第16話 まどろみの百合

 悲哀愁が保健室医療棟まで侵入したのとほぼ同時刻、カレンとイユリは深い眠りに落ちるレナを背負い、ハツネが準備した転移門に向かっていた。


 「ねぇ、カレン姉、凍河は本当に置いてきて良かったの?」


 「彼女を連れてくれば悲哀愁に避難先を特定されてしまう、どの道連れてはいけないわ」


 二人もフユキを囮にするようなこの作戦には、理解しているものの、納得しきれてはいなかった。


 しかし、それでは被害を抑える事はできない民間人や生徒達を優先するのは当然の事、答えの出たトロッコ問題と同義だった。


 その話は寝ているレナの耳にも聞こえていたのか、寝顔は眉間にシワがよってとても険しいものになっている。


 一見すると、まるで悪夢でも見ているかのようにも見え、どうにも心配になってくる。


 「ごめんない、レナ」


 カレンが謝罪を吐露する一方、レナの心は深い深い夢の中にいた。



 ◇



 眠るレナの夢の中。

 それは暗い、どこまでも暗い闇の中で、何も見えない、身を委ねていると、眠りが心地よくなるのを感じられた。


 このままでもいいかも、そう思うレナの頭の中に、語りかける声が響く。


 ───目覚めよ、天童レナ。


 「……誰?」


 ───目覚めよ天童レナ、目覚めるのだ。

 

 「麻酔されたんだよ、動けるわけ無いじゃん」


 ───ここは夢の中だ。麻酔の影響など無いだから目覚めよ。


 「う〜ん、あと5分」


 ───おい、話聞いてたか? 目覚めろって言ってんの! いいから早く目覚めろ、シバキ倒すぞ百合ガキ!


 「あぁ〜もう、うるさい静かにして!」


 ───ようやく起きたな、ならばヨシ、一応この夢は現実より時間を早めにしてあるが、それでも時間が無い、簡潔に言うから黙って聞け。


 レナに語りかける謎の声は担当編集者を思わせる様なせっかちな口調で、すごく心を乱してくる。


 その声は、イラついたように駆け足で事の説明を始めた。


 ───いいか、一度しか言わないぞ、まず私はお前に眠る潜在能力だ。


 「今更そんな厨二設定言われても」


 ───現在進行形で厨二設定でできた学校に通っていて何を言う……そんな事はどうでもいい、とにかく私と契約しろ。


 「うさんくさ」


 ───てめぇ、状況わかってんのか? 友達の命がピンチなんだぞ! そんな時にナメた事言ってんじゃねぇ!


 テレパシーなのになぜかゴホンと咳払いをして、その声は木を取り直すようにして言う。


 ───いいか? 耳かっぽじってよく聞け、ここでの十分は向こうじゃ一分だ。凍河フユキを救いたくねぇのか?


 「……フユちゃん、そうだ」


 ───いいか、契約は簡単だ。私を手にして契約しろと念じるだけだ。それで私はお前の式神として力を行使できるようになる。


 「でも、それで、フユちゃんを助けられるのかな?」


 ───断言しよう、お前がこの私を使えばあのバケモノ雪女にだって必ず勝てる! 


 「アナタは誰なの」


 ───私は、言うなればお前の罪だ。お前が百合を描くために多くの人々を傷つけた凶器、まぁ、内なる自分とでも思っとけ。


 「ねぇ、さっきから王道の厨二設定雑に扱いすぎじゃない、厨二を築き上げてきた先人にさ、敬意を感じないんだけど」


 ───痛い妄想に敬意もクソッタレもあるか、良いから、黙って契約しろ!


