忌椿

 冬になると、よく見る夢。

「逆月、あなたは父様ててさまのようになってはだめよ」と、頬を撫でる柔らかな白い手の微熱。

 吐いた瞬間から凍りついていくような寒さと雪が降り積もる河原に無情に晒され、ゆっくりと腐敗が進む中でもありありと残るの首がひとつ。

 あれは間違いなく父だった。

 そのときから、俺は的を打ち損じたことはない。


  ・

  ・


 国を落とす。国を落とすと言ったのか、このおおうつけは。

 雷は、言葉を失った。

 あまりにも馬鹿げた思想だ。いくら実力があれど政府を相手に何が出来るのだろう。これがまだ逆月だけなら雷は一笑に伏してみせただろう。だが今この場には若い刀刃衆たちも同席している。

 つまり彼らはこの男の破滅的な思想に少なからず共感しているということだ。

「反逆罪は一族郎党死罪だぞ」

 ようやく出た言葉は声が震えきり、幼児のような拙さがあった。

 これは恐怖か。

 そんな考えが頭をよぎる。なら、その恐怖はどこからもたらされている?

 すぎた妄言にか。慢心する逆月にか。いいや、俺の恐怖は何時なんどきも――現実というものに侵食する絵空事だ。

 逆月も含め、待機を命じられている刀刃衆、よく見知った波月の使用人の首がまたたきの間に消えた。

 嗚呼、畜生め。

――こうなったらもう終わりだ。

「災厄だ」

「最悪、はは最悪と来たか」

 言葉を聞き取り誤った首なしがカラカラと笑ったかと思うと、「俺と《家紋渡し》はそんなに嫌か」という。

「逆月、いまはそんな場合じゃ」

「お前はそうだろうな、妹のほうが大事だろうよ。だが俺に対してはどうだ、お前のいう誠意は金だけで出来ていたのか」

「――っ、言葉が過ぎるぞ逆月!」

 吠えれば、雷は男がかすかに笑ったような気がした。

「じゃあ、お前はこれに対してどう責任を取ってくれるんだ」

 大社の祈祷を込めた糸が絡んだ指が自身のやけど傷を指差す。

 雷は押し黙った。

 絵空事をひとに話したことはない。信じて貰えることがそもそも出来ない類いのことだと櫛女に怪我を負わせた時に理解したからだ。

 雷に出来ることといえば、もっぱら狂わないよう意識を保つことだけ。そうすれば最悪のもっと先にある、ほんとうの意味での最悪は防げるから。

 ……、それでも逆月という二例目を出した時点で俺は尊厳のために死ぬべきだったかもしれない。そうすれば櫛女の晴れの日を潰すようなことはなかった。

 こんな絵空事も見ずに済んだ。

 そう考えると、胸のなかにつっかえていた重しがふっと切れた。

 これは良くない。これは。

「――、逆月」

 ぴり、と極限にまで張りつめた緊張がその場を席巻する。周りの刀刃衆もそれを察知したのか腰を上げるが、「動くな」と大頭のひとことにとどまった。

「なんだ、雷?」

「お前は人生を悔いたことがあるか? 俺はある。そして今日、一番の悔いがあるとしらされたよ」

「水槍の雷ほどの男がか。興味があるな」

「……、俺はお前をあの時焼き殺してやるべきだった」

 睨み言い放つと、「不敬だ」とどよめく若い声が端々から上がる。それらの声をすべて無視して、「首を差し出せ、逆月。引導を渡してやる」と続けて宣告する。

「お前が、俺に、か」

「俺が、お前に、だ」

 一問一答の後、「家紋は?」となおも諦めていないらしい発言に雷は眉根を寄せる。

「お前に渡す家紋はない。それが答えだ、逆月」

「……なら落とすまでだな」

 言うが早いか、逆月は肩にかけていた弓――射隼を構える。刀刃衆に籍を置いていた頃から何度も見たその流麗たる動作の先にあるものを俺は追う。

 大帝から縫い月と絶賛され、狙いを外すところを見たことがなかった男の射線は《家紋渡し》の主役たる妹、櫛女がいる庭へ向けられた。

 俺は咄嗟に廊下に鎮座した御酒の瓶を取りその場に叩きつけた。脆い硝子が割れる音ともに、中の酒が廊下を濡らした。が、それらに指令を下すと、もとからそうであったというように酒は槍の形となり俺の手に収まった。

