十二 三つの泉 

 藍方らんぽうせいには大・中・小の三つの泉が存在する。

 大きな泉は『共鳴の泉』と呼称されている。ふかみどり色の美しい泉であり、人間界からの祈りや願いが響いて届く場所である。

 さらには潜在サブコン意識シャスから発せられる清らかな善念を受け止めている泉でもある。

 叶えの泉とも呼ばれ、主にシップとゲイルが管理している。

 

 中くらいの泉は『露見の泉』と呼称されている。赤黒く濁ったおどろおどろしい泉である。隠された罪過や悪念が露呈して投影される場所である。

 嘘や偏見アンコンシャスや醜い本性のすべてがさらけ出される。わばパンドラの箱のような泉である。

 処罰の泉とも呼ばれ、主にクロスとイレーズが管理している。

 

 そして小さな泉。これこそが『トレジャンの泉』である。蒼く澄んだ水中には、人間界のトレジャンの様子が常にライブで映し出されている。

 この泉は極等万能祭司四人衆がってたかって後生大事に管理している。

 

 裸足に赤い作務衣さむえ姿のヒミコンは立ち尽くす。ままならない現状に不満たらたらだ。

 あの日。念願だったシャーマンに確かになれたはず。それなのに! いまだにシャーマンらしい任務を命じられたことが一度も無い。

 トレジャン専属呪術師シャーマンになったはずなのに! なぜ? どうして? さらには三つの泉を覗くことさえも許されていないのだ。

 当然ながらフェイトギアを見る訓練すら始まっていない。それどころか! トレジャンの姿を一切見せてもらえていないのだ。

 結論として。雑用しかしていない。ただひたすらに途方もなく広大な藍方星の床をモップで磨く。それから極等万能祭司四人衆のお茶酌みと酒の準備に追われている。それだけの日々なのだ。

 雑用は呪術とは無関係の用件ばかりだから技能の向上はしていないと思われる。

 トレジャンの警護は極等万能祭司四人衆が日替わりで担当している。無論だが。ヒミコンに護衛の順番は巡ってこない。

 専属シャーマンなどとは名ばかりなのだ。

 

 「コーヒーの気分ではない、玉露ぎょくろにしろ」

 「熱燗、熱すぎるぞ。やり直し! 昨日はぬるすぎだったぞ。しっかりしなさい!」

 「紅茶、どうやったらこんなに不味くれられるの?」

 「オイッ、のろまァ! とっとと床を磨けェ!」

 「ワイン持ってきて。赤。やっぱり、白。あ、やっぱり、いらない」

 「急げ! 早くしろォ! すぐに! 遅い!」

 

 ……はあぁ。雑用、雑用、雑用、雑用……!

 何なの? トレジャン専属のシャーマンになったはずなのに。一切トレジャンに接触させてもらえない。それどころか三つの泉を覗き見ることすら許されないなんて理不尽すぎる。トレジャンの顔を忘れてしまいそうだ。

 しかし、不思議だった。

 雑用しかしていないはずなのに。何故なぜだか呪術は身についてきていた。実際に呪術が使えることに気がついたときは思わず狂喜した。だけど活用できる機会は与えてもらえない。宝の持ち腐れだ。呪術を操れても使わなければにぶるはず。だから雑用の合間に呪術の自主トレに励むことにした。

 雑用訓練雑用訓練……。そんな日々をぐるぐる繰り返していた。そしていたずらに時間だけが経過して。流れ去っていた。

 

 広い広い藍方星の床を磨きに磨いて一段落した。いつも通りに訓練に励む。体に違和感があり、不意に気がついた。

 ……知らぬ間に、いつの間にか。『呪詛じゅそ』が身についているではないか! すごい……。トレーニングの一環として呪詛も完璧に仕上げようと決意した。

 大きく深く息を吸い込んで足を踏ん張った。浮遊霊体を集めて『呪詛』を唱えようと身構えた。

 

 音もなく、ゲイルが現れた。

 「呪詛、禁止」

 にべもなく言い放たれたヒミコンは納得がいかない。

 「……なぜ、ですか?」

 「呪詛は跳ね返る。自分自身に跳ね返ってくるぞ。そもそも陰湿な呪いなど必要ない。唱えてよいのはぜん神霊しんれいぜん御霊みたまを集めた呪術だけだ。それだけで十分じゅうぶんに事足りる。

