第13話 皇子の療養休暇 ⑤アマリアーナ

 あの人は一体何を考えているのだろう?


 サリナス辺境伯夫人アマリアーナは、昨夜から何度も同じ問いに頭を悩ませていた。

 どういうつもりかはわからない。が、何かを企てているのは確かだ。だけど・・・ 

 そもそも、バレないと思っているのだろうか?

 自分を馬鹿にするにもほどがある。


 急にこみあげてきた怒りを飲み下すと、アマリアーナは鏡に映る自分の姿に何とか意識を集中しようとした。


 首の後ろで緩く編まれて銀のバレッタで留められた艶やかなストロベリーブロンド。長いまつ毛に縁どられた水色ペールブルーの瞳。すっきりとした鼻筋にやや肉感的な赤い唇。

 すんなりとした首筋を彩るのは、煌めくクリスタル珠に大粒のサファイアが3個組み込まれたネックレスだ。

 デイドレスそのものは、参加者の多くが若い令嬢であることを鑑みて、あまり格式ばらないように配慮されている。今日、身に纏っているのは、デコルテの切り込みも控えめに、胸元に淡いグラデーションのフリルをあしらっただけの簡素なデザイン。と言っても、その素材そのものは最高級の品質であり、都でも指折りの仕立て屋で作らせただけあって、シンプルな中にも気品が漂う。


「メニエラ、いつもながらあなたの見立ては素敵ね。今日の衣装のコンセプトは青かしら?」


 自分の姿に満足したアマリアーナは、背後に控える侍女に語りかけた。 


「その通りでございます。今回は仮面も青系の色にしてみました。手袋も色合いを少々変えた青にする予定だったのですが・・・」


 茶話会のための身支度を整えてくれている侍女メニエラは、抜群のファッションセンスを買われて半年ほど前から専属になった中年の女性だ。

 彼女は女主人アマリアーナの服装の最終チェック中で、最後に身に着ける予定の手袋を手に顔をしかめている。どうやら、急遽退職したそば仕えの代わりに雇用された新入りが、意に染まぬ品を用意したらしい。


 高圧的に別の品を持ってくるように命じる彼女に、アマリアーナは微かに眉をひそめた。


 そんなに怒るほどのことではないのに。


 メニエラは完璧を求めすぎる。自分の崇める美の対象を飾ることに関して妥協はしない。

 現在の、その対象はアマリアーナであるわけだが。


 確かにメラニアのセンスは素晴らしい。

 前回用意してくれた裾にレースを重ねたピンクのデイドレスも素敵だったし、今回のブルーのも印象が全く違うにもかかわらず、よく自分に似合っている。

 アクセサリーも毎回異なる一品もので、それぞれの装いにピッタリの個性的な品。おそらく特注なのだろう。

 長い間、皇都の上位貴族に仕えていただけあって、衣装やアクセサリーを扱う店にも詳しいし、美容関係での人脈も広いようだ。


 アマリアーナは大きな催しの際の装いに関しては、彼女に全面的に任せることにしている。


 アマリアーナ自身は自分を装うすべにあまり自信がない。と言うか、正直なところ、あまり興味もない。

 王宮に居る頃は、専属の衣装係が彼女の身なりを完璧に整えてくれたので、アマリアーナ本人の選択権はあまりなかったと思う。ただされるままでいれば、当たり前のように誰もが、彼女の容姿をほめたたえてくれた。

 辺境伯に嫁いでからは、夫の地位に見合う品位を保つように彼女なりに心がけているつもりではあるが、それも義務だと思うからに過ぎない。


 子供の頃から、王妃ははによく似た外見を生かして、対外的には、王族らしく優雅に振舞うのには慣れていたが、本当は、ガーデニングや読書を楽しむ方がずっと好きだった。


 読書はともかく、庭いじりガーデニングは王族の趣味としてはあまり好ましくは思われないので、彼女の密かな楽しみを知っているのは、王宮庭師たちだけだった。優しい彼らに迷惑をかけたくなかったから、庭いじりをするときは、必ず、身分がばれないようにそれなりの変装をしたものだ。


 本は彼女に王宮以外の世界の存在を教えてくれたし、植物は、王女である彼女に対して心にもないおべっかを言うこともなく、ただ季節に応じてその植物ごとの美しさで報いてくれた。


 アマリアーナは聡い子どもだった。ごく幼いころから、様々な思惑が渦巻く王宮での自分の立場を理解していた。何となく悟ってもいた。自分が父にも母にもあまり愛されてはいないことを。


 第一王女として大切に育てられたが、両親は彼女自身を顧みてはくれなかった。

 父と母の、国王と正妃の結婚は、あくまで国の安泰を図るための政略的なもの。

 父王には愛する側室がいたし、母には、次代の王になるべき第一皇子がいた。

 別に疎まれていたわけではない。彼女は、皇国の将来に役立つ人脈に嫁ぐべき大切な存在だった。

 第一王女としての自分の扱いが、王族では珍しいことではない事もわかっていた。


 ただ、両親の一番は自分ではない。それだけのことだった。それでも、侍女たちや護衛騎士たちの家族の話を耳にするたびに、なぜか、胸の奥がひりひりした。そんな時は、庭園のお気に入りの場所で花々を眺めたり、読書に耽ったりしたものだった。


 彼と出会ったのも、そんな日のことだった。

 あんな偶然の出会いなんて、あの人は忘れてしまっているのだろうけど。


*  *  *  *  *

 

