右ストレート
「あの狂った馬鹿メイドをとめる方法なんてあるの?」
小鳥遊は目の前の壊れた人形を見て口を開いた。
「心配ない。すでにブツは用意している。」
「ブツね……。まるでこうなることを知っていたかのような都合のよさだな。」
連続で起きている出来事に鼻で笑って馬鹿にするような表情を浮かべる小鳥遊。
野々村はそんな彼女の態度を特に気にすることなく話を続ける。
「知っているとしたら俺ではない。平田だ。」
「平田……?」
「数日前にお前さんが儂のところに来たじゃないか。あの時の頼まれたブツがこれだ。」
野々村は紙袋から注射器を取り出した。
注射器には緑色の液体のようなものが見える。
小鳥遊は以前野々村の研究室での出来事を思い出した。
「あの時のか……で?その気味の悪い色の液体は何?」
「抑制剤だ。」
「抑制剤?」
小鳥遊は聞き馴染みのない言葉に首を傾げる。
「簡単に言えば暴れている人間を落ち着かせることができるものだな。ただ……効果が強いせいで普通の人間には使えないのだが……。」
「——————冥土には使えるって?」
目の前で独りでに暴れている有栖はまるで人間の様には見えなかった。
「まぁ、聞きすぎたとしても死ぬことはない。ダウナー状態が長引くだけだ。」
「なるほど。まぁ、ずっと暴れまわっているほうが迷惑か。」
ふと、小鳥遊の脳内でふと疑問が浮かぶ。
平田の指示で作成された抑制剤。
彼女は冥土がこうなることを知っていた……?
(そういえば、冥土を現地に向かわせたのも平田だな……。)
平田の指示で北海道へ向かった有栖。
その結果は精神的な悪影響と右腕の欠損。体全体に大けが負い、現在まともに歩ける状態ではない。
もし平田がこの状況をあらかじめ想定していたならば、彼女の目的は何だ?
「今は別のことを考えている暇はないと思うが。」
野々村の声にハッとするように目を見開いた小鳥遊。
「はぁ……。面倒な事はあとで考えるとして、目の前の馬鹿を取り押さえることに集中するか。」
「この抑制剤はお前さんに預ける。これであのメイドの相手をしてやってくれ。儂は体にガタがきているからな。」
「そんなのわかってるよ。まぁ、久しぶりに暴れられるからラッキーだな。」
小鳥遊は首を大きく回して、自身の両手の拳を合わせた。
「おじいちゃんは外にいて。もしあの馬鹿が変に暴れだして巻き込まれたら大変だから。」
「言うようになったな……。まぁ……大丈夫だろう。検討を祈っている。」
野々村はそういうと部屋を後にする。
それを確認した小鳥遊は上着を脱ぎ棄てる。
「ボスが不在の間、まったく対人戦をしてこなかったからな。少し鈍っているかもしれないけど……」
小鳥遊は独り言を口にしながら、有栖に近づく。
「ただの嫉妬に狂った面倒くさい馬鹿メイドに負けるほど私は弱くないからな。」
その言葉と共に素早い右ストレートを有栖の顔面に向けて思いっきり放つ。
車椅子に座った有栖にはもちろん避けることなどできず、小鳥遊の右ストレートが直撃する。
「—————っ!」
攻撃を受けぴくりとも動かなくなった有栖。
顔の右側は赤く腫れあがり、目が開いている様子もない。
「少し眠ってな。起きたころには愛しのご主人様も帰ってくるだろ。」
紗月は有栖の右腕をつかみ、抑制剤を注入しようとする。
その時だった。
「———————ご主人様……。」
有栖がか細い声で独り言を口にする。
そんな彼女の様子に小鳥遊は驚いた表情を浮かべる。
「まだ意識はあったのか。流石だな。」
感心する彼女を横目に有栖は口を開く。
「———————別に私にはエンプレスなんてどうでもいいんです。」
彼女から放たれた言葉は小鳥遊にとって意外な言葉ではなかった。
別に有栖は坂田に対する想いだけで生きているし、命令されれば何事でも遂行するだろう。
たとえそれが「死ね」という命令でも。
「……。」
「私はただご主人様が喜ぶ顔が見ることができればそれで……。」
地面を一点に見つめる有栖。
鼻からは血が流れ、ポタポタと地面が小さな赤の斑点に染まっていく。
それはまるで電池が切れたロボットそのものだった。
