火傷きずのある男
出自を問わず、人を問わずの思想の元、政府が各地より集め育て上げた兵士たち。かつては俺自身もその場所にいたが、何故彼らが波月家に現れるのだろう。
俺に慌てた様子で用件を伝えた首なしには、一人で対処することとほかの誰にも話さないことを言い含めたが正直に言って荷が重すぎる。
刀刃衆が来るということはつまりそういうことだ。準備に準備を重ねた上での来訪だ。理由があるはず――と頭では思うのに、どうしても嫌な予感がする。
庭で起きている現象にも処置が必要だ。だが、どうする。
前に似たような現象が起きたのは、都から離れ竹藪を抜けた先にある村だった。
村民から政府へ寄せられた内容としては、前触れもなく首が失せた死体が発見される。それも何度もだ。
そのため村人はおろか政府は仇国の所業を疑ったが、あの場所にいたのは怨敵などではなく、古びたあばら家で出来た村々を我が物顔で自由に移動する幾多の魚影だった。
あれが今、ここにいるのだろうか。
件の村も村人の一人が死に絶えるのを見届け、派遣された刀刃衆の二部隊を失う結果になった。解決方法はない。あったとして今この場で出せるものじゃない。
――じゃあ、また台無しにするのか。昔みたいに。
立ち止まり、頭をかきむしる。
「何か……、何かがあるはずなんだ……」
ぶつぶつと呟きながら廊下を重症の体で歩くと、玄関から話し声が聞こえてきた。
「ですから、本日は櫛女お嬢様の祝事――《家紋渡し》の日なのです。どうかどうか、この老体めに免じてお引き取りを」
「……、先ほどから再三申し上げていますが我々がここに来た理由は刀刃衆の表向きの仕事ではないのです。どうぞお顔を上げて下さい」
「では何用で、わざわざこの日にいらっしゃられたのですか。その仰りようであれば今日でなくともよいということ、わざわざお嬢様の門出の日にいらっしゃられる理由が私めにはわかりません」
廊下の影から玄関を覗くと、板の目に額をこすりつけて、半ば泣き叫ぶように返す老人と理路整然とした態度で受け答えする青年の姿が目に入った。
老人は櫛女が幼いころからの世話役だ。そして彼にはまだ首がある。青年の方は刀刃衆の目印たる肩衣を纏っている。色は緑。出世頭か。
感心したのも束の間、あるものが目に留まる。
それは大きな弓だ。上品な赤で塗られ、とても常人には扱えないと錯覚させるほどの大きな弓。
瞬間、どこどこと心臓が早鐘を鳴らす。来ている。奴が。間違いなく。
「ではどうぞ用件を」
「…………、大頭」
青年は疲弊しきった声で大弓を持つ誰かを呼ぶ。
「構わんよ、用件が来た」
言って、奴が腰を上げる。
「雷、そこに隠れていないで出迎えてくれ。それとも……、俺がそちらに行こうか」
茶化すような声色に体中の汗が噴き出した。その場で何度も何度も深呼吸を繰り返し、ようやく玄関に足を向ける。
ばつの悪い顔をして出てきた俺とは違い、黒の肩衣を流した上に大弓――
見習いたちの中でも抜きんでた才覚があり、度胸があり、何より人好きのさせる性格だった。記憶のまま飛び出してきたような男の変わった点といえば、肩衣の色が最高格のそれになり、遊び女たちから愛された顔の半分が包帯で隠れていることか。
「息災そうだな、雷」
「そちらもな、
「はは、名前を忘れていなかったか。上出来上出来。手紙を何度も送ったのに金ばかりが送られてきたので宛先を誤ったかと思ってな、確認するついでに訪ねた」
「そうか、なら日取りが悪かったな。今日は妹の《家紋渡し》だ。用件も済んだろう、表の彼らと一緒に早々に引き取ってくれ」
この場から立ち去ろうと踵を返そうとしたが、体が動かない。
「まだ用件は済んじゃいない」
嫌な予感の正体はこれか。俺は確信した。
「あの金は何のつもりだ?」
