episode2

 自分の胸元を掴みながら俺は、その場に咄嗟にしゃがみ込み呼吸を抑える。

 どうにも収まらねえ動悸がドクドクと責めてきやがる、くそったれが。

 落ち着け、落ち着くんだよ─。もう20数年も前の出来事じゃねえかよ。


「なんてな、冗談だよ」


 俺がしゃがむ姿を見て、親父も何か思う節があったのか構えていた傘を降ろし

 俺の姿を見つめながら言う。妙に声色がさっきよりも落ち着いていたので

 あの豹変の具合は一体何だったのか問い詰めたいくらいだ。クソが。


「お前さんには、悪い事をしちまったと思ってる。まだ治ってねぇんだな」


 申し訳無さそうに、そう親父が呟いた。


「は、はは」


 乾いた笑いを、俺の喉から漏らすほかなかった。

それ以外に対処法が見つからないからだ。非常に情けないが───。


「…てっきりもう、大人になったんだから平気になったと思ってた」


そう親父はポリポリと頭を掻き、困った顔でそう言う。


「俺も、改善されたもんだと思ってたんだがね…」


まだバクバクと鼓動を打つ心音と、額から滴る汗の感覚と

濡れた衣服の気持ち悪さが嫌悪感を駆り立てる。


「あ、そうだ」


急に、親父は何かを思い出したかのように顎に手を当てた。


「今、思い出した。俺、お前さんに話したいことがあったんだった」


「は…?話したい事?」


そう返すと、うんと深く相槌を返す。

そして、目つきが鋭く変わるとともに口を開いた。


「…お前さん裏社会しごとに、興味とかあるか?」


俺の思考は、一瞬停止した。ただでさえ、過去の記憶が蘇り

こんなもがいてるっつーのに急に仕事だと?唐突に何を言ってやがる。


「だって、お前さん28歳にもなるってぇのに定職就かずの浪人なんだろ?」


痛いところを突かれた。確かに俺は、28歳でもうそろそろ普通の人間だったら

下手すりゃ家庭を築いてるところもあるだろうし仕事も何かと落ち着いて、

趣味を謳歌していても違和感はない年齢だとは俺も思っている。

…ただ、少し人と絡むのが苦手なだけでバイトは別にサボっているわけでも

何度もクビになっているわけでもない。


「…それはそうだけど、実家に収入は入れてるだろ。それに、ちゃんとシフトは

週五日サボらずに出てるし別段金に困ってる訳でもないから心配いらねえよ」


俺がそう返すと、親父はしゃがんでいる俺の腕を掴んだ。


「…どうしてもよぉ、衛。お前さんに頼みたい仕事があるンだよ」


そう、懇願した声で親父は俺の顔を見ながら言いのけやがった。

俺はそんなに親父みたいに筋骨隆々って訳じゃねえし、土方仕事か知り合いの

若手が少ないからその手伝いに行けとでも言い出すんだろうか。

そう考えているうちに、親父は俺の腕を引っ張って無理やり俺を立たせる。


「んなっ」


「なあ、お前長男なんだからよぅ。ここはひとつ頼まれちゃあくれんかね」


腕を揺さぶられる。割と力強いので、思わず俺も眉間に皺が寄る。


「…じゃあまず腕離せよ。痛ぇんだよ」


そういうと親父は、ぱっと腕を離す。


「おお、悪ぃ悪ぃ。いつもの癖が