第24話 課長と出張 

数日後。

今日も依は、通常通り会社に出勤していた。

そこへ、課長が近づいてきた。


「立花。3日後、アルゼンチンに飛ぶぞ。補佐として一緒に来てもらう。」


「えっ?私ですか?南さんは?」


いつも海外に課長が行くときは、南さんが付きそうのがお決まりだ。

依は、一度も海外に随行したことがなかった。


「南は、家族の予定があって、今回無理なんだ。」


ちらっと、デスク向こうの南を見ると、手を合わせてペコペコしている。


「ごめんね~、立花ちゃん。息子の学校の関係で、行けないのよ~。」


「あ、そうなんですね…。じゃあ、坂田さんはー…」


南の横にいる坂田さんに目線を向けるが、すぐに課長が否定する。


「坂田は、今回必要ない。俺が、直接交渉するから。

交渉役は一人で十分だ。

必要なのは、補佐する事務仕事のほうだ。データに起こす作業や発注作業になる。

立花が、この中では一番起こし作業が的確で速い。立花が一緒に来てくれると助かるんだ。

だから...、 …嫌か?」


沢崎が眉を下げ、困り顔で、依の顔を窺う。


こないだから、沢崎は依限定でこういう母性本能を揺さぶるような態度をとってくるようになった。

策士である。

依がギャップに弱いことに気づいているのだ。


南辺りは、察してにやにやしている。


そして依は、わかっていてもイケメンのしょんぼり困り顔に反応してしまう。

キュンと、胸にくるものが不可避であった。

イケメンはずるい。


「い、や…ではないです、よ?

ですが、私で大丈夫でしょうか?英語で会話するの、自信がないです。」


英語を持ち出したが、本心は違う。

沢崎と長期間二人で行動するのが、かなり気まずいので、一緒に出張に行くのはご遠慮したい。

だが、私情を持ち込むわけにはいかない。

仕事が仕事だ。

わかってはいるが...、どうしよう。


「そうか?立花は、英語のTOEICも英検も、成績良かった気がするが?」


「専門用語を聞き取るのが難しいんです。日常会話なら問題ないんですが。」


「あらぁ、それなら私より立花ちゃんのほうがよほど有能ね。わたしなんて、沢崎君に指示されたことをデータにするだけだもの。

私ができるんだから、立花ちゃんは問題ないわよ。いってらっしゃいな。

アルゼンチンいいとこよ〜。お肉がとってもおいしいんだから。

せっかくだから、沢崎君の財布でいいとこ連れっててもらいなさいよ。」


「あぁ、問題ないな。俺の財布に期待してくれ。

アサードがうまいレストランに行こう。夜は、比較的時間がある。」


「いいなぁ~。依ちゃん、俺もアルゼンチンいきたぁ~い。

課長!俺、荷物持ちで連れて行きません??」


「ばぁか。坂田は、俺の代わりに日本で馬車馬のように働け。」


そんなぁ~と、坂田さんが泣きまねをして、場を和ませた。

ふふっと、笑いがこぼれる。


「とりあえず、これからチケットを取る。また、詳しいことはあとでレジュメをメールで送る。」


依は、3日後アルゼンチンに出張が決まったのだった。






[アルゼンチン ブエノスアイレスにて〕


『A new lithium mine has opened in Salta province, and our company would like to secure a large amount of it. I'm thinking about this amount.ーーーO.K.ーー』

(ーーサルタ州で発見された新しいリチウム鉱山ですが、わが社ではかなりの量を確保したい。このくらいの量を…そうですね。ーー)

『Thank you for this time. It was a meaningful time.』

(有意義な時間でした。ありがとう。)