「はは、いいのか雷。刀刃衆に抵抗するなんて」

「刀刃衆がどこにいる。大帝の命を実行するならまだしも、ここにいるのは百足に頭をやられ、矛先を見誤った馬鹿どもだけだろう」

「ひどいな。俺はただお前に責任のありかをただしているだけなのに。なにが不満なんだ? 家紋をくれればいいだけじゃないか」

「お前こそどうしてそこまで俺の家紋がほしい。先の説明、本音じゃないだろう。邪念を吐け」

「邪念ときたか」

「邪念じゃなければどうして的鹿家と《家紋渡し》を臨んだ家の家紋が消えることになる」

「……雷、おまえも大概ひとが悪いな。たかが噂話を信じるのか?」

「逆もまた然りだ」

 びゅんっ。その場に槍を振るうと、廊下に一本の線が入る。

「その線をすこしでも越えてみろ、その首を飛ばしてやる」

 と、耳元を隼が鳴く声がし槍の切っ先でそれを叩き落とす。粘着性のある赤が廊下に散った。

「血矢はいいのか?」

「いいわけが、――ないだろうっ!」

 素早く逆月の首を落とそうと即席の槍を構えなおし、はたと思考が重大なことに気がつく。

 俺の目には、落とすべき逆月の首がどこにあるのか分からない。それどころか、このまま彼らと一戦交えている間に侵食が進めば誰かの死体が一つずつ出来上がる。

 妹の晴れの日が波月家で最も最悪な厄日になる。

――そんなの許されるものか。

 だが、どうすればこの現象は止まるんだ?

 櫛女の時も、逆月の時もけして止めたとは言いがたい。荒療治の末に繋がりを絶ったというほうが賢明だし、俺自身あの蛮行を許していない。

 そもそもこれは誰が引き連れてきたものなのか。

「よそ見は感心しないぞ、雷」

 はっとして顔を上げると、血矢が眼前で花火のように広がり、細く体を縛る網に変貌した。

「ぐっ」

「見習い時代に教官に酸っぱく言われていただろう、お前は気がそぞろになりやすいから集中しろと」

「こんな網……」

 素早く槍の指令を解き、手元で形作るように再指令を下す。が、逆月は俺の一手先を読んだ。

「雷、線を越えたぞ」

 その一声に俺の肝は冷えた。

 俺が引いた線を越え、逆月は射隼に血矢を構えた状態で立っていた。

 俺が盾にならなくては。

「ああ、お前のその目には覚えがある。諦めちゃいない、そうだろう」

「当たり前だ!」

「くくっ、縫い月の矢を止めた者はどこにもいないのに? ……ああ、死者の国にはいるかもな」

「たとえ死んだとしても誉れだ。お前の矢を防いだと吹聴出来る上に妹を守れたとあれば」

 答えると、とたんに空気が白んだ。

「なんだそれは」

 構えを解き、逆月は大弓を肩にかけ血矢を一本手に持って、廊下に転がったままの俺の横へ来た。

「死が自慢になるものかよ」

 冷え冷えとしたその声音はほんとうに俺が知る逆月から出たものだろうか。

 困惑から瞬きが増える。

「雷、雷よ。俺はお前にそうも無理難題を言っているか? ただ家紋がほしいと、昔からそう頼んでいるだけじゃないか。どうして他の者のように快く贈ってくれない」

 まるで子どもの駄々だ。

「妹の寿ぎを台無しにするような輩に贈るものがあると思うのか」

「祝い、――祝いか。俺の人生にはついてまわらなかった価値観だ」

 俺はそうこぼした男の顔を見る。あるはずのものがない今、そこにどんな表情が浮かんでいるかうかがい知ることは出来ない。

 だが、あったとしてもきっと俺はその感情がどんなものか理解しえなかった。それだけははっきりと理解出来た。

「であれば、……うん。櫛女媛を祝えば俺にも機会が与えられる、そういうことだろう」

「は」

「それなら祝おうじゃないか。さあ、さあ」

 絡む血矢はそのままに、逆月は俺をその場に立たせ廊下を進もうとする。

「頭」、と緑の肩衣をかけた刀刃衆が声をかけて、包みに入ったものを差し出した。

「手土産がありませんと」

「それもそうだな」

 さもありなんと逆月は包みの中身を聞かず受け取り、廊下をずんずんと歩いていく。

「離せ、くそっ」

 纏わりつく血矢のせいか、指令がうまく組めない。手元で何度も失敗して形にならない。

「媛には実は見習いの時から一度会ってみたいと思っていたんだ」

 そんな話は初耳だ。

「包帯を変えたばかりでよかった。ぼろぼろでは怖がらせてしまうかもしれないからな」

 要らぬ気遣いばかりが出てくる。だが、さっきまでこいつは櫛女を射ようとしていた。これが同一の精神から生まれている行動と感情だというのだから笑えない。

「ああ、そうだ」

 べしゃりとなにかが落下する。血矢だ。そう認識した瞬間、首筋がかっと熱くなる。

「いっ」

「手土産もあるにはあるが祝うとなると……、俺にはこれしかないからな」

 なんてことはないと言いたげに逆月は俺の首に傷を作り、なで擦るように首に流れる血から血矢を作った。

 仲間の血でそれを作ることはたしかに刀刃衆時代もあった。俺も差し出したこともある。

 が、あえて俺は言った。

「……正気じゃない」

「お前もそうだから俺は孤独じゃないな」

 怒ればよかった。だのにそれは的を得ていて怒ることが出来なかった。

 正気じゃない。だから俺は妹も友人も大切に出来なかったのか。

 ぽたぽたと廊下に血の雫を落としながら、逆月は俺をともない光の庭に出た。

 

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