霊山の振り子
荒糸せいあ
霊山の振り子
この世界では空に三つの月が浮かんでおり、それぞれ決まった間隔で運行を繰り返している。
大昔、国一番の偉い学者がこれを見てこう言ったらしい。
「あれは月の方が動いているように見えるが、実際には静止していて私たちの立つ地面の方が動いているのだ」と。
さもなくば一定の間隔で動いているように見えるとは考えづらい。この地面が動いているとして、月の運行が繰り返しなのを見ると妥当な動きはコマのような回転である。地面が回転するとすると、きっとこれは平らに見えるけれども現実は途方もなく大きい球形、すなわち地球なのだと。
また国都をのぞむ霊山には、人の口に五大不可思議とよばれる神秘が二つある。すなわち、一つは山腹から目視もできない天上の高みまでのびた、途方もなく長い金属の棒である。もう一つは、おそらく棒の先があるとおぼしき場所から垂れ下がった金属の綱と人二人分ほどの大きさの鉄球である。二つを合わせて霊山の大振り子として四大不可思議と数える人も数多い。
かつて霊山の寺院に住むある物好きは、この東西に振れる鉄球の周期を測って
「支柱の高さは人の背丈の数千倍から一万倍の間におさまっているはずである」
などと言ったが、世の中の多くの人はこうした実測には興味を示さず、太古から運動を続けるこの神秘に対して畏怖の念を抱くのみであった。
都ではここ八十年の間に、六球説というものが世間の支持を得るようになった。3つの月、太陽、地球、そして大振り子の玉、これら六つの球体は特にこの世を司るために神々が作り給うたものであると考える説だ。この説は宗教家たちの精力的な布教によって、もはや世間の常識となっていた。
当然初めにこれを唱えた人は、地面ではなく地球であるという前述の説を意識したのだが、その肝心の地球説も未だ厳密に示されたわけではなかった。誰も彼も古賢の主張を知っているだけで根本のところは分からない。
しかし、幾分宗教的色の強い六球説の普及にともなって、この学説の地位はもはや不動のものとなっていた。
さて夏のある日、都のはずれにある私塾で、年も七十に差し掛かる老塾頭が十数人の子供相手に授業をしていた。都の私塾の多くは宗教家が開いているが、ここも例外ではない。
「最後に今日の内容をまとめようか。まず六球についてだが、これは霊山の大振り子に、お空にあるお日さまと三つのお月さま、それに地球を合わせたものだったね?」
額に浮かんだ汗をぬぐって白髪の老人は話を続ける。
「そしてこの六つの球は神々がこの世を司るためにおつくりになったもの。巷では六球説と呼ばれているが、実例として季節の周期性や潮の干満紹介したね。さ、何か質問がある人はいるかな?」
すぐに手を挙げる者がいた。
「はい」
授業中ずっと眉間にしわを寄せて聞いていた生徒。フラート、年は十四。この子がいかにも納得いかないという素振りで頭をふるってから口を開いた。
「この地面が球体だというくだりをもう一度せつめいしていただけませんか?」
質問を受けて塾頭はおだやかな笑みをこぼす。腹に落ちるまで決して自説を曲げないこの頑固者を彼はひそかに気に入っていた。
「ああ。まず昔の学者が気づいたのは空にある3つの月がどれも決まった時間で運行しているということだ。これを発想の大本にして唱えられたのが地面が動いているという考えで──」
と地球説の成り立ちを先ほどよりかみ砕いて説明を行う。
再度の説明を終えてもフラートは露骨に不服の念を顔に浮かべている。ややもして反論にうつる。
「なるほど、まだ納得いきませんが仮に月が静止しているというのが正しいとします。そうすると代わりに地面の方が動いているというのも確かにもっともなことです。しかしそこから地面が回転しているというのは飛躍がありませんか?他の動き方の可能性を排するだけの根拠があったようには思えません!」
「いやいや、いつの日だって月の大きさは同じだろう?月の大きさが刻々と変化しているのでもない限りこれは月との距離がほとんど変わっていないことを意味している。距離が変わらない運動はコマのようにクルクルと回転するくらいしかあるまい。もっとも複雑な運動ならばそういうものがあるかもしれないが、とても思いつかないしそう複雑なものをわざわざ神様もお創りになるとも思えないよ」
「いや、しかし……うーん。んーー?んああー、あ?スーーーッ。ちょっと待ってください」
少年は苦悶の表情で首をひねり、頭を掻きむしる。 塾頭はそれを見てふっと息を漏らす。そして自分もきちんと勉強しなおして答えられるようにしておかなければと考えながら話しかける。
「一度持ち帰って少し考えをまとめてからもう一度質問に来なさい。今日はもう帰って休みなさい。あまり考えすぎるのもよくないからね。私ももう少しきちんと調べ直しておこう」
「……そうですね。ありがとうございました」
問答の間、他の生徒のうちある者らは二人の問答に耳を傾け、ある者らは待ちくたびれてひそひそ声で近くの人と談笑を始めていた。
塾の帰り、友人らと別れた後、フラートは自宅の屋根の上から見える大振り子を眺めながらしばらく物思いにふけっていた。
……本当にこの地面が丸いのだろうか?いやこの際丸いというのは良い。本当に回っているのか?これが?いくらなんでも相当の重さがあることは容易に想像がつく。それが動いているなどとはとても……
しかし、とまた考える。
確かに先生の言う通り、三つもある月が全て同じ周期で動くというのはできすぎていて気持ちが悪い。いっそ全て止まっていて人、つまり地面の方が動いているというのはそれだけを見るといかにも正しそうではある。
いやだが、やはりこんな大きくて重いものが動くとはとても……
待てよ?それは月の方も同じか?どれくらい重さの差があるのだろう?そもそも月にしろ地球にしろ太陽にしろ、何がこれを動かすのだろうか?
……ダメだ。余計な事にまで思考がとられてしまう。
今日はもう帰って寝よう。
そう思っても「けど」と思考が止まらない。
僕の考えが未熟で取るに足らないのはそうだが、地球説も証拠の肝がかけているのではないか?少なくとも世間にこれほど認められる程立派な学説とも思えない。そう思うことすら自分自身の未熟さゆえなのだろうか?
まぁそんなことは考えたところで役に立ちはしない。放っておこう。こんなどうでもいいことまで頭に浮かんでしまうとは。本当に休んだ方がいい。
フラートが物思いに沈んでいる間にも幼年のころから何度も見たように大振り子が揺れていた。西日を反射して家々の影を揺らめかせながら、巨大さに見合わず二、三分という短さでまた同じ位置に戻る。――先生はふり子の周期はそんなものだと言っていたが実感は伴わない。もっと遅くていいじゃないか!――
あの大振り子はいつも同じ動きを繰り返す。夏も冬も、昼も夜も、止まる様子もみせずにただただ東と西を行ったり来たり。日が何度出ようとも三つの月が何度沈もうとも同じ動きだけをする。人の世の動きなど気にも留めずに。神々の造物と人が口をそろえて言うのもうなずける。
……なにかおかしくないだろうか?
そんな考えがふっと浮かんだ。何故そう思ったのか自分にもわからない。しかし特にその後突き詰めて考えることもなく、いつもどおり玄関をくぐって家に入りご飯を食べ、布団に入って寝てしまった。
後年ある学者が次のようなことを言った。
「回転体上に存在するふり子も静止系からみると同一の振動面を維持しようとする」
と。
霊山の振り子 荒糸せいあ @Araito_Kaeru_0828
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