第33話 鉄平と再会
「こちらです。」
関口が、病室のドアを開けて依に中へ入るように促す。
依は、緊張で震える手を、もう一方の手で押さえつけながら、一歩踏み出した。
そして、室内をゆっくりと見渡すと、病室らしくない広々としたリビングで目が止まった。
ーーそこに彼は、いた。
鉄平と依の視線が交わる。
鉄平は、ゆっくりと立ち上がった。
依は、動く鉄平を目にして、ハッとし、その場で立ちすくんでしまった。
鉄平が愛しげな笑みを浮かべながら、テーブルをまわって依に近づく。
長い脚が、一歩一歩近づいてくる。
ただ歩いているだけなのに、その一歩がすごく崇高なものに見える。
生きてる音が、カツンカツンと耳に届く...。
依の目から自然に涙が溢れてきた。
鉄平が動いてるさまを、一瞬たりとも見逃さないよう、依は涙で閉じようとする目を無理やり開き続ける。
口を手のひらで覆いながら、はらはらと涙を流し続けた。
言葉にならない空気が、口からうぅ〜と漏れ出してしまう。
病室に来るまで、なんて声をかけようかと依は考えていたのだが、全く声にならない。
『おかえりなさい』とか『会いたかった』とか、『生きてて嬉しい』とか色々考えていたのに、胸がいっぱいで呼吸もままならないのだ。
だって、心から望んだ人が等身大で動いているのだ。仕方がないでしょう?
そんな鉄平を見たら、込み上げてくるものが大きすぎて、言葉にならないのも納得である。
依が声を発しようとしても、過呼吸のように空気がただ出るだけであった。
鉄平が目の前に来るまでの数秒間。
それが、なぜだかものすごく長いもののように感じた。
スローモーションのようにゆっくりと感じられ、はっきりと相手の息づかいや、衣擦れの音が聞こえ、筋肉が躍動して動く様子もしっかりと見えたのだった。
目の前に立った鉄平は、依よりも頭一つ以上目線が高かった。
二人で過ごした4日間ではあり得ない目線の高さ。
いつも逆で、依が下を向き、鉄平が上を見上げていた。
こんなふうに顎を持ち上げて、依が鉄平を見ることなんてなかった。
徐々に、実感が湧く。
ここにいるのは、生きている鉄平さんなんだ、と...。
そっと鉄平が、両手で依の頬を挟んだ。
もはや、精一杯腕を持ち上げて、小さな手を頬に添えるしかなかった幽霊では、もうない。
「...ようやく、触れた....。」
はぁ...と、鉄平が感極まって、泣きそうな顔で笑う。
緊張で、体がこわばっていたのが、少しほどけた。
実際に目にした依の姿は、眩しすぎて幻なんじゃないかと思えた。
触れたら、消えてしまうのではないかと不安だった。
だが、触れても感触は消えない。体温が存在を教えてくれる。
「...よりさん...。こんなに、小さかったんですね..。
可愛...。
強く触ったら、壊れちゃいそう、ですね...。」
久しぶりに触る女性の柔らかさと儚さに、鉄平は恐々とする。
依は、その言葉に、涙を流しながらも笑う。
「ふふ...。どんだけ私、か弱いんですか?
こんなに優しく触ってくれてるのに、壊れませんよ?」
依は、鉄平の手に頬をスリっと擦り付けて目を閉じる。
鉄平に触れられてる場所が愛しくて、温かくて、もっと近くに感じたい。
鉄平は、ぐっときて顔が赤くなった。
「うわっ。ヤバいな...。依さん、凶悪...。
止まれなくなりそう。」
鉄平は、依の天然の仕草にやられ、上を見上げる。
そして一つ、咳払いをすると、依を真剣な顔で見つめ口を開いた。
「ーー依さん...。抱きしめても...、いい?ーー」
そんなこと聞かなくていいのに...と、依は思ったが、それもなんだか鉄平さんらしいなぁと胸があったかくなった。
だから依は、コクンと頷き、小さく一歩前に踏み出す。
鉄平の胸におでこをコツンとあてて、身を任せる。
ゼロ距離になった鉄平の匂いをすいこんだ。
変わらない鉄平の匂い。幽霊の時もかいだ爽やかな落ち着く香り。
多幸感に包まれる。
鉄平も、両手を依の背中に回して、優しくふわりと抱きしめる。
二人で、同時に「はぁ...。」と幸せを噛み締める息が漏れた。
とくとくっと心地よい心音が、混ざり合う。
互いの体温が、暖かく温い。
生きてる証拠の体温と心音。
しばらく抱き合いながら、互いの存在を堪能しあう。
でも、まだまだ全然足りない。
もっと一つになれたらいいのに...。
鉄平は、依のつむじにキスを一つ落とすと囁く。
「もう少し...強く抱きしめていいですか?」
懇願するような鉄平の声に、依は頷く。
「はい。
鉄平さんのしたいようにして。私もギュッとされたいです。」
そんな殺し文句のようなセリフを言われた鉄平は、暴走気味にぎゅーっと力強く依を抱きしめた。
その力は、とても力強いもので、依には少し痛かった。
でもその痛さも、心地よい。
求められてる気がして幸せだ。
しかし、程度がある。
長く強く抱きしめられたら、苦しくなるわけで。
「ふぅ...っ。」
息をするのが少し苦しくて、依は声が漏れた。
ギブギブと軽く叩くが、鉄平は気づかない。
依が「てっ...ぺ...」と、掠れた声をだしたその時、バシッという音と共に、抱擁が解かれた。
「加減を知れっ!!」
見ると、お盆を片手に持った執事が、鉄平の後ろにいた。
壁際には、苦笑する関口が控えていた。
どうやら、この場には鉄平と依の他に人間がいたようだ。
気づいた依は、顔から火が出そうになり、恥ずかしくて鉄平の胸に顔を押し付けた。
「お前なぁ。抱きしめるにも、限度がある。彼女、息止まりかかってたぞ。
それに、わかるが、わかるけどもッ!
俺や関口がこの場にいるの忘れんな。
何が、悲しくて友達のラブシーン見せられなきゃなんねぇんだ...はぁ。」
執事の格好をしているので、鉄平の家人だと思うが、気やすすぎる。
きっと、この方が鉄平さんの旧友なんだろう。と、依は会話の流れから判断した。
鉄平は、叩かれた頭を抑えながら、申し訳なさそうに依に謝る。
「すいません。喜びが溢れすぎて...。
今度は大丈夫です!
これなら大丈夫でしょう。」
先ほどよりも幾分か力を加減して抱きしめてくれた。
しかし、この場に第三者がいると知ってしまった依は、恥ずかしくて仕方ない。
小さな頃から、自分以外のものに傅かれていた鉄平にはわからない羞恥があるのだ。
小さく頷くだけが精一杯だ。
瀬田は、その様を見て再度溜息をつく。
「鉄平。彼女、俺や関口がいる場で抱きしめられるの恥ずかしいってよ。
お前は、自分以外の従者に何見られても平気な無自覚な王様なんだ。離してやれ。」
「あ、ああ。そうなのか....。
すいません、依さん。」
そっと肩をおさえて、体を離した。
小さく「いえ..。」と、声を出す依の顔は、まだ赤い。
鉄平は、そんな依を見て、ふにゃっと笑う。
なんて可愛いんだろう、僕の彼女は。と、しみじみと幸せを噛み締めていた。
「立花依さま。こちらの椅子へどうぞ。」
瀬田が、仕事モードで依を椅子までエスコートして座らせてくれた。
そして、鉄平にはひと睨みにして顎で着席を促す。
苦笑しながら、鉄平も依の向かい側に座った。
「依さん。顔あげて?」
甘い口調で懇願する声にますます恥ずかしくなる依だったが、オズオズと顔をあげた。
蕩けるように笑う鉄平と目が合った。
なんて顔でこっちを見てるの!?と、驚き目を見開いて固まる。
鉄平は、ふふっと笑ってしまう。
幽霊の時も赤くなってくれていたが、生身の姿は効果的面に依を堕とせるらしい。
どうしても小さい時は、性的な魅力があまり出せなかった。
幽霊の時は幽霊の時で老後の夫婦みたいな穏やかな空気感があって、それはそれで良かったが、今みたいに微笑むだけでオロオロ恥ずかしがる依さんを見れるのも最高であると、幸せを噛み締めた。
「改めて....、ごめんね。
まさか、自分が生きていたとは想像してなかったんだ。天国の父さんに聞くまで、死んでたと思ってた。
体に戻ってからも、記憶を失うなんて思ってなかった。
目覚めてから、何か足りないってのはわかったんだけど、それがなんなのか、ずっとモヤモヤはしてはいたんだ。」
今までのことを話し出す鉄平。
依は、胸をおさえながら苦しげに話す鉄平の姿に、鉄平も大変だったことを知った。
依は軽く首を横に振り、鉄平を許す。
「大丈夫です。今、私を思い出してくれてるならもういいんです。
遅くなりましたが...、お帰りなさい。」
ふわりと笑う依。
鉄平が一番好きな癒される依の笑みだ。
二人で見つめ合い、微笑み合う。
「依さん。ただいま帰りました。」
はい、と返事をする。
胸が温かくて幸せで仕方ない。
今こうやって目の前に、鉄平さんがいることを神様に感謝する。
あの時は、1年後また会えればいいと思っていたけど、それは間違いだった。
鉄平さんと離れてから、日に日に高まる喪失感に、押しつぶされそうだった。
ストーカーみたいに得体の知れない人につけ回された時は、この場に相談したい鉄平さんがいないことを、恨んだ。
悔しくて、寂しくて、涙で枕を濡らすこともあった。
そんな時に、課長にがっつり守られて、揺らぐ自分も嫌だった。
好きな気持ちは、当然、鉄平さんにあったけど、楽になりたいと思う気持ちがあったのは本当。
このまま課長に委ねたら、怖くなくなる、寂しい気持ちも少しは埋まりそう...なんて思ったことは、数知れない。
本当に...私、最低だって自己嫌悪もした。
本当に、鉄平さんが私を思い出してくれて良かった。
1年に4日の逢瀬でも寂しいのに。
それなのに、このまま私を思い出さなかったらと思うと...ゾッとする。
来年のお盆に鉄平さんが現れなかったら、絶望して何をするかわからなかった。最悪、死んでしまったかも。
それに、サクマグループの社長だとしたら、いずれどこかのメディアで目にすることがあったかもしれない。
そんなことになったら...こわい...想像できない。
だけど...、絶望って言葉だけじゃ足りない気がする。
生きてるのに会いにこないなんて捨てられたとしか思えない。
うん... 男性不信どころか人間不信になるな。
本当に、思い出してくれて良かった...。
「鉄平さん。思い出してくれて良かったです...。
何かきっかけがあったんですか?」
「うん、アルゼンチンで会った日本人覚えてる?
東条樹って、僕の友達なんだ。」
「えっ、あの人?自意識過剰な...あっ。な、なんでもないっ。」
「ふふ、そうだね。樹も僕も、キャーキャー言われるのが常だったからね。
過剰な反応しちゃうんだ、ゴメンね。」
こてんと、首を倒して謝る鉄平に、ドキッとしてしまう。
幽霊の時はただただ可愛かった仕草が、生身になると色気が入る。
依の心臓を壊しにかかる兵器のようだ。たちが悪い。
「彼に、アルゼンチンで名刺渡したでしょう??
樹からもらったお土産に、依さんの名刺が挟まってて。偶然、名前を見たんだ。
それが、きっかけになって思い出したんだよ。」
「そうだったんだ...。あの時の。
アルゼンチンでもお世話になったのに、さらに大恩ができてしまいましたね。
何か贈り物でもした方がいいでしょうか。」
「いいよ。もう、僕がお礼言っといたから。
樹も気にしないってさ。
実は、依さんのこと思い出した時、また意識不明になってね...。目の前で、僕がおかしくなったことが衝撃すぎたらしくて。
だから、僕の意識が戻ったことだけで嬉しいってさ。」
「それと、樹の他に、夢の中で依さんのお婆様にも助けてもらったんだ。
意識が深いとこまで潜っちゃって戻れなくなってたら、浮上させるために来てくれたんだ。
幽霊の父さんもきて、びっくりしたけどね。」
「おばあちゃんが?それに鉄平さんのお父さんまで?」
「うん。父さんとの仲は、冷え切っていたんだけど、死んでから2回も現れて助けてくれたんだ。」
鉄平は、依と離れた後の不思議な体験を聴かせた。
依は、最後まで黙って聞いてから口を開く。
「お父さんに、ちゃんと愛されてたんですね。」
よかったと、心から依は安堵した。
家族の愛を知らないと言っていた鉄平さんにも、見えない家族の愛があったのだ。
鉄平さんの心が、救われて良かった...。
「それでね、その時に父さんに発破をかけられたんだけど...。」
途中で言葉を切ると、鉄平が腕を伸ばして依の手を握る。
そして、依の目をしっかり見ると口を開いた。
「立花依さん。僕と結婚してください。」
ヒュッと依は息を呑んだ。
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