こんな風に課長が、英語で、ブエノスアイレスの鉱山会社のいくつかと商談をかわし、連日、二人は一緒に交渉にあたっていた。

ほぼ交渉は沢崎がしていて、依は、その横で数値や条件などをメモにとっていた。


近年、アルゼンチンは鉱山開発が活発になっていて、埋蔵量もかなりあると注目されている。

首都、ブエノスアイレスには、そんな鉱山関係の会社が軒並み揃っているので、1日に数社梯子して仕事をこなしていた。

現地で直接売り込む必要がある新規開拓会社が、多いのだ。

日本の企業なんて名前も知らないところが多いので、まず我が社を知ってもらうことから始める。


中には、日本で話を詰めることができていた会社もあり、そういう会社は契約書を持参して、担当者と締結を結んだ。

そうなると、お近づきのしるしとして、夜は会食する流れになり仕事が夜遅くまで続く。

ラテン系の民族なので、ノリがよく、飲みながら踊り出すこともあって、なかなかハードな日々だった。


昼間に空いた時間があれば、ホテルに戻りどちらかの部屋で仕事をするのもお決まりのパターンになっていた。

依は、交渉の中で提示された額や量、契約期間など社別にデータに起こしていく。

沢崎はそれを見ながら、本社と連携を取ったり、会話の中で新たに条件を出されたものを詰めていき、ブラッシュアップしていく。

そのブラッシュアップしたものを再度依がデータに起こす。


結局、やることが多岐に渡り、アルゼンチン滞在5日目にして、まだ観光をする時間をとることができてなかった。

本当に夜しか時間がなくて、会食が入らなかった夜の2回だけ沢崎と二人で食事に出かけることができたくらい。

しかし、慣れない場所での仕事は依の体力をじわじわと削ぎ落とし、ゆっくり夕食を食べるどころではなかった。

食べたらシャワーを浴びてすぐ寝たい気持ちが強く、近場で手軽に食べれる夕食を沢崎と一緒に食べただけだった。

とにかく、依はへとへとだった。


だから今の所、沢崎と二人になっても、いい雰囲気になる、なんてことは皆無であり、依は安心していたのだった。


だが、それも今日で終わり。

回らなくてはいけないところがようやく終わったのだ。

今日の夜から明日1日が自由時間になり、明後日帰国する。


だから約束通りこれからアサードの美味しいレストランに連れて行ってもらう。

課長が、老舗のアルゼンチンタンゴを鑑賞しながら食べられるラグジュアリーなレストランを予約してくれたのだ。


依は、カジュアルなワンピースドレスを着た。

ミモレ丈であるが、横にスリットが入ったタイトなスカートで、子供っぽさがない。適度な露出でTPOもわきまえている。情熱的な国とはいえ、露出のしすぎは眉を顰められるのだ。

ウェストは大きなリボンで引き締め、細い腰と形のいいヒップラインをハッキリとさせ、依のスタイルの良さを魅力的に演出している。

バックは、小さなクラッチバックで上品な印象にした。

耳には大振りのピアスをして、アルゼンチンらしさを出す。

髪の毛はゆるりとサイドに流して色っぽく見えるようにセットした。



そんな格好をした依が、ロビーで待ってる沢崎にところへ向かう。

男は、スーツならドレスコードが関係ないので、着替え直す必要がない。依だけドレスアップのために部屋に戻って支度をしていたのだ。


急いで用意したが、課長は退屈してないだろうか?


エレベーターを降りて、キョロキョロ見渡すと、長い脚を組んでソファーにもたれて座っている沢崎を苦労することなく見つけられた。

海外にいても、彫刻めいた男の姿は、目を惹くらしい。

現地の女性たちから熱い視線をもらっていた。

ざわっとしている場所に目を向けただけで、沢崎の居場所がわかる。


「課長、お待たせしました。」


「あぁ。全然、待ってな...。」


パッと、沢崎が顔を依に向ける。すると、目を見開き静止した。


普段の清楚な立花の姿も好きだが、今日の格好はまた違う立花の魅力があって良い...

楚々とした雰囲気に、危うげな魅力が匂い立っている...


そのアンバランス差に、沢崎はやられた。

衝撃で見惚れ、言葉が出なかったのだ。


「課長?」


首を傾げて課長に近づくと、ハッとして課長が動き出した。


「あ、いや。あ゛ー、あまりにも立花が綺麗で...。見惚れた。」


口に手を当て、視線をずらす。こちらに向けられた耳が赤くなっていた。

依も、ひえっ!と、つられて顔が赤くなった。


沢崎が、んんっと咳払いをして「じゃあ、行こうか?」と、依に腕を差し出す。


依は、そっとその腕に指をかけ、エスコートを受け入れる。

郷に入っては郷に従え。

周りの男女に合わせ、寄り添いながら歩き出した。


ホテルからタクシーに乗り込み、レストランへ。


レストランでは、ステージを前に食事を楽しむ。

情欲的でエネルギッシュな動きで魅了するタンゴと、スパイスが効いた肉料理の数々にうっとりとする。

非日常感に包まれ、依は大満足だった。


沢崎は、終始依を観察していた。

目をキラキラさせながら鑑賞する可愛い依の姿に、心が渇望する。


連れてきた甲斐があった。

隣に立花がいることが、たまらなく嬉しい。

居心地が良くて、自然と顔が緩んでしまう。


その微笑は、妖艶であり、見たものは熱いため息をつくほど魅力的であった。


仕事ではあったが、ここ一週間二人でみっちり過ごしていた。阿吽の呼吸のように仕事も捗った。

仕事の能力も言う事なし。細かいところの気配りも、こういう場での態度も会話も、全てが好ましい。

やはり、諦めるには惜しい。立花が欲しい。


だが、まだ脈がないみたいだ。

時々、さり気ないアピールを仕掛けて、意識させようとしたが、頬を染めて恥ずかしそうにするだけで、目に恋情は現れなかった。

一人の男として意識されていない。

多分、憧れの芸能人に会った時のリアクションのようなものなんだろう...。


俺を見て欲しい。チャンスが欲しい。


そのワイングラスを掴んでいる華奢な細い指を絡ませて、ピッタリと交わりたい。


細い腰を、折れるくらい強い力で引き寄せて、一つになりたい。


立花を見ていると、喉が渇くんだ...

飲んでも飲んでも足りない。


君の視線が。君の心が。君の全てが、欲しい...。


胸を焦がすほどの熱量で、依を見つめる。


やがて、ショーも終わる。

依が沢崎の横で微笑みながら楽しむこの時間を、目に焼き付けた。


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