第9話




 クイックシルバーの銀色の球体はほどなくして僕達の前に現れた。結城の言うように狙った獲物は逃がさないタイプらしい。

 登場してから変わらない高度でフヨフヨと浮かんでおり、音も無く空中を滑らかに移動している様子は改めて見ると中々に非現実的な光景だ。そしてあんな球っころと戦う事になっている僕の状況も現実の事に思えないけれど、こちらは『Angel War』を始めた時からなので今更である。

 少し離れた位置にいる結城へ目をやると、樹の陰で右手にサーベル、左手に投擲スローイングナイフを持って臨戦態勢になっている。僕と目が合う。彼女は軽く頷いて『いつでもいいわ、そちらのタイミングで始めて』と『通信』を飛ばしてきた。

 オーケー、始めよう。今はリスクを飲み込んでチープなスリルに身を任せようじゃないか。もっとも、あの有名な歌とは違って失敗したら怯える明日は存在しなくなるがな!

 手に持った物から安全ピンを引き抜く。こうすると本体から安全レバーが飛んでいく。本来は本体の持ち方を工夫して飛ばないように握るのだけど、今はすぐに撃発させたい。レバーで押さえられていた撃鉄が信管を叩いて発火する。爆発まではわずか二秒。これは普通の物よりも短い。だけど関係ない。この距離ならもう投げるだけだ。レバーが飛ぶのと腕を振りかぶるのは同時。二秒経つ前に円筒形の物体は、僕の手から離れクイックシルバー目がけて飛んでいく。

 投げられたクイックシルバーは、さっきの結城の攻撃があったせいか触手を盾にせず、そのままムチのように振るって投げられた物を打ち落とした。地面に叩き落される物体。僕は叩かれた衝撃で壊れて不発にならないか一瞬肝を冷やしたけど、次の瞬間には期待通りの結果が起こった。

 地面に落ちた円筒形の物体が音を立てて爆ぜ、爆発的に炎が巻き上がる。高温の火炎が一瞬で球体の下で吹き上がってクイックシルバーの下部をあぶりだした。

 焼夷手榴弾。円筒形の本体内部に封入された薬剤によって摂氏約2000度にもなる高温の炎を発する。軍隊では強力な焚き付けに使われているそうで、実際にこうして発火点に生えていた草を秒で灰にしながら良く燃えている。思わず口から「……おぉう」などと変な声が出てしまう勢いだ。お値段は通常の手榴弾と同じ5BP。2500円のお高めな焚き火で、そして効果はお値段以上となる。

 僕が姿を現しているのにクイックシルバーは攻撃してこない。こっちに振るうはずの触手を地面の炎に対して振るい、何とか炎を消そうとしている。その場を離れればいいものをそうしない。混乱したり動揺したりしているのだろうか? 触手で叩いてもテルミット反応を利用した炎は簡単に消えるはずもなく、むしろ触手を炎にさらしてダメージを受けているようだ。

 クイックシルバーの弱点、高温の火炎。結城と『エンジェルブック』から教えてもらった情報を元にショップから急遽購入したのがこの焼夷手榴弾だった。第一段階成功。次に結城の第二段階だ。


「――いくよ!」


 炎が消えそうにないと悟ったのか、クイックシルバーがその場から後退しようと動きを見せたタイミング。ここを見計らって結城が樹木の陰から飛び出した。

 一直線に銀色球体目指して結城は駆け抜ける。当然それを迎撃しようと触手の槍が伸ばされるのだが、さっきとは違って狙いがまるで定まっていない上に触手槍の勢いも弱い。結城は余裕を持って避けて、クイックシルバーに迫っていく。話には聞いていたけど、ここまで弱体化してしまうのか。

