2話 マジカルペットは害獣です7

 その日の昼休み、ルシエラとミアはいつも通り中庭で昼食を取る傍ら、やって来たフローレンスにナスターシャから依頼を受けたことを打ち明ける。


「ふぅん、姉さんがそんな心配をしてたのね。毎回変な所で姉ぶるんだから、痴女の癖に常識人の真似事でもしたいのかしらね」


 話を聞いたフローレンスはうんざりした顔をすると、教科書に書き込む手を止めて頬杖をつく。


「常識は……なかったよね?」

「え、ええ……。そこは残念ながら否定できませんわ」

「あ、そう。アンタ達にも迷惑かけたみたいね。反省してないだろう姉に代わって謝っとくわ」


 ツンと素っ気なく言うフローレンスに、ルシエラが苦笑いを返す。


「ま、まあ、行動の是非はともかくとして、一応ナスターシャさんも心配してくれているのですし、その厚意だけは素直に受け取ってもよいのではないですかしら」

「うん。心配してくれる人が居るのはとっても嬉しい、ね」


 ルシエラの言葉に、ぴとりと寄り添ったミアが頬を赤らめて同意する。


「そうは言ってもね。もう私の中ではセリカとの模擬戦には参加しないって決めてるのよ」

「そうなんですの? 拒否権がないものだと聞いておりますけれど……」

「フッ、そこは知恵を使うのよ。……このプランが実行されたのなら関係なくなるわ」


 据わった眼をしたフローレンスがニヤリと笑みを浮かべる。

 その手には列車の乗車券と謎の手紙が握られていた。


「なんですの、それは?」

「これから私は学校を早退して列車で修行の旅に出るの、そしてド田舎に行って魔物に襲われてしまう。

 何とか一命は取り留めたものの、とても模擬戦なんてできる状態じゃない。そこで療養中の田舎からこの休学届を出すのよ。

 特待生の座は剥奪されるだろうけど、今後の学生生活もトラウマで弱くなったと言い訳ができる。まさに一石二鳥のプランよ」


 意気揚々と語られていくフローレンスの作戦。

 ルシエラはそれを唖然としながら聞いていたが、


「あ、あんまりな浅知恵ですわ……。見るも無残に完敗した方がまだマシなのではありませんの?」


 話が終わった瞬間にそう結論付けた。


「そうだね、本末転倒だね」

「そんなことないわ! 相手は魔物よ魔物! 怖いのよ!? 所詮学生の身分なら負けても仕方ないでしょ!」

「ついでに列車で凶悪な魔物に立ち向かった設定も嘘だとバレますわよ」


 フローレンスは自らの失態を隠蔽する為、ルシエラと協力してネガティブビーストを倒したという設定になっている。

 それなのに田舎で魔物に負けたとなれば、列車の一件は嘘だったと思われるのも至極当然。敵前逃亡だけでなく虚言癖の悪名まで受け取るハメになるだろう。


「んああああ! 絶望っ! なんで過去の私が行動のナイフで今の私を刺しに来るのよぅ! 進むも地獄、退くも地獄じゃないの! 頭がチクチクするわ!」


 フローレンスはヤギのように乗車券を頬張ると、土下座するように芝生に顔を擦りつけた。


「そのチクチクは芝生だから」


 そこにミアが的確なツッコミを入れる。


「まあまあ、これから乗り切る策を考えましょう。わたくし達もナスターシャさんに頼まれておりますし、お手伝いいたしますわ」

「そんなこと言ってもね。才能もない、努力もない、根性もない、ないない尽くしのダメ人間になにができるってのよ。私なら容赦なく見捨てるわ」


 芝生にうずくまっていたフローレンスは上体を起こすと膨れっ面を作って腕を組む。


「なんて卑屈な。ご自分に対してそんな容赦ないことを言わずとも……」

「言うわよ。本物の特待生達に失礼でしょ」


 ──あ、この方やっぱりナスターシャさんと姉妹ですわ。


 ついぞ今朝聞いたばかりの言葉にルシエラはそう確信した。


「でも、そうなると本当に罠しかなくなっちゃうね」

「勿論それも止めておくわ。私にもプライドってもんがあるの。ああ見えて昔はセリカも私と同じように魔法が上手く使えなかったのよ。

 でも、アイツは私と違って真面目にやって強く成長した。性格が悪くてもその努力は本物よ。そこに私の都合を押し付けて貶めるのは筋違いだわ」

「フローレンスさん……見直しましたわ!」


 その言葉に、目を輝かせたルシエラがフローレンスの両手をがっちりと握った。


「え、えっ? 急に何よアンタ……」

「そう! ライバルと対峙する者の気構えとはそうあるべきですの! 以前のわたくしも馬鹿正直に戦って数多の敗北を喫しましたが、今ならばそれでよかったのだと胸を張れますわ!」

「あ、アンタだけはまともだと思ってたけど、随分と変な所にスイッチ持ってたのね。油断してたわ……」


 両手を握ったまま近づいて力説するルシエラ。

 フローレンスが困惑しながら体を仰け反らせ、それに嫉妬したミアが後ろからルシエラに抱きついた。


「……でも、本当に正々堂々負けるつもり?」


 ミアの問いに、仰け反ったままのフローレンスが遠い目をする。


「フッ、にっちもさっちもいかないなら人間諦めってのが肝心なのよ。アンタ達は私がいじめられっ子になっても友達で居てくれるわよね。大丈夫、お友達料はちゃんとお月謝で支払うから」

