プロローグ

「とにかく、お前は化け物だからな!」 Diary of Dreams「She」より



 かつてトチ狂った科学者が作った「人間の血が燃料のロボット」であるブラッド一号を追って、いまやこいつとの戦いで全身サイボーグになった軍人の榊(さかき)エリと部下の高見(たかみ)千津絵(ちづえ)は廃墟と化した都心を軍用バイクで失踪していたが、とあるビルとビルの隙間に飛び込んだところで、世界が一変した。



「どこよ、ここは」

 榊が見回すと、高見は目が飛び出そうに声を震わせて「わ、わかりません」と言った。なにがおきてもまるで動じないことには慣れていたが、こうも異常事態に見舞われているのに冷静そのものの横顔を見ると、改めて自分はとんでもない奴の下にいるのだと自覚した。


 この榊隊長とはもう数年の付き合いだが、まだ完全に人間だったころの最後の戦いで死にかけて全身のほとんど、それも脳までがロボット化した怪物には、ビビることが多すぎる。いまや宿敵である暴走ロボットのブラッド一号と、体も中身もほぼ一緒になってしまっている。そしてこいつをこうしたのは、ほかならぬ、あの殺人メカなのだ。

 が、榊はそのことをつゆほども恨んでいない。人工頭脳に置き換わったオツムにはもう感情はなく、もともと冷酷仕官で有名だったのが、本当にただの計算で戦うだけの戦闘マシンになっちまっている。


 しかし、今のこの状況には、いくらなんでも眉ひとつくらいは動かしそうなものだ。なんせ、ただビルのあいだに入っただけで視界が一瞬まっくらになったと思うと、見知らぬ深夜の寒冷地の山奥みたいな場所に飛び出していたのだ。これが非日常でなくて、なんだ。

 たった一台の殺人ロボットと陸軍師団との戦闘で破壊された東京都心を、生き残った二人がバイクで疾走していたわけだが、そこでは初夏の動けば汗ばむ陽気だった。それが今は、夜のせいもあるが、どう考えても標高の高い地域の、それも晩秋の季節としか思えないほどに、空気がひんやりと肌寒い。




 あわてて高見がバイクを停めると、榊エリは助手席から飛び降りて周囲を見渡した。その目は赤外線でまっくらでも見通せるが、ここは夜でも周りの葉のとがった木々を月明かりがこうこうと照らしているので、高見でも目視はたやすい。


 どこだここ。

 ヨーロッパの田舎の山奥か?

 日本ぽくない。

 いーや、断じて日本じゃない!


 なぜなら今、向かいの丘をトナカイが走りすぎたからだ。

 そんなもん、日本にはいない。



「奴はいないようね」

 なんでもねえように言ってこっちを見る。相変わらず何も見ていないような暗い目で、すぐよそを向くので、高見はなにか悲しくすらなった。


 以前も、そりゃ全くいい人でもなんでもなかったが、冷酷それ自体と言っていいブラ公への近親憎悪に苦しんだりして、まだ可愛いところもあった。今はなんもない。しゃべる戦車か、ヘリと一緒にいるようなキモさすらある。

 前のこいつを知ってるからまだ耐えられるだろう、ってんで自分にこの任務が与えられたのだが、場数を踏んでたって、こっちはあくまでただの人間ですよ。こんなののサポートなんか務まるかよ。って就いてまだ一週間だが、いちおうなんとかなってるけどさ。

 それにもともとこの榊隊長は、状況によっては部下を平気で切り捨てて部隊を勝利に導く「デキル将校」であり、自分はそれに何年も付き合ってきたわけで、今はその「デキル」部分がさらに強化されて「デキスギ将校」になったに過ぎない。


 この榊エリは、頭をすらっとしたポニーテールにし、細面で目つきのきゅっと締まったどえらい美人で、目がくりくりでおかっぱタヌキ顔の自分とは大違いだが、元から冷たそうだった色白の肌は、サイボーグ化した今は、その氷のような鋭利さにいっそう磨きがかかっている。

 いま我々二人はこの突然おきた新たな事態に対処しようとしているが、身をつつむグリーンの軍服が、今にも夜の闇に溶け出していきそうで不安で恐ろしい。だがそれをこいつに言っても無駄と分かっているので、とりあえずバイクのメーターを確認した。

「燃料はたっぷりあります」

「じゃあ、そのへんをひと回りして、まずはここがどこだか目星を――」

 突然の絹を引き裂く悲鳴に、二人は同時に振り向いた。



 ただちに、その八時の方向(後ろ斜め左)へ向かって走ると、さっきトナカイがいた丘の向こう側だった。懐中電灯の白い光に照らし出されたそれに、高見は真っ蒼な顔を引きつらせて身を引き、隣の榊エリは真顔で銃を抜いた。効かないが、ふっとばすくらいはできる。そのあとバイクに搭載されたレーザー砲を使えばいい。