 弱点である高温の炎を受けたクイックシルバーは、探知能力と運動性能が大幅に落ちると『エンジェルブック』にはあった。だからクイックシルバーを良く狩る天使は炎熱系統のスキルやアイテムを準備するのはマストなんだそうだ。クイックシルバーは外界を知覚するのに熱と音を使っているらしく、加えて高温で液体状の体の動きも鈍るので、高温の炎は目をふさぎ動きを遅く出来る効果的な攻略手段だとこれも『エンジェルブック』には載っていた。攻略情報が手軽に手に入るネット社会万歳だ。情報があるお陰でこうして作戦が立てられるのだから。

 クイックシルバーに肉薄した結城が回避した触手槍に飛び乗って、それを足場にさらに高く跳躍、クイックシルバーの真上に跳び上がった。サーベルを振りかざし、真下の球体目掛けて攻撃を仕掛ける美しい少女。非現実極まる幻想的な光景に僕は一瞬だけ魅了された。彼女は立ち居振る舞いが絵になるとは思っていたけどこれほどとは。

 もちろん魅了されてばかりではない。次の瞬間には僕も次の段階に向けて動く。といっても結城が攻撃を成功させたところでほぼ作戦完了ではあるのだ。現実はフィクションと違い、個人戦で強敵相手の戦闘でも長々と続いたりせずに数秒で終わってしまうのが大半だ。決着が付くときは一瞬。僕はその一瞬を逃さないようにクイックシルバーへと駆け寄った。

 この数秒はまるで数分に感じてしまうくらい次々と事態が動いていく。常人なら目にも止まらず終わってしまう出来事が、天使の肉体が持つ反応速度は加速していく世界の速さを捉えていた。

 クイックシルバーへ飛びかかる結城は、サーベルを持つ手とは逆の手を振るう。投擲用のナイフが三本、指に挟んで持っていたものが放たれる。クイックシルバーは当然のように触手を広げて盾を形成、防御しようとする。しかし火炎による弱体化は防御にも影響があったのか、盾を形作る速度は目に見えて遅くなっていた。そのため投げられたナイフ三本の内二本が防御を抜けて本体の球体に突き刺さった。

 突き立ったナイフはさっきと同じく発火、激しい炎を出す。作戦会議中に結城から教えてもらったものだが、あれはナイフに『付与』の汎用スキルで炎熱の特性を付けているそうだ。一般的な物品でも界獣に通用するように出来るのが『付与』のスキルと思っていたが、こういうRPGの付与魔法じみた芸当も出来るらしい。結城に言わせると特性の付与こそが『付与』スキルの本来の使い方だそうで、彼女は主にナイフに使って投げるやり方を好んでいるのだとか。

 ともあれ、下から炎で炙られていたところを上から炎のナイフが突き刺さるなど弱点で攻め立てられたクイックシルバーは、触手がまともに動かなくなっていく。ナイフに続いて球体に襲い掛かる結城にとっては切り時だ。


「やああああぁぁっ!」


 気合の入った声を上げ、クイックシルバーにサーベルを振り下ろす結城。ナイフを投げて空いた手もサーベルの柄を握り、両手持ちで振り落とされる刃は防御不能の正しく必殺剣だ。

 刃を受けたクイックシルバーは真っ二つになる。まるで漫画かアニメのように綺麗に切れて、元から宙に浮く非現実的な球体が前衛芸術じみた半球になった。その半球の断面は銀色一色ではなく、中心部分に赤く硬質なキューブらしき物が見えた。ネットでの情報ではこれが核で、クイックシルバーの本体とあった。核を破壊しない限り銀色の球体は何度でも再生するとも。厄介な特性だ。だから早々に終わらせる。これが最後の三段階目だ。

 焼夷手榴弾が生んだ周囲の高温に耐えながらクイックシルバーに走り寄る。焼夷手榴弾自体は十秒もせずに薬剤が切れて炎も消えたが、熱せられた空気が熱くて息苦しい。気のせいか髪の毛先がちりちりと焦げている気がする。それでも過分なスリル体験を終わらせるにはこれが一番手っ取り早いと分かっているから動きに淀みは無かった。

