二十八 予見予兆

 共鳴の泉のほとり。

 イレーズの予言通り。表陽のピストルオイラー呪術の任務ばかりが続いていた。

 ライアンの背にまたがってシップから口伝された表陽咒ひょうようじゅを唱える。右手はみるみるうちに薄蒼色のピストルオイラーの形に姿を変える。

 フィックスオイルを噴射された謝礼対象者のフェイトギアはさびが取れ汚れが落ちてキラリと輝く。不具合は瞬く間に修正されて歯車ギアは正しく噛み合ってスイスイと動き出す。

 途端に運気が好転して善導が始まる。不思議な機運の流れに乗せられて。ビッグウェーブに乗っかって。幸運エリアへと自然と導かれていくのだ。これほどまでに爽快でこころおどる任務は他にはない。

 自惚うぬぼれかもしれないけれど。トリガーを引く姿は結構様さまになってきた。任務の遂行速度も以前と比べて格段に速くなったはずだ。

 

 それにしても。トレジャンは日常生活の中に多くの感謝の念を抱いている。必然的にフィックスオイル噴射任務は大忙しになるのだ。

 家族や友人はもとより。通学電車でたまたま隣りに腰掛けて楽しくお喋りをしただけの見知らぬお爺さん。電車を待つ駅のホームで軽く咳をしたトレジャンにのど飴をくれた観光客の中年主婦。歩道で通行者の妨げにならないようにとはじけて待っていてくれた犬を散歩する男子学生。一期一会いちごいちえであろう人物までもが謝礼対象者リストに記載されているのだ。とにかく、ひょうようのフィックスオイルは大盤振る舞いのフル稼働状態なのである。

 

 しかし。いんのラストオイル噴射指令はいまだに下されていない。

 だけど今すでに。トレジャンのフェイトギアをけがそうとする悪霊怨霊は少なからずうごめいている。つまりは悪念あくねんかいから生怨霊を発生させている人間ヒトがトレジャンの周囲に存在していることを意味しているのだ。

 俗にいう『嫌な奴』は、そこらじゅうに居る。そういったやからねたみ・そねみ・嫌味・小馬鹿にするなどの粗悪感情を無遠慮に平然とぶつけてくる。

 しかしながら。俗にいう『嫌な奴ら』は現段階では処罰対象者になっていない。トレジャンの人生経験として寛大処理がなされていた。

 

 ゲイルが現れた。

 「任務遂行ご苦労。しかしそろそろ表陽任務だけでは飽き足らなくなってきているのではないか? いんのピストルオイラーの下命が今か今かと待ち遠しいのではないか?」

 ヒミコンは心の内を見透かされるのが無論の日常に開き直って正直に返答した。

 「はい。その通りです。ひょうようのピストルオイラー任務は日々の積み重ねによって。だいぶ板についてきました。ライアンと共にの表陽任務遂行はとても嬉しくて光栄です。

 ですが。いんのピストルオイラーはまだ一度たりともトリガーを引いたことがありません。いざ指令が下ったときに裏陰の呪術を的確に行使できるのか不安です。それに。すでに生怨霊は存在しています」

 ゲイルは予見予兆の言葉を発する。

 「近々。処罰対象者が明らかにされるだろう。……もう間もなくだ。ライアンがきばを剥き、うなり、怒りをあらわにしたその瞬間に。ラストオイル噴射の対象者は確定となる。

 そしてヒミコンに求められることはただひとつ。地獄行きのラストオイルが注入された赤黒いピストルオイラーのトリガー(引き金)を引くことだけだ。良いか? おのれの任務をいさぎよく全うするのだぞ?」

 「はい!」

 「同情するな。迷うな」

 ゲイルはつぶやくように言い残して。音もなく立ち去った。

 

 ヒミコンは疑問に思う。

 ……なぜ極等万能祭司四人衆は返す返す伝えてくるのだろうか。『躊躇ためらうな、容赦するな、同情するな、迷うな』と。

 もしかすると。私の心はいまだに定まっていないのだろうか? 尻込みして煮え切らない心が残っているのだろうか? 

 私が感情移入して迷いを生じさせるとでも言いたいのだろうか?

 トレジャンの美しいフェイトギアをけがそうとする処罰対象者に。

 生怨霊を大量発生させる『粗悪念ねんかい発信者』に。

 一体私にどんな葛藤かっとうがあるというのだろうか……。

 

 しかし確かなことは! もう間もなくいんのラストオイル噴射指令がくだるということだ。

 ヒミコンは思わず武者震むしゃぶるいした。

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