2話 マジカルペットは害獣です6
「恐ろしい。昨日は心底恐ろしい目に遭いましたわ……」
自室のベッドで目覚めたルシエラはまどろんだ思考の中そう呟く。
勿論、ごろつきに襲われた事ではなくその後の方だ。確かに自分はミアがピョコミンの支配から抜け出せるよう力添えをした。だが、何がどうしてこうなってしまったのだろうか。
──まさかわたくしのファーストキスが宿命のライバルであるミアさんになってしまうとは。
いまだ衝撃さめやらず、今も体はミアに抱きしめられているような温もりを感じ、耳元にはミアの吐息が聞こえてくる気がする。
「え、いえ、もしや気では……ありませんの」
いくらミアに昨日抱きしめられたからと言って、こんな肌と肌が触れ合う温もりではなかったし、あんな事をされている中でミアの吐息が耳元で聞こえるはずもない。
まさかと思いルシエラは恐る恐る顔を横に傾ける。
「ぅん……」
そこには現実にミアの顔があった。
つまりこの感触は現実のものであり、そこから察するに多分裸だ。自分も、ミアも。
──な、な、なんですと!? こっ、心当たりがありませんわ! 何が、何が起こっておりますのっ!?
「ミアさん、ミアさん、起きてくださいましっ!?」
パニックで目をぐるぐるに回しながら、ルシエラは抱きついているミアを必死に起こす。
「ん……おはようございます。ご主人様」
目を覚ましたミアは顔を赤らめ、眼前のルシエラに向けてはにかむ。
「ちょおおおっ、み、ミアさん!? ご主人様とはなんですの? 何をしておりましたの」
ルシエラは跳ね起きて、何故かベッドの上に転がっていた自らの寝間着と変身用ペンダントを着用、同様に転がっていたミアの下着も大急ぎで身に着けさせた。
「ご主人様を見てたら欲望を抑えきれなかった」
うっとりとした目でルシエラを見つめてミアが言う。
「ぶーっ!? 欲望とはなんですのっ! 乙女が軽々しく口にする言葉ではありませんわ!」
「ん、じゃあ欲情」
「悪化してますの! 卑猥ですの! ミアさんいつもこんなことをしているのではないでしょうね!?」
「む、心外。こういうことするのは初めてだし、今後するのもご主人様だけだよ」
ぷうと頬を膨らめて怒るミア。
「ならば尚更ですわ! 乙女の体はそんなに軽々しいものではありませんの!」
「軽々しくじゃないよ、自分の意思で決めたんだよ。昨日のことで私の身も心もご主人様であるルシエラさんのものだって悟ったから」
ここでルシエラもようやく気がつく。気がついてしまう。
自分がした行動はピョコミンに代わってミアを完全に自分に依存させる行為であり、昨日の出来事を経て余人が付け入る隙がないほどにそれが完成されてしまった事実を。
完全に手遅れではあるが、こんな洗脳の手口が有ると昔本で読んだような気がする。
──も、もしやわたくしはミアさんをとんでもない世界へご招待してしまったんですの? ち、違うんですの! わたくしは決してそのようなつもりではなかったんですの!
頭の中で弁明の言葉を繰り返しながら、愕然とした表情でルシエラが慄く。
自分はただ彼女のライバルに相応しい行いをしようとしていただけのはず。宿命のライバルをこんな風にしたかったわけではない。絶対に。
「まだ疲れてるの? 寝る? エッチなこと、する?」
ミアがルシエラの手を掴んでルシエラをベッドに引きずり込もうとする。
「しませんの! 目はこれ以上ない程醒めましたわ! それとご主人様は止めてくださいまし! わたくし、社会的に抹殺されてしまいますわっ!?」
それを慌てて制止して、ルシエラがベッドから転がり起きる。
このままベッドに居ては何をされるか分かったものではない。
「ん……分かった。皆の前では内緒、だね」
ミアは少し残念そうに俯いた後、素直にそう頷いた。
──まさにどうしてこうなったですわ。誰か、誰か助けてくださいまし。
「おおう、朝っぱらから盛んじゃのう。大いに結構じゃが学業に影響を及ぼさぬようにせよ」
そんなルシエラの心の叫びを聴いたわけではなかろうが、呆れたような感心したような声音でナスターシャがルシエラの部屋に入ってくる。
「ナスターシャさん! 勝手に入って来ないでくださいましっ! せっかく減った肌色成分が再び増量されてしまいますの!」
「勝手ではないぞ。ちゃんとノックをした後に立ち入っておる。そも入られたくなければ鍵をかけよ」
ナスターシャの言葉にルシエラがドアへと視線を向ける。
見ればドアの鍵は完全に破壊されていた。恐らくミアが力任せにドアを開けて部屋に入って来たせいなのだろう。
──無力、圧倒的無力ですわ。小手先の文明など圧倒なパワーの前では無力だったのですわね。
「まあよい、今日は頼みがあって来たのじゃ。淫行しながらでもよいから聞け」
ナスターシャはフッと余裕の笑みを浮かべると、勝手に椅子に座って足を組む。
「は、破廉恥ですわ! そのようなことしておりませんからね!」
「してたよ?」
「ミアさんっ! し、してませんわっ! 風説の流布は止めてくださいましっ!」
ミアにがっちりと服を着こませながらルシエラが吼える。
寝ている間にされていたなどという弱い考えは捨てた。捨てなければ正気を保てる自信がない。
「まあよい、痴話喧嘩は後にせよ。妾も忙しい身の上じゃてな」
頼みに来たはずなのに、この場の誰よりもふてぶてしい態度でナスターシャが言う。
「そうですわね。単刀直入に言ってくださいまし」