 感覚として必中を確信できる距離まで足を進め、手は移動している間にも動いてスコーピオンのストックを伸ばして射撃体勢にもっていき、目算で3mの至近まで半球になったクイックシルバーに近寄る。腕を上げ、伸ばしたストックは肩につけ、銃口を跳ね上げる。狙いはもちろん中心部のキューブ。淀みも躊躇いもなくトリガーは引かれた。

 火薬が連続して爆ぜ、空薬莢が飛び散り、手と肩に反動が返ってくる。時間にして数秒、20発の弾薬が全て撃ちつくされて決着はついた。


『界獣:クイックシルバーを撃破――10000BP獲得』


 スマートホンに通知が入ったので、撃破成功は間違いないだろう。僕はここでようやく一息つけた気分になれた。良く見れば銃弾で蜂の巣になったクイックシルバーの核から赤い色が失われて灰色になっている。あれが活動停止した状態なのだろう。

 それにしても、1万BP、全て日本円に換金すると500万円か。日々あくせく労働するのが馬鹿らしくなる数字だな。もちろん相応に命がかかっているのは承知しているが、それでもだ。

 焼夷手榴弾で動きを鈍らせ、結城の防御を無視する斬撃で球体の中身を露出、そこに回復する間を与えず僕が銃弾を見舞う。まとめてみると簡単に聞こえてしまう作戦とも言えない作戦だった。情報を調べる際に『エンジェルブック』を見たとき、このクイックシルバーをコンスタントに狩る上位陣の天使が存在している事を知った。その連中からすればお粗末な戦い方だったかもしれないな。それでも勝ちは勝ちだ。

 結城の姿を探してみると、クイックシルバーを挟んだ離れた位置にいた。サーベル片手に油断無くクイックシルバーの亡骸を見下ろして、残身しているように見える。いちいち絵になる少女だ。

 クイックシルバーの半球の形が崩れて細かな粒子になって消えていく。他の界獣と同じ消滅現象だったが、大型に区分されているせいなのか飛散していく粒子の量が多くて、ワニよりも宙に飛ぶ濃度が高い。

 程なくしてクイックシルバーの体が全て崩れて、濃い粒子になって空中に飛散していく。僕と結城の間に粒子のカーテンが引かれて、彼女の姿が少しの間隠される…………これは、チャンスではないか?

 送り主不明の相手から警告を受けて裏の『エンジェルブック』を見て以降、僕の中で膨れていく考えがあった。そのために少なくないBPを使って備えもしていた。向こうも仕掛けてくるなら今のタイミングではないかと思う。


 粒子のカーテンが消えるまで数秒。スキルを一つ実行するには充分な時間だった。さて、どうなる?


 □


 結城花蓮は細かな粒子になって消えていくクイックシルバーを見ながら、安堵の吐息を漏らした。終わってみればあっという間の決着だったが、少しでも何かがズレていれば死んでいるのは自分達だった。

 クイックシルバーはそれなりに経験を積んだ天使でも不覚をとることがある油断できない界獣だと『エンジェルブック』にはあった。複数の目標に対応できる触手槍の手数の多さ、飛んでくる銃弾にも間に合わせる速い防御、逃亡を許さない機動性、多少戦闘経験を積んだ程度では太刀打ちできないシンプルな強さを持っている。必要なのは弱点の高温の炎を用意するのと、防御を貫くだけの攻撃力、後はこの二つを上手く戦いに組み込むセンスだろうか。幸運なことに結城と雪代の二人はこれらを持っていた。

 弱点が炎だと知っていた結城だったが、手持ちの『付与』の炎を付けたスローイングナイフでは文字通り火力不足だった。それを雪代が用意した焼夷手榴弾が解決した。天使ごとに汎用スキルやショップで売られるラインナップは微妙に異なっているのは知っていたが、雪代はどうやらファンタジー路線よりもリアル志向のラインナップだったらしい。今回はそれに助けられたと結城は思う。すぐに使える消費型の高火力アイテムというのはなかなかに魅力的なもので、BPさえあれば一定の火力が見込めるのは頼もしい。