 忘れもしないあの日。あれは彼女の誕生日当日だった。


 王族の誕生日には大掛かりなパーティを開いて祝われるのが普通だ。

 だが、ある年を境に、彼女の誕生日だけは実際の日より数日後に行われるようになった。最初の年、不思議に思った彼女が侍女に尋ねると、その侍女は、忌事があったからだとだけ、教えてくれた。後になってアマリアーナは、その日、王が選んだ唯一の側室が亡くなったのだと知った。


 彼女の誕生日には、父王は亡き側室の生家あるその墓を訪れるのが恒例になった。だから、彼女の誕生日パーティはその日には開かれない。

 父の年一回の訪問にもう一つ別の理由があることも、彼女はその数年後には知った。

 

 誰も祝ってくれない自分が本当に生まれた日。その日になると墓参りに行く夫を引き留めることもできずに母はそのまま自室に引きこもる。侍女や侍従も重苦しい表情でそんな母の様子をうかがう。

 アマリアーナにとって、自分の誕生日は一年で一番嫌いな日だった。


 あの日も、彼女はこっそりとお気に入りの温室にやってきた。数日後に開かれる『第一王女アマリアーナ』の誕生バーティに招かれた客たちの接客に城中がてんやわんやで。一人で抜け出すのは案外と簡単だったのを覚えている。

 温室は、とても静かで珍しい異国の花々が咲き乱れていた。そして、そこで、彼に会ったのだ。ベンチに座って、両手で顔を覆っているあの人に。


*  *  *  *  *

 

「あの、奥様、旦那様のことですが・・・」


 彼女は、軽く頭を振って物思いを断ち切ると、振り向いて侍女を見た。


「あの人がどうかしたの?」


「申し上げるべきか、迷ったのですが」


「なんなの?遠慮せずに言いなさい」


 新たに持ってこさせたらしいた蒼い手袋に視線を落としたまま、メラニアは言った。


「贈り物をされたそうです」


「それが何か?あの人だって、贈り物をすることくらいあるでしょう?」


 アマリアーナが何でもないように答えると、メラニアはキッと顔を上げた。


「弓隊の女隊長に、ですよ?風魔法を付加した高価な弓を。わざわざ皇都一の魔道具店に特注までされて」


「そう。ル・ボウに。彼女は、辺境伯の片腕ともいうべき女性ですものね」


 憤慨する侍女の様子に、彼女は気が付かないふりをして答えた。


 ル・ボウ率いる第一前衛部隊は、辺境伯軍の主力部隊の一つだ。

 ル・ボウは元は山岳民族の族長の娘で弓の名手。見た目から判断するとまだ30代半ばくらいだろうか。きりっとした顔立ちの美しい女だ。辺境伯の側近でもあり、軍議の際は常に彼の傍らにいる。


 1年の大半を皇都にとどめ置かれている自分よりもずっと長い時間を夫と過ごしている女性。


「奥様、お気にならないのですか?あの女に対する旦那様の態度。魔物討伐にかこつけて、あの女の家に旦那様が入り浸っているって噂もあるのですよ。生粋の王族の出の奥様をないがしろにして、あのような下賤の者に・・・」


「口を慎みなさい。うかつなことを言うものではないわ」


「皆、言ってます。二人は親密な間柄だと」


「彼女は優秀な戦士だから、旦那様は頼りにされてるのよ」


「それにしたって。こちらには、明後日の奥様の誕生日会にも、来られないのでしょう?」


「仕方ないわ。お忙しいのよ。プレゼントは届けてくださったわ」


 ドレッサーの両脇に置かれた花瓶に活けられた、柑橘系にも似た甘い香りのする淡いピンクの花束。それは、本来は山岳地帯の一部でしか育たない植物で、4年に一度しか花が咲かないという貴種だ。なんでも、品種改良の末、都の気候でも毎年花を咲かせる苗を作り上げたらしい。


 昨夜遅く、辺境伯の命で派遣された護衛騎士だと名乗る男が、プレゼントの小箱と一緒に大量に持参してきた。


 新婚当時、彼女が好きだと言ったことを覚えていてくれたのかもしれない。


「いくら珍しい花と言っても多すぎます。屋敷中、この花の匂いだらけで」


「めったに見られない花だもの。お客様は、きっと喜ばれるわ。まあ、旦那様が来られないのは残念ではあるわね」


 月に数回は顔を見せてくれていた夫は、なぜかここ数か月は一度も訪ねてくれない。忙しいというのは嘘ではないだろうが、避けられているのかもしれないとは感じていた。


「奥様、ル・ボウの件、お許しいただければ、私の方で対策を立てさせていただきますが?それなりの伝手つてがございます故」


「いい加減になさい。辺境伯は高潔な人よ。あんな下賤な噂を気にするなんて馬鹿らしいわ」


 瞳に暗い色を宿らせた侍女に、アマリアーナはまったく気にしていないかのように笑ってみせた。

 自分の目の前で、かつて母がそうしたように。


「でも、奥様!」


 控えめなノックの音が、侍女の口を噤ませた。


 アマリアーナが入室を認めると、見慣れた白髪の執事の姿が現れる。


「奥様、そろそろ、庭園に向かわれた方がよろしいかと。すでにお客様をお迎えする準備は整っております」


「わかったわ。すぐにいくわ」


 大丈夫。私は絶対に母上の轍を踏みはしない。

 アマリアーナは若かりし頃の母によく似た鏡像に目をやると、青い仮面を手に取った。

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