第3話 モリー・イーノス

「はい? ええ、上出来ですよ。マスコミ対応なんて、こんなものです。お疲れ様でした、アドルさん。良ければお昼を、フロア・ファースト・チーフもご一緒に如何ですか?」


「ありがとうございます。ご一緒させて頂きます」


終ってみればあっと言う間だった。こんなものかとも思った。緊張が解けてほっとしたのと、あっけに取られたような感覚を同時に感じていた。


記者会見が終わって雲を踏む様な少し落ち着かない感覚で、ホールからハーマン・パーカー常務やエリック・カンデルチーフと一緒に役員専用のリフトに乗り込もうとした時に、先刻初めて会って挨拶したホール・フロア・マネージャーのサリー・ランドが駆け寄って来る。


「お疲れ様でした。素晴らしかったです!」


「いや、そんなに大した事は喋ってないですよ」


そう応えながら彼女が差し出して来たノートとペンを受け取ると、開いてサインして返す。


勿論、芸能人になったような感覚は無い。


それから約20分後、私は9階のスカイ・ラウンジでハーマン・バーカー常務と、エリック・カンデル・フロア・ファースト・チーフと共に昼食の卓を囲んでいた。


9階のスカイ・ラウンジに入った事は、これまでに3回あったが昼食の席に着いた事は無い。


気が抜けたような感覚がまだ残っている。目の前にはジンジャーエールの注がれたグラスがある。今気が付いたかのように手に取って、二口飲む。


右手側にパーカー常務が座っていて、左手側にエリック・カンデルが座っている。


高級そうで面倒臭そうなランチ・メニューが多かったが、一番食べ易そうな定食風のランチを頼んだ。常務はハーフ・ボトルのロゼ・ワインを頼んで、私達にも勧めたが私は車で帰宅するからと辞退した。


「アドルさん、今日はお疲れ様でした。ご苦労様でした。これでマスコミも役員会や大口株主の方々も、暫くは静かにしていてくれるでしょう。しかし、このゲーム大会に関わる事がこれ程の反応を引き出す事になるとは、予想外でしたね」


「全くですね」


エリック・カンデルもそう応じてライト・ビールのグラスに口を着けた。


「ところでアドルさん、運営本部に公開を許可したのは、どこまでだったのですか?」


「顔と名前と年齢だけです」


「なるほど。ですがそれから僅か数時間で、勤務先、ワークアドレス、パーソナルアドレスも割れましたね。もう貴方の今の住所も、ご家族の住所も探り出されているでしょう。今日の会見は社としての会見でしたので個人情報の公開について、釘を刺すと言う事には敢えて言及しませんでしたが、今後アドルさんの個人情報が次々と晒されるようでしたら、また対応を考えないといけなくなりますね」


「そうですね」


「まあそのような事態になっても、社として適宜・適切にサポートさせて頂きますので、心配しないで下さいね」


「分かりました。宜しくお願いします」


「今日は、これから直帰ですか?」


「はい」


「気を付けて帰って下さい。奥様に連絡を執られて、様子を訊いてあげた方が良いと思いますね。要望とか報告とか連絡とか直接、私やファースト・チーフに通話を繋いでくれても構わないのですけれども、スケジュール的にすれ違いになる可能性もありますので、どうでしょうね、チーフ・カンデル?秘書室から誰か、アドルさんに付いて貰いましょうか?」


「そうですね。そうして頂ける方が、時間の節約と言いますか、タイム・ロスの防止にはなると思いますね」


「いや、そんな、私の為に秘書室の方の手を煩わせてしまうのは?」


「いや、アドルさん。社として貴方のバックアップを全面的に展開して行うには、必要な人員配置と思います。秘書室のチーフには私から今日中に話をしますので一両日中には、アドルさん専任の副官と言いますか、セクレタリィが決まるでしょう」