自らの両頬を軽く叩いてルシエラは気持ちを切り替える。
ミア一人の相手でもえいやっとなのだ。更なるトラブルを招きかねないナスターシャには長居をして欲しくない。ここは手早く要件を聞いて帰ってもらうのが吉だ。
というか、今起こっていた出来事をもう考えたくない。記憶の奥深くに埋葬して全て忘れる、ルシエラはそう心に決めた。
「うむ、我が愚妹のことじゃ。聞けば二人はフローレンスと懇意にしておるらしいの」
「ええ、まあ……。フローレンスさんがどう思っているかまではわかりませんけれど」
「あれは無駄に捻くれた拗らせぼっちじゃからの。嫌う相手の所へは行かぬよ」
ナスターシャは愉快そうに笑って話を続けていく。
「そして、そんなお主達は幸運なことに腕っぷしが強い」
「人並み、だよね?」
「いえいえ、ミアさんに限ってそれはありませんからご安心くださいまし」
「主等も知っての通りフローレンスは張子の虎な訳なのじゃが、特待生の肩書を持つ以上は相応の実力を見せねばならぬ時も出てきてしまう」
ナスターシャは腰の紐に取り付けられたポーチから一枚の紙を出す。
その紙には『特待生二名による模擬戦』と書かれていた。
「つまりそんなフローレンスさんが模擬戦に参加しなければならない、と」
内容について目を通しながらルシエラが言う。
「この催しは我が校の伝統じゃてな。別に勝敗を競うものではないのじゃが、それでもあまりに不甲斐なければ悪評も立とう」
「相手は誰?」
「セリカというフローレンスの昔馴染みじゃ。愚妹の身の程を知っておる故穏便な形で終えて貰えるよう頼みに行ったのじゃが、向こうは存外にやる気でのう。学校に居られぬほど辱めると息巻いておった」
ナスターシャがテーブルに肘をついて深々とため息をつく。
ルシエラは列車に乗る時のセリカを思い出す。初対面の自分を煽ってきたり、彼女の性格はお世辞にもいいとは言えなかった。自分が真の特待生だと息巻いてフローレンスを辱めても不思議はない。
「特待生は他には居ないの?」
「居る。じゃがフローレンスが模擬戦を行うのは確定事項じゃ。何しろ、上級生も歯が立たぬ列車の魔物に立ち向かい場を収めたのじゃからな。その手腕、上級生や他の特待生にとっても興味津々じゃ」
「無理からぬことですわね」
フローレンスはルシエラと協力してネガティブビーストを倒したという設定になっている。
ルシエラが魔法を基礎から学んでいく初級学科に居る以上、フローレンスが主導してネガティブビーストを倒したと考えるのは至極自然なことだ。
「当然、セリカ以外が相手でも手心は加わらぬ。打たれ弱いフローレンスのことじゃ、生徒達の前でボロ負けして劣等生扱いされても開き直れるほどの度量はあるまい」
「まあ無理でしょうね」
列車でのスタイリッシュ土下座を思い出しながらルシエラが同意する。
「出来の悪い妹と言えども妾はアレの姉、ここは老婆心ながら手助けしてやろうと思っての。じゃが妾が直接手を差し伸べて頷くほどアレの性根は真っすぐではないのじゃ」
「大体の事情は理解しましたわ。つまり、わたくし達が秘密裏にフローレンスさんを鍛えればいいのですわね」
「いやいや、我が愚妹はそんなものでは勝てぬじゃろ。お主等にはセリカの腕と足を二本ずつ折ってもらおうかと……」
「な、なに真顔で卑劣な事をおっしゃってますの!? そもそも腕と足を二本ずつって全部ですわ!? 日常生活すらままなりませんわよ!?」
「妾はそれで丁度良い勝負になると踏んでおるのじゃが、ダメかの?」
力強く机を叩いて突っ込むルシエラに、ナスターシャが不思議そうに首を傾げた。
「だ、駄目に決まってますわ! セリカさんの今後に多大な影響がでるでしょう!」
「ううむ、そうか。では模擬戦の舞台となる修練場に罠を仕掛けるのはどうじゃ? 場所が分からぬ地雷魔法を事前にしかければ、向こうだけがド派手に大爆発という寸法じゃ」
言って、ナスターシャが両手を大きく使って爆発のジェスチャーをしてみせる。
「卑怯な手から離れてくださいまし! そう言う悪巧みは成功しないものですわ!」
ナスターシャの眼前に人差し指を突き立ててルシエラが断言する。
断言もできよう、かつてのルシエラもアルカステラに勝つためあの手この手で姑息に立ち回っていた。しかし、それがことごとく裏目裏目で自らの首を絞め続け、結局は真っ向勝負することに落ち着いた経験があるのだ。
「とは言うがのう……。お主は現実が見えておらぬのか? あれが姑息な手段抜きで勝てるものかよ。その評価は特待生に対して失礼じゃろうに」
ルシエラの気勢に気圧されつつも、拗ねるように少し口をとがらせてナスターシャが言い返す。
──駄目ですわ。この方、言葉で言っても絶対に理解してくれませんわ。
ナスターシャが独自の世界観の持ち主であることを思い出し、ルシエラはこれ以上の口論は無駄と判断する。
「とにかく、フローレンスさんの手助けはいたします。ただし、わたくしは卑怯な真似はいたしません。これ以上の譲歩はしませんわ」
ナスターシャはテーブルにどさりと胸を乗せ、しばし不服そうな顔で思案していたが、
「まあ、そうでなければ協力が取り付けられんなら仕方ないの。くれぐれも愚妹を頼んだぞ」
渋々ルシエラの言葉を承諾して帰って行ったのだった。
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