第25話 東条との出会い
あくる日。
帰国前日の今日は、唯一のフリータイムだ。
依は、ゆっくりとブレックファーストをとりながら、観光情報をさらっていた。
アルゼンチンの朝食は、バターがたっぷり乗ったトーストにキャラメルに似た味のドゥルセ・デ・レチェというジャムをつけて食べるのが一般的で、依も気に入って毎日食べていた。
今は、そのトーストと一緒にコーヒーとサラダを食べていた。
観光途中でいろいろ食べるかもしれないので、今朝は軽めに終わらす。
課長からは、一緒に観光しないかと誘われたが、ゆっくり買い物がしたかったので丁重にお断りした。
アルゼンチンのお店で、日本ではお目にかかれないような配色の派手可愛い下着や服、食器が欲しかったのだ。
流石に、下着の買い物には男性は連れて行けない。
それに...、課長がそばにいたら落ち着かない。
昨夜も課長がぐいぐい迫ってきて、心臓に悪かった。しかも、あからさまじゃないから、拒否も出来なかった。
課長...、私、断ったんですよ。もう諦めてください(泣)
鉄平さん、どうしよう。助けて...。
依は、天国にいるだろう鉄平に縋りたかった。
最後に会ってから、まだそんなに経ってないのに、やっぱりふとした瞬間に寂しくなっていた。
だが、鉄平は生きていた。
それも依との日々を忘れた状態で目覚めていた。
そんなことは知らない依....。
依は、ホテルを出て街に繰り出す。
まずは、ブエノスアイレスを循環している黄色のバスの1日乗車券を買った。
バスには観光客向けに、壁のジャックにイヤホンを差し込むと、観光名所を通り過ぎる時に文化遺産などの説明をしてくれる設備がある。
依も当然、ガイドイヤホンで情報を聞きながらバスの上から市内を観光していた。
街並みは、色とりどりの原色カラーの地区や、外国らしい煉瓦造りの家などさまざま。みているだけで、心が浮き立つ。
目当ての店があれば、その近くで下車をする。
買い物が終われば、またバスに乗って観光しながら次の買い物に向けて移動をして、効率よく街を巡った。
無事に自分のお土産も留守番組の南たちへのお土産も買え、顔が綻ぶ。
何より食器が、素敵なものを買えて満足していた。
鉄平とお揃いになるようにマグカップとお皿を購入した。
ピンクを基調としたものと青を基調としたものである。
来年、また鉄平が来てくれた時に使おうと心に決めていた。
幸せなひと時を想像する依...。
鉄平さんと、おそろいのマグカップでお茶を飲んで、お供えした羊羹を食べたらいいよね。
平皿にはおそうめんを並べたら良さそう。
きっと鉄平さんも気に入ってくれるだろうな。
その時に、アルゼンチンの写真も見せて、思い出を共有したいな。
しかし、実際、鉄平は死んでなかったわけで...。
なんて残酷なのだろう。
依は、そんなことはつゆにも思わず過ごしていた。
左手を飾るバングルを、微笑みながら見つめる。
すると、後ろからドンっと誰かがぶつかってきた。
依はタタラを踏んで、転ばないように立て直す。
まだ青年にもなってないくらいの少年が横を駆けていく。
ぼーっと、なに?と、すでに遠くへ行って小さくしか見えなくなった男の子を見ていた依だったが、ハッとする。
もしかしてスリ??
そんな映画みたいな事ある?
冷や汗が背中を伝う。とりあえず、取られたものがないか確認する。
バックも蓋が空いていることもなく、胸ポケットに入れていたパスポートも無事。
あとは...。
さっき露店で買ったジュースのお釣りを入れたポケット。
「あー、こっちかぁ。」
スカートのポケットに入れていた小銭入れがない。
やられた。
でも、大した額が入っていたわけではない。
チップ代として、いくつかの紙幣と小銭が少し入っていたくらい。
依は、しょうがない...勉強代だ。と、苦い思いを無理やり飲み込んだ。それよりも、体が無事だったことを幸いだと思おう。
その時、トントンと肩を叩かれた。
後ろをふり向く依。
「やぁ、お姉さん。こんにちは。」
サングラスをかけて、ラフな格好をした20代後半くらいの男性がいた。
日本人である。
「えっと..こんに、ちは?」
「うん、ちょっとごめんね。」と、男性が言うとバサッと着ていたパーカーを脱いで依の腰に巻きつけた。
??と、首を傾げる依。
思いもよらないことをされると、抵抗することなく受け入れてしまうらしい。
「よしっ。」
男性は、パーカーを腰に結びつけ終わると、満足そうに笑う。
それから依の財布が入っていたポケットの方を指さすと、説明し出す。
「あのね、後ろからたまたま見てたんだけど。
..お姉さん、スカート縦にぱっくり切れてるから。」
言いづらそうに、小声で依に伝える。
たとえ、普通の声でも周りは外国人なので、理解はされなかっただろうが、紳士な対応であった。
「えっ!!」
バッと依がパーカーの下をめくって見てみると確かにキレていた。
下着が見えそうで見えない位置ではあったが、これは...。
恥ずかしいと思うよりは、怖かった。
「海外って多いんだよ。ナイフでスパッと切って、スラれるの。俺も、何回か前の出張で、スマホ盗られて大変だったんだ。パスポートとか大丈夫だった??」
「はい大丈夫です。セカンド財布で、チップ代くらいしか入ってなかったので。」
「怪我は??」
「はい、怪我はしてないです。気づかなかったくらいなので。」
「そっか、よかった。じゃ、それあげるよ!海外旅行楽しんで。」
軽く手をあげ、その場を離れようとする男性。
慌てて、依は男性の腕に手を伸ばして引き留めた。
「ちょっ、ちょっと、待ってください!」
「ん?何?」
「これ。どうしたらいいですか!?