「……少し、惜しいかな?」


 安堵の吐息は軽いため息に変わっていた。ついで思っていたことがぽろりと口から洩れる。おっと、と手を当てて物理的に自分の口をふさいだ結城は雪代の様子を見ようとクイックシルバーのいた方向に目を向けた。

 サイズの割りに大型界獣に分類されるだけあってか、消滅する時に飛ぶ粒子の量が多く濃かった。それももう晴れて、クイックシルバーは跡形もなく消滅。残されたのは高温の炎で焼けた地面と戦闘であちこち壊れた公園ぐらいだ。リアルの空間だったら大騒ぎになるところだが、『フィールド』での破壊はリアルには伝わらず、時間の経過で破壊された跡も元の状態に戻っていく。どういう理屈が働いているのかは天使歴半年の結城も知らないが、『フィールド』での出来事が外に一切知られないという一点が分かっていれば問題は無かった。

 界獣の消滅した向こう、そこには二週間ほど前から結城が行動を共にしている雪代の姿があった。細く小柄な体を包む衣類は黒い革のスリムパンツにシャツにジャケットと黒ずくめで、モノトーンの色彩をしている。結城と同年代かやや下に見える幼さが混じる顔立ちは整っていおり、涼やかな雰囲気と合わさって見る者に大人びた印象と幼気な印象が重なる不思議な魅力を感じさせる少女だ。

 雪代はクイックシルバーが消滅した跡の地面をしばし見ていたが、結城の視線に気づいて顔を上げる。その動きに合わせてサイドテールに纏められた黒髪が揺れる。綺麗な髪を持っているのに髪の扱い方が今一つなのが結城には不思議だったが、サイドテールのやり方を一度教えたら次の日からは綺麗に整えてくる辺り吞み込みは良いのだろう。髪を纏めるゴムは結城からもらったヘアゴムで、毎回これなのだから律儀な性格かもしれない。


「すいません、僕が止めを刺すことになりましたからBPがこっちに来ました。1万です」


 雪代は申し訳なさそうに頭を下げつつ結城へと歩いていく。作戦どおり結城の斬撃で仕留めきれない場合の後詰めではあったものの、一度に大量のBPを手にした事が後ろめたい気分にさせているようだ。雪代としてはさっさと結城に配分通りに分けてしまいたいのだろう。

 結城としては全く気にしていない。むしろここまでBPの取り分を気にする天使も珍しいと思っている。彼女はこれまで何人かの天使と関わった経験があった。『Angel War』というアプリの性質上、関わった相手は同年代の少女ばかりで、歳相応に我の強い者が多かった。だからかBPの取り分についても先に取ったもの勝ちという気風があって、事前に取り決めがあっても揉める事があった。雪代のように軋轢を避けて取り決めを遵守しようとする姿勢はある程度社会経験を積んだ天使に見られる傾向で、何かバイトとかでそんな経験を積んだのかな? と結城はそんな所感を持っていた。

 繰り返すが、結城は本当にBPの取り分云々なんて気にしていない。気にする必要が無い。


「いいのよ作戦通りなんだし、分け前だって事前に決めてたし。謝るところなんてどこにも無いわ。むしろここはやったー! って言うところよ」

「そ、そうですか? なら、やったー?」


 結城に促されて結城が恥ずかしそうに小さく両手をバンザイの形に上げてみせる。結城の狙い通りに。


「――――――あぐっ?」


 軽い衝撃をみぞおちに受けて変な声が出てしまった雪代はそこに目を向ける。自分の体には金属の刃が生えており、その柄を握っているのは結城であった。

 結城がサーベルで雪代の体を突き刺した。それだけを理解するのに雪代は数秒必要だった。そして痛みと驚きに顔を歪めていき、上に上げた手を刺されたところに持っていこうとした。その前に結城は手早くサーベルを引き抜き、返す刃で雪代の胴体をなぎ払った。固有スキル『絶対切断』がのったサーベルの刃は一切の抵抗なく装備、筋肉、骨、内臓をスルリと切り抜いてしまい、へそのラインで雪代の肉体を真っ二つにしてしまった。