「分かりました」


「じゃあ、頂きましょう。冷めちゃいますから」


それから暫くは3人とも無言で、昼食に取り掛かった。


それから30分後、3人ともデザートのプディングまで食べ終わって、コーヒーを飲んでいる。


「アドルさん、土曜日は何時に行かれるのですか?」


「出来るだけ早朝から行こうと思っています」


「そうですか。報告書のフォーマットは後程チーフからでも渡るようにしますので、宜しくお願いします」


「分かりました」


「それでは今日はここまで、と言う事で」


常務の言葉を受けて3人ともナプキンで口を拭うと、立ち上がった。


もう昼休みは終わっていたので、自分の職場のフロアまで降りた私は、フロア・チーフに午後から帰る旨を伝えた・・同僚たちは私と顔を合わせると、労いの言葉を掛けてくれた。最後に自分のデスクに寄ると、スコット・グラハムは自分のデスクで仕事をしていたが、直ぐに立って来てくれた。


「お疲れ様です。堂々と話してましたね」


「ライヴで中継していたのか?」


やれやれと言った感じで言うと、


「そりゃあ、お昼でしたからね。帰るんですよね?」


「ああ、明日も休もうかなって感じもしてるけどな」


「良いんじゃないんですか。明日いっぱいは何もしなくても良いぐらいには進めておきましたから」


「本当にありがとうな。感謝してるよ」


「良いんですよ。いつもお世話になってますから」


「うん、やっぱり明日も休むわ。チーフにそう言ってから帰る。何かあったらデスクにメモでも残して置いてくれ。じゃあ、お疲れさん。お先に」


「お疲れ様でした。気を付けて」


最後に左手を挙げて合図すると、もう一度フロア・チーフに声を掛けて1階に降りた。


1階のカフェテリアでコーヒーを飲みながら一服してから帰ろうかと思って、軽く中を覗いて見たが、マスコミ関係者のように観える人はいないようだな。


もしもいたら面倒な事になるかな、と思って入り口の辺りで迷っていると、顔見知りのウエイトレスと眼が合ったので、ハンドサインで《マスコミの人はいる?》と訊くと《いない》らしいので、入った。


いつも座る席に座って、シナモン・コーヒーを頼む。


灰皿を引き寄せて一服点ける。半分ほど灰にしたぐらいでコーヒーが来る。


カップを半分ほど空にしたぐらいで、一本を灰皿で揉み潰す。シナモンの香りと共に残りのコーヒーの味と香りを楽しんでいると、人の気配に気付いた(まさか)


「すみません。相席してもよろしいでしょうか?」


(うっ、やっぱり)「あ、はい、ええ、どうぞ」


「ありがとうございます。アドル・エルクさん」


「記者さんですか?会見場にいらっしゃいましたか?」


「ええ、いましたが、座っていたのはずっと後ろの席でした。初めまして、モリー・イーノスと申します。フリー・ライターをしています」


そう言いながら自分のメディア・カードを私の目の前に置いたが、私は視線を左に逸らして視界には入れない。


「宜しければ、少しお話を伺いたいのですが」


「私への取材でしたら、会社の広報部に訊いて下さい。私自身が個人としてお話する事も、質問に答える事も許可されておりませんので」


そう答えてバッグを手に取り立ち上がって出て行こうとしたが、次に発せられた彼女の言葉に、思わず足を止めてその時に初めて彼女の顔を観る。


「勝ちたくないですか、アドルさん?私は貴方を勝たせる事の出来る情報を持っています」


モリー・イーノス。年の頃は24.5才だろうか?若手の女優かタレントと言っても充分に通用するような美人だ。ライト・ブラウンに少しカーマインが入ったような色の、ナチュラルにカールさせたセミロングの髪だったが、意志の強さを感じさせる眼が、真っ直ぐ私の顔を見据えている。


