第38話 VSアンナ

 相対する二人の少女、戦いの舞台リングとなるのは、青々しい木々が生い茂る森の額縁に囲まれた鏡のごとく月光を映す湖面こめんの上。


 「唱名───【求道理想具現筆きゅうどうりそうぐげんひつ】」


 レナは式神の名を唱え、インクの剣を展開し正眼に構える。


 (正直、子供の姿の人と戦いたくない、でもこの感じ強そうなんだよなぁ、はぁ、手加減とかしてくれないなぁ)


 レナは相手の様子を伺っていた。


 その時、アンナは天を指差すと何か呪文のような言葉を唱え始める。


 「【聖人せいじん血酒ワインけがされしさかずき、欲にまみれたころもを纏いて、血に酔いしれるは大淫婦だいいんぷなんじ、七つの王冠おうかんまわりし赤獣せきじゅうの乗り手】」


 「ん、なに? その魔法の詠唱みたいなの」


 その時、天に浮かぶ月に異変が起こる。


 まるで、瞳から涙がこぼれるように赤い血が滲み溢れ出し始めたのだ。


 「ぬぉ! なにあの厨二演出!!」


 「【裁かれよ!! 堕落の姦淫かんいん!!】」


 (やっ、やばい!)


 レナは咄嗟に防御体制をとるが、そんなものは意味をなさないことを後に思い知る。


 月から溢れた血の涙が湖面に触れると、先程まで鏡の様に澄んでいた水がまるで血と入れ替わったかのように赤く染まる。


 「えっ、今度はなに!」


 そして、レナを中心として、赤い湖面に波紋が伝播する。


 「【魔術書マジックブック題名タイトルNo.5黙示録アポカリプス第17章【バビロン】」


 アンナが詠唱を終えると同時、レナの足元に一旦集中に凝縮された血は、そこから一気に解放され、爆ぜる。


 「うぁっ───」


 その光景はさながら地中から掘り当てた温泉のよう、血潮は天へと吹き出し、レナを打ち上げた。


 (っ、なにがっ! いっ息が、声が出ないっ……意識飛び───)


 その強烈な衝撃でレナは空中で白目向いて気絶する。


 魔術とは、主にヨーロッパ圏を中心に海外で広く扱われる霊能力の一種。


 魔導書に書かれた未知の言語で作られる暗号を解読する事でその力を使えるというもの。


 魔導書の中でもナンバーズと呼ばれる物は極めて希少性の高く尚且つ高性能。


 一般で販売されている量産品とは、天と地ほどの差がある言われ、天変地異を起こすことも可能である。


 ちなみに、レナは魔術の存在をまだ勉強していないので、何も知らない。


 「───はっ!」


 地上へ落下していく中で目を覚ましたレナ、直前で受け身を間に合わせ、着地に最高する。


 「完全詠唱の【バビロン】を直撃で喰らったのに立ってるなんて、すごいわね天童レナ」


 (あっ、ぶなぁ〜死ぬとこだったぁ〜!!)


 レナはすかさず刃を構えるが、いつのまにか七つの頭を持った獣に乗る美女がアンナの背後に立っていた。


 「……なにあれ」


 二体一組の魔物、赤き獣は全長15メートル、それに対し背に乗る大淫婦はその美貌、黄金比とも言うべきスタイルはさることながら、身長は9メートルほどある。要はデカい。


 「あの、アンナさん、その、後ろにおわしますそのデカい美女はどなた?」


 「大淫婦バビロン、召喚獣よ」


 「大淫婦……ヨハネの黙示録だっけ? じゃあ今の攻撃は?」


 「あなたが食らったのは、彼女を召喚する際に起きる。いわば演出ね」


 アンナが詠唱した魔導書に刻まれし魔法術式【バビロン】は、召喚演出で敵を攻撃しつつ協力な召喚獣を呼び出すという一連の流れを行う術だ。


 「召喚演出で攻撃する技とか、実際やられると結構ウザイですね」


 「さて、座興はおしまい、大淫婦よ天童レナを攻撃しなさい!」


 次の瞬間、赤き獣が猛突進、重機が全速力で走っているようで、そんな獣の背で大淫婦は揺れに動じる事なく優雅に杯を飲んでいる。


 「やばっ、身体強化!!」


 獣が繰り出したのは、その巨躯を打ち付けるシンプルなのしかかり、レナは身体強化して必死に流れるも、その風圧で容易に体が吹き飛ばされる。


 「やるしかない、まずは」


 その時、レナの集中力が一気に増す。吹き飛ばされた所を受け身で着地、すぐさま体制を立て直し、凄まじい速度で接近する。


 そして跳躍、レナは刃を振りかぶり、攻撃体制に入った。


 その目で捉えた標的は、肩肘をついて寝そべり杯を揺らして酒の色を微笑みながら確かめている大淫婦、彼女は興味がなさそうにレナから視線を晒している。


 「ふッ!」


 そして振るわれたのは、音速に迫る横薙ぎ、インクの刃はチェーンソーの様に回転させており、確実に首を断つつもりだ。


 しかし、そうはならなかった。


 「は?」


 レナが振るった剣は、なんと大淫婦の杯で受け止められていた。


 体制を変える事もなく、背後を向いたまま、レナを見てすらいない、なんなら呑気に欠伸あくびをかいている。


 刃を受けた杯は回転する刃を受けてもなお微動だにせず中の酒には波紋ひとつ起こらない。


 その事態にレナは即座に離脱、距離をとって警戒をあらわにする。


 「なにあれ、さっきのバロルとかクーフランとは全然違うじゃん!!」


 距離をとったレナを赤い獣は逃がさない、その七つの首全てが獲物の方を向くと、その口から煉獄の業火を吐き出す。


 「おおおお!! ッツァァァァァ!!!」


 必死に走って回避するも、その熱波だけで、火傷してしまいそうになる。


 (なにが「私を殺して」だよ、そう言うんだったら手加減くらいしてよもう!! 調整ミスってるでしょこれ!!)


 基礎技である霊力の圧縮弾を打ちまくり牽制しながら距離を保っていたが、次の瞬間、大淫婦達はその姿を隠すように炎の壁を作る。


 「新技、水性インクモード!」


 レナはペンから生み出せるインクを油性か水性を切り替えられるようになっていた。


 「消えた! どこいったのあの巨人」


 そう愚痴を言うのも束の間、大淫婦らは水中に潜んでいた。


 次の瞬間、大淫婦が水中からその手を伸ばし、レナを捕まえてしまう。

 

 「うぇ? あぐぁ!!」


 そのまま大淫婦と獣は浮上、再び湖面の上に悠々と立つ。


 (そっか、そりゃ潜れるよね)


 湖面の上に立つ、その現象がレナの思考から逃げ道に水中があるという選択肢を無意識に消してしまっていた。


 気を抜くと握りつぶされて、中身がぶちまけられてしまいそうな握力、大淫婦は捕まえたレナをじっくりと見定めている。


 レナが必死にもがくも、その手は微動だにしない。


 「つっ、がはっ……」


 みしみしと骨がきしむ音が聞こえる。吐血し、血涙も少しながれる。


 レナは大淫婦を見ると、目が合った。

 

 次の瞬間、その目が怪しく光を放ち始める。


 それを直に見たレナはまるで脳を舐めまわされたかの様な感覚に陥る。


 「アっ、アァ……っ!」


 顔が火照り、体温が上がり視界が朦朧とし始める。


 肉体が望まずとも、強制的に興奮状態にされているのだ。

 

