、ガードルに挟み込んでいた細身の剣を引っ張り出す。


「時間がない。後を追う」


 すっくと立ちあがると、『令嬢』は手にした羽扇で矢継ぎ早に飛んできた矢を弾き落とす。


「説明は任せた」

 

 次の瞬間、『令嬢』はフレアスカートの裾をなびかせて、抜刀した護衛騎士たちに向かって走り出した。


*  *  *  *  * 


「奥様、こちらへ」


 階段を目指していたメニエラは、メイド長の姿に気づくと舌打ちして、逡巡するように歩を緩めた。


「待ってちょうだい、メニエラ」


 思わぬ強さで握られた手をようやく振り払って、アマリアーナが立ち止まった。


「大丈夫だから。危険はないわ。なぜ女装までして成りすましてるのか知らないけど、あれは・・・」


 首筋に冷たい異物を感じて言葉が途切れる。


「危険なんですよ。我々にとっては」


 威嚇の籠った男の声が耳元でささやいた。


 思わず振り返ろうとして、アマリアーナは頸動脈あたりに刃が今一度押し当てられるのを感じた。


「このままお進みください。貴方様を傷つけることは、わが君の本意ではありませんので」


 背後を守るように同行した、見知らぬ騎士は、黒く塗られた短剣を片手で操りながら、もう片手でアマリアーナの肩をそっと押した。


「しばし、ご無礼をお許しください、奥様。私たちは、奥様を救って差し上げたいのです、あの男から。このメニエラが、奥様にふさわしい場所にお連れします」


 紅潮した侍女の顔を、アマリアーナは呆然と見つめた。


 

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