第3話 恐怖を呼ぶお手伝いさん

 とりあえず、はっきり分かっていること三つ。


 一、榊エリ隊長と高見副隊長の二人と、彼らに追われているブラッド一号が、20××年の東京から、1890年のトランシルバニアへタイムスリップしたこと。


 二、そのブラッド一号が、時間を超えたときに何かあったのか(榊の説では、時空のゆがみが作用したのではないか、とのことだが)、人工頭脳の構造が著しくひょう変し、何も考えず人を殺して血を飲む殺人マシンから、素直でおとなしく、自分よりも相手の気持ちを優先するような優しさを持つ、礼儀正しい模範的な「ロボット」になってしまったこと。

 また不要なので会話はおろか声も発しないよう設計されているはずが、表情豊かになって、べらべらしゃべっていること。さらに、必要なときは涙まで出る。


 三、さらに、彼女(こいつには性器がなく性別の違いはないが、女子高生型に作られているので、便宜上そう呼ぶことにする)は燃料である人間の血がなくなると、全ての機能が停止するはずだが、どう見ても体内の血液が残らず流れ出たにもかかわらず、普通に動いたり話したりしている。

 燃料なしで動けるはずもないので、別の何かを使っているのかもしれないが、詳しく調べないことには原因は全く分からない。これも脳と同じく、タイムスリップ時に、そのように変化したのか。





ブラッド一号は、あの夜あの森でトナカイにおびえ、闇雲に時速百キロ以上のスピードで野山を一気に駆け抜け、行き当たった、このブライトン教会に飛び込んだ。そして二人の追っ手が探しまわる、わずか三十分たらずのあいだに、その海のように重く膨大な涙と、海よりも深い慈悲と優しさ、それに強固な決断力と行動力によって、ここのおかみからゆるぎない信頼と愛を勝ち取った。

 しかもそれには、なんらの打算もなければ、拒絶へのおそれもなかった。守るべき自分ははるか後ろで、まず優先すべきは目に映ったものだった。この驚くような自己放棄と他者への奉仕は、本来ロボットが持つべき特性であり、それを今の彼女は完璧に備えていた。

 が、それでもアシモフのロボット三原則を完全に守ってはいないところは、以前暴虐マシンだったころのわずかな残りかすのように、黒い影を引いていた。



 この三原則は、別に権限があるわけではなく、たんにいちSF作家の作った小説上の設定にすぎなかったが、ロボットが人間に対して守るべき法というか縛りである。


 一、「人間を傷つけてはならない」

 二、「人間の命令に従わねばならない」

 三、「自分を守らねばならない」


 以上の三項目だが、二は一に反すると無効で、三も一か二に違反すると、やはり無効になる。人間の保護が最優先のヒューマニズムによるものだが、人の言うことをなんでも聞くブラッド一号は、一と三に違反していた。



 だからって罰せられるわけでもないが、高見は彼女を時おり物陰に引っ張って、声をややひそめて、「教育」した。

「榊の言うことの大半は間違ってるから、聞かないで。スクラップになれとか、死ねとか言っても、気にしなくていいから」

「でも、なにかご迷惑をおかけしたとか、それなりの理由があると思いますが……あっ」

 急に気がついて、言った。

「そうですね。そのようなことを言われたら、とりあえず無視します。教えていただいて、ありがとうございます」

 そしてまた深々と頭を下げるので、毎度のように、高見はあわてて両手で制した。

「そんな、いちいちいんぎんにならなくていいよ!


 ……でも良かった、ちゃんと分かってるんだね」

 高見の微笑に、ロボットも、うっすらと微笑を返した。

「はい。私がいなくなると、ホリスさんがとても悲しみます。それはきっと、とても間違ったことですよね」





 ブラッド一号はブライトン教会へ来てから、追っ手の二人を含めて、居候のような存在になり、しばらく滞在した。高見たちは彼女の「お友達」だから、ブライトン神父も邪険にはできず、もちろんカミさんは大歓迎だった。


 高見たちも、自分たちの時代へ戻る手段が見つからないうちは、うかつに次の行動に出るわけにはいかなかった。榊は内心ではブラ公さえ破壊できれば、あとは自分たちがここで死のうが消えようがどうでもよかったが、高見に歴史介入の問題を言われて、今のところは強引な任務遂行は控えている。

 が、それでも、いつまた何かのきっかけで気が変わるか分からない。いまや高見にとって恐ろしいのは、間違いなくブラ公ではなく、榊のほうだった。




 ブラ公(こう呼ぶのは主に榊だった)はブライトン家のお手伝いというかメイドのようになって居ついたが、ブライトン氏はまだ彼女を信用してはおらず、それはあることで決定的になった。彼が森から薪を取ってくるのを見たブラ公は、すぐに森に入って、あるものを背負って戻った。


「い、いったい、どうしたのだ、それは?!」

 驚く彼の前で、ブラ公はそれを地に下ろしてにこやかに言った。

「暖炉やいろいろなことで使いますよね? 次からは私が取ってきます」

 しかし、ブライトンの前に転がったのは、幅一メートル、長さ二メートルほどのロール型のぶっとい丸木で、とても一人の少女に耐えられる重さではない。それを背に乗せてひょいひょいと持ってきたのである。