「どう言う事ですか、それは?」


「まあ座って下さい。それとも、奥の席に移りましょうか?」


「いや、ここは会社の中なのでこれ以上はマズいです。後程私から連絡します」


それだけ言うと、彼女が先程テーブルに置いたメディア・カードを手に取り、バッグを抱えて急いで外に出た。


そのまま従業員の駐車スペースに入り、自分のエレカーに乗り込むと直ぐにスタートさせる。大通りに出て最初の大きい交差点の手前で、信号待ちの渋滞に捉まったので一息吐くと、胸ボケットに取り敢えず突っ込んでいた彼女のメディア・カードを取り出す。


余白に手書きで何かが一行書き付けてあったのでよく見ると、サイバースペースの中での個人用クラウド・データ格納庫のURLコードのようなものと、そこにアクセスして閲覧するためのパスコードのようなものだった。


メディア・カードを胸ポケットに戻すと私は、渋滞で停車している間にナビの検索で近場の端末ショップを見付け、ロックしてコースを設定して向かう。


ショップで買ったのは、使い捨ての安い携帯端末だ。すぐその端末で彼女のデータ格納庫にアクセスする。データ・カテゴリーの中に『待ち合わせ場所』があったので閲覧すると、私が月に2回ほど休日に訪れる小さいカフェの名前と住所と電話番号があった。


何か見張られているような感覚を覚えて思わず周りを小さく見渡してしまったが、そのカフェの記事に『A・E。2時間後に』とだけコメントすると、総てを閉じて端末の電源も切って帰路に就く。


帰宅するとシャワーを浴び、下着姿のままジンジャーエールの瓶を取り出すと、一息で半分ほど呑んでから、ソファに深く座る。


クロノ・メーターを見遣ると、出るなら20分後ぐらいまでには出ないと待ち合わせ時間に間に合わなくなる時刻だ。


私は立ち上がって身支度を整えると、先程購入した端末と普段使っている端末と、普段は使っていない端末の3つをバッグに入れ、そのまま携えて部屋を出た。


そのカフェのパーキングに入ったのは、待ち合わせにコメントで書き込んだ時間の15分前だった。


途中、断続的に渋滞したのでこの時間になった。


カフェはカウンターで5席、4人掛けのテーブルが2つに2人掛けのテーブルが4つのこじんまりした店だ。


入って一番奥の2人掛けテーブルの奥側の席に座る。


マンデリンをホットブラックで頼んで一服点ける。


一本目を吸い終わって灰皿で揉み消すと、マンデリンが来た。


馥郁とした香りを充分に楽しんでから一口を含み、久し振りにマンデリンの味を堪能する。


マンデリンを半分ほど飲んで2本目を咥えようとしたら、彼女が入って来たので止めて仕舞う。


服装は先程と同じだったが、髪はポニーテールにしている。


私に気付いて微笑みながら歩み寄って来る。


魅力的だと感じてしまった自分にマズいな、と思う。


脈拍が少し速まる。血圧も少し上がったかも知れない。


煙草を吸っていたのを気付かれたくなくて、マンデリンを飲み干す。


「お待たせしました」


そう言いながら向かい側に座る。


バッグはテーブル下のラックに置いた。


「いや、まだ少し早いです」


何か言い掛ける前にマスターが来たので彼女はホワイト・レモンソーダを、私はお替りを頼む。


「ここへは、よくいらっしゃるのですか?」


訊ねながら彼女は、左手で左の頬骨の辺りが気になるように触れる。


ファウンデーションのノリでも気になるのだろうか?


「たまに旨いマンデリンが飲みたくなるので、月に2回ほどですね、貴女は?」


「私は3ヶ月に1回位ですね」


「それで、改めてどう言う事なんでしょう?」


私は訊きながらリラックスした風情を醸し出すように深く椅子に腰を掛けて脚を組む。


「私と、独占での取材と報道の契約を結んで頂けないでしょうか?」


私は彼女が何を問い掛けているのか分からなかった。独占取材に独占報道なんて、もうあり得ないだろう。


「はい?まだ何も始まっていないのに、この騒ぎになっているんですよ?貴女だけに取材と報道を許可するなんて、もう出来る訳が無いでしょう?」


私は半ば呆れたように問い返した。


彼女は2秒程驚いた表情をして、直ぐに慌てて弁明を始めた。


「!ああ、はい、分かります。最初からお話します。当選者が発表されてから私は、全員を出来得る限り調べて、貴方に一番高い可能性があると言う結論に達しました。優勝する可能性です」


