二十四 リミット

 藍方らんぽうせい

 地上では初夏の風薫る若葉青葉の爽やかな季節である。

 ヒミコンは寝る間も惜しんで広大な藍方星の床を磨きに磨いていた。脇目も振らず雑用係の任務と訓練トレーニングに明け暮れていた。ただひたすらにいそしんでいた。

 まるで名残を惜しむかのように。惜別せきべつの念を振り払うかのように。

 ヒミコンは決意していた。

 ……覚悟はできている。たとえ結果がともなわなくとも構わない。存在自体が削除されようとも仕方がない。最後のひと時まで。消え去るその瞬間まで。藻掻こう。足掻こう。

 

 リミットは残り十二時間。

 もうすぐトレジャンは十八歳の誕生日を迎える。結局トレジャンのフェイトギアを透視することはできなかった。

 リミットの深夜零時れいじを迎えた瞬間に。私は藍方らんぽうせいから跡形もなく消え去るのだろう。

 トレジャンのフェイトギアが透視できなければ。選ばれし者になれなければ。それしか選択肢はないのだから。

 

 共鳴の泉の前に立つシップとゲイルの姿をまぶたの奥に焼き付ける。

 人間界に叶えの呪術を行使している高潔清爽なるひょうようの極等万能祭司ふたりの姿だ。

 シップの右手人差し指から鳳凰柄の扇子が飛び出してパッと開く。大きくあおぐと桜の花びらが溢れんばかりに舞い上がった。

 そして、共鳴の泉を通って地上に豪快に降り注がれていく。

 ゲイルの右手人差し指の先端に青蓮華の花が咲く。そこからくらむほどの輝く光芒が放たれた。その光束こうそくは天使の梯子はしごとなって、共鳴の泉から地上へと放射されていく。

 流麗りゅうれい極まる叶えといやしの呪術だ。

 

 露見の泉の前に立つクロスとイレーズの姿をまぶたの奥に焼き付ける。

 人間界に処罰の呪術を喰らわせる悪魔的美しさをかもいんの極等万能祭司ふたりの姿だ。

 クロスの左手人差し指から十字架剣が飛び出した。くるりと回すと勇壮なる十二鬼神が現出し畏敬して整列した。

 イレーズが左手人差し指の指先にふうっと息を吹きかけた。ひらりひらりと飛び出た蒼蝶は数多の壮麗美々そうれいびびたる神霊獣たちに変化へんげして畏敬の所作を示した。

 ふたりが高速で裏陰の咒を唱える。厳かな空気が張りつめる中、十二鬼神と神霊獣たちは即座に呼応して露見の泉に飛び込んだ。処罰対象者リストに記された人間のもとへ制裁をくだしに向かったのだ。

 冷厳極まる処罰の呪術だ。

 

 この気高けだかき光景はもう見納めだ。まばたきをするのさえ惜しいと感じる。極等万能祭司四人衆という高潔無比たるカリスマたちに関われた幸運に、ただただ感謝する。

 相棒の金色こんじき神霊獣ライアン。可愛いライアン。もうすぐお別れだ。

 ともに未來王時代を駆けて。ともにトレジャン専属シャーマンとして。ともに力を尽くす。そんな未來を熱望していたけれど。残念ながら願いは叶わないらしい。

 ライアンの黄金色の長い毛並みを念入りにブラッシングする。ライアンの表情からは責める心も慰めの心も感じ取れない。

 自らの非力を何度も詫びて謝る。可愛いライアンとお別れだと思うと辛い。泣くのはずるいと思いながらも目頭は熱くなって勝手に涙がにじんできてしまう。

 ライアンには金色こんじき神霊獣としての風格と才能が具わっている。それに極等万能祭司四人衆がついている。だから心配ない。

 

 結局。シャーマンとしての任務を与えられることは一度もなかった。己の実力が及ばなかった。単純にただそれだけのことだった。 

 誰のせいでもないのだ。

 

 もう間もなくタイムアウトだ。ヒミコンのリミットが刻一刻と迫っている。

 せめて日付が変わるその瞬間まで。消え去る最期さいごの一瞬まで。トレジャンを見つめていたい。

 トレジャンの泉のほとりにひとり座り込んだ。水面に顔を近づけて覗き込んだ。

 高校三年生に進級したトレジャンは受験に向けて自宅で赤本を解いていた。最難関の国立大学を目指しているようだ。

 ……トレジャン、頑張って! 