 神父はさらに嫌な予感に、丸木をわなわなと指さした。

「そ、それを、どうやって切った?」

「ああ、こうしたんです」

 ブラ公は高らかにジャンプして木に飛び乗ると、平手を打ち下ろして幹をチョップした。巨大な斧でも使ったように、大木はバコンと音を立てて、たやすくまっぷたつに割れた。


「ひいいいー!」

 叫んで腰を抜かす彼に、少女はほがらかないい笑顔を向けた。

「今、細かくしますから、薪にしてください。あ、もしかして」

 不意に顔が曇り、上目遣いで聞いた。

「いけなかったですか? 森で手ごろな木を見つけたので、手で切って短くして持ってきたんですけど。すみません、勝手にやってはいけなかったのでしょうか?」


 そこへ騒ぎを聞いて二人の「お友達」が出てきた。

「ど、どうしたの?!」

 あわてて聞く高見の隣にいる榊は、相変わらずなんの表情もなく腕組みしている。

「あら、木を倒したのね」

 まっぷたつの丸木を見て、なんでもないように言う。

「いいわね、これからは薪を持ってくる手間がはぶけて」


「ば、化け物おおおー!」

 すっかりビビりきった神父は叫び、指さして腰を抜かしたまま、ずるずると後ずさった。それを見て、またなんでもなく言う榊。

「なにビビってるの。このくらい、私でもするわよ」

「あ、そうなんですか」

 言ってきょとんとするブラ公を引っ張って教会の壁際につれ、また恒例のひそひそをやる高見。


「あ、あのねブラちゃん、その力は人前で出さないほうがいいから。てゆうか出しちゃだめ。出すな!」

 終いには大声が出て、またあわてて声をひそめる。

「ととととにかく、あんたは自分が普通じゃない、という自覚を持って」

「でも、この力はとても人の役に立ちます。悪いことに使わなければ、使ってもよくないですか?」

「えっとね、人間は、みんながホリスさんみたいに、あなたを好きなわけじゃないの。君がいい子だって分かれば気に入るかもだけど、知らないうちは、その怪力とかを絶対怖がるから。むやみに見せないほうがいいんだよ」

「ええと……高見さんは、」

「千津絵(ちづえ)でいいよ」

「ちづえさんは、私が怖いですか?」

「えっ、いや、それは……」

 困った。


 怖いといえば怖い。

 性格がまるきり変わっているから、てっきり力もなくなっているかと思ったが、そんなことはまるでなかった。どんなにいい子でも、人を殺しかねないパワーがあるのはヤバい。しかも言っちゃ悪いが、この子はバカではないが、頭がいいわけでもない。うっかり殺人くらい軽くしかねないと思う。

(でも、)と高見は眉を寄せた。(だからこそ、この私がしっかり導いてやらなきゃいけないんだ)


 彼女はいつの間にか、無意識にこのロボットの教育係になっていた。もっとも、放置してなにか問題が起きたら、榊にうるさく言っている「歴史への介入」が生じるわけだから、それはなんとしても避ける必要があるのだが。

 じつはこの「歴史への介入」は、ブラ公の破壊を急ぐ榊を止めるために苦し紛れに出た言い訳だったが、今では自分の義務というか、遵守することが使命のように感じていた。

 だが今は、彼女の問いに答えねばならない。当たりさわりのない言葉を探していると、向こうから口をあいた。


「そうですよね……ほかの人はみんな、私と全然ちがいますし……。私を怖いと思っても、しょうがないですね……」

 足元を見ながら、さびしい笑みを浮かべるので、高見は思わずきゅんとなった。あわてて両手を振って力いっぱい否定する。

「いやいや、私はそんなに怖がってないよ?! ほんとだよ!」

「ということは――」

 ブラッド一号は、ぱっと明るい顔になって言い、高見を見つめた。

「ちづえさんは、私のことが好きなのですね?!」


「ええっ、な、なんでそうなるの?!」

 まっかになって聞くちづえに、少女ロボットは照れもなく言った。

「ホリスさんは私を怖がらない、それは私が好きだから、とさっきおっしゃったじゃありませんか。ということは、私を怖くないちづえさんも、私のことが好きなわけですよね。うれしいです! 私もちづえさんが好きです! だいすきです!」と満面の笑み。

「や、やめて! 殺すな! 死んじゃう!」

 左手で顔を隠して右手で相手を制する高見の顔は、羞恥でマグマのごとく沸騰していた。が、相手は言葉尻のほうをとらえ、不思議そうに聞いた。

「えっ私、攻撃しました?」

「いや、そうじゃなくてね……」


 ふと、後ろに榊がいるのに気づいた。ブライトンはとうに屋内に避難している。

 が、その端正な顔を見て、半ばキレて叫んだ。

「ばっ、バカにしたなあ!」

「するわけないでしょう、感情がないんだから」と真顔で言う榊。「そんな無駄なものに振り回されて、ほんとあなたたちは忙しいわね」

 そのまま背を向けて行ってしまったが、高見は目で追いながら顔をしかめた。

 ――いま笑っているように見えたのは、気のせいだったか?



 説得の末、完全には納得しなかったようだが、とりあえず了解してくれたのでほっとした。森から大木を取ってくるのはやめにしたが、そこの丸木はもったいないので、チョップで薪にしてもらった。


(しかし)(力が元のままということは……)

 座って薪を一緒に縛りながら、相手の純真無垢な顔を見て、高見はふと考えた。

(「あれ」も、やはり元通り「使える」んだろうか……)

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