桐と掠れた声

「ちぇー結局平田さんも北海道かぁ……それに黛まで。納得いかないよ。」

「仕方ないですよ。ボスのご命令ですし。」


自身のデスクで突っ伏して文句を垂れている桐野。

そんな彼女に苦笑いをしつつも言葉を交わす一番。


「君はいつも合理的だね。たまには逆らう心も大切なのだよ。」

「そういいつつ桐野様も指示に従っているではありませんか。」

「う……ああいえばこういう。」

「それ桐野様です。」


一番は小さなため息を吐く。

桐野はじっと自らの配下を見つめる。


「ねぇ一番。あなたなんかそわそわしてない?」


桐野の指摘に一番は目を見開いた。

それは一瞬のことだった。

彼女の作業する手が止まる。


「そうでしょうか……?あまり自覚は無いのですが。」

「ふぅん……。気のせいかな。」


首を傾げる桐野。

一番は口を開く。


「桐野様こそ今にも北海道にいこうとそわそわしているじゃないですか。」

「あ、バレた?」

「バレバレですよ。」

「今すぐボスに会いたいよー!会って抱き着きたい……。」


泣きつく桐野と黙々と仕事を行う一番。

上司と部下がまるで逆の様にも見える。


「しかし、一番は本当に優秀だねぇ……。」

「お褒め頂き嬉しい限りです。」

「本当に嬉しがってる?」

「はい。とても嬉しいですし、感動もしています。私は感情を表現するのが苦手でして。」


一番は表情を変えることなく頬を掻く。


「そうだ。ボスが帰ってきたら挨拶にいこっか!」


作業をする一番の手がまた止まった。

彼女は精一杯の力で口を開く。


「……今、なんと。」

「だから、ボスに挨拶しに行こうって」

「本当ですか!?」


一番はデスクを掌で思い切り叩き立ち上がる。

そんな彼女に思わず驚き桐野は体を少し震わせた。


「おおっ……びっくりした。感情思いっきり出たねぇ。」

「すみません。突然のことで少々驚いてしまいました。」


一番は深呼吸をし、ゆっくりと腰を下ろす。

桐野はそんな一番を見ながら話を進める。


「そんなに緊張することはないよ。ボスは寛大なお方だからね。一番の事も迎え入れてくれるよ。」

「それは大変ありがたいです。ですがお会いできるとなるととても緊張しますね……。」


一番は胸に手を当てる。

心臓の鼓動は普段より早くなっているのが分かる。


「ま、ボスに挨拶するのは少し先になりそうだけど。」

「それは、何故です?」

「んー?なんか向こうでトラブルが起きたらしいんだよね。だから平田さんが向かっているんだけど……。まぁ、向こうにはボスもいるし大丈夫でしょ。」


桐野は携帯電話の画面を眺めながら流すように答える。

一番はそんな彼女に目もくれず、淡々と作業を続ける。


「本日分の仕事、終了しました。」

「え、もう終わったの!?早いよぉ。」

「桐野様が手を動かしていないだけでは……?」


一番はマグカップに珈琲を淹れて桐野に差し出す。

それを両手で受け取り、口にする桐野。


「私にそこまで言えるの、配下で一番だけだよ……」

「お褒めの言葉、ありがとうございます。」

「これは褒めてない!!」


立ち上がった一番は乾いた声で愛想笑いを浮かべると、そのまま部屋を後にする。


「お先に失礼します。お疲れ様でした。」

「はいー。お疲れ様。」


軽く右手を振って一番を見送った。

扉が閉まり、静まる室内。桐野はスーツの懐から煙草の箱を取り出して、慣れた手つきで一本くわえる。


「うーん……なんか怪しいなぁ……」


紫煙とともにこぼれたその言葉は彼女が不安に思っていることの証だった。


「ま、大丈夫か。」


彼女はそれをごまかすように明るい声で言って、窓の外を見る。

それは、偉大なる存在を今かと待ち望んでいる瞳だった。




—————————————————




物静かな廊下。

部屋を退出した一番は小さなため息を吐く。


「動揺を見せちゃったけど、大丈夫かな。」


彼女は胸ポケットに忍ばせていた通信機器を取り出す。

未だ、主の連絡は来ていない。

携帯電話にも特に連絡は入っていなかった。


「セカンド様……あなたは今何をされているのですか。」


小さな呟きが零れた。

その時、彼女の携帯電話が震える。


「セカンド様!?……じゃない、けど……。」


携帯電話に表示される名前は、脳裏に浮かべていた人物とは異なっていた。

彼女は恐る恐る着信を受け取る。


「もしもし……。」

『あ。出てくれてよかった。私です。』


通話相手の正体はガーディアンズの絶対的存在”姫様”だった。

一番は自らの耳を疑うが、間違いなく姫様の名前だった。

それにしても電話とは珍しいこともあるものだ。

まさか連絡があるとは思っていなかったため、つい身構えてしまう。


「今回はどういったご用事でしょうか。」

『ちょっと伝言をね。一応貴女にもお伝えしておこうと思って。』


一番にとって姫様と言葉を交わすことはとても貴重な体験であった。

それに加えて自身に伝言があるという。

彼女は自らの体が自然と震えていることに気づくことはなかった。


「寛大なるご配慮大変感謝致します。」

『いえ、そこまでかしこまらなくても大丈夫です。こちらもセカンドの件で緊急事態な状況ですし……。こういう時は位など関係なく、協力し合うことが大切だと私は思っています。』