日本にお住まいですか?住所を教えていただければ、クリーニングして送ります。」
「あ゛ー。いいよ。それあげるよ。」
「無理です!これ、ブランドもの!!いくらするのか、わかりませんが、10万くらいするものじゃないんですか!?」
「うん、するね〜。でも、あげる。ほら、俺。あまり住所教えたくないんだよね〜。」
サングラスをずらして苦笑する。
その顔を見て、納得。
極上という部類の男性だった。
多分、ストーカーとかの被害が多そう。
「なるほど。では、私の名刺を渡します。
あとパスポートも確認してください。
もし、私があなたのストーカーになったり情報を漏洩すれば、然るべきところに訴えてもらっていいです。念書も書きます!!」
「わぁおっ。勢いがすごい。ん〜。どうしよっかな。」
まじまじと依を観察する男性。
依の視線に、媚びを売るようなものは一切なかった。
「ん。大丈夫そうかなぁ。君、変わってるね。
俺を見て、がっつかない女の子珍しい〜。
お金持ってて、この顔でしょう。
自分で言うのもなんだけど、顔が良くて大変なんだよね〜。」
確かに、苦労しているだろうとわかるけどちょっと自信過剰じゃない?私みたいな子いっぱいいるし。と、心の中でムッとする依。
依の近くには、男の最上位、沢崎がいるので、この男の言い分を理解するのが難しいのだ。
「ははは...。私みたいな考えの人の方が、世の中には多いと思いますよ。
あなたみたいな人は、“観賞用”です。」
変わってる子と言われて、ちょっと怒っていた依は言葉に棘を含ませる。
「そうかな?じゃあ、俺の周りが肉食女子だらけってこと?へぇ〜。観賞用ねぇ。まぁ、君ならいっか。
とりあえず、じゃあこれ。俺の名刺。
会社に送って。それならいいでしょう?」
依は、名刺を受け取った。
「東条 樹さん...。では、ここの会社の住所に送ります。
後、ちゃんとお礼言ってませんでした。ありがとうございました。これ、お借りします。」
「うん。よろしく。ほんと君、あっさりしてる。」
くすくすと笑う東条。
7月9日通りという観光スポットで、日本人が私服で名刺交換をする姿は異様で、依も笑いがこみ上げた。
すると、突然「立花っ!」と声が聞こえた。
依の肩がぐいっと誰かに抱き寄せられる。
こんな外国の地で、依を知っているのは、課長くらいである。
見ると、切羽詰まった顔をした課長がいた。
「立花っ!大丈夫か?」
沢崎は息が上がっている。走ってきたようだ。
依はぽかんと唖然とした。
「えっと…。課長?なにが、でしょう?」
「え?ナンパされていたんじゃ??」
どうやら、沢崎の勘違いで突っ走ったようだ。
確かに、見知らぬ土地で、送るとかあげるとか長い間押し問答していれば、遠くからならそう見えなくはないのか?
依が、目をぱちぱちと瞬きをしていると、感心する声が横から聞こえてきた。
「ほぇー。すっごいわ...。
なんか、うん納得した。
君が、俺の顔に反応しなかったわけがわかったよ。
これは、俺なんか及びじゃないね。
君の上司すごいな、その辺の美術館に飾られてそうじゃん。」
東条が、目をまんまるにして沢崎の姿に感動していた。
人外的美貌は、イケメンにも有効らしい。
「うん。納得!納得!これなら安心!これなら大丈夫!
じゃあ、立花さん?
君がストーカーになりそうもないから安心できたし、俺もう行くね!
なんか、上司さんにめっちゃくちゃ睨まれてるし、退散するわ。いい旅を。
アーディオスっ!」
東条は、さっさと軽薄に挨拶して去っていった。
「あ、はい。ありがとうございました!東条さん!
ちゃんとコレ送りますね〜!!」
去っていく東条に、依は声を張ってお礼を言った。
そして、くるりと、課長に向き合う。
「課長。もうっ、失礼でしたよ。
東条さんは、助けてくれたんです。」
「え?」
「さっきスリに会っちゃって。
スカート切られて、チップ用のセカンド財布盗られちゃったんです。
それで、ここの部分に縦に穴空いちゃったので、パーカー貸してくれて…。
ちょっと、課長!めくらないでください!」
沢崎は、切られたと聞いて心配でパーカーをめくろうとしたが、考えてみればセクハラである。
「わぁっ!悪いっ!!
傷がないか確認しようとしたんだが、そうだよなっ!駄目だよな!悪かった!」
気づいた沢崎の顔は耳まで赤くなる。
だが、他の男の洋服をまとってることに、正直イラっとする。
男を追いかけてパーカーを返して、自分のニットカーディガンに変えたい。
だが、すでに男の姿は見えなくなっていて、服の交換を諦めざるをえなかった。
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