第4話 元人間とロボットと
深夜、皆が寝静まったころ、ブラッド一号がこっそり屋敷を抜け出して、森に入っていくことを、たった一人が知っていた。高見が知ったら、「なぜ自分でなくて、よりによって奴なのか」と嘆いたろうが、「ヨリもなにも、熟睡してたおめーが悪い」と相手はすげなく言ったろう。
この夜な夜なの奇怪な行動は、長いスパンでは二日おき、短いときは二晩続けて行われ、戻ってきたときのブラ公は、なにかヤラしいことでも済ませたかのように、やけに晴れ晴れしい顔を月光にテカらせ、ドアを静かにあけて自分の部屋に戻るのだった。
ブライトンの家は教会の裏にある。元は貴族の邸宅だったのが、持ち主の亡命で売り払われたもので、二階家で意外とでかく、音を立てなければ住民に気づかれずに出入りできる。ブラッド一号の部屋は一階の奥、もとは客間だったのでソファがあったりと、わりと豪華だ。ちなみに他の二人も客間を一室ずつあてがわれ、三食もついて、居候の身でなかなか贅沢な暮らしである。といっても、飲み食いは高見ひとりしかしない。
もう片方は、どうかというと――。
「私の動力は電気だから」
泉のほとりで、岩に腰掛けた榊は、ブラ公に言った。向かいで膝をついているロボットは、決まり悪そうに上目づかいで見た。月明かりで白く浮かぶその口は、どす黒い血がべったりで喉までしたたっている。そしてわきに転がっているのは――首のない生き物だった。
「デンキ。分かる?」
「わ、わかります……」
やっと口をあいたが、気まずいトーンは顔と一緒だった。
「なにかを動かすのに使う――雷と同じものですよね」
「そう。今のところは体内の電池が持ってるから動けるけど、切れたら止まるわ」
「機能停止、ということですか。でもここには電気はありませんよね。雷くらいで」
「まあ、高見が何か考えるかもしれない――なに、そのうれしそうな顔」
「い、いえ、べつに」
「よほど高見が好きなのね、あなた」
元人間とはいえ、好き嫌いの感覚は完全になくなっているので、格別興味もなく、すぐ話題を戻す。
「あなたの場合は、そこらにいくらでも燃料があっていいわね」
「はい、でも」
わきの死体をちら見し、膝立ちをあぐらにして地に目を落とす。眉は下がり、かげりいっぱいの顔で続ける。
「生き物を殺すのは、とても申し訳ない気持ちになります……」
榊は睡眠を取らないので、じつはブラ公のこの行動は数日前から気づいていた。今夜は昨夜から立て続けだったのと、足音でブライトン氏の部屋の前を通ると分かったので、なにかあっては、とあとをつけたのである。なにもなく通り過ぎて裏口から出たが、なにをしているのか確認しておく機会だと、そのまま森まで尾行したのである。
「だから皆に言わないの?」
これは人間がよく持つ「後ろめたさ」の感情だと思い、榊はそう聞いた。自分は元人間で、こいつはロボットだが。
「私がすることは、基本的に人に嫌われるらしいので。チヅエさんは違いますが、これは、いくらなんでもドン引くかと」
「いいんじゃない、それだったら」と死体を指す。「人間だったらヤバいだろうけど」
「そ、そんな、人を殺すなんて、なんて恐ろしい!」
目が飛び出そうになって叫ぶロボットを見て、榊は高見の言葉を思い出した。
「いいですか、ブラちゃんには、彼女が過去にしたことを絶対に言わないでください」
鬼のような形相で釘を刺す部下。もちろん当人のいない場所での会話である。
「今のあの子が、自分がなんなのかを知ったら、もんのすごいダメージで精神が崩壊するかもしれない。そしたら、なにするか分かったもんじゃない。それで死人が出たら――」
「歴史への介入、でしょ?」
「そうです!」
歴史介入は、いまや榊を止めるマジックワードである。ヤバそうなときは、とりあえずそれ言っときゃ、なんとかなる、みたいな。そして、高見がそう思っていることを榊のほうは知らないし、知る気もない。気になるのは任務のことだけだから。
人間なら、うっかり口を滑らすことがあるが、ほぼ全身機械、顔の皮膚くらいしか人の痕跡がない榊は、そんなへまはしない。かつてなら、この殺人ロボットにすさまじい憎悪を燃やしたものだが、今はこいつが二十一世紀の東京で何万人も殺害した大量殺人鬼と分かっていても、気にもならない。
だが、こいつの今の状態は多少、気になる。任務にかかわってくるからだ。
「まあ人間だって動物を食って生きてるんだし」
言って腰をあげ、歩いてきて野豚の死体を蹴る。首はもがれて泉に放られて沈んでいる。胴体は豚にしてはやせこけているが、血が大量に抜かれているからだ。