「承知いたしました。それで……。伝言とは、どういった内容でしょうか。」

『ああ!そうだった伝え忘れるところだった。』


姫様はとても明るい声で、話を続ける。


『”フォース”が北海道に到着したみたい。セカンドのことは今後フォースに一任します。』

「なるほど……フォース様なら心強いです。承知いたしました。」

『伝言はこれだけなんだけど、貴女から何か伝言はある?』


その言葉で、重大なことを思い出した一番。

彼女ははっとして急ぐように早歩きで廊下を歩きながら話す。


「エンプレスの内部情報ですが、あちらも北海道でトラブルが起きているそうです。その為、ボス直属の補佐が北海道に向かったとの事です。」

『直属の補佐……組織のナンバー2って解釈をしてよさそうだね。』

「幹部の桐野の話し方からして、その捉え方でよろしいかと。」

『なるほどね。了解。フォースには気を付けるよう伝えておく。』


姫様の返事に続くように最重要項目を口にする。


「それともう一つお伝えしたいことがございます。」

『うん?なにかな。』


一瞬なぜか言い淀んでしまうが、意を決して口を開く。


「日程は定かではないのですが、エンプレスのボスと会う可能性が出てきました、」

『……詳しく聞かせて。』


一番は桐野とのやり取りの全貌を姫様に打ち明けた。

電話越しに感じる只ならぬ違和感。


「幹部の桐野から私を紹介したいと言われました。実際に会って話そうということまでも。」

『ふぅん……。状況は把握した。本当に会う状況になったらまた連絡して。』

「承知しました。」


姫様の声の雰囲気がガラッと変わった。

さっきよりも一層真面目な声になっている。

電話の向こう側で何か考えているようだった


「報告は以上になります。何かございますでしょうか。」

『ううん。特にないかな。色々教えてくれてありがとう!』

「いえ、私の使命ですので。」


姫様の「ありがとう」という感謝の言葉と共に通話が切れた。

一番は大きく深呼吸をする。


「……緊張した。」


自分の胃が締め付けられているような感覚。

人生でここまで緊張したのは久しぶりだった。


「とりあえず、あちらのボスが戻るのを待つか……。」


彼女は重い足取りで、アジトを後にした。




—————————————————




「なんでアタシが御使い役頼まれなきゃいけないんだよ……。」


夜の街中に、一際目立つハスキーボイスの女声が響き渡る。

それは、彼女、小鳥遊 瞳子の声だった。


「まじで怠い……。」


彼女は今現在進行形で不機嫌だった。その理由は簡単だ。自分に関係のない仕事を押し付けられている為だ。

彼女を囲う三人の黒い影。

彼らは上下黒のコーディネート。フードを被って顔を覆い隠すマスクをしていた。


「ようやく到着したか……。車で通れない狭い場所で何をしてるんだか。」


扉を開けて地下の階段を進んでいく。

蛍光灯は何本も切れており、薄暗い空間をただひたすら進む。

そして、目の前に一つの扉が現れる。


「開けろ。」


彼女の声を合図に扉が開かれる。

ギギギと不快な音が耳に響く。

扉を開いた先には薄暗い研究室が広がっている。


「ここは相変わらず嫌な臭いがするな。」


小鳥遊は顔を顰めながら中に入る。

研究室内には様々な薬品が並べられている。


「悪趣味な部屋だな……。」

「何が悪趣味じゃ。」


物陰から聞こえてくる老人の声。

声が聞こえる方に目線を向ける。


「ああ、いたか。安心した。」


彼女の視線には野々村が立っていた。

小鳥遊はふと笑みを浮かべる。


「こうやって二人で話すのは久しぶりだね。」

「そうだな。で、今日は何の用だ?」


野々村の声に続くように小鳥遊は一枚の封筒を取り出す。


「貴方にこれを渡したくて来ただけ。はい。」


野々村はその封筒を手に取り、中の紙を取り出す。

内容を確認すると、険しい顔つきに変わる。


「これは……誰からだ?」

「平田から。私は彼女に命令されてそれを渡しに来ただけだから。詳しいことは彼女に聞いて。」

「そうか……。」


小鳥遊は息を小さく吐いて野々村に背を向ける。


「じゃ、あとはよろしく。」


そういって彼女は部下を引き連れて研究所を後にした。




—————————————————




研究所で一人作業する野々村は、薬品を取り出す。


「なぜあの薬品を作らないといけないのか……あいつの考えは分からん。」


彼は独り言をいくつか呟きながら、作業を始めた。





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