 地面に落下する雪代の上半身。遅れてその場に倒れる下半身。血液をはじめとした体液が流れ出て、腸が切断面からまろび出る。痛みで苦悶する顔が土で汚れる。雪代の整っている顔立ちは結城にとってそれでも可愛らしく見えて、胸の奥から突き上がってくる喜悦が止められない。止める気もなかった。


「天使の体って結構頑丈だから上半身と下半身が分かれてもすぐに死んだりはしないわ。そんな状態になっても『フィールド』から離脱して回復した天使もいたって話があるから。だから――」

「ぎゃっ!」

「離脱のために使うスマホ、それを扱う手を切り落とせば何も出来なくなる。今の貴女は手も足も出ないダルマちゃんよ」


 再び振るわれるサーベルは雪代の両腕を的確に切り飛ばし、一切の抵抗が出来ない体に加工していく。刃を振るう手際は手馴れたもので、まったく躊躇いがない。喜悦に浸りだした結城の顔は獲物をいたぶるネコ科猛獣じみたものになっていた。


「はぁ……はぁ……な、何でこんな事を……?」

「テンプレートな質問ありがとう。こういう事すると大体みんな似たような事を聞いてくるのよね。簡単に答えちゃうと、楽しいから」

「……え……?」

「貴女には教えていなかってけど、こういう天使が他の天使を殺しちゃうのを『天使喰い』って言うのよ。この『Angel War』ってさ、天使同士が殺し合うのを禁止してないし、むしろ推奨している節さえあるの」


 一切の抵抗が許されず、痛みと出血で意識を保つのに精一杯の雪代に結城は滔々と語ってみせる。その姿はネコが仕留めた獲物を嬲る様子に似ていた。

 結城は得意げに語る。天使が他の天使を殺せば、殺害された天使の強さ、過去の功績、位階に応じてBPが殺した天使に与えられる。加えて殺された天使が持っていたBPも全て総取りできる。ちまちま小型界獣を狩っているよりも効率的で、別段ペナルティーもない。『Angel War』は界獣との戦いが繰り広げられるのと同時に天使同士の戦いも巻き起こる熾烈な世界なのだ。

 天使が徒党を組むことが多いのは信用、信頼ができる者同士で身を守るためであり、同時に一匹狼の天使も多いのは信用、信頼ができる者が手近に居ないから。仲間以外、もしくは自分以外の天使は基本的に敵、そう見なすのが天使達の基本スタンスになっているらしい。


「――だからね、貴女みたいになりたてで周りに仲間になってくれる人がいない新米の天使って狙い目だったりするのよ」


 私にとってはね、と言いながら結城は雪代の体を踏みつける。踏み付けられたせいで雪代の体からさらに内臓が零れ落ちていき、痛みと苦しみで息が荒くなっていく。その様子に結城の表情は一層深い笑みの形になって、唇は三日月を描くようになっていた。


「何にも知らない子に色々と教えて、その子の表情が親しくなっていくたびに変わっていくのが良いのよ。充実しているって実感が湧くわ。そして最後に裏切られて絶望した顔を見せた時がクライマックスね。新米の天使でも狩ったらそこそこのBPだし、精神的な満足もできる。一石二鳥、こんな楽しい娯楽狩りは他にないでしょ」


