第12話 皇子の療養休暇 ④王からの依頼
結婚当時、アマリアーナ王女は確か、18歳。母親譲りの美貌と王室の家庭教師たちが舌を巻くほどの才。そんな王女を同盟国ではなく、よりによって自国の辺境の地に嫁がせるとは。
国民の多くは、親子ほど年の離れた男の後妻として嫁がされる美しき王女に同情的だった。
いくら優れた軍人であり、人格者であっても、出自もはっきりしない仮面の男との結婚に反対する貴族も多かった。
さらに王位継承権の問題もある。
皇国では、息子より下位にはなるが、娘にも爵位の継承そのものは認められている。つまり第一王女であるアマリアーナは皇国においてはアルバート第一皇子、アルフォンソ第二皇子、アルサンド第三皇子に次ぐ第四位王位継承権保持者。結婚後は、実質的には、その夫である辺境伯が王位継承権を持つことになる。
国王アルメニウス一世の忠臣として認知されている辺境伯ではあるが、もし、彼が王位への野望を隠し持っていたら?王女と首尾よく結婚して王位継承権をわがものにした後、皇子たちを亡き者にして、王位を略奪しようと考えることがないと断言できるのか?
事実、そのもっともな懸念を王に直訴した上位貴族もいたと聞く。
王がそのような意見にどう対応したかはわからない。
ただ、それにもかかわらず、王は一人娘を辺境伯に嫁がせた。アマリアーナもその政略結婚を否とは言わずに受け入れた。
常識的に考えれば不相応なこの縁組を強行した理由については、王自らは語ろうとせず、未だつまびらかにされてはいない。
辺境伯の忠義に、その実力に、よほどの信を置いていたとしか思えない。また、少なくとも現在までは、辺境伯は王の信頼に十分応えているように見える。
4年たった今、一見、夫婦間に大きな問題があるという噂はない。家のための結婚が普通である貴族同士の結婚という観点から見れば。
未だ子供に恵まれず、一年の大半を皇都の別邸で暮らすアマリアーナの気持ちのほどは、アルフォンソにはよくわからないが。
年が近い姉といっても、母親が違う異母姉。
地方の別邸育ちのアルフォンソは彼女のことをほとんど知らない。
王妃によく似た顔立ちの美しい姉。
王宮を訪れた際に、突き刺すような視線と冷たい笑みで迎えられたことくらいしか印象にない。
「仮面の辺境伯夫人の仮面茶話会か。その慈善パーティのことなら、聞き及んでいる」
黙り込んだアルフォンソに代わって、王が口を挟んだ。
「辺境伯の別邸で、毎月、アマリアーナが行っている催しだろう?護衛騎士すら主会場には入れない男子禁制の茶話会だとか。実質的には若い女性の親睦会と慈善活動を一つにした催しだと聞いておる。仮面をつけることで身分差を気にせずに交流を楽しめると令嬢方には好評であるようだが。仮面をつけるというアイディアそのものは、仮面伯に対するあの子なりの洒落なのだろうな」
王が案外と情報通なのに少し驚きながら、エレノアは頷いた。
「叔母からは、とてもためになる催しだと聞いています。アマリアーナ様は令嬢たちの悩みを聞いてアドバイスを下さったり、貧しい子供たちのための寄付を募ったりされているそうです。時には、ご令嬢に、しかるべき良き結婚相手まで紹介してくださるとか。私、明後日の舞踏会をとても楽しみにしておりますの」
「アマリアーナも大人になったものだ。立派に辺境伯夫人としての役割を務めておるようだな」
「恐れながら、陛下、アマリアーナ様は素晴らしい貴婦人でいらっしゃいます。今や、その美しさと趣味の良さは、皇都のご令嬢の指針になっていると伺っております。この仮面もアドリアーナ様がデザインされたものとか。毎回、新たに趣向を凝らしたお召し物も素晴らしいと、叔母は申しておりました。お召しになられたドレスは、オークションにかけ、その代金をすべて教会や孤児院に寄付されるそうです」
そのまま、二人は貴族社会のトレンドについて話を弾ませだした。ファッションや流行りの芝居、催しごと、はては皇国とブーマ国での文化的流行の違いについてまで。
王宮からほとんど出ることはない皇王と他国から数日前にやってきたばかりの公爵令嬢は、初対面のはずなのに、なぜか、すっかりと打ち解けているようだった。
アルフォンソは、二人が楽し気に会話する傍らで、色あせた袋を手に何事か考えていたが、意を決したように、口を開いた。
「陛下、仮面茶話会のことでお話ししたいことがあるのですが」
「なんだ、アルフォンソ?もしかして、興味があるのか?」
「この仮面とこの布袋は同じ場所で見つけたのです。問題はこの袋の中身です」
アルフォンソは、手にした袋から、布で二重三重に包まれた小さな包みと薄いブックレットのような本を取り出した。
「こちらの本は、どうやら自費出版の皇都の観光案内本のようです」
1ページめから最後の12ページまでを、ぺらぺらとめくって見せる。どのページにも、皇都の一般的な観光名所や博物館などの著名な建物が載せられている。
「1ページにひとつずつ、12か所だけというのは、観光案内としては少なすぎる気はしますが、まあ、特におかしな記述はないようです。で、これなんですが」