 何ひとつ役に立てなかった。悔しさと、申し訳なさと、感謝と、愛おしさが交錯こうさくする。そんな独りよがりな邪念を必死に振り払う。

 トレジャンの未來が輝きますように。それだけをひたすらに願い、祈る。

 ……トレジャン、ごめんなさい。ありがとう……幸せに……。ごめんなさっ……、

 ヒミコンはこらえきれずにウウウゥゥッと、顔をゆがめて嗚咽おえつを漏らした。

 ポタポタと大粒の涙がこぼれ落ちる。涙はトレジャンの泉に小さな波紋を作る。

 振り返ってみれば。シャーマンとして藍方らんぽうせいで過ごした日々は、この上なく幸せだった。

 極等万能祭司は決して優しくはないけれど。最高にヤバくて。最高にイカれていて。だけど最高にイカした四人衆だった。 

 トレジャンはいつの間にか家族以上に大切な存在になっていた。

 だからこそトレジャンの役に立ちたかった。それなのにっ……!

 「トレジャン、トレジャン、トレジャン……ッ」呼びかけるように声を発していた。

 

 ……え?

 

 ヒミコンは仰天ぎょうてんして目を疑った。トレジャンと視線が重なっているのだ。

 今までずっと一方的に泉の上方から水中を覗き込んでいたけれど。一度たりとも目が合ったことなどなかった。

 しかし錯覚ではない。

 人間界のトレジャンが上方を見つめている。泉のほとりのヒミコンに視線を向けている。

 視線が合わさっているのだ!

 トレジャンは左手の人差し指をピンと立てた。その指先は自身の心臓部を指し示す。そして、そっと瞳を閉じた。

 誘導されたヒミコンは追随ついずいして目を閉じる。グッと深い感応状態に入った。

 遠くから。わずかにトレジャンのバスバリトンの低音ヴォイスをとらえた。

 『……ここを見よ。肉眼で見ようとするのではない。己の潜在サブコン意識シャスの最深部を感応させて見つめるのだよ……』

 

 ……あれ? まぶしい。

 あまりに眩しい光をとらえて閉じていた目を開けた。

 指差されたトレジャンの心臓部の深奥を静かに見つめた。

 「これが、トレジャンの、フェイトギア……? なんて、なんて! なんて美しいの!」

 思わず感嘆して声を上げた。

 燦然さんぜんと輝くフェイトギアは高貴な宝石のように四方八方に光を放っている。歯車ギアは噛み合って音もなくスイスイと動いている。

 

 極等万能祭司四人衆とライアンが現れた。

 「良かったなあ。なんとか日付が変わる前に間に合ったようだな」シップが微笑む。

 「冷や冷やしたぞ。お前はいつもギリギリだ」ゲイルは華麗に笑う。

 混乱中のヒミコンはしどろもどろに伝える。

 「あの! 今、トレジャンと目が合って、えっと、それで、ここを見ろって言われて、潜在サブコン意識シャスをって、そうしたら、眩しくて、あれ……?」

 視線の先に映るのは、まるで何事もなかったかのように受験勉強に集中しているトレジャンの姿だった。

 「何をふざけたこと言ってんだァ? 妄想かァ?」クロスがニヤリとして揶揄からかう。

 「病んでるね。だけど。ま、良かったね」イレーズは皮肉を込めながらも珍しく好意的だった。

 勢いよく飛びついてきたライアンにヒミコンはドサッと押し倒された。顔を舐めるライアンからは好意と祝意がひしひしと伝わってくる。

 「あり、がとう、こざ、い、……ます!」

 ようやく実感が湧き出して、感激が押し寄せてきた。

 

 シップが右手を掲げて注目を集めた。

 「ヒミコンよ。ミッションクリアー、おめでとう。トレジャンのフェイトギアは燦燦煌々さんさんこうこうとして輝いていただろう? 大きな歯車はタンザナイト。小さな歯車はヒスイ。軸はレッドダイアモンドである

 そしてヒミコンは未來王より『選ばれし者』として正式任務が与えられることが確定した」

 ゲイルが厳粛に告げる。

 「明朝、ヒミコンは共鳴の泉の前に正装して待機すること。トレジャン専属シャーマンとして正式任務を与える。藍方らんぽう口伝くでんの儀式をおこなう。極等万能祭司も正装して集合する」

 「はい! お願いいたします!」ヒミコンは腰を折り曲げて返事をした。

 四人衆はわずかに頷いて、ライアンを連れて立ち去った。

 

 しかし実のところ。ヒミコンの思考はぐるぐるとして落ち着かない。未だ混乱している。

 トレジャンのフェイトギアを透視できた歓喜の念とは裏腹に。深まる疑問に戸惑っているのだ。

 あれ? 気のせいかな? 不意にトレジャンが口角を上げてフッと笑ったように見えた。


 ……んんっ? トレジャンって、一体、何者なの?

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