 それにトレジャンは呪詛を嫌う。我々はトレジャンの喜ぶことだけをすればいいのだ」

 鬱憤うっぷんが溜まっていたヒミコンは思わず反発した。

 「それよりも! 一体いつになったら! トレジャンの警護をさせてもらえるのですか? 専属としての任務を与えてくださるのですか? 大体、トレジャンって何なのですか? 確かに清らかで賢そうには見えました。だけど一般家庭の普通の子供じゃないですか! これじゃあ、シャーマンになっても何の意味もない……」

 「黙れっ!」

 言葉を遮ってゲイルが声を荒げた。

 「大馬鹿者めっ! トレジャンの真価が分からぬお前如ごときに命懸けの警護ができるとでもいうのか! できるはずがないだろう!」

 ゲイルの余りの迫力にヒミコンは驚愕きょうがくして後退あとずさった。

 「トレジャンが『特別なる宝』であることは潜在意識の最深部にあるフェイトギアを見れば明らかなのだ。トレジャンのフェイトギアは美の局地である。

 フェイトギアとは宿命の歯車のこと。すべての人間がフェイトギアを有している。これが平生普段に見えるようにならなければ藍方星のシャーマンとしての任務は与えられない。シャーマンとして任務を遂行したければ、人間が潜在意識に宿すフェイトギアを透視できるように訓練することだ」

 「では、どうやったら、フェイトギアが見えるようになるのですか?」

 「己の心を磨き上げることだな。心根に卑屈と傲慢が潜んでいるから大事なものが見えてこないのだ」

 「それでは、フェイトギアが見えるようになれば、トレジャン専属シャーマンとして役割が与えられるということですか?」

 「そうだ。まずは生存する人間たちのフェイトギアが見えるよう訓練をする。 

 本日より『露見の泉』を覗くことを認めよう。赤黒く濁った露見の泉の水中を穴が開くほど眺めることだ。そのうちに人間たちの薄汚いフェイトギアが見えるようになるだろう」

 「はい! ありがとうございます!」

 ヒミコンはようやく一歩前進したと感じた。

 

 ゲイルは静かな口調で続ける。

 「……よく聞け。トレジャンは身体が弱い。今も人間界で多くの治療が施されている。両親が寺社巡りをしているのは我が子の健康を願ってのものだ。

 トレジャンは痛みに耐えている。そして理解している。日々の家族の心配も。救いを求めて何かにすがりつきたいという弱った心情も。我が子を失ったときの嘆きの深さも。深い悲しみは簡単には癒えぬということも……」

 ヒミコンは驚いて焦る。

 「そうだったのですか! 可哀想に……。トレジャンの体調は大丈夫なのですか?」

 ゲイルは眉間にしわを寄せてため息をつく。

 「お前の目先だけの薄っぺらい同情的感情は腹立たしくて不愉快だ。そんな浅い思考ではトレジャンの真価はまだまだ理解できないだろう」

 「すみません……」

 「まあ。まずは露見の泉から人間共のフェイトギアをよく透視することだ。

 そしていずれ。トレジャンのフェイトギアを透視できたならば! その時にようやく聖なる任務が与えられることだろう」

 ゲイルはすうっと消え去った。

 

 ヒミコンは反省した。

 ……私ったら最低だ。なんて軽薄で狭い了見なのだろうか。卑屈と傲慢と不平不満に心が支配されていた。愚痴ばかりだった。

 人事や事象じしょうの表面しか見えていない私に潜在サブコン意識シャスの最奥のフェイトギアが見えるはずがなかったのだ。

 極等万能祭司四人衆はお見通しだった。私の不誠実な心根。薄っぺらさ。思慮の浅さ。無能さを。だから三つの泉を覗くことを許さなかったのだ。

 だけど! ようやく気づかせてもらえた!  私は必ずフェイトギアを見られるように修練する! 善なるシャーマンになるっ! 

 それに。四人衆にあれほどまでに溺愛されているトレジャンの真価を理解したい。

 

 よおし! やるぞおっ!

 

 改心したヒミコンは、トレジャンのフェイトギアをこの目で必ず見てやると心に誓った。

 自らの至らなさを越えて。心のけがれを取り払って。善なるシャーマンになりたいと切に願った。

 そして、決意を新たに『露見の泉』をギラついた眼差しで覗き込むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る