第2話 某司祭の1日


「そうですね、母はサンルームの長椅子で。猫を連れて、午後はよくこうして緑に囲まれて過ごすのを好んでいました。息子もちょうど眠ったので、私達もお茶に呼ばれようと夫婦でここに向かったのです」

「ええ、コックにスコーンを頼んでいたようでしたので、それと義母定番のプラムジャム、紅茶を用意して私どもも参りました」

「そうしたら、母は午睡を楽しんでおりました。いえね、ここは暖かいので、よく日向ぼっこをしながら眠ってしまうのと母は笑っていましたもので、てっきり今回もそうかなと」

「先程主人も申しましたとおり、やはり息子は夢を見たのでしょう。いつもより早く起きてきたと思ったら、『おじいちゃまが頭を撫でてくれた、暑いのにディーネみたいな色のもこもこしたベストを着て、眠っているおばあちゃまを見に行こうとウインクして誘ってくれた』と言うのです。そして夢の中の義父がサンルームの長椅子で眠っている義母に『おはよう、今目覚めたよ』と声をかけて······ええと、たしか鼻をつついて起こしたら、二人とも金色に光って。光ったと思ったらいつの間にか背中に羽が生えていて飛んで行ってしまったそうなのですわ」

「当然ながら、息子――ロイは私が幼い頃に亡くなった我が父には会ったことがありません。肖像画の父はニットベストを着ておりませんし、仮にベストを終生好んで着ていた父のことを誰かに聞いたとしても、一番大切にしていたのは母が初めて編んだブルーのものだったことは、家人以外知らないのではと思います。あ、ディーネというのは猫なんですが、当時の母がディーネに似た空色のようなブルーの毛糸を探して作ったそうで」

「ロイが生まれた時、義母はもうだいぶ記憶が混濁しておりましたし·····その事をお話になられたかどうか·」

「金の光の中で、父は『ロイ坊や、私はおばあちゃまと泉へ行く。お利口さんにして、人参も食べて、皆によろしくな』と言って、その横で母もピンクのドレス姿で笑って手を振っていたんだそうです。それで『分かったよ、いってらっしゃい!』とお返事した、と。······乳母からそれを聞きまして、面白い話なので寝ている母を起こそうとしましたら」

「······もうお目覚めにはならなかったということですね? お話はよく分かりました」


 前辺境伯夫人でいらっしゃった奥様の葬儀を執り行った後。

 現当主のマーク様に声をかけていただき、司祭である私は辺境伯領主館でお茶を頂戴しながら奥様の思い出話を伺っていたところ、少し変わった話となった。


 私は何度も頷くと、途中から許可を得てメモを取らせていただいた手帳を閉じてしばし目を瞑った。それから御当主様方に改めてのお悔やみを申し上げて暇を乞うた。





 辺境伯領にあるあの神秘的とも言える美しい泉は、前辺境伯夫妻のお気に入りだったのは有名だ。

 陽光のような金髪が目を引く奥様――前辺境伯夫人のマリー様は、旦那様のオリバー様が紛争地帯に行くたびに、あの泉に祈りを捧げてから教会に勝利祈願の奉納品をお持ちになっていた。

 そのようにして持ち込まれたタペストリーは、オリバー様の安全と勝利を祈願した紋様を刺繍された素晴らしいもので、領民も奥様の品を見ては『少しでも奥様のお力になれるように』と、領主館へ作物などを届けに行く者も多かったと聞く。

 またオリバー様へと手ずからお作りになった剣帯やギャンベゾン、あるいは領地に残る騎士団の妻達が集い一針ずつ思いを込めて縫い上げた軍旗なども、紛争地に送られる前に当教会にお持ちになって祈祷を受けるほどの熱心さだった。


 私がこちらの教会に赴任したのはオリバー様がすでに紛争地へ頻繁に向かわれていた頃なので、残念ながらお二人ご一緒の姿はほとんどお見かけしていない。オリバー様の神がかった強さを伝え聞くばかりだ。


 幼い頃から婚約を結んでいたお二人は、よく領地を駆け回って遊んでいたらしい。

 とても可愛らしく活発なお二人だったようなので、人々は冗談混じりに『泉の精に連れて行かれないように』と話したことがあったのだとか。

 ――泉の精に気に入られると、あちらの国に引っ張られてしまう。多かれ少なかれどの地方でも昔からよく言われるあれ・・だ。

『あまり精霊の近くにいると、背中に羽が生えて、どこかに連れて行かれて帰ってこられなくなるよ』。この辺りの大人は子どもにそう言って脅かして、子どもだけで泉に近寄らないようにしたのだ。

 だけれど、先程の夢の話のロイ様はまだ二歳。そんな警告を受ける御歳ではないだろう。

 そして、幼い時でもオリバー様とマリー様のお二人は次期辺境伯夫妻となられる御方、と誰もが思って見守っていた。この泉の話はお二人も何となくはご存知だろうが、いくら領民との距離が近いとはいえ領主子息に子どもだましの話などそうはしないと思われる。実際あのお二人は危険に十分留意しながら泉に親しんでおられたのだし。


 ところで当教会では《奇跡》を書き残す帳面が存在している。帳面と言っても大変古い革装丁型のもので、教会の権威強化のためか、神による《奇跡》ではないかと思われる事象余すこと無く記録するよう命じられている。

