十七 ライアン

 藍方らんぽうせい

 ヒミコンはふと愕然がくぜんとして、悄然しょうぜんとした。

 気がつけば、藍方らんぽうせいに来てから数年もの歳月が経過していた。

 それなのに! 未だに、一度も、フェイトギアを透視できていないという無様ぶざますぎる有様ありさまなのだ。

 

 ……あの小さかったトレジャンは大きくなっただろうな。十歳くらいになったのかな。 

 トレジャン専属シャーマンだというのに。その姿を覗き見ることさえも許されていない。 

 そんな私は、藍方星の役立たずの雑用係です! トレジャンを想って! せめて床だけはピカピカに磨きます!

 ヒミコンは腰を低く屈めた。モップを持つ手に一層の力を込めた。ゴシゴシとラピ金石スラズリの広大な床を磨いていた。

 

 ゲイルが現れた。

 「落ち込んでいるようだな。おのれの至らなさを反省できるようになるとは良い傾向だ。つまりは着実に進歩しているということだ」

 「進歩? そうでしょうか? 少しの手応てごたえも感じられず進歩している感覚は皆無です。透視のコツはあるのでしょうか? 年月ばかりが過ぎ去って。もうどうしたらよいのかわかりません」

 ヒミコンはしょんぼりとして深いため息を漏らした。

 

 突然シップの叫び声が響いた。

 「おお! トレジャンが泣いているぞ!」

 ゲイルはトレジャンの泉に慌てて駆け寄った。

 「ああ、そうか。トレジャン、可哀そうに……」

 「仕方ないことだが、寂しいだろうなあ……」

 シップとゲイルは水中を見つめて嘆いている。それどころか、もらい泣きをしている。ふたりはハラハラと涙を落としているのだ。

 「あのぅ……、」

 ヒミコンは恐る恐るふたりに声を掛けた。そしてダメもとで懇願をこころみた。

 「トレジャンに何かあったのですか? さすがに心配でたまりません。どうか! どうか私にもトレジャンの泉を覗かせてください!」

 「十秒」

 ゲイルが許可を下した。

 ヒミコンは慌てて水中を覗き込んだ。

 

 ……わあ、トレジャン! 箱根元宮で見たときよりも随分と背が伸びたのね。頬の肉が落ちて。少し大人びた顔立ちになっている。

 だけどその顔は悲しみにゆがんでいて涙をこぼしている。かたわらには小型犬が横たわっている。

 ……そうか。愛犬が死んでしまったのか!

 「終了」

 ヒミコンはゲイルに首元をつままれて、泉のほとりからポイっと引き離された。

 ヒミコンの存在を無視してふたりは会話を続けている。

 「ああ……。トレジャンの悲しみは我が悲しみのようだ!」シップが嘆く。

 「できるか?」ゲイルがシップに問う。

 「もちろんだ。だがイレーズの許可が必要だなあ」

 音もなくイレーズが現れた。

 「いいよ」イレーズが簡潔に承諾した。

 シップは右手の人差し指をピンと立てて鳳凰柄の扇子を広げた。数秒間、小刻みに扇いで。それから大きく振り扇いだ。 

 すると桜の花びらは渦を巻いてトンネルのような円環状の筒を形成してトレジャンの泉の中へと勢いよく吸い込まれて降り注いでいった。

 続いてイレーズが左手の人差し指をピンと立てた。ふうっと強く息を吹きかけると一匹の金色蝶がひらりとひらりと宙を舞った。そして桜のトンネルに潜り込んで、トレジャンの泉の水中へとしゅうっと吸い込まれていった。

 ゲイルは右手の人差し指をピンと立てた。指先に青蓮華の花を咲かせその青蓮華から一筋の強い光線を放った。光芒は桜のトンネルの中をくぐって地上に向かって照射された。

 

 「さん、にい、いち……」

 イレーズが小声でカウントダウンする。すると桜の花びらのトンネルが逆流しはじめた。トレジャンの泉の水面上に竜巻が起こって桜が渦を巻いた。

 ボンッ! と大きな音を立てて竜巻が爆発した。水飛沫みずしぶきが飛び散って、桜の花びらが豪快に舞いあがった。

 視界をさえぎるほどの大量の花吹雪の中から現れたのはクロスとトレジャンの愛犬だった。

 小型犬は大きな耳をピンと立てて尻尾を振っている。茶色い毛並みと茶色い垂れ目が何ともいえず愛らしい。

 極等万能祭司四人衆はクリクリしたつぶらな瞳の小型犬の周りを取り囲んだ。おもむろに地べたに座り込むと四人衆がってたかって、よしよしとで回し始めた。

 イレーズが手の甲で首元を撫でながら高速咒じゅを唱える。呼応するようにトレジャンの愛犬はむくむくと巨大化して象ほどの大きさになった。茶色い毛並みは百獣の王のたてがみのように長く伸びて風になびいた。さらに黄金色の光をまとって、まばゆいまでの輝きを放った。

 

 神々こうごうしい金色こんじきしん霊獣れいじゅうが誕生したのだ。

 

 「ライアン、でいいかァ?」クロスが問う。

 シップとゲイルが目を細める。

 「良いな。ライアンか。ぴったりの名だ」

 「ライアン、お前は賢いな。そうか、ライアンもトレジャンを護りたいのか。今日からは私たちの仲間だぞ」

 イレーズはライアンの鼻先に顔を近づけて。そっと頬ずりをした。

 「神霊獣、増やしちゃったけど。ま、いいか」

 クロスはライアンの背にガバっと覆いかぶさって抱きついた。

 「かっわいいなァ! ライアン、これからよろしくな!」

 シップが厳粛に指令を下す。

 「ヒミコンよ。本日よりライアンの世話を頼むぞ。我々の宝であるトレジャンの愛犬である。くれぐれも大事にするように」

 「はいっ!」

 

 藍方星に新しい仲間、『金色こんじきしん霊獣れいじゅう・ライアン』が加わった。

 

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