 下半身を失い、両腕も切り飛ばされて文字通り手も足も出ない雪代を結城は嗜虐心に満ちた気持ちで見下ろす。今の彼女に後悔があるとすれば、早々に抵抗力を奪ってしまったせいで雪代の表情から急速に生気が失われている点か。ダルマにするのが早かったな、と内心反省していた。これでは嬲り甲斐がない。

 語っている内に結城は反応の薄くなってきた雪代に飽きてきた。次の子はもう少し丁寧に嬲ろう。そんな事を内心思いつつ、サーベルを振り上げて止めを刺すとした。


「じゃあ、終わりにしましょう。バイバイ」

「お前がな」

「――っ!?」


 唐突に返ってきた言葉は結城の真後ろから。同時に彼女の後頭部は固い金属の感触を感じた。そしてそれが結城花蓮の最期だった。

 耳を聾するはずの轟音と特大の衝撃があったかと思えば、それらは一瞬にも満たない刹那の時間で結城の意識全てを彼方へと吹き飛ばしてしまったのだった。


 ■


 何を思う事無く結城の頭に一発、二発、倒れても攻勢を緩めず三発目を撃ち、続いて心臓の位置に照準を移して残る全弾撃ちつくす。

 空になったマガジンを抜いて、新しいマガジンを差し込む。――む、確かこの系列のマガジンの入れ方はコツがあって、先端を引っ掛けて回転させて装着するんだったな。慣れるまで大変だ。

 新武器の扱いに戸惑いながらも倒れた結城の体から目を離さない。他ならない本人が天使の丈夫さについて語ったのだから。これだけ蜂の巣にしても生きている可能性はあるかもしれない。油断せず生死を確認する。

 12番ゲージの00バック弾という散弾を五発結城にお見舞いしてやった。散弾実包一発につき大粒の散弾が九個入っているので、結城の体は四十五発の銃弾を受けたのに等しい状態になっている。至近距離で撃ったせいか発射ガスまで入り込み、結城の体を若干膨らませ、体内がグズグズに崩れている。銃撃の衝撃で醜く飛び出た結城の目玉を見やりつつ、新武器の威力に満足感を覚えた。


「いいな、コレ。新しいスキル共々使い勝手が良いし、僕好みだ」


 我ながらナイスチョイスと手に持った新武器を見ながら自画自賛してみる。サイガ12。あのカラシニコフ突撃銃AKアサルトライフルを主力製品にしているイズマッシュがAKをベースして開発したセミオートショットガンが手にある銃になる。

 見た目はもちろん、操作感覚、内部構造までAKと大差ないというレポートをガンマニア御用達の雑誌で読んだことがある。金も時間もない日本在住の僕が本物の銃器を撃ち比べする機会なんてないので、サイガのことをAKと比べてどうこうと批評できない。けれどこうして実際に使った感触で言うなら頼もしい武器が増えたと思える。

 腕にかかる重量感は鋼で作られた武器の信頼性を感じさせ、撃った時の12番ゲージ実包の反動は高威力を保障する頼もしいものだ。これまでコンパクト拳銃に小型サブマシンガンと比較的小型の銃器を扱ってきたので、フルサイズのショットガンはとても大きく感じられて、新鮮な気分になっていた。

 素早い動きをする近接戦闘者の結城花蓮を捉えやすいようショットガンを選んだのだが、どうも自覚のなかった心の琴線に触れるものがあったみたいだ。サイガ12はすでに僕の中でお気に入りになろうとしていた。

 そしてもう一つがスキル。公園の整えられた地面に結城と一緒に転がっている少女の体。結城のサーベルで綺麗に真っ二つになり、内臓をもろ出ししており、特殊性癖の人間だったら大歓喜の姿になっている。

 僕がスキルを解除すれば少女の体はテレビの電源を切ったように唐突に消滅する。この消え方は界獣とはまた違う消え方で、スキルによって生まれたものの消え方らしいと『エンジェルブック』にはあった。この『Angel War』にもゲームの様に検証班みたいな集まりがいるようだ。こういう情報のお陰で僕は助かっているのだから感謝しかない。ありがとう、お陰で良いスキルを手に入れたよ。

