第9話 水面に浮かぶ背鰭


「やっぱりいきなり化け物の解体は早すぎたんだ」

「そこで魚の出番というわけですね」


 台所に立ち、まな板を見つめる。その上には凜々が実験のために飼っていた魚が横たわっていた。すでに焦げ付かない程度の稲妻で絞めてある。精神的な抵抗を押し退けて水槽に稲妻を流した。苦しまずに死ねたと思う。

 鱗取りで鱗を丁寧に外し、あとは捌いて食べるだけ。


「えーっと、まずお尻のほうから包丁を入れてお腹を開きます」

「んーっと、あぁここか」


 包丁を持って刃の先を魚に埋める。


「包丁は浅く入れてください。深く入れすぎると内臓が裂けちゃうので」

「あぁ」


 刃を介して伝わる感触を頼りに浅く切って開いた。


「内臓を取り出す前に顎にあるエラの部分を切っておくみたいですね。ここです」

「どれどれ」


 本に描かれたイラストと本物を見比べて位置を探り、胴と顎の付け根を切り離す。


「出来た、次は内臓か。うー、改めてみると目を背けたくなるな」

「ですね。あ、内臓はここに」

「あぁ」


 三角コーナーに掻き出した内臓を捨てる。嫌な感触がした。


「黒いのが残ってるな」

「血合いですね。包丁を入れれば指で取れるみたいですよ」


 言う通りにして血合いを取り、蛇口を捻る。タンクから流れ出る水で洗い流した。


「次は頭を落とします」

「よし」


 首部分に包丁を立て力を込める。途中、背骨に遮られたが峰に手を当てて体重を掛けて切断した。鈍い音が鳴って頭が落ちる。


「頭が取れたら背骨に沿って包丁を入れてください」

「背骨は……ここだな」


 包丁を入れて尻尾まで慎重に切り進める。背骨の凹凸を感じつつ尻尾へと包丁を抜き、切り取った身を皿の上に載せ、反対側の身も切り取った。


「最後に薄くスライスして腹骨を取れば完了です!」

「最後まで慎重に……」


 腹骨のある部分に包丁を入れて薄く切り取る。この作業をもう一度やり、やっとの重いで三枚おろしが完了した。


「出来たぁー……案外、どうにかなるもんだな。まだまだ練習が必要だけど」


 産まれて初めて自らの手で捌いた三枚おろしの出来映えは決していいとは言えない。包丁を何度も入れ直したから身が崩れているし、厚みもまるで均等じゃない。けどまぁ、形にはなったと思う。壊滅的な出来ってわけでもないし、今後の自分に期待しよう。


「さぁ選手交代だ。次は凜々の番」

「が、頑張ります。失敗しても笑わないでくださいね?」


 綺麗に手を洗ってから本を受け取り、凜々に包丁を渡す。震える手で魚に包丁を入れた凜々は苦戦しつつも捌いていく。三枚おろしの出来映えは俺と似たようなもの。


「ふぅ……出来ました!」


 だけど捌き終わった凜々の表情には達成感が表れていた。


「早速、調理しましょう! お刺身にしますか? それとも塩焼きに?」

「そうだな……冷蔵庫にはなにがある? あ、バターだ」


 半分ほど使われたバターを手に取る。


「賞味期限は……一日過ぎてるけど、それくらいなら平気か」

「じゃあ、ムニエルですね。ほかの材料も揃ってますし」


 フライパンの上に切り身が乗り、IH調理機に熱か灯る。しばらくして切り身が焼ける良い音と、バターの香りが室内に満ちた。


「いい匂い……お腹が鳴っちゃいそう」

「これくらい焦げ目がつけばいいかな。食べよう!」

「はい!」


 テーブルに運び、久々の手料理に舌鼓を打つ。美味い。思わずお互いに顔を見合わせてグットサインを作ってしまった。しばらくは魚中心の食生活も悪くないかも。


§


 波打つ水面が太陽光を反射してキラキラと輝く河川敷。見晴らしのいい位置に立って化け物やゾンビの襲来を警戒しつつ、時折空中に浮かんだ水球に目を奪われる。シャボン玉のように浮かぶそれの中では元気よく魚が泳いでいた。


「見てください! 大量ですよ!」


 川からまた一つ水球が浮かび、魚が捕らえられる。浅瀬に立つ凜々は満面の笑みを浮かべていた。


「魚取り名人だ。誰も凜々には敵いっこない。最強! 天才!」

「そうでしょう、そうでしょう! 私がいれば食糧問題は解決ですよ!」


 とても得意げだった。


「俺も手伝えればいいんだけど」


 川に稲妻を流せば大量に取れるけど、死なせると帰るまでに鮮度が落ちてしまう。日持ちを考えると生け捕りにするのが一番で、それは凜々の得意分野だ。ここは素直に手柄を凜々に渡すことにした。


「化け物もゾンビもいないな、今のところ」


 やることもない俺の役目は見張りくらい。長く伸びる道路や広がる空に化け物がいないことを確認して視線を凜々へと戻す。

 直後、自分の目を疑った。


「凜々! 今すぐ上がれ!」

「え? どうしたんですか?」

「鮫だ!」

「へ?」


 振り返った先で凜々が視線で捉えたのは、水面から突き出た背鰭せびれ。近年どこにでも出没するようになったサメ映画よろしくだ。川の流れに逆らうように泳ぎ、どんどん凜々へと近づいていく。


「ひゃあぁあああ!?」


 聞いたこともないような悲鳴を上げて、凜々は急いで陸地に上がる。俺もそちらに駆け寄った。


「さ、鮫! 鮫が川に!」

「あぁ、わかってる」


 縋り付く凜々を支えて川を見据える。獲物が陸に上がったからか、背鰭は角度を変えてぐるぐると旋回し始めた。まだ凜々を狙っているらしい。


「鮫って海水魚ですよね? なんで淡水に」

「さぁ、淡水でも大丈夫な種類なのか、もしくは……」

「化け物? あれ化け物ですか!?」

「かも、な」


 鮫であれ化け物であれ、陸には上がってこられないみたいだ。まずは一安心。


「捕った魚を回収して帰ろう。長居は禁物……あれ?」

「こ、今度は何ですか!?」

「いや、凜々。捕まえた魚は?」

「へ? あ、あぁあ!」


 先ほどまで宙に浮かんでいた水球がなくなっている。


「もしかして……」

「び、びっくりして落としちゃいましたぁ……」


 能力に対する集中力が途切れて解除されてしまったってところか。俺も突然現れた背鰭に気を取られて能力解除に気付かなかった。


「すみません。あんなに大見得切ったのに……」

「突然、鮫が現れたんだ。誰だってそうなる。魚はまた捕ればいいから、その時にまた頼むよ」

「うぅー……そうします」


 しかし、こうなってくると川も安全じゃないな。陸海空すべてにおいて警戒が必要だ。


「今晩の食事はどうしましょう。備蓄を切り詰めるしか……」

「そうだな……でも気になったんだけど」

「はい?」

「鮫って美味いのかな?」


 凜々の視線が旋回する背鰭に向かう。


「もしかして、あれを?」

「フカヒレが食えるかも。それに――」


 進み出て、浅瀬に手を入れる。


「水の中なら簡単だ」


 指先から放たれた稲妻が広範囲に広がり背鰭を襲う。感電したそれは大きく水面から跳ねて痙攣し、力なく水面に浮かぶ。

 これでよし。


「ほらな?」

「ですね!」


 凜々に笑顔が戻り、浮かんだ鮫だか化け物だかを陸にあげる。


「鮫というよりイルカか? いや、どっちとも取れるな。化け物には違いないけど」


 露わとなった全貌は鮫ともイルカとも付かない、奇妙なものだった。

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