そんな彼女を見て小鳥遊は舌打ちをする。
「—————嫌な役だな。」
そんな言葉と共に彼女はそのまま有栖の左腕に注射器を刺す。
有栖は注射器を払いのけようとするも力が及ばない。
「うっ……!!」
抑制剤が有栖の体に浸食していく。
どくどくと振動の鼓動が早くなっていく。
「何を……私をどうするつもりですか……。」
「殺すわけじゃない。安心しな。」
「うう……やっぱり私は……。」
苦しみの声をあげ続ける。
抵抗する力もなく、有栖はそのまま眠りについてしまった。
—————————————————
「想像以上にあっさり終わったな。」
「急に入ってくるな。乙女の空間に。」
小鳥遊の言葉を聞き、野々村は笑う。
「何が乙女だ。冗談を言うのでない。」
「あとで殺すからなクソジジイ。」
小鳥遊の掠れた声が今一番に響き渡った。
親の仇かのように野々村を睨みつける。
「まずはその声を治すところからだ。薬を処方するか?」
「するわけないだろ。この声は私のアイデンティティだとボスは仰られたからな。」
小鳥遊は有栖を車椅子から持ち上げると、ソファに寝かせる。
「本当にここはまともな物が置いてないな……。」
羽織ることができるものが周囲に見当たらないため、小鳥遊は自身が着用していた上着を彼女にかける。
「で……。どうするのこの後は。」
「どうするも何も儂にできることはここまでだ。戻らせてもらう。」
「私に付きっ切りで看病しろと?」
「別に部下を呼べばいいではないか。」
「目が覚めたらまた暴れだす可能性はないの?」
小鳥遊が懸念しているのは、有栖が目覚めた後の対応。
再度暴れだしたらキリがないが、ダウナー状態で自らの命を断つ可能性もある。
幹部の面倒を下の人間に任せるのもあまりいいことではない、ましてや有栖という面倒くさい性格の持ち主を前にして。
かといって自分が付きっ切りで看病する余裕もない。
「なんでこういう面倒な立場にならなくちゃいけないんだ……。」
小鳥遊は徐に携帯電話を取り出した。
そのままとある人物に電話をかける。
「大きめの車を用意して迎えに来て。住所はメッセージで送る。」
彼女はそれだけ言うとすぐに通話を切断する。
「良い案が見つかったのか?」
「私にとってはあまり良くはないけど。」
小鳥遊は携帯電話を操作しながら大きなため息を吐いた。
まるでそれは面倒な患者を抱えた医療関係者の様だった。
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小鳥遊が連絡をして15分ほど経過した。
部屋のドアがノックされる。
「入っていいよ。」
「失礼します。」
入ってきたのは大柄な男女2名だった。
小鳥遊は待っていましたといった表情で口を開く。
「じゃあこの寝ている馬鹿メイドを車に運んで。」
「承知しました。」
彼女の指示に従い、二人は有栖を外に運び出す。
「何をするつもりだ?」
「もう面倒くさくなったから私のアジトに運ぼうと思って。そうすればいつでも対応できるし。」
「安定な策を選択したのだな。」
「まぁ、ボスが戻ってきたらすぐに対応してもらうけど。」
有栖を乗せた車に向かうべく、小鳥遊と野々村の二人も部屋を後にした。
「乗っていかないの?」
「別に大丈夫だ。患者の送迎を優先したほうがいいだろう。」
「それはお気遣いどうも。」
少し会話を交わし、車は発車した。
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「はぁ……。ボスはいつ戻られるのやら……。」
小鳥遊は一応の連絡として、坂田に報告のメッセージを送る。
有栖は彼女の膝を枕にして眠っていた。
「というか、平田は本当にこの状況を予知していたのか……?」
有栖の精神崩壊。
突然の野々村の登場。
そして抑制剤。
「まぁ、戻ってきてから詳しく聞くか。」
様々な憶測が交錯する中、彼女たちを乗せた車は小鳥遊のアジトへと到着する。
小鳥遊は坂田達の戻りを願うばかりであった。
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