第11話 一歩前進

ふーっと、大きく息を吐き出した鉄平は、ふんわりと笑みを浮かべた。

その顔は、どこか満足そうである。


依は、鉄平の話を一言一句漏らすまいと真剣に聞いていた。

途中、憤りや、憐憫や、悲しみが、次々と溢れてきていたが、最後まで遮ることなくきちんと聞いた。

そして、話が終わった今、ようやく口を開いたのだった。


「それは、辛かったですね...。」


あまりにも自分の家族と違いすぎる。

幼少期の鉄平の境遇に胸が苦しくて、涙が出そうだった。

甘えが必要な時期だっただろう。

絶対的な味方が必要な時期だっただろう。

物心がついた頃の母親の裏切りなんて、誰でもトラウマになるはずだ。


でも、前向きな鉄平のことだ。この場で、慰めはいらない気がする。


残り数日しか現世にはいられないが、出来るなら母親にまつわる苦悩を昇華して、未練なく天国に行かせてあげたい。

それに、この話をしてくれたと言うことは、出会ったばかりではあるが、依を信じてくれてるのだ。


だからその思いに報いたい。

慰めよりも、前に進むための言葉をあげたい。



「月並みになりますが...。

鉄平さんのお母さんは、特殊な方だったと思います。

まぁ、そういう女性は鉄平さんのお母さんだけではなく他にもいるでしょうけど。

ある一定数の方は、やはりお金で愛情を計る方がいるし、お母さんのように顔にも出さずにしたたかな方もいるでしょう。

人間ですからね...色んな人がいます。

ですが、私の家族にように、愛し愛されて結婚して、子供を授かり産み、慈しみ育てる母親、っていうのが大多数でしょう。


鉄平さんは、その少数の家庭に生まれ、辛く寂しい思いをしてしまったんですね...。


あの、私の家族の話をしても良いですか?

きっと、私の家族の話を聞けば、そんな家族もいるんだと思えるんじゃないかと...。

少しは、希望を持てるかもしれません。


ただ、今世はもう無理でしょうから、来世では、素敵な家庭をつくる希望を持っていただきたいです。



まず、私の家族は4人家族です。

父は、普通の会社員です。そこで、経理のお仕事をしています。

母は、近所でパートをしています。日勤4時間なので、家事もしてくれて良い母です。

兄は、私の5つ上で、医療関係の仕事をしていて、優しい兄です。」


依は、家族の話を幸せそうに話す。


まずは、両親の馴れ初めから。

父はね、母とは上司に勧められたお見合いで出逢ったらしいんですが、ほぼその場で結婚を決めたそうです。

母は、ぽやぽやしているんですが、その雰囲気に生涯そばにいて癒して欲しいと思ったそうですよ。

反対に、母は、なしかな?って、最初は思ったそうですよ。

母、面食いなんですよ(笑)

父、ちょっとゴリラっぽくて、お世辞にも格好いいとは言えない感じなんで。

でも、父の甲斐甲斐しい好き好きアピールで絆されて、結婚したそうです。

最初に印象が違っても、相手から愛情をかけられれば、好きになるって言うのが母の言い分です。

ゴツくて、決してスマートな紳士じゃないのに、座る時はベンチの砂をバタバタと不器用に払ってくれたり、扉があればパパッと走って、開けて待っててくれたり、荷物は恥ずかしがりながら持つよって言ってくれたそうです。

て言うか、今もなんですけど(笑)

それで、いつもドヤ顔するんです。ふふふ。

その後、褒めてって顔をするのが、可愛いって。


そのうち、兄が生まれて。

母は、ぽやぽやしてるって言ったじゃないですか?

実は、見た目だけじゃなく、中身もなんです。

だから、子育ては、ほとんど父がしたそうです。

母は、兄が泣いてても、反応が遅かったらしくて(苦笑)

抱っこして泣き止ませるのは父の仕事でした。流れで、おむつ替えも哺乳瓶でミルクを与えるのも、父がやっていたそうです。

母はそんな話をよくしてくれて、良い人と結婚したわって、今も言っています。

私が生まれた後は、兄も子育てに参加してくれて。

5つ離れているから、なんでもお世話してくれました。

離乳食を食べさせるのは、兄の仕事だったそうです。成長してからも兄はよくかまってくれました。

兄が高校生の時はよく遊園地とか楽しいところに母の代わりに連れていってくれました。

だからと言って、母が何もしなかったわけではないですよ?

家事もすれば、抱きしめもしてくれるし、ちょっとした名前付けとかの裁縫も結構大変な作業なんですが、必ずしてくれました。

それぞれが協力し合うことで、家族の絆が強まったという感じでしょうかね。

私ですか?