 部下がビビるのは仕方ない。銃の効かない相手だ。

 ずっと捜し求めていた、あれだ。

 やはり一緒にここへ来ていたのだ。


 その硬質の肌は弾丸など通さない。そして人間の生き血が動力で、見たら即座に襲って殺して血を飲むように設計されている。

 だから、これは普通に考えたら最悪にまずい状況だ。こいつを焼き切る武器は、二人のずっと後ろにある。隊長は全身機械でパワーも互角だが、高見は生身である。のちに役立つために隣のこいつが助けてくれる可能性は高いが、それでも足手まといになれば平気で犠牲にするはず。さすがにこれは怖い。普通なら。


 ところが、である。

 そこには、まるで予想外の光景が展開されていて、高見の目は見る見る点になった。



 たしかに、電灯の光の中にいたのは、見まがうことなき、あの恐ろしいブラッド一号であったが、その雰囲気も、している行動も、今までに見たのとは、まるで似ても似つかぬものだった。ブラ公は土のうえでひざを抱えて顔をくしゃくしゃにゆがめ、目から大粒の涙をぼろぼろ流し、泣きじゃくっているのだ。

(まさか、さっきの悲鳴は、こいつ……?!)

 あまりのことに高見は固まった。



 かつて東京都心で何万人も殺害した稀代の殺人マシン。その体が壊れるまでひたすら血を飲んでは、すぐ満タンにならないよう、体にあいた無数の微小な穴から排出する。できるだけ多くの人間を殺せるようにという、最低最悪の仕様である。セーラー服の女子高生型をしているが、それは相手を油断させるためと、製作者の趣味でしかないから、騙されてはいけない。

 こいつはアシモフのロボット三原則など糞食らえ。ただ殺人のためだけに作られた、人類に害をなすことのみが目的の完全なる悪魔。その、世の戦争を思わせるあまりに不毛な存在に、誰かがこいつを「戦争の親玉」と呼んだ。

 そんな、いまわしい少女型ロボットが、いま突如として、こんな夜の山中でひとりうずくまり、情けない顔で、迷子の幼児のように一心に泣き続けているのだ。



 ほかの誰かの見間違いではない。癖毛だらけのはねまくったボブヘアーと、でかい垂れ目は、自分が何年も見てきたなじみの容姿である。

 だが、なにより決定的なのは、着ているセーラー服だ。現地の少女も着るかもしれないが、こいつの場合、白地の上着と、首に巻く黒いタイは女子っぽいが、下はスラックスで、一見、水兵みたいに見える。実はスカートもついていたのだが、戦ううち、ボロボロになって消えてしまった。ここで男装がはやってでもいない限り、女の子はそうそうしない格好である。




「え……ええと……」

 高見はやっと声を出した。

「君、どうしたのかな……?」

「ぐすん、ぐすん、な、なんかね……」

 しゃくりあげながら、少女は鼻声で言った。そこで気づいたが、こいつに声を出す機能はないはずだ。

(やはり、見間違いなのでは……)


 と思ったとき、榊エリが突然聞いた。

「なんか、どうしたの。あなた、お名前は?」

「ぶ……」

 次の少女の一言には、高見も口があんぐりあいた。むろん榊は真顔である。

「ぶらっど、いち、ごう……」


「そう。で、どうしたの?」

「な、なんか、こわいのが、あっち行ったから――」

 そのとき、後ろのバイクのあたりを、何かがさっとすぎた。さっきのトナカイのようだ。

 そっちを見て、また少女を向く榊。

「それで、びっくりしたのね」

 そのままくるっと背を向けてバイクに戻るので、高見はあわてて追った。



「ちょっと、どうするんですか?!」

 追いつくと、バイクに載っているでかい砲台を準備しているので、驚いて叫んだ。

「しとめるのよ。任務でしょ」

「待ってください、あれ普通じゃないでしょ! とても危険があるようには見えません! なんかあったんですよ!」

「そうかもしれないけど、自分で名乗ったでしょ。ブラッド一号の処分が任務なんだから、さっさとすませて――」

 また悲鳴があがった。



 駆けつけたもとの場所に何もいないので、二人はバイクを走らせた。すぐ見つかりそうだった。ライトに浮かぶ地面に、血のあとが点々と続いているからだ。


「ここが、どこだか確認してからで、よくないですか?」

 ゆれるバイクの助手席から高見が叫んでも、榊エリはそっちを見もせずに言った。

「任務優先よ」

 今はやる気のない部下が助手席で、隊長が運転している。

 やはり相手は人間ではない。これだけ出血して、バイクに追いつかれることなく森を駆け抜けている。


(で、でも――)

 高見は口をとがらせた。

(ぜーったい、あれは、以前のブラ公じゃない!)

 が、すぐに眉をひそめ、頭が疑問符でいっぱいになる。

(でも、だとすると――)

(ありゃ、いったい、なんだ……?!)


 かつて何度も殺されかかった、彼らにとってのおなじみのターゲット。それが今は、わけの分からぬ未知の敵になっちまっている。そんな一人の少女を追いかけ、軍用バイクは暗い森の中を走り続ける。


 これが日本の裏軍事史にひっそりと残る、ある奇怪きわまる事件の幕開けだった。

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