王の真ん前まで進み出て、包みを差し出す。
「このままの状態では、危険はございません。お確かめを」
怪訝そうに包みを受け取ると、王は、布を丁寧に開いて中身を吟味した。
中に入っていたのは、真っ黒な丸薬のようなものが10粒ほど。
王は、一つ掴むとその臭いを嗅いで、アルフォンを見た。
「これは、まさか?」
アルフォンソは頷いた。
「たぶん、お察しの通りかと。そして、この布袋ですが・・・よくご覧ください。ここに紋章が」
アルフォンソが指し示した場所。そこには、うすぼんやりとではあるが、確かに4本の槍で描かれたひし形の紋章らしき刻印が見える。
「これは、辺境伯の紋章だな」
王が目を細めて呟いた。
「あの件にアマリアーナか辺境伯がかかわっているとは信じがたいが」
「同感です。ですが、調べる必要はあるでしょう。公にならないような方法で」
アルフォンソがいかにも事務的な口調で言った。
「とりあえず、陛下にご相談をした方がいいかとお持ちしました」
「実は、この薬の出どころが、マルノザ帝国であるらしいことが判明した」
王の言葉にアルフォンソが目を見開いた。
「マルノザ帝国?あの、辺境領の先にある大国の?」
「そうだ。それも、どうやら、マルノザの王族が絡んでいる可能性が高い」
「王族がらみとなると、更にやっかいですね。辺境伯がそれに何らかの関わりがあったとしたら・・・」
ローザニアン皇国に次ぐ歴史と国力を誇る隣国、マルノザ帝国。
その国を司る王家が犯罪の裏にいるとしたら、こちらとしても迂闊には動けない。
マルノザ帝国は、現在、不侵攻条約を結んではいるが、昔から隙あらば皇国の豊かな土地を奪い取ろうとしてきた軍事国家だ。もし、国境を守る辺境伯が皇国を裏切って、マルノザと手を組むようなことがあれば、大変なことになる。いや、たとえ事実無根であったとしても、そんな噂が流れるだけで、皇国の統治が乱れることになりかねない。
「知っておったか、アルファンソ。お前の廃嫡に一番難を示しているのが、辺境伯、つまりはアマリアーナだと」
「姉上が?」
アルフォンソが微かに首を傾げた。
「もし、この件に関連して恩を売ることができれば、きっと、彼らの態度も変わるだろう。私も、すぐさま、お前の希望に沿うことができるのだが」
「陛下、私は今、療養中の身ですが?」
「もちろん、先日の負傷のせいで、お前が公務から離れて療養していることは周知されておる」
アルフォンソは、王の顔をしばし見つめた。それから、ふぅっと大きく息を吐いた。
怪訝そうに彼らの話を聞いていたエレノアの方に向き直る。
「エレノア嬢、いくつか頼みがあるのだが」
「頼み?」
話を続けようとしたアルフォンソが、はっと何かを思い出したように、口をつぐんだ。
「アルフォンソ殿下?」
「まずは・・・そのう・・・その前に、いただきたいのだが」
アルフォンソが言葉を濁した。
「いただきたい?何を?」
いつもは黒曜石そのもののような美しいが無機質な瞳が、彼らしからぬ、そわそわした様子でエレノアに向けられる。
「あの、その、シャル嬢からあなたが預かっておられると・・・」
「あら、申し訳ありません。私としたことが。肝心なことを忘れておりました」
エレノアは携えていた小さな箱を皇子に渡そうとして、顔を上げ・・・驚愕した。
アルフォンソ皇子が、あの、つい今しがたまで全く無表情だった男が、期待に満ちた顔で手を伸ばしている。ほのかに頬に朱を登らせて。
「エレノア嬢?」
呆然と皇子を見つめていたエレノアは、名を呼ばれてようやく、贈り物の小箱を取り出した。
「こちらが、殿下へのシャル様からの贈り物です。少し早いけど、誕生祝いだそうです」
アルフォンソは礼を言うと、淡い赤色の小箱を両手で大切そうに受け取った。
「殿下、もちろん、皇国の伝統はご存じですよね?手作りの品を想う相手の誕生月の色の箱に入れて贈りあうという。伝統に則って、頑張られたそうですわ、シャル様。ご自身で仕留めた魔物の魔石を使った防具腕輪だそうです。自分とお揃いにしたので、ぜひ身に着けていただきたいと」
「シャル嬢から私への手作りの贈り物・・・。それもおそろいの」
アルフォンソが嬉しそうに微笑した。笑わないと言われる黒の皇子が。
白い頬をうっすらと染めたまま。
令嬢が自分で魔物を仕留めた部分ではなく、おそろいに反応するのは、さすが、というか。
アルフォンソ皇子は戦士としては細身で小柄だし、顔立ちは男らしいには程遠い。かといって、女性的だと思ったことはない。だが・・・。
頬を染めて喜んでいるところは、なんか、こう、確かに、可愛いかも・・・
エレノアは慌てて、一瞬過った思いを打ち消した。
いけない。シャル様に感化されたのかも。
ガシャン。
陶器が派手にぶつかる音に反射的に目を向けると・・・
アルメニウス一世が、あの張り付けたような笑顔しか見せない国王が、驚愕も露に口をあんぐり開けて、息子を眺めていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます