第23話 渋滞を抜けて
「くそ。ここも通れないか」
フロント硝子越しに見た景色には乗り捨てられた幾つもの自動車があった。
隙間を埋めるように衝突して道に詰め込まれていて、バスが通れるような隙間はない。この光景はここだけじゃない、避難所へと続く道の全てで見られたものだった。
「ほかの道はどうですか?」
「どうだろうな。災害時にはみんな避難所に向かうだろ? で、ゾンビや魔物が現れて自動車を乗り捨てる。この道も駄目なら、ほかにはもう……」
ここに来て立ち往生になってしまった。俺のスキルで磁界を発生させれば一台一台撤去して道を作ることは可能だ。でも、自動車にはセキュリティーアラームというものがある。もし磁界で自動車を動かして、それがうっかり作動しようものなら四方八方から魔物が集結してしまう。
それまでにバスが通れるだけの道を確保するのは危険な賭けだ。
「岸辺さん。避難所まであと何キロですか?」
「三キロほどだ……歩いて行ける距離ではあるが」
「危険が伴いますけど、しようがありません」
いつまでもここに居るわけにはいかない。決断を下す時が来た。そしてそれはこれまでこの車内にいる人々を守ってきた詩穂の口から告げられるべきことだ。
「皆さん。聞いてください」
意を決したように、詩穂は振り返る。集中する視線一人一人に目を合わせて口を開いた。
「このバスではこれ以上進めません。なので、ここからは歩いて避難所へ向かいます」
そう告げられると誰もが不安そうな表情を作る。
「危険じゃないのか?」
「危険です。私たちが全力で守りますが、犠牲者が出るかも知れません。それでも私たちは進まなければならないんです。ここまで来たからには」
「……あのまま銭湯にいたほうがよかったんじゃ」
そんな誰かの呟きが車内に響く。予想はしていたけど、実際にこうなると立つ瀬が無い。
銭湯での生活は恐らく薄氷の上になりたっていた。家屋を漁るだけでは食糧が足りず、狩りに失敗すれば飢えは確実。銭湯と言えど水道が止まれば水不足は必死。狩りの最中に一人でも犠牲が出れば誰も外に出ようとはしなくなる。
だから詩穂は自衛隊に守られた避難所に行くべきだと判断した。その結果がこれでは詩穂の内心を察するに余りある。どうするべきか。やっぱり話してわかってもらうしかなさそうだけど。
「なぁ、あんたらにはこの子たちが幾つにみえる?」
重い空気を打ち破る一言が車内に響く。ゲーム機の充電をして上げた男の子の父親だった。
「十六か十七、十八かもな。とにかくまだ子供だ」
彼は座席から立ちあがる。
「妙な力を持っててもまだ子供なんだ。そこにいる自衛隊の人も俺より若い二十代そこそこ。なのに精一杯俺たちを守ってくれている。俺たちを喰わせ、飲ませ、生かしてくれた。見返りも無しにだ。そんな命の恩人がこう言ってるんだ。俺は信じて付いていく、この子と一緒に」
男の子を抱えた父親は真ん中の通路を通ってこちら側に来てくれた。
「それに俺はもう子供たちの世話になるなんて情けないのは御免だ」
すこしの沈黙の後、この言葉が切っ掛けとなって誰もが席を立ち始める。
男の子の父親が言った言葉がすべてだろう。俺たち自身もスキルを得て忘れていたけれど、本来なら非常時に頼るべきは大人なんだ。それが今はどうだ、逆転現象が起きている。子供である俺たちのほうが大人より出来ることが多い。
子供の立場では助け合わなければと思うだけだけど、大人からしてみれば思うところがあったんだろう。
大人としての立場や矜持、責任か。
「ありがとうございます」
「いいんだ、このくらい。嬢ちゃんにはいつも助けられてるからな。感謝してもし切れない。ありがとな」
感謝の言葉を受けて詩穂の目が微かに潤んだように、そう俺には見えた。
「全員降りた、忘れ物もなし」
ここからは徒歩になる。避難所まではあと少しだ。
§
空調の効いた涼しい車内から一変して照りつける太陽の下、蒸し暑い中を歩く。乗り捨てられた自動車はうっかり触ると火傷しそうなほど熱せられている。卵を落とせば目玉焼きが出来そうなくらいだ。
肌を伝う汗を何度もぬぐい、視線は太陽から逃れるように下を向く。その甲斐あってか。自動車の下敷きになっても両腕を伸ばして俺たちを捕まえようとするゾンビをいち早く発見できた。
自動車の屋根に立つ凜々が引き金を引く。
「中にもいるな」
近くを通ると内側から窓を叩いてくる。流石に割って出てくることはないが、男の子がびっくりしていた。
「車がこれだけあるなら何台か動かせない? 先頭の奴とか」
「それだと人数的に車の台数が複数になってしまうわ。はぐれてしまう可能性もあるし、そうなったら守り切れない」
「そっかー」
「渋滞を抜けるぞ」
前方から岸部さんの声が聞こえ、まもなく自動車の群れを抜ける。ここからは列ではなく一塊になり、外側を俺たちと岸辺さんで囲んで進む。周囲を警戒しつつ進んでいると数体のゾンビが寄ってきた。その足取りは遅く簡単に処理できる
「俺が」
「えぇ、任せたわ」
集団から外れてゾンビに向かい、爪の欠けた指が伸ばされる。それが虚空を引っ掻いているうちに刀を抜いて首を断ち切った。残りも同様に処理して脅威を排除する。
「すぐに戻って」
「あぁ」
帯電した電気熱で付着した血が灰になるまでの間に、改めて持ち場につく。
血の臭いが拡散したけど、このまま離れれば問題ない。一応、咲希に凍らせてもらう手もあるけど、この日差しだ。時間稼ぎにはなっても数分くらい。咲希に負担を掛けないほうが結果的にはいいってことになりそう。
「見ろ。あの建物だ」
バスから降りて渋滞を抜け、尚も歩き続けてようやく避難所が見えて来た。崩壊した街並みの中でも以前と変わらない外観を残し続けている市民会館。多目的ホールとしても利用され、災害時には避難所としても使用される。
自衛隊が拠点を構えるにはぴったりの場所だ。
「みんな、頑張ってくれ。もうすぐだ」
その言葉を聞いて、みんなの足取りが力強くなる。あと少し、もう少し。あと十分後か二十分後には避難所に迎え入れてもらえるはずだ。明るい希望に背中を押されて勇ましく道を進む。
「ん?」
そんな中、ふと視界の端に赤みがかった白い物体を見た。何気なく焦点を合わせたそれの正体はなにかの骨だ。意識して見ると途端に視界に引っかかるもので、同様の骨が散見される。
そりゃあ骨くらいあるだろう。肉食の魔物だっている。魔物が魔物を喰うことだってあるはずだ。魔物だって食物連鎖の円環には逆らえない。
と、そこまで考えを巡らせて違和感に気付く。どうしてどれもこれもこの辺に落ちている骨はみんな赤みを帯びているのだろう。まるで、まるでそう。たった今、肉を食べ終えたような紅色を帯びている。
「まさか」
考え至った瞬間、それは現実となる。崩れ落ちた瓦礫の影、斜めに倒れた電柱の上、荒らされた店舗の中。四方八方あらゆる場所から狼に似た魔物が現れて周囲を包囲される。
「待ち伏せ!?」
「生き残った人はみんな避難所に向かうからってことね」
「ここは連中の狩り場ってこと!? どーすんだよお!」
低い唸り声を上げながらじりじりとにじり寄ってくる魔物たち。近づけさせないようにこちらもスキルをちらつかせて威嚇するけれど、時間稼ぎにしかならない。
「どうするもこうするも……」
凜々がライフルを構える。
「手段は一つしかない」
俺も刀を抜く。
「強行突破だ! 俺に続け!」
岸部さんが小銃を撃ちながら包囲を破ろうと突っ込む。それに合わせて全員が地面を蹴って後を追い掛けた。
「ワォオォオォオオオォオオオ!」
こちらが動けばあちらも動く。数多の牙がこちらへと迫り来る。
ナイフが燃え、水の弾丸が飛び、血の結晶が放たれ、雷を帯びた刀を振るう。次々に魔物の命を散らしながら、前へ前へと突き進む。
急いで抜け出さなければ、この包囲から。
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