 大淫婦の魅了を受けた者は、その内に秘めた情欲に囚われて正気を失ってしまう、その瞬間レナの脳内に溢れ出す。


 レナの秘めた情欲、彼女が今日ずっと思っていた事、それは───








 ───輝かしき百合の記憶だった。


  「ぎゃあああ!! 百合が、ユリニウムが足りない……あぁ、足りないっ!! 百合が足りない! 早く摂取しないと、百合を、百合を見せろぉ!!」


 特に変化もなく、いつも通り、愛好する百合を見たい、その一点のみ、要はいつもとあんまり変わんなかった。


 「百合を……見せろぉ!!!」


 強いていうなら、欲望が暴走した事で歯止めが効かなくなった程度である。


 ……ドクンッ


 その時、レナの鼓動が強まる。


 「ユリィ! ぁあ、あれ?」


 心の内側で何かと繋がった様な感覚を覚える。


 まるで、海底から浮上してからように、自らの体に浮かび上がる様な感覚。


 『チッ、起きたか』


 どこから聞こえる舌打ちと悪態の声、レナも聞き覚えのあるその声の主、式神、具現筆だ。


 その時だった。


 レナはその口から正体不明の大量の黒い液体を吐き出した。


 「コボォ!? バビボベェ(なにこれ)」


 突然現れたその現象、その液体は具現筆が出すインクとはまたことなる。


 不気味で得体の知れない黒い液体、それはレナを握り締める大淫婦の手を押し返し手放させる。


 大量に吹き出した黒い液体は大淫婦と赤い獣、この二体をまとめて飲み込みかねないほどまで増大していく。


 黒い液体は球状へと形を作り、レナが抵抗する間なく一瞬で彼女を包み込んでしまった。


 少し時間をおくと黒い球は徐々に溶け始めた。


 球体がドロドロ溶けていく中から、泥から浮上する様に、項垂うなだれた状態でレナが出てきた。


 身につけていた服が消え全裸になっているがその体色はまるで漂白されたよう、全身白粉おしろいでも塗りたくったように真っ白だ。


 髪も真っ白になり、地面につきそうなほど長くなっている


 閉じていた瞼をゆっくりと開くと、その目の色が白黒逆転していた。

 

 液状に戻った黒は形を変えてその無垢な体を隠す様にドレスとなってレナの体を覆う、そのドレスは袖が無く、肩をまで露出している。


 二の腕まで包む黒い手袋、それと交差するように二の腕を通って、ヒラヒラと浮かぶ天女の如し羽衣。


 「……なに、あの姿は」


 さながらブラックウィドウ、その姿をわかりやすく形容するならば、黒き天女のようだ。


 その姿を見た大淫婦は、突然絶叫をあげる。


 『キャアアアア!!!!』


 鼓膜が張り裂けそうな、悲鳴にも近い絶叫、レナは何も言葉を出さない、まるで人形のような虚な目でじっと見つめるのみ。


 「天童レナ……その姿は」


 アンナはレナの変化の正体に、まだ漠然としているが、いち早く気付いた様だ。


 (差し詰めこの精神世界に隔離した事と魅了を受けた影響で、彼女の内側にいたアレが表に出てきてしまった……ってとこかしら?)


 次の瞬間、赤き獣がその爪を振り下ろした。


 しかし、その一撃はレナに直撃する直前でピタリと動きを止める。


 大淫婦は何かに気づき、即座に獣から飛び降りる。


 赤い獣は七つの頭のその口全てから黒い液体を吐き出した。


 そして、その体も徐々に黒く染まって行く、なんとか逃れようともがいているが、黒化は止まらない。


 『グルアァァァァァ!!!』


 そして、滅びゆく断末魔と共に完全に真っ黒に染め上がった時、ドロドロと黒く液状化し溶けていった。


 獣が液化すると同時、レナが口をパカっと開く、そして溶けていく獣を飲み物の様にゴクゴクと吸い上げ飲み込んでしまったのだ。


 「なっ、なんですって……!?」


 驚愕するアンナ、全てを飲み終えると、今度は標的を大淫婦へと変えた。


 レナは具現筆を手にすると空中に紋様を描き始めた。

 

 現れた紋様はまるで水墨画で描かれた黒百合のよう、それの状態が一体何なのか、アンナは気づいた。


 「まさか、封印術ふういんじゅつ!」


 その紋様を目にした大淫婦、自らの体を見ると、いつのまにか、全身に黒百合の入墨が全身くまなくビッシリと刻まれていた。


 レナは両手を合わせて合掌、筆を親指に挟んで唱える。


 言葉が上手く言えないのか、苦しそうにその技の名を告げる。


 「くっ、【ク……ロッ、ユリ】」


 その直後、大淫婦の絶叫がこだまする。


 「あぁ、ァァァァ!!!」


 大淫婦の足元には黒い沼が出現し、そこから現れた無数の手に引きずり込まれていく、その巨体でもがいても、なすすべなく、どこかへと連れて行かれ、消えた。


 「【暗黒あんこくのファラオ、這い寄る混沌こんとん、千のかお持つトリックスターよ、我が讃美歌を聴くがよい】!!」


 その時アンナはすでに、迎撃の準備に入っていた。


 アンナは大淫婦が飲み込まれると同時、既に次の手に出ており、詠唱を初めていた。


 【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ふたぐん⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎つがーしゃめっしゅしゃめっしゅ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎つがー⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ふたぐん】」