 その気魄に根負けしたレナは言われた通り、暗い世界で何も見えない中、確かにを握った。

 とても手に馴染む、何度も触れた事があるものだとレナはすぐに理解できた。


 「……契約する」


 ───やっと言う通りにしてくれた。では、気を取り直して、契約を受諾した。お前の力となる事を誓おう、さぁ我が名を呼べ。


 レナは脳裏に浮かんだその名を、聞き取れないほど微かな声でボソリと口にした。


 「唱名───」

 




 「ありました。ハツネ先生が作った避難用の転移門です」


 二人が駆け足になったその時、レナは突然パッチリと目を開いて眠りから覚めた。


 「ちょっ、ストォップ!」


 自分を背負って門に入ろうとするイユリにヘッドロックで首を締めて静止した。


 「ピ"ィ!」


 イユリは思わずレナを背負っていたレナを下ろしてしまった。


 「レナ、目覚めたの!?」


 さしものカレンもこんなにも早くレナが目覚めるとは思わなかったようで、かなり驚いている様子だ。


 「ゲホッ、ガッ、カレン姉、なんかコイツ起きるの早くない?」


 式神と契約したおかげなのか、レナの雰囲気が少し変化した様にも見える。

 レナは二人に深々と頭を下げながら言った。


 「……お姉様ごめんなさい、私行かないと」


 レナは「待ちなさいっ!」というカレンの静止を振り切り、フユキ目指して全力で駆け出していった。



 ◇



 フユキを車椅子に乗せて、屋上へと後退しながら接近する悲哀愁を教師達が迎え撃っていた。


 シアはハンドガンを構えて牽制、目や膝など動きに関わる急所に的確に打ち抜きながら動きを鈍らせる。


 そんなものは、本来は気休め程度の効果しかない、執事のミカドが使った銃よりも遥かにハイスペックな付与がされた代物ではあるが、悲哀愁に対しては、効果に大きな差は無いようだが、わずかや隙を作ることはできる。


 その作られた隙にサオリは球状に固めた霊力の塊を野球のピッチャーの様に投擲し、それを悲哀愁に打ち込んだ。


 意外にもコントロールがよく、投げた塊は悲哀愁へとブレずに真っ直ぐ飛んでいく。


 それは、高濃度の霊力の塊。

 悲哀愁からしてみれば、エサが投げ込まれたのと同義である。


 得体の知れないそれを、悲哀愁は何の躊躇もなく口でキャッチしゴクッと音を立てて飲み込んだ。


 「ん? ぐっ、オォエッ、これクソまずいですぅ!」


 舌を出してあまりの不快感と吐き気に激しく悶絶している悲哀愁を見て、サオリは首をかしげている。


 「あら、なぜ、効かない、の、かしら、あれでも、一応、世界一、危険な、麻薬、の、成分を、投与した、のに」

  

 シアはその発言を聞き逃さなかった。

 悲哀愁から目線を離さないまま、サオリに問を投げる。


 「あの、サオリ先生、それ医療用に認可とかされてるやつですか?」


 「いいえ、研究用に、生産元、の、エルフ系マフィア、から、拝借、してきた、旅の密輸品おみやげ、よ」


 サオリの能力があれば入手が難しい非合法の薬物だろうと成分さえ知っていれば再現可能。


 以前サオリが旅行先で興味本位で売人を殺害して奪った薬物を独自に解析して再現可能になった。


 因みに、その現物は現在も病棟の薬品保管室に普通に置いてある。


 非常時にも関わらず、シアは決断する。

 後で理事長に報告しよう、と。


 実際に薬物を使用している訳ではなく、霊能力によって同様の効能を再現しているので、本来であれば妖怪である悲哀愁にも人間に現れるものと同様の効果が現れるはずだった。


 強烈な幻覚症状と平衡感覚が失う程の酩酊感と快楽によって、立つことすらままならないはずだった。


 しかし、その効果は見られない、サオリの技を受けたと同時に力を分解してしまったのだ。


 瞬間、悲哀愁は突然ズームしたように感じる程の素早さで逃げる彼女らに接近する。


 「味は薄そうですけどぉ、とりあえずこの娘でも食べましょう……あれ」


 悲哀愁が手刀を構えて、フユキに手をかけようとしようとしたその時、走る廊下の空間が突然広々と拡張した。

 それによって、悲哀愁の手刀は空振りに終わった。


 「バケモンがよぉ、あーしがそんなもん許す訳ねぇだろうが」 


 「ハツネ先生、避難は!」


 「速攻で終わらせたー」


 三対一の状況を悲哀愁は冷静に見ていた。

 サオリとシア二人なら対処するのは簡単だった。だがしかし、避難を終えたハツネが乱入した事でそれが一変した。


 (あの人間は強い、殺そうとすれば必ず手こずる。それなら別に相手しなくていい)


 車椅子が段差でガタガタと揺れるも、構わずに押し上げながら、階段を駆け上がり車椅子が屋上に出た瞬間だった。


 悲哀愁が展開したのは、規則正しく形を無して広がる氷結だった。

 氷は瞬く間に形をなしていき、出来上がったのはまさに、氷の城。


 それが出来たと同時、磁石が反発したかの様に、サオリとシアは、フユキの車椅子から吹き飛ばされた。


 「凍河を隔離するつもりかーさせるか!」


 病棟屋上に建てられた城を破壊しようとするも、ハツネの空間能力が通じないようになっていた。


 それを見たサオリは、城の正体に気づいた。


 「あら、これは、城壁側の、氷には、魔除けの力が、込められて、いるわ、ね、霊能力が、無効化、されるわ」


 形成途中でも、霊力を妨害し侵入者を受け付けない、鉄壁の城。


 「てめーふざけんじゃねーぞー!!」


 転移を封じられて、悔しさからか、ハツネは力の限り氷の城を殴った。


 壁があと数秒で閉じられそうになる、その時だった。


 空間が隔絶されそうになるその直前、全力疾走でやってくる人物がいた。


 「天童、なぜ!」


 「うぉぉぉぉ、間に合えぇぇぇぇ!!」


 レナは僅かな隙間をぬって、完成寸前の城への侵入に成功した。


 それを見たサオリは言う。


 「おかしい、わね、天童さん、には、ラーテルも、分解できない、強烈な麻酔、致死量手前くらいまで、投与、したんだけど」


 それを聞いたシアは再び決意する。

 絶対報告しよう、と。



 ◇



 「誰ですかぁ、アナタ」


 城への侵入者、先程会った相手だということも忘れて、悲哀愁は言った。


 「ハァ、ハァ、ちょっとタンマ……自己紹介、思いつかない」


 レナは大急ぎで走ってきたため、凄く息を切らしている。

 

 悲哀愁の視線が落ちた先には、先程レナに語り語りかけていた声の主がいた。


 「それは、付喪神、ですかぁ」


 「そう、これが私の式神です」


 その手に握られているのは、幼少期に両親から誕生日のプレゼントとして貰い、それ以来手入れを欠かさず使い続けていたGペンだった。


 「ねぇ、勢いで入って来ちゃったけど君ってホントにアレに勝てるの?」


 レナは握る愛用のGペンに対して言った。

 ペンはさも当然の事のように返答する。


 「私ペンだぞ、手も足もある訳でも無いのに、そもそも戦えるはずがないでしょうが」


 「はぁ! 騙したの!?」


 「私は付喪神の式神、元は道具、勝てるかは使い手であるレナお前次第だ」


 ペン先からインクが噴出、それは刃へと形を変えて、まさにペンの剣となった。


 ペンは剣よりも強し、ならばペンそのものが剣となれば、勝てるもの無し、Gペンの考えが文字通りレナの手に取るように伝わって来た。


 「さぁ、戦え、天童レナ!」


 とりあえず、見よう見まねで剣術の基礎である正眼の構えを取るが、あまりサマになっておらず一目で素人だと理解できた。


 悲哀愁はそれを見て、完全に舐め切っており、寧ろ美味そうな獲物が来たと内心喜んでいた。


 絶対的強者、戦国時代に無双しまくっていた本物の怪物を相手に刃を向けて、レナは心中にて語った。


 (あぁ、母よ、父よ、弟よ、レナは今日、死んじゃうかもしれません)


 レナはGペンをグッと握り締めて、気合いを入れるように、腹からその式神の名を叫ぶ。


 「唱名───【求道理想具現筆きゅうどうりそうぐげんひつ】!!」

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