二十六 口伝の儀式(裏陰)

 疲労困憊こんぱいのヒミコンは気合を入れ直して、エイっと立ち上がった。

 黒いマントをひるがえした大男のクロスが、ゾッとするほど冷たい眼差しを向けてきた。

 「この藍方らんぽう裏陰咒りいんじゅいんのピストルオイラーの呪術である。口伝くでんゆえ心魂ソウルに叩き込め。呼応してそらんぜよ」

 ヒミコンはクロスの誘導に従って左手の人差し指と親指を立てピストルの形を作った。

 クロスはヒミコンの左側に立つ。そして耳元に囁くように裏陰咒を唱え始めた。

 体内に脳内に骨の髄に。クロスの声がダイレクトに響いて染み渡る。ヒミコンも呼応して後を辿る。そらんじて口ずさむ。

 左手の人差し指と親指はみるみるうちに赤黒いピストルの形へと変容した。

 ゲイルが説明する。

 「このいんのピストルオイラーには『ラストオイル』が注入されている。トリガーを引くことにより処罰対象者のフェイトギアにラストオイルを噴射することができる。

 ラストオイルとはびる油のこと。いかなる材質のフェイトギアであってもびつかせて腐らせることができる。噴射された処罰対象者の運命は一変する。朽ちていくフェイトギアとともに転落の一途を辿る。

 トレジャンに対して粗悪な感情を向けフェイトギアを汚そうとする生怨霊を生み出した『粗悪念ねんかい発信者』である生身の人間が処罰の対象者となる」

 イレーズが不気味に笑う。

 「要は。裏陰のラストオイルは地獄行きの呪術ってこと。フェイトギアが朽ち果てたとき対象者は無様ぶざま野垂のたれ死ぬんだ。いい気味だよね? 自業自得の因果応報刑だよ。仕方ないよね? 俺たちの宝のトレジャンをけがそうとした身の程知らずのやからへの処罰だよ。温情や容赦? そんなもの微塵みじんたりとも必要ないよね?」

 ゲイルが説明を続ける。

 「ラストオイルを噴射されると対象者のフェイトギアは徐々に錆びてついていく。

 フィックスオイルの場合。噴射される分量に比例して歯車ギアは修正され運気が好転する。ときに大願までもが成就する。

 しかし。ラストオイルはシステムが違う。分量は関係ない。朽ち果てるまでの年月を指定する。

 例えば三年設定ならば三年かけてフェイトギアが錆びついていく。三十年設定にすればゆっくりとなぶるように歯車ギアむしばまれていく。滅多にないが百年設定にすれば処罰対象者の子孫にまで影響が及ぶのだ」

 イレーズが補足する。

 「年月の長短はそれぞれの罪過によって判断される。対象者に相応ふさわしい処罰を与えるだけのことだ。同情の余地はない。

 悪質な処罰対象者には複数回ラストオイルが噴射される場合もある。その場合。設定年数が残っていてもカウントがテンとなれば命が尽きる。

 ヒミコンの役割は簡単なこと。指令が下ればそれに従う。……情を捨てて躊躇ためらわずに。トリガーを引くだけのことだよ」

 クロスが締めくくる。

 「ヒミコンはこれから生身の人間ヒトと直接対峙してラストオイルを噴射していくことになる。処罰対象者は生怨霊を生成し大量発生させている不埒ふらちねんかい発信者だ。

 処罰対象者が誰であるかは神霊獣ライアンが善と悪を見破る呪術『判別眼』をもって決定する。薄汚い本性を見破り暴いて知らせてくれる。

 ライアンが牙と敵意を剥き出しにしたとき。そいつは処罰対象者に確定する。決して! 感情移入をしてはならない。

 ……いいかァ? 情を捨てろ! 相棒と力を合わせて任務を遂行すいこうしていけェ!」

 「はいっ!」

 ヒミコンは冷徹冷厳なる世界観に足がすくんだ。

 

 シップが右手を掲げる。

 「これにて、儀式は終了とする」

 ヒミコンは慌てて質問をする。

 「あの! ラストオイルの実践訓練はないのですか? 処罰対象者が明かされてから、ということなのでしょうか?」

 ゲイルが淡々と答える。

 「そうだ。ライアンの判別眼によってラストオイルの処罰対象者が明らかにされたとき。任務遂行の指令がくだされる。処罰対象者は追って明かされるであろう。

 トレジャンが十七歳までに関係した悪霊怨霊のすべては微塵みじんこっぱいとなった。すでに抹消済みである。 

 そしてトレジャンが十八歳になった今。処罰対象者は霊体から生身の人間ヒトへと変わった。シャーマン・ヒミコンは生きている人間と直接対峙し処罰対象者にラストオイルを噴射する。これも王から与えられた聖なる任務である。……覚悟はいいか?」

 「はい! やっと、やっと、やっと! お役に立てるのかと思うと嬉しいです! 精一杯頑張ります! ひょうよういんの任務を果たします! 大切な、トレ、ジャン、の、ために……! ヒック、ヒッ! ヴヴヴゥゥゥ……」

 ヒミコンは突然しゃくり上げてうなりながら泣きだした。極等万能祭司四人衆は引き気味に困惑顔をした。

 「わ、鼻水、汚い」

 「ハハ、ひどい顔だ」

 「笑えるなァ」

 「愉快、愉快」

 「バウ!」

 藍方星は瑠璃色にきらめいて。穏やかな空気に包まれていた。

 

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