 レナが黒い液体で剣を作ると、それを手にしてアンナに向かって飛行しながら向かっていく。


 しかし、その時すでに詠唱は終わっていた。


 「【ナイアル・カオス・シュタン・ガシャンナ】!!」


 どこから共なく、現れた触手がレナの体を縛りあげる。


 ニョロニョロとした、まるで指の様にも感じられる。


 「【結合コネクト】」


 続いて唱えたのは、詠唱結合化の言葉、これにより、別々の魔法を繋げて組み合わせる事ができる。


 アンナは魔法発動中の一部動作のみを利用し、本命の大火力を浴びせるつもりだ。


 「【コルヴァスの恒星こうせい、⬛︎⬛︎ー⬛︎=⬛︎ーの父、道にひそみし⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎、汝は生ける炎、眼前には敵対者てきたいしゃ、ンガイの森は今焼きはらわれる】」


 その詠唱を始めると、湖の周りを囲っていた森が突然、大炎上を始めた。


 「【ムグルウナフ・ホマルハウト】!!」


 その炎はやがて巻きつく触手へと燃え移り、それを伝って、そしてレナへと引火する。


 次の瞬間、煉獄の炎は、ものの一瞬でレナを

包み込み、紅蓮の柱となって天まで届く大爆発を引き起こした。


 ドシュッ


 そんな鈍い音と共に、衝撃がアンナの体を揺らす。


 その胸には、レナの手刀が貫かれていた。


 「ハァ、ハァ」


 レナはびしょびしょの状態で、湖の中から浮上して現れたのだ。


 「……そう、戻ったのね」


 体に炎が届く直前、触手が溶けて焼き切れた。

 

 最後に足に巻きついた触手なちぎれると、頭から湖に落ちる。


 その時、レナは自我を取り戻した。


 肌の色が徐々に元に戻り、髪の色も戻っていく、伸びた長さと服が無く全裸なのはそのままのようだ。


 大淫婦が水中に潜航した事を見て、湖に潜れる事に気づいたレナは、念じると水中に入る事に成功する。 


 レナの体の要所には痛ましい火傷を負っている。


 謎の力によって強化されていたとはいえ、受けたダメージは大きい、満身創痍の状態だ。


 その右手は先程現れた正体不明の黒い液体によって作ららた手袋がそのまま残っている。


 それを鎧とし、渾身の力を振り絞って、アンナに突き刺したのだ。


 「どうやって、?」


 「ハァ、ハァ、いいえ、魔皇眼、私の式神の力です」


 レナは水中を移動中、自らの体に式神を宿していた。


 それは、日記を解読する時に力を貸した絡馬手麻里亜の不可視を見通す目。


 レナはかつて凍河フユキがやった式神本体を召喚せず力のみを引き出す高等技術を、土壇場の即興でやってのけた。


 「いま、こうして目の前にいるあなた自体が、魔導書の核なら、なにか、カラクリがあると、思ったから」


 いま、レナの目の前にいるアンナ・オーサーはいわば彼女自身が作ったアバターのような物であり、要は本体ではない。


 核は現実世界にある本そのもの、精神世界でどう暴れようが、なんのダメージもない。


 レナが見たのは、アバターを動かすための電波を受信するための不可視のアンテナ。


 魔皇眼は設定上、その目を通して見たものに物理的に触れられるようになる。


 アンナの体内に隠されたそれを強化された肉体を使ってレナは貫いたのだ。


 「精神世界までWiFi使用とか、ビックリしましたよ」


 「そうでしょ、現代に適応したのよ」


 その時、アンナの体が少しづつ崩壊を始める。


 光の塵となった体は少しづつ天に昇って行く。


 「なんか、よく覚えてないけど、助けてもらったみたいで、ありがとう、ございます」


 「……そんな事ないわ、私、あなたの事は本気で殺すつもりだったもの」


 「なら、なんで、殺して欲しいだなんて、矛盾してますよ、あなた」


 「そんなの、決まってるじゃない」


 アンナはその時、どこかへ向かう様に、そっと歩き始める。


 「誰かに、罰して欲しかったのよ」


 アンナはまず右足が消滅、膝から崩れおちる。それでも話を続ける。


 「アメリカでは、たくさん人を殺した。そんな私がのうのうと、生きながらえている。そんな事実が、ただ、受け入れられないだけ……それに───」


 アンナは自分の体に空いた穴をそっと撫でながら、レナの目を見て、笑顔で言った。


 「それに、負けず嫌いなの、私」


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