狐のお嫁さん
西順
狐のお嫁さん
蒼穹に雨が降る。俗に天泣、狐の嫁入りと呼ばれるあれだ。ポツポツと降る雨粒に空を見上げても、そこには雲一つ無い晴天が広がっている。
新卒入社して都会で、水色の朝空が紺藍色の夜空になるまであくせく働き、やっと夏の長期休暇で地元に里帰りしたものの、周りが山と田畑ばかりでは、やる事などある訳もなく、子供のように虫を追い掛けたりするのもどうかと思い、近くの川に魚でも釣り行こうと出掛けたら、山頂に神社がある小山の横を歩いている時の事だ。急の天気雨に、そう言えばここの御神体はお稲荷さんだったな。と思い出した。
これは何かの啓示だろうかと、鳥居を潜って石の階段を登り、山頂の神社に着いたならば、待っていたのは拍手の嵐だった。
右を見ても左を見ても、礼服を着た老若男女が俺に向かって拍手していた。しかも皆狐の面をしているのだ。高校卒業までこの地で暮らしていたが、こんな出来事には遭遇した事が無い。何事か? と戸惑っているうちに、俺は男二人に両脇を抱えられて、神社まで引き摺られる形で連れていかれた。
神社の本殿では皆と同じ狐の面を被った白無垢を着た花嫁が待ち受けており、訳も分からないままに俺はその横に座らされ、あれよあれよと結婚式が執り行われる事となったのだ。
狐の面の宮司が祝詞を読み上げる中、俺はどうしてこうなったのか分からず、隣に座る狐の面の女性を見遣るも、勿論顔色など窺い知れる訳も無く、どうしたものかと脳みそを働かせていると、女性の被る狐の面に見覚えがある事を思い出した。
それは昔々、俺が小学生に成り立ての頃の夏祭りで、星々が降り注ぐ濃紺色の夜空の下、この神社で行われた最後の夏祭りだった。過疎化で翌年から夏祭りが行われなくなったからだ。
その夏祭りではしゃいでいた俺は、神社の隅でしゃがんで泣いていた狐の面を被った女の子と出逢ったのだ。
親とはぐれたと言うその女の子を、俺は幼心に可哀想と思ったのだろう。しかし子供に人捜しなど出来る訳も無いと分かっていたので、せめて泣くのを止めてあげようと、あの手この手で彼女を笑わせに掛かった。
しかし彼女は中々笑わずに泣き続け、俺の持ちネタもすぐに底を突いてしまったので、どうしたものかと困り果てて、一番簡単な指で鼻を押し上げて「ブー」と豚のマネをしたのだ。何故かこれが彼女の笑いの琴線に触れたらしく、「クスクスクスクス」と笑い出す彼女の姿が嬉しくて、俺は彼女の両親が彼女を見付けるまで、ずっと「ブーブーブーブー」言い続けていた。
もしかしてあの時の彼女なのではないだろうか? そう直感した俺は、宮司が神妙に祝詞を読み上げている間暇なので、こっそりと鼻を押し上げて「ブー」と鳴いてみせた。すれば隣の彼女は口元を抑えて笑うのを堪えている。どうやらあの時の彼女で間違い無いようだ。それでどうしてこうなったのか?
気付けば結婚式は終わり、神社は祝宴の場へと様変わりし、狐の面を被った者たちによる、飲めや歌えやの大騒ぎが始まった。
「どうぞ」
それを呆然と見ながら、供された美味しそうな料理をどうするかと考えていると、隣の彼女が徳利を差し出してきたではないか。
「ありがとうございます」
何故か俺はそれを素直にお猪口で受けると、くいと一息に飲み干す。その後の記憶は無い。強い酒だったのか、それとも酒でさえ無かったのか。気付くと俺は都会のアパートに戻っていて、夏の長期休暇も最終日となっていた。
あれは夢だったのだろう。と俺は決め付け、冷蔵庫に何も無いと分かって、涼しいエアコンの効いた部屋を出ると、外はまだ午前中だと言うのにうだる暑さで気が重くなる。上を見ればスモッグがかった炎天で、太陽がビカビカとアスファルトを照り付けている。これはヤバい。夜になってから改めて買い物に出ようと、自室の玄関扉を閉めようとした所で声を掛けられた。
「都会はこんなにも暑いのですね」
外通路を歩きながらこちらへ向かって来る見知らぬ女性は、見目麗しいとはこの事かと、容姿も所作も美しい女性で、それでも一目でそれが誰であるか俺には理解出来てしまった。
「いらっしゃい。待っていたよ」
自然とそんな事を口走る俺の舌に驚きながら、俺は狐の面を脱ぎ捨てた彼女を、アパートの自室に招き入れたのだった。
狐のお嫁さん 西順 @nisijun624
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