ここではないどこか、へ行きたいという衝動です(高橋源一郎)

以下、高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』より。


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 読者は保守的です。読者は「楽しませてくれ」という権利を持つ王さまです。その、読者の楽しみのほとんどは、「再演」の楽しみ、いままで楽しいと思えたものを読む喜び、確実に楽しめる喜びです。そして、作者はその王さまのいうことを聞く家来――それが、いまの小説の悲しい実態です。


 だが、とわたしは思います。

 それほど長くはない、小説というものの歴史を眺めてみても、小説というものは(あるいは「文学」というものは)そんな従順な家来ではなかったのです。


 小説というものは、たとえば、広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から抜け出す少年、のようなものではないでしょうか。

 そこがどれほど居心地のいい場所であっても、見晴らしのいい、小高い丘に座って、遙か遠くの地平線のあたりを眺めていると、なんだか、からだの奥底からつき動かされるような衝動にかられる。それは、ここではないどこか、へ行きたいという衝動です。

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これ以上、何も付け足す必要はないくらい、小説が置かれている現状と、小説が本来どういうものであるかを的確に表現している。


生きていることに違和感や息苦しさをおぼえるとき、人は小説を書くものだと思う。しかしそれが、いつしか、他人の評価を気にするあまり、「「楽しませてくれ」という権利を持つ王さま」のために、せっせと同じような作品を「再演」するだけになっていることもある。すると、小説を書くということ自体が新たな息苦しさの原因になってしまうのだ。ランキングばかり気にしている人は、そうした「小さな集落」に閉じ込められてしまっているのかもしれない。


息苦しい集落を捨て、走り出したときに、小説は生まれるのだと思う。小説を書くことは、自由になることとイコールなのだ。

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