そのとき、ブラ公は背後の物音に気づいた。振り向けば、そこには十数匹ほどの狼の群れがいた。この口をあけ牙を見せてうなる姿を見たら普通は恐怖するだろうが、彼女はぱっと立ち上がるとくるっと対峙し、右手を向けた。手首がすぽっと引っ込み、中から四本の長いサーベルのような刃が、すーっと出てきた。
榊は「やはり」と思った。一メートル以上もある、この銀色にギラつく凶器が、かつて無数の犠牲者を切り刻んできたブラッド一号メインの武器、「回転刃」である。
刃は出きると、花びらのようにわっとひらき、プロペラのごとくぐるぐる回転し始めた。その異様さにヤバいと気づいた前列の狼たちが退こうとするせつな、ブラ公は突入して刃を押し込んだ。狼たちは犬のような悲鳴をあげて頭からズタズタに切り裂かれ、骨も難なく切断された。ほとばしる返り血を顔に浴びて、ごくごく飲むロボット。さっきの豚は首を一本の刃ですぱっと切り、両手で体をかかげて血をしぼって、首の切り株から吹き出す血を飲んだが、それではまだ足りなかった。
狼の群れはあっという間に肉の山になり、ブラ公の燃料になった。終わると、泉で体と顔を洗い、血を落とした。
「これだけ飲めば、あさってまでは持つと思います」
元の清楚な女子高生になって晴れやかに言ったが、不意に申し訳ない顔になる。
「すみません、このことは誰にも言わないでもらえませんか?」
「いいわよ。言っても意味ないからね」
ふと疑問がわいた。
「血は動物で、かまわないの?」
「はい、どうも私は血で動くようなので。魚でもいいかもしれませんが、それだと少ないですから」
「人間を見て、なにか感じたりしない?」
「なにか、とは?」
「血が欲しくなると、ここへ来るわけでしょ。その前に、たとえばブライトンの家で誰か――ホリスとかを見かけても、なにも感じないの?」
「えっ……まっ、まさか! なにを言うんですか?!」
意味がわかり、むっとして叫ぶ。
「ホリスさんに、そんなことを思うはずがないでしょう! そ、そんな、おぞましい、恐ろしい。うわあ、やだやだ」
目をむき、自分を抱いて身を震わせておののくブラ公に、冷たい目を向ける榊。
「じゃ、ホリスの血を飲みたいとは思わないわけね?」
「あたりまえです! ホリスさんだけじゃない、人間の血を飲むくらいなら、豚や狼のほうが全然マシです!
というか、好きで血なんか飲んじゃいません! 仕方なく、です!
わ、私だって、人間のような食事が出来れば、どんなにいいか。ホリスさんやチヅエさんと一緒に食卓を囲めたら――あ、榊さん、あなたもです」
「いいわよ、気を使わなくて。私は何も思わないから」
「そ、そうですか」
なにか気の毒そうな顔をしたので、榊は聞いてみた。
「私を哀れんでる? あなたみたいな感情がないから」
「い、いえ、そんなことは。ただ――」
いったん目をそらし、また控えめな顔で見つめて言う。
「元から機械の私が、こんなに怒ったり悲しんだり、好きとか嫌いとかやってるんで、元は人間のあなたが、いったいどう思うのかなって、ちょっと気になって」
「まあ、見てて大変そうだとは思うわ」
榊は昔のことをあれこれ思い出したが、どれもデータでしかなく、頭の中はなんの反応もなかった。
「脳がコンピューターになる前は感情があって、いろいろめんどくさかったらしいけど、今はもう覚えてないし。前より楽らしいけど、つらい苦しいがないから、楽とも思わない。なにもないわね」
「高見さんは、私に感情が芽生えたと言ってました。機械でも精巧になると、動いているうちに感情というものが発生するらしいです。ということは、」
不意にぱっと笑みを浮かべる。
「榊さんは元が人間なんだから、これから私以上に感情がおきる可能性があると思いますよ! 誰かを好きになったり、嫌いにもなるけど、大事に思ったりするのは、とっても素敵なことだと思います。あなたも、きっとそのうち――」
「そうね」
言うや、背を向けてさっさと行ってしまったので、ブラ公はきょとんとした。
榊は歩きながら、なぜ自分がああも逃げるようにあの場を去ったのか、と思ったが、急に電池が惜しくなったせいかもしれんと、それ以上は考えずに自分の部屋に戻った。
とにかく、これでひとつ分かった。今のブラッド一号は、人間を殺す必要がない、ということだ。
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