 教会が《奇跡》の記録を行っているのは、不思議なことが起きたら教会に報告するようにという程度には、領民に認知されている。そのため、今回領主様も報告をして下さったというわけだ。


 当教会における過去の《奇跡》記録に目を通すと、あの泉に関するものが圧倒的多数で、尚且つその書きぶりも叙情的というか簡潔とは程遠いドラマチックな記述が多い。《奇跡》を目の当たりにすると冷静には記述出来なくなるものなのか。

 それに倣って一応本件もここに書き残すつもりでいるが、自分自身としてはこれは《奇跡》ではない、と思っている。


 何故か。

 司祭としても一人の領民としても、これは辺境伯家の家族愛の一幕だとしか思えないからだ。

 こう言っては失礼に値するかもしれないが、死に直面した時、人はそのショックで多少記憶に揺らぎが出ることもまま起こりうるものでもあるのだし。

 よく聞く『虫の知らせ』というものも、病により死へ向かっている家族を見て、平素とはわずかに違うその差に、人は無意識に違和感を感じたものであるのが大半なのではないか

 。

 直接話を聞かなくとも、身近に居れば噂話や誰かの雑談などで間接的に知る事柄だって世の中にはたくさんある。

 たしかに奥様のお顔は満面の笑みを浮かべていた。

 |まるで若い娘が飛び上がって喜んでいるような《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》?

 だがそれは最愛の人に再会した笑顔なのか? ただの私の主観ではないのか? 街角演劇が求めるような《奇跡》のご都合主義派にミスリードされるわけには行かぬ。

 私は司祭でありながらリアリストなのかもしれない。


 

 奥様は泉を愛し、家人としての旦那様を愛し、辺境伯としてのオリバー様を愛し、オリバー様が守ったこの地を愛し、ご家族を愛した。


 オリバー様亡き後は、息子のマーク様が成人されるまで義理の父である大旦那様とともに暫定的に辺境伯代理として立つことを国に認められるほどの女傑。幼き頃よりオリバー様を支えるために乗馬や剣術を学び、天賦の才ありと言われた腕だとは言え、西国境地での西国蛮族との紛争を制圧したオリバー様の名代として、女だてらに講和条約締結に赴かれたと聞いた時には本当に驚いた。


 紛争からお戻りになられたオリバー様は、なんてことのない傷からの破傷風により長く病床についた後お亡くなりになった。西国での衛生状況がお体の免疫を弱くさせてしまったのかもしれない。その間に、奥様はオリバー様の代わりに国の要人とともに西国に行き、長く続いた紛争を終わらせたのだ。



 彼女が愛情深き方であったこと、そして誰よりも夫の愛を欲していたことは、国王陛下より西国紛争締結に於いて褒章を授与された席での言葉でも察せられたという。


「此度の誉れは夫並びに当家騎士団へのものと存じます。私に真の忠誠、国を護るという意識を授けたのは夫オリバーでございます。本日私は病に伏せる夫の名代として罷り越し、無事お役目を果たすことがかないましたことを国王陛下に感謝申し上げます。夫への過大なるお言葉は領地を護る夫に速やかに報告し、陛下にもたらして頂いた平穏を領地にて噛み締めたいと思います」




 先程の談話をまとめながら、私はちらりと《奇跡》帳面に目を向ける。


 ロイ様はただ単に夢で祖父母に会って、挨拶をしただけなのだ。夢の中で背に羽が生えていたとしても、金に輝こうと、それは夢だ。現実に起きたことではない。

 実際にロイ様はサンルームには行かなかったし、お二人(の魂?)が飛んでいくところは見ていない。

 これはあくまで奥様が旅立たれたと思われる同時刻に見た夢であることと、また同時刻に泉の方角から眩い金の光が見えたと何人もの領民からの報告があったこと。これらの関連性がはっきりしない以上、同一の《奇跡》として扱うのは浅慮すぎるというものだろう。


 ただ、と、私は目を細める。

 この重厚な帳面は《奇跡》を記録するもの。代々の司祭日誌とともにここに残されるものであるならば、この日ばかりは《奇跡》帳面にロイ様の夢のとおりに、領主家の皆様が感じられたとおりに記述をし、領民達の報告も彼らが感じたとおりに記述をしよう。その《奇跡》が起きた根拠として、お二人が長く愛し合っていた夫婦であったこと、泉の精霊に好かれていたのではないかと思われる程強い効果のあった祈りの紋様刺繍のこと、この地の長老であってもあの泉が光ったなど見たことも聞いたこともないということも、奥様ご愛用のシードパールのネックレスの中心の二粒が何故か金に染まったことも、漏れなくそのとおりに記述するのだ。


 何ならいつも奥様の側にいたディーネというやけに長生きの猫が、あの日以降姿を隠したことも入れてみようか。『幼少時にオリバー様が拾われた不思議な空色の猫ディーネは、泉の精霊ウンディーネの仮の姿だったのではないかと思われる』なんて名調子で良いではないか。


 先達の方々のように自分の筆も多少叙情的にドラマチックに偏るかもしれぬが、そうでもしないと読んだ者がこの《奇跡》のストーリーを理解出来ない。代わりに司祭日誌には淡々と本件の時系列をまとめておこう。


 後年この帳面を読んだ誰かが、本件を《奇跡》かどうか判断すればいいのだから。

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午睡 あなたが目覚めたら 来住野つかさ @kishino_tsukasa

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