「……、顔のやけど治療のためだ」
そう取り決めた。書面も渡した。説明もした。
「そうか、察しが悪くてすまないな。部下たちに奢ってやれという意味かと酒代と妓楼にあてた」
「好きにしろ」
「そうしよう。どうして刀刃衆を抜けた?」
「狂人に務まると思っているのか」
逆月の質問はいつもこうだ。答える側が砂を噛むような思いをする。
「俺はお前がそうだとは思わないが」
「お前はそうだろう」
言って、逆月は考え込むような素振りを見せた。珍しいことだ、逆月のほうが先に折れるなんて。
いや、違う――これはこいつの常套句だ。
「今日は《家紋渡し》といったか」
「そうだ」
「なるほど、興味深い話題だ」
「日常茶飯事のことだろう」
じっと逆月の包帯から覗く目が問い詰めるように俺を見ている。
「はは、なるほど。じゃあこれもそうだな」
独り言ちて、逆月はいう。
「雷、家紋を渡せ」
言い終わる前に、拳が先に出た。しかしその手はほかでもない逆月に抑えられた。
「何をそう怒るんだ」
「お前のその態度が気に食わないと言えば満足か」
唸るように言い返した。逆月は短く笑って、俺の耳に口を寄せた。
「平身低頭して頼んだところで、火と油をくれたのはどこの誰だ?」
四、いやもう五年前か。俺は逆月に《家紋渡し》を乞われた。珍しいことでもない。が理由がなかった。いくつか任務をこなし、同期たちと酒盛りをした帰りでもあったから酔っているのだろうと俺はたかをくくった。
そうして櫛女の時と同じ目にあった。
蝋燭の火に照らされ、薄暗い部屋に逆月の顔が浮かび、そこ這う百虫が見えた。
恐怖はうまく呑み込めたのに、どう話しても逆月は熱に浮かされたようで、いい家紋が欲しいのだと譲らなかった。
いい家紋。波月家の家紋に逆月が欲しがるほどの伝統も格式もない。良家のお嬢さんやお坊ちゃん方と交渉したなら引く手数多だろうに、何故彼がそうするかが分からない。それは過去に、そして現在もそうだ。
「私情で彼らを率いてまで波月の家紋が欲しいのか。呆れた奴だな、我が家はお歴々のかたがたほどの歴史も名誉もないのに」
「ははぁ……、ようやくわかった。だから噛み合わないのか」
分からないまま断る俺とは逆に、逆月は何度も頷いて見せる。
「どういう意味合いだ」
そう尋ね返すと、逆月は俺の両肩に手を置いて俺の人生を案じるかのような目をした。
「よく聞け、雷。俺は波月の家紋が欲しいわけじゃない」
今まで一番分からない話だ。家同士の家紋渡しだろうに。
「雷、お前の家紋が欲しいんだ、俺はきっと弓か矢が現れるだろうよ。雷と矢、良い家紋じゃないか」
昔の刀刃衆にそういう家紋の将がいた。だが逆月がゲン担ぎをしているとも思えない。
あのときと同じだ。
「何を隠している」
俺の問いかけに逆月はこどものように舌を出し、包帯を巻いたほうの顔を指さした。
「"これ"を見抜いただろう。何を感じたかは正直今でもよく分かってはいないんだが……、きっとそれは当たっていたと思う」
「当たっていた?」
「ああ。あの晩、お前に《家紋渡し》を許してもらえていれば、腕試しに的当てをしようと思っていたんだ」
「的当て? 都でそんなのができ……」
言いかけて肝が冷えた。
私情が入って最早通常の任務ですらないのに、なぜ逆月がこんなところまで刀刃衆を好き勝手連れまわせているのか、その疑問に対する答えだ。
俺の顔色が青ざめたことに気づいたのだろう、逆月は笑った。
「的は国だ、雷。どうだ、心踊るだろう」
母の与太話で名前が上がるはずだ。的鹿 逆月は相手の家を飲み込んで消えゆくが運命にいる。
そして無情にも、逆月は俺にも的を得ようとしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます