第10話 凍河フユキ

 月之輪カレンは私にとって理想の存在だ。


 私、凍河フユキが生まれた凍河家は、多くのエリート霊能者を輩出して来た名家。

 私はその本家の長女、次期当主として生まれ育てられた。


 現当主の父は、冷えすぎると冷水が熱いと錯覚するように、何というか、情熱を履き違えているような人だ。


 プライドが高く、完璧主義者、凍河家の地位向上に固執する野心家。


 それが理由なのかは分からないけど、父は家族に興味が無い。

 長年父に寄り添って来た母でさえ事務的なコミュニケーションしか取らない。

 

 その母はとても献身的でそして病弱な人だ。

 母は体調が芳しく無い時でも、決して笑顔を忘れない人だ。

 優しくて、家の外の世界に目を向けるよう、いつも諭していた。


 ある時、母の病状が悪化した。

 入院する事になったが、父は母方の家族に払うように言って、自分は決して費用を出そうとはしなかった。


 「母を助けたければ、結果を出せ」


 その言葉に従うほかなかった。

 母が大変な時でも、一族の重積は常に私に付き纏い続ける。

 凍河に恥じない結果を残し続ける。結果を出せば、父は約束を守り、母の治療費を捻出して貰えた。


 12歳の時、父からは次期当主の証として、秘伝の式神である悲哀愁を授かった。

 顔は見ていない、私が眠らされている間に継承の儀式は終わっていた。


 その力を与えられて以降、家のためだと言われて命に関わるような危険な仕事を何度も任されることが増えた。

 全ては父が自らの野心を満たすため、娘だろうと利用する。


 父を憎む事もあった。

 それでも、当主として相応しい実力を持ち、なおかつ霊能力の教え方はとてもわかりやすく、素直に尊敬もしていた。


 そんな日々な続いていたある時、私はカレン様に出会った。

 その日は多くの霊能者が大勢集められ、強大な悪霊を討伐する大規模な作戦が行われていた。


 凍河家も当然参加、未熟だった私は後方での援護として待機していた。

 しかし、その悪霊の眷属達は、前線を抜けて後方まで迫って来たのだ。


 眷属達はそれぞれが私が戦って来た悪霊とは比べ物にならない程の強さで、手も足もでなかった。


 死を覚悟した時、あのお方が現れた。

 日本霊能界における頂点、月之輪家の次期当主であるカレン様だ。


 カレン様は、私と同じく後方で待機させられていた。

 あの方の実力は当時中学二年生の身で既に一線を画していた。


 二級霊能者でも苦戦するような眷属達を薔薇の鍔が付いた薙刀を縦横無尽に振るい容易く一掃して見せたのだ。


 その時の彼女の姿は、今でも鮮明に覚えている。形容するならば、戦場に咲いた一輪の美しい薔薇のようだった。

 強く、勇ましく、それでいて優雅だった。


 「お怪我はありませんか?」


 そう言ってカレン様はヘタりこんでいた私に優しく手を差し伸べてくれた。

 その時の笑顔は、あの戦いで恐怖に飲まれていた私を救いだすには、十分すぎる程に輝かしいものだった。


 その日から、私はカレン様に憧れた。

 誰よりも強く、美しく、優しい、そんな人間になりたいと志すようになった。


 カレン様のような人になる。そんな理想を抱くようになった。

 あの日、私を救ってくれた時のように、誰かに手を差し伸べられるような人間になる事を目標にして、今までより一層の努力と研鑽を積むことになった。


 しかし、自分がすぐに理想通りの存在になれるとは限らない。


 中学二年の当時、同級生の天童レナから漫画のモデルになって欲しいと頼まれた事があった。

 

 少しでも助けになれるならと、クラスメイトの願いに喜んで協力した。

 カレン様ならきっとそうするだろうと思うから。

 

 しかし、その結果出来上がったのは口にするのも悍ましいような作品だった。


 私をモデルに描いた女の子が年下の少女の手によって、拷問とマインドコントロールを繰り返し行われ、最後は苦痛に苦しみながら、引きつった笑顔で死に果てる。そんなショッキングな漫画だった。

 

 あまりに凄惨な内容に本を読み終えた後、私は体調を崩して学校を休んだ。


 後日、回復して天童レナに会うと彼女は何事もなかったかのように気さくに接して来た。


 漫画のせいで体調を崩したとも知らず作品の感想を求めて来た。


 「フユちゃん、モデルの娘、可愛かった?」


 それを聞いた私は反射的に天童レナをぶん殴ってしまった。


 天童は連続した徹夜、エナジードリンクの過剰摂取など無理をして執筆していた事もあって、殴ったと同時に意識不明になって、しばらく入院した。


 あの時、私は恩を仇で返されたような気持ちになった。

 無意識に見返りを求めてしまったんだと理解した。

 カレン様はそんなもの決して求めないのに、この時の出来事は悔いる事が多い。


 そうやって落ち込んでいる時も、私はカレン様の活躍を耳にすると、元気が戻り、胸が躍った。


 カレン様が鮮麗白花学園に入学すると破竹の勢いで様々な実績を打ち立てる。


 当時高校一年生、史上最年少で上級の霊能者の資格を取得。


 戦艦に匹敵する危険度レベル100を含む悪霊の相手に、単身で挑み、これを撃破。


 鮮麗白花生徒会選挙では開校史上初の満場一致で生徒会長に抜擢される。


 そのご活躍を聞くたび、母の入院する病院に赴いては、母にその話をした。


 母は、私の憧れを笑顔で聞いてくれた。

 その上、鮮麗白花に入学するように取り計らってくれた。


 入学後は、願わくば、カレン様の姉妹となりたい、叶わずとも、せめてお側で支えたい。


 でも、結局そうはならなかった。

 天童レナに敗北し、カレン様から相応しく無いと言われたから。


 ◇


 私は現在、月之輪市内にある学生寮用で姉妹を組めていない生徒が一人暮らしをするタワーマンションで暮らしている。


 あの時、天童レナがカレン様から姉妹への誘いを受けた時、どうしようも無いほどの怒りに支配された。


 正直言って、反対こそすれど、勝負を挑んで自分の方が相応しいと証明する。なんて、こっ恥ずかしいこと、普段は絶対にしない。


 「なんで、あんな事したんだろう、私」


 街の夜景を眺めながら、敗北感と後悔に頭を悩ませていた私の元に、一本の電話が届く。

 電話の相手は父、凍河レイジだ。


 「はい、お父様」


 「フユキ、入学初日で首席入学した生徒に負けたそうだな」

 

 「はい、面目ありません」


 父は、今回私が天童に敗北した事を責めるつもりなのだろう。


 完璧主義者な父は身内の内面に興味が無いクセ、世間体とやらを気にしてなのか、外面的な評価ばかり気にする。

 父は威圧しながら、私に聞く。

 

 「で、なぜ、お前は負けた?」


 「天童レナを侮っていました。まさか、あれほど高度な霊能力を行使するとは」


 「言い訳は聞いていない、お前は負けた。それが結果だ」


 「あの、負けた理由を聞いて来たのはお父様ですよね?」


 「黙れ、私に意見するな」


 父は抑揚もない言葉で冷たく言い放った。

 昔からこの叱り方を父は好んでいた。

 自分から理由を聞いておきながら、後からそれは言い訳だと難癖をつけて来る。

 

 この後、父が言った言葉に、私は思わず耳を疑う。


 「お前は無様な敗北を晒し、家の看板に泥を塗った。故にお前は廃嫡、卒業後に凍河家を勘当とする」


 「は?」


 「推薦にしておいて正解だったな、お陰でお前に余計な学費をかけずに済む」


 「ちょっと待ってよ、たった一度の負けただけで……」


 「フユキ、言葉には気をつけろ、たった一度負けただけで、だと?」


 すると、電話越しでも伝わってくる程の怒気が込められた声で父は言った。

 

 「この私が最も嫌いな事は、私の思い通りにならない事だ。当主である私の娘である以上ただ一度の敗北も許さん!」


 私はあまりの言葉に絶句してしまうと同時理解した。

 父は自分と一族全体を同一視している。


 自分は完璧なのだから、他も完璧出なければならないと、そう考えているんだ。

 だから負けた私も切り捨てるし、病弱な母を助けようともしないんだと……。


 「話は以上だ。家にある荷物はそっちに郵送する。二度と我が家の敷居を跨ぐな」


 そう言って、力任せに受話器を戻したようで、ガチャリ! と大きな音を立てながら電話は終わった。


 ◇

 

 突然父から言い渡された廃嫡、そして勘当という言葉に私は、現実を受け入れられずに立ち尽くしていた。


 「嘘でしょ」


 生まれ育った家を追放された。

 父を甘く見ていた。まさか、勘当までするなんて……。


 「どうしよう、このままじゃ、どうすれば」


 私が頑張らないと父は母の治療費を絶対に出さない。

 当主にならないと、母の病を治す治療を受けさせてあげられ無い。


 何より、鮮麗白花への入学に力を貸してくれて、私の憧れを応援してくれた母に顔向けができない。

 

 どうすれば良い。

 こんな時、カレン様ならどうする。

 家に行って直談判? それとも、結果をしめせば、あぁ、ダメだ!

 カレン様、私はどうすれば……。

  

 悩みに悩んでいるその時だった。


 『ふぇぇ、困りましたぁ』


 突然、女の人の弱々しい声が聞こえた。

 部屋の中に気配は感じない、一体どこから?


 「……誰かいるの?」


 そう声をかけて振り向くと、そこには鏡がある。

 警戒を強めて、氷の刀を生成しようとした時、鏡に映る自分を見て私は気づいた。


 式神が封じられた右腕の刺青が消えていた。

 そして手に現れたのは氷の刀などではなかった。

 そこにあったのは凍傷を起こし、真っ赤に染められた腕だけだった。


 「あ"あ"あ"ッ、痛い、何これ!?」


 遅れて痛みが身体中に迸る。

 手の感覚がない、動かせない。余りの激痛に膝から崩れ落ちる。


 だけど、硬い床にぶつかった感覚はしなかった。

 それは、まるで柔らかいクッションの上に乗った様な感覚。


 部屋を見回すと、いつの間にか床一面が雪に埋もれていた。

天井からは雪が降り、私の吐息が白くなっている。

 私はこの現象に見覚えがある。


 「……まさか、悲哀愁なの? どうして、力が勝手に───」


 私の意識はここで途切れた。

 この刹那に私は気づいた。

 声の出所は私の頭だ。私の脳内に直接声が聞こえて来たんだ。

 最後に悲哀愁の言葉が聞こえた。


 『ハァ……憂鬱ですぅ』


 この後、月之輪市全土を揺るがすような大事件を起こってしまう事を、私はまだ知らない。

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