「なりません! そのような事情を知ってしまった以上、わたくし達が選ぶ答えは一つだけ。フローレンスさん、ライバルと戦うのならばこちらも最善を尽くさねば無礼というもの! 必勝の心構えで立ち向かわねばなりませんわ!」


 だが、目を輝かせたルシエラがその諦めを許さない。

 フローレンスの仰け反った体を無理やり引っ張って叩き起こす。


「ええっ、じゃあどうしろっていうのよ……」

「決まっております、正々堂々と戦うための修行ですわ!」


 乗り気でないフローレンスの横、一人瞳を燃え上がらせたルシエラは力強く天を指さすのだった。



  ***



「ひ、ひぎぃ! しぬうっ!」


 同日、夜の魔法修練場。汗にまみれたフローレンスは息も絶え絶えの様子でふらふらと走っていた。


「その口が聞けるのは余裕がある証拠! まだまだですわっ! 後一周!」


 その後ろ、ねじり鉢巻きにメガホン竹刀という出で立ちのルシエラが、フローレンスのお尻を叩きながら追いかける。

 魔法修練場は派手な攻撃魔法の訓練などにも使う為、消音の魔法がかけられていて中の音が外に漏れる心配がない。ここでなら遠慮なく秘密の特訓ができるのだ。


「おええっ……。夕食全部でるぅ……」


 走り込みを終えたフローレンスはふらふらと歩いてクールダウンすると、今にも死にそうな表情で仰向けになる。


「さあ、フローレンスさん、ここからが本番ですわ。魔法の練習を始めますわよ」

「は? ば、バカじゃないの!? もう疲れ果てて集中できないからまともに魔法なんて使えないわよ!」

「そう、そこが狙いなのですわ! どれだけ無尽蔵の魔力を持つ人間でも怪我をしていたり、メンタル不調だったり、疲れていたり、様々な要因で魔法の精度が大幅に落ちるのですわ!

 つまり魔法とは魔力だけで決まるものではありませんの! ならば魔力だけでなく強い心と体力を生かした泥臭い戦術こそ弱者の武器! 強者に打ち勝つための手段と心得るのですわ!」


 フローレンスとは対照的に、まるで疲れた様子の無いルシエラが目を輝かせて竹刀を振り回す。


「り、理屈はわかるわ、わかるけどいきなりハード過ぎるのよ……。下手したら本番まで疲労で寝たきりよ、私」

「加えてそこですわ! これはフローレンスさんのネガティブ思考の改善も兼ねておりますの。わたくし、田舎の山々を駆け巡って一つの悟りを得ましたの。健康な体と豊かな自然は人の心をも豊かにすると! かつてわたくしの性根が豊かな大地で正されたように!」

「ここ、無機質な壁で豊かな自然要素ゼロじゃないのよぅ……。つまりアンタあれでしょ、慣れない都会暮らしのストレス解消に動きたかっただけでしょ。それに凄い魔法使いは肉体強化の魔法を常に使ってるって聞くわよ。魔力外戦術なんて無駄じゃない」


 いきいきとした様子のルシエラに、フローレンスが仰向けになったまま毒づく。


「ん、無駄じゃないよ。無尽蔵の魔力のぶつけ合いでも立ち回りの方が大切だし、戦闘技術である程度魔法技術の差はひっくり返せるよ」


 フローレンスに果汁入りの水を手渡しながら、頑張れとミアが小さくガッツポーズする。


「いや。無尽蔵の魔力のぶつけ合いなんて私はする予定ないしアンタ達だって経験ないでしょ」

「…………ん、ある」

「本当にぃ? アンタついぞこの前、魔法が使えないって自称したばかりじゃない。設定に矛盾が生じてるわ。そもそも本当だったとして、そんな勝負になるような相手って何者よ」


 フローレンスは上体を起こして水を受け取ると、ミアに疑惑の眼差しを向けた。


「ん。異世界にあるグランマギアって言う魔法の国の女王様、かな」


 言って、ミアがルシエラにちらりと視線を向ける。

 その意味深な視線にルシエラがぎくりと身を震わせた。


「さ、さあ、フローレンスさん。それだけ話せるのなら余裕はたっぷりですわね。ならば歓談の時間は終わりですわよ」


 正体がバレる要素はない。正体がバレる要素はない。そう心で唱えながら、ルシエラは話題を逸らそうと上ずった声で発破をかける。


「……そうね」


 フローレンスは小さく息を吐くと、空になったボトルをミアに返して素直に立ち上がる。


「ん、やる気になった?」

「余裕綽々のアンタ達を見てたら悔しくなったから、多少ね。セリカもアンタ達もちゃんと努力してたんだなって思ったのよ。だから名ばかりで特待生になった私もせめて努力だけはして綺麗に負けるわ」

「素晴らしいですの! 悟りましたわね、フローレンスさん! それでこそライバルに顔向けできるというものですわっ!」


 フローレンスを盾にしてさりげなくミアの視線から逃げていたルシエラが、ギュンとフローレンスの目の前に回り込んで手を握る。


「ああ、アンタまた変なスイッチが入ったのね。そのスイッチ意外と厄介だわ……」


 相手にしていられないと、魔法の練習ではなく走り込みを始めるフローレンス。

 目をキラキラと輝かせてそれを追いかけまわすルシエラ。

 そうして夜は更けていくのだった。

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