 スキル名『鏡面分身』。名前から察せられるようにスキルの使用者そっくりの分身を作って操作する汎用スキルになる。分身はスキルこそ使えないが、身体能力は使用者と同じ、操作も使用者がイメージするだけで動いてくれる簡単操作、分身のダメージは使用者には及ばないので囮から手数を増やすことまで幅広く応用が利く有用なスキルであると『エンジェルブック』では紹介されていた。

 ネックは習得に必要なBPが多く、ショップのラインナップにのっている天使も少ないので簡単には手に入らないところだ。これは結城と一緒に数多くの大型界獣を狩ったおかげで費用は調達できた。信用を得るため一緒に狩りをしたせいで、結果として彼女は自分の首を絞めていたようだ。この辺りは実に皮肉な話だ。


『大天使:結城花蓮を撃破――BP100000と大天使が所有していたBPを獲得』

『戦績が一定数になったため天使:雪代キリンは昇格します』

『位階:大天使に昇格しました』

『条件が満たされましたので固有スキルが解放されます』


 スマートホンには『Angel War』から怒涛の様に次々と通知が届いてきた。内容は結城の死亡確認に、位階の昇格に、固有スキルのロック解除か。一気に来たな。

 出会った当初から薄っすらとした感覚を結城には感じていた。それが具体的に獲物を狙う獣の気配だとか殺気だとかにハッキリとしたのは、やはり例の差出人不明のメールからだった。

 裏の『エンジェルブック』とでもいうべきアングラ系のサイトには天使同士の殺し合い『天使喰い』の情報が載っていた。結城が冥土の土産みたいな風で語った話は裏の界隈では常識であり、人々の営みの裏側では天使と界獣、あるいは天使同士の殺し合いが日々行われているようだ。

 『天使喰い』の出現情報も裏では流れている。僕が住んでいる地域にも出現していると思われているようで、天気情報の注意報めいた表示がされている。情報を追ってみれば、結城が活動していた半年前から結構な頻度で新人の天使が『喰われている』。あのメールの差出人が警告したかったのはコレのことだったと思われる。その結城も今はこうして死んだのでこの注意報も解除されるだろう。

 ぐずり、と軽く音を立ててから結城の死体が形を崩して細かな粒子を散らしながら霧散していく。肉体が崩壊していくプロセス、周囲に散っていく光る粒子、髪の毛一本も残さず消滅していくその様は、界獣の消滅する様子と全く同じものだ。『Angel War』のヘルプや『エンジェルブック』にも載ってはいない。ただ、直感として界獣と天使は根が同じものであると僕は思った。

 敵と同じ力で戦うって、仮面ライダーかよ。くだらないジョークが脳裏をかすめて乾いた笑いが口からこぼれていた。笑い……そう、人を一人殺しておいて僕は笑えるみたいだ。


「さようなら、結城花蓮。色々とありがとう」


 笑いの表情のまま僕は粒子を散らして消えていった結城を見送った。信用を得るため、最後は全部持っていくためとはいえ、情報やBPと貰ったものは多い。だから礼の一つは言っておくべきだろうと思った。

 『フィールド』から出て、通常世界の自然公園に戻る。そこには『フィールド』であった戦闘の痕跡なんて一切無く、冬の終わりを告げる暖かい風が閑散とした公園に吹いていた。世は並べて事もなし。さっきまであった筈の戦いを知っている人間は居ないし、今日ここで一人の少女が消えたのを知っている人間も居ない。平和な地方都市の風景があるだけだった。

 カメラや人の目がないのを確認してアプリを終了させ、変身を解いた。少女の肉体から成人男性の肉体に。今日は近場のスーパーに寄って惣菜と酒を買って家に帰ろうかと思った。無性に酒を飲みたい気分だ。



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