「はあ、その論拠とするところを是非伺いたいですね」


奥底を探るような口調と表情で先を促す。きっと同時に途方もないと言うような表情もしているのだろう。


「プロファイルです。可能な限り取得し得たデータを基にプロファイリングを行い、この結論に達しました」


この人に対しての基本姿勢が決められない。当面は適当にあしらうつもりで話を聞く方が良いだろう。


「なるほど。では貴女は様々なプロファイリングデータを私に提示して、私が指揮する艦の勝利に貢献して下さると?」


「そう、その通りです」笑顔を見せる。


「それで貴女は私の何を取材するんです?」


「総てです」


「発表は?」


「この大会の終了後に一定期間が経過して、束縛的な契約が総て終了して以降、回顧録か独占手記か、スタイルはまた後で決めようと思っていますが、アドルさんとの共著と言う事で発表しようと思っています。勿論、この契約をアドルさんとの間で結んだのも、束縛的な契約が総て終了した以降と言う事にします」


マスターが彼女のレモンソーダと私のマンデリンのお替りを持って来たので、カップを取り上げて口を付けた。彼女も3分の1ほどを飲む。


「申し訳ありませんが一服点けても宜しいでしょうか?」


「どうぞ」


彼女の表情が少し意外そうだったので訊いた。


「喫煙者とは思わなかった?」


「ええ」


「本数は少ないと思っているんですがね、プロファイリングに影響しますか?」


「一日に10本以上喫煙するようでしたら依存性ありと認められますので、影響はあるでしょう」


「それは良かった。私の喫煙は通常一日に5.6本ですので」


「それ以上増えないように、宜しくお願いします」


私は鷹揚に頷いて見せる。


一服喫い点けて紫煙を燻らし、マンデリンのカップに口を付ける。


「それで、私への取材とか、お互いへの連絡とかはどうしましょうか?もう私の住所も電話番号もアドレスも、家族の住所も電話番号もアドレスも特定されているでしょう」


「私の個人クラウドデータにアクセスしてコメントを付けると言うやり方では、良くないでしょうか?」


またレモンソーダを3分の一ほど飲んで、彼女はそう言った。


「貴女の個人クラウドデータ格納庫が特定されても、その中のデータに私がコメントを付けたと言う事が判らないように、その格納庫の中に暗証番号とパスワードで開く特別格納庫を設定して頂けませんか?」


「分かりました。お安い御用ですが」


「私から貴女の個人クラウドデータ格納庫へのアクセスは、曜日は決めませんが一週間に一回は必ず行うと言う事にして、アクセスからアクセスまでの間に貴女は、特別格納庫を開く為の新しい暗証番号とパスワードを、データの最終行に併記させて置くと言う事でどうでしょう?」


そう言って3服目の紫煙を燻らせると、煙草の灰を人差し指で灰皿に落とす。


「良いアイディアですね。凄いです。分かりました。そうしましょう」


と、彼女は感心したように応えてレモンソーダを飲んだ。


「と、まあここまで言いましたけれども一番肝心で重要な件の確認が済んでいませんので、これまでの話は総て仮定のお話です」


そう言って私は、2杯目のマンデリンを飲み干す。


「どう言う事でしょうか?」


訳が判らないと言った風だ。


「まだ貴女の事を100%信頼できないと言う事ですよ?当然と思ってもらえると思いますが」


そう言いながら私は普段使っていない端末を取り出してテーブルに置く。


彼女はハッとした様子で少し表情を固くしたが、何も言わなかった。


「この中にあるアプリで、レコーダーの反応とデータ転送の有無を調べます。今持っているレコーダーがあったら、ここに出してください」


彼女は何も言わずにポケットとバッグから、それぞれ一つずつの小型レコーダーを取り出してテーブルに置く。どちらも起動はしていない。


私は端末のアプリを開いて反応を見た。レコーダーの反応もデータ転送の反応も無かった。


「失礼しました。私が貴方を100%信頼して契約を結ぶまで、総てはオフレコでお願いします。よろしいですか?」


「分かりました」


「結構。それでは次に貴女のPIDカードを見せて下さい」


彼女はバッグから財布を出すとその中からパーソナルIDカードを取り出して私の前に置く。


私は端末のカメラアプリを開き、カードの両面とも撮影して彼女に返した。


続けて端末をそのまま彼女の前に置き、別のアプリを開いて見せた。


「それじゃ、貴女が指紋認証に使っている指でここに触れて」


彼女は左手中指の腹で指紋読み取りアプリ画面のセンターに触れた。


私は端末をしまうと、メモ帳を開いてペンと一緒に彼女の前に置く。


「これで最後です。PIDメールアドレスとパスコードとパスワードと、これから貴女が設置する特別格納庫のパスワードとパスコードも書いてください」


彼女がペンを取って書き終わり、ペンを置く迄90秒少々。


私はペンとメモ帳を受け取ってポケットに仕舞う。


「それではモリー・イーノスさん。今日はここまでにしましょう。私の方で貴女から頂いた情報の裏を取ります。貴女の身許が複数の方位で確認出来たら、特別格納庫の中の投稿記事にコメントを付けます。これは言うまでも無いとは思いますが、PIDカードやその中の情報が偽造されたものであった場合、重大な連邦個人登録法違反と言う事になります」


「承知しています」


「ところでイーノスさん。私の職場のラウンジから帰る時に、即けられているような感覚はありませんでしたか?」


「いえ、特には。いや、分かりません」


「此処からの帰り道を4割ほど長くして、周囲に注意を払いながら帰宅してください。貴女はまだどうか判りませんが、私はもう既にマークされている筈です」


「分かりました。気を付けて帰ります」


「余程の事が無い限り、直接に顔を合わせるのは避けましょう。特別格納庫の中の投稿記事にコメントを付け合う形で、連絡します。大会が始まったら、特別格納庫の中に更に特別な格納庫を設置して下さい。宜しいですか?」


「承知しました。そのようにします」


「私からのコメントを待っていて下さい。それまで貴女から私に対して、どのような接触もしないようにお願いします。ここは私が持ちます?ああそれと、今日はお会いできて良かったです」


そこまで言って私は立ち上がり、左手でテーブル・コードカードを取り上げると、右手を彼女に差し出した。彼女の表情に柔らかさが戻ったのが見えた。


彼女を先に帰らせてから10分ほど店内で過ごし、小用を足してから会計して外に出る。


このカフェから見て私の社宅は西南の方向だが、私は北東の方位方面に向けて30分ほどエレカーを走らせてから南西の方位方面に向けて更に30分ほど走り、そこから社宅をロックしてナビに従って走り始めたが、このエレカーがハッキングされている可能性に思い至るとナビゲーションを切って自分で運転して帰った。


おかげで帰路を間違えて20分ほど道に迷い、ようやく社宅に帰り着いた。


追跡者がいたとしても、完全に撒けただろう。


部屋に入って部屋着に着換えると私は先ず妻の携帯端末に通話を繋いだ。


「はい」「もしもし、俺だ」


「どうしたの?こんな時間に?」


「今日、社のホールで俺がゲーム大会に出る件で記者会見があってな。そのまま生で中継されてたんだけど、観たか?」


「観たわよ。あんまり大した事は喋ってなかったわね」


「まあな。それでさ、昨夜からあんまり時間は経ってないけど、そっちに通話とかメッセージとか、直接誰かが来たとか、無かったか?」


「今のところ通話は18件。メッセージは26件。あとは8人の記者とかレポーターが来たわね。でも今朝の9時過ぎにあなたの会社の広報の人から通話があってね。対処の仕方を詳しく教えて貰って、全部その通りに切り換えたから、あたしが直接応対しなくても済んだわよ」


「そうだったのか。面倒掛けてスマんな」


「いいのよ?通話とメッセージは全部あなたの会社の広報に転送したし、インターコールの応答メッセージも、代わりに応対してくれる会社の広報の人の端末のアドレスとか、通話番号とかも入れて録り直したから、大丈夫だと思うわよ」


「そうか、ご苦労さん。生中継の事もその広報の人に聞いたのか?」


「そう。だから最初から観れたけど、凄かったわね」


「ああ、あんなの初めてだから疲れたよ。あとはアリシアの学校と、ご近所さんだな」


「ああ、アリシアの学校の方だけど、これも広報の人からの提案で、学校に問い合わせがあった場合にも、会社の広報に転送できるように応対のシステムを少し改編するように学校に提案しても良いですかって訊かれたから、宜しくお願いしますって言っといたわよ」


「そうか。でも記者やレポーターが直接アリシアの学校に行ったら?」


「大丈夫でしょ?あなたと一緒に視たけど、あの学校、正門にも副門にも近くに警備室があるし、巡廻警備の体制もしっかりしてるからアポ無しじゃ入り込めないんじゃないかな?それにアポを執っての取材なら、ちゃんと先生方が応対するでしょうから心配ないでしょう?」


「ああ、それもそうだな。あとはご近所さん達なんだけど、悪いけど今度の土日はゲーム大会の関連で、顔合わせやら打ち合わせやら撮影セットの見学やら色々なレクチャーやらで帰れそうにないんだよ。その次の金曜は帰るから、土曜日から一緒に挨拶回りをしないか?ちょっとした、お土産を持ってさ?」


「良いわね。お土産の準備と、根回しはやって置くから金曜は早く帰ってよ?」


「ああ、分かったよ。できるだけ早く帰る。ところでお前とアリシアの携帯端末には、まだ通話やメッセージは来ていないのか?」


「来てないわね。あなたの方には来たの?」


「俺の方は来る前に手を打って、アドレスも通話番号も換えたよ」


「あら、そうなの?」


「メッセージを見てないのか?」


「ごめんなさい。この後すぐに確認するわ」


「お前とアリシアの携帯端末も換えた方が良いな」


「機種を換えるの?」


「いや、取り敢えずアドレスと通話番号を換えるだけで良いと思うよ」


「分かった。あの娘が帰ったら話して、一緒に換えるから」


「頼むよ。換えたらメッセージで報せてな?」


「分かった。ねえ、あの会見の後すぐに帰ったの?」


「いや、あの後チーフと常務も一緒に昼飯を食ってさ。その後報道陣が全部帰るぐらいまで社内で過ごしてから帰ったよ」


「そうなの。これからは人にすごく観られるから、気を付けてよ」


「分かってる。じゃあ金曜日にな」


「ええ、それじゃ」


妻との通話を終えた私は固定端末と社宅の中でしか使わない携帯端末とを起動させ、バッグから出した3つの携帯端末総てと接続させた。続けてメモ帳も取り出す。


モリー・イーノスのPIDカードの表裏の画像と彼女の顔写真と個人認証用の指紋画像をネットワークに接続させ、彼女のPIDメールアドレスとパスコードとパスワードを入力して、彼女のPIDサイトに入る。


彼女の個人情報項目は68400にも上っていたが、私は彼女の身許を適正に確認する為に重要度が高いと思われる情報項目から、慎重に注意深く多方面からのクロス検索と検証・確認の作業を進めて行った。


そして重要度が高いと思われる個人情報、758項目の検証を終えた私は、彼女が正真正銘の彼女本人であると確信するに至り、それを以て確認作業を終了した。


次いで私は彼女の個人クラウドデータ格納庫にアクセスし、彼女が自分のメディアカードに手書きで書いてくれていた、パスワードを入力してその中に入った。


入って見ると、既に彼女が特別格納庫を設置してくれていた。

また、今日の待ち合わせの為に私が付けたコメントに、更に彼女がコメントを付けていた。


ただ一行、「パスワードとパスコード」(なるほど)


私は彼女のPIDサイトに入るために入力したパスワードとパスコードを、この特別格納庫の認証要求欄にも入力して中に入った。


中に記されていた言葉は三つだけで、「結果は?」と、次にこの特別格納庫に入るためのパスワードとパスコードだった。


私はパスワードとパスコードをメモ帳に書き留めると、「結果は?」に「ALL OK また来週に」と、コメントを付けて二つの格納庫から出ると、閲覧履歴とクッキーを消去してブラウザーを閉じた。


そこで初めて大きく息を吐いた私は、立ち上がってベランダに出ると一服点けた。


喫い終わると部屋に戻り、マンデリンを深めに淹れた一杯をソーサーごと両手で持って、この社宅に入った時に少し高かったが思い切って買ったソファーに深く身体を沈み込ませた。


肉体的にも精神的にも疲労を感じている・・明日も有給休暇取得としたのは正解だった。


まだ始まってもいないのにこれじゃ先が思い遣られるな・・だが、明日一日休めば仕切り直せるだろう・・ああ、固定端末のメッセージ・オートアンサーを書き換えないといけないな・・メッセージボックスの中身は見たくない。


コーヒーを飲み干してまた立ち上がると固定端末の前に座り、メッセージ・オートアンサーの文面を書き換えた。


対象とする返信先には総てのメディアカンパニーを指定し、他には記者・ジャーナリスト・リポーター・ルポライターをメッセージの中で名乗る個人も自動で対象とするように返信システムを組んだ。


社内業務関係、社外業務関係、家族・親族の関係、SNS以外の交友関係、SNSの中での交友関係、ゲーム大会関係と、それぞれでメッセージボックスを新設し、今ボックスの中にある総てのメッセージをAIに指示して分類させ、それぞれのボックスに収納させた。


残ったメッセージをAIに指示してダブルチェックさせ、総てメディアや個人ジャーナリストからの取材の申し込みや質問であることを確認すると、オートアンサーで返信した。


次に自分で返信しなければならないメッセージに取り組み始めたが、27件終えたところで嫌になって放り出した。まあ、急いで返信するべきメッセージは片付けたから良いだろう。


冷蔵庫からジンジャーエールのボトルを出し、そのままベランダに出て一服点けた。


喫い終って部屋に戻り、ボトルに口を付けて二口飲んだところで思い出した。


私が指揮する軽巡宙艦のクルー候補者として貰った女性芸能人達の資料から、芸能的な学歴・経歴・経験・業績スキルとは直接的には関係の無い個人データを分離して保存したデータファイルを固定端末に落とし、一人一人のデータ項目に対してネットワークの中で様々にクロス検索を掛けながら読んでいった。


なかなかに興味深い業績スキルを持っている人がいる。読んで様々に参照しながら気になる人をピックアップして、自作のクルー候補リストに入れていった。


腹が鳴ったので見ると、もう20:20だった。手早く夕食を作る。ニュースを観ながら食べ始めたが、私の他にも今日記者会見を開いた人が3人、メディアの囲み取材に応じた人が6人、やはりかなり注目されているようだ。明日記者会見を開く人も4人いる。


私は明日も休みだから、報道されれば観られるだろう。


夕食を終えて全部片付けてから、ライトビールを呑みながらまた個人データについてのクロス検索と参照を始めたが、酔いが回ってきたので30分ほどで止めた。


その夜は早くベッドに入ったのでゆっくり寝めた。


それでも今朝は8:30には起き出して家事を済ませ、買い出しも終えると11:40だった。

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