私は、みんなのフォローをするのが仕事です。

手が足りないとか、あれはどこにやったかなとか、家族を観察してると困っていることが見えてくるので、それを手助けしてました。


きっと、鉄平さんのお家は、やってくれる人が大勢いて、家族としての繋がりが密じゃなかっただけじゃないかと思います。

お母さんが、最初偽りの愛で結婚されたとしても、本来なら変わっていった可能性もあったと思います。

結婚後の苦労を旦那様と共にする経験がなかったみたいですし...。

仕事も、一緒に汗水垂らして一つの目標に向かうことで、信頼関係が積み上がるでしょう?


楽しいことや楽なことばかりじゃ、誰しも味気ないと思うんじゃないかなぁ。

お手伝いさんがたくさんいるなら、自分の役割がないと感じちゃうだろうし。

旦那さんに頼られることもなければ、寂しいよね。

もしかしたら、鉄平さんのお母さんは、関口さんと、家族に言えない秘密を共に抱えていることで、満たされちゃったんじゃないですか?共有って、一番仲間意識が生まれやすいし。

だから、思うんですけど、お母さんの存在を認めてくれる環境じゃなかったのが一番ダメだったんじゃないかな。

鉄平さんには、辛いことだっただろうけど、関口さんと過ごすことで初めてお母さんは人の愛の片鱗を理解したのかも?

想像ですけどね。


でも!やっぱり、どんな事情があっても不倫はダメです。それは、絶対です。

そこは、お母さんが絶対悪いです。


つまり、何が言いたいかと言うと、ともに苦労したり共有することができれば、互いに絆が強くなり、相手を信じることに疑心暗鬼にならないのではないでしょうか。


鉄平さんの過去の恋人さんたちは、どうでしたか?

体調を気遣ってもらったこととか、ありませんでした?

言葉だけじゃなくて、行動で示してくれたりしませんでしたか?

料理を作ってもらったり、掃除をしてもらったりとかでもいいんです。

打算でできる女性も確かにいますが、これ毎回何度もするのって、かなり大変なんです。

愛がなければ、頻繁にはできません。

鉄平さんの考える愛とは違うかもしれませんが、小さな愛はあったと思います。


でも鉄平さんみたく、ご実家に住んでる場合は、尽くしてもらうのは難しい?

あーでも、その場合は、デートしている時の何気ない仕草とかで、愛を確認できたんじゃないですか。

本当に小さなことで良いんです。ハンカチを必要な時にさっと出すとか、約束の時間の前には必ずいるとか、デートのプランを鉄平さん好みに寄り添って考えるとか、疲れてそうな時はお茶を提案するとか、趣味があるならその趣味に付き合うとか、相手を思いやる気持ちがあればできることの積み重ねですね。

だって、打算でも相手のためにし続けるのは、好意がなければできません。

ちなみに小さな愛を、育てていけるのは、鉄平さん次第だともおもいます。

父のように、心からの感謝の言葉や行動で、いくらでも愛が育つと思います。

多分、鉄平さんは、お母さんのことがあったから、恋人を信じきれなくて、一歩引く行動が多くて、与える気持ちが人より少なかった。

だから、愛が育たなかったんじゃないかな。




「結構、辛辣なことを言ってしまいましたが、すいません。」


最後に依は、深々と頭を下げて謝罪して話を終えた。

鉄平は、黙って依の言葉を聞いていた。

依の考えは、全く新しいもので、たまに否定したいものもあったが、当時のことを改めて考えると確かにそうかも。と、概ね思えた。


“いや、話を聞いて納得することも多かったです。

母のことは、確かにかわいそうな人だったのかもしれませんね...。考えたこともなかったですが。

父の愛情も、間違ってたのかもしれません。社交の場でも苦労させて、あとで褒めてあげたら良かったんでしょう。

僕のことは、学校行事に参加してくれたので、本当にそこそこ愛してくれてたんですね。

この時もっと、僕が、来てくれたことに感謝をして母が大好きだと伝えていたら、違った未来があったのかもしれない。

元恋人たちのことも、大事にしてたけど、それも父と同じでまるで人形のように可愛がり一方的に物を与えていただけだったかも...。

何かを僕が望んだら嫌われてしまうかもと思ってました。母のように何かがきっかけで出ていかれたらと思ってしまい、怖かった。

結局、僕は振られたくなかっただけだったのかもしれません。”


ズーンと、沈んで俯く鉄平。

自分にとって悪いことでも、相手の言葉を、素直に受け止められる人だったらしい。

会社では、重要なポストについていたらしいが、きっと臨機応変に対応できる柔軟なできる上司だったのだろう。

そう考えると、こんなに若くて生涯を終えた鉄平のことを残念に思う。


“僕は、逃げてたんですね。”


しかし、再び顔を上げた鉄平は、苦笑しながらも憑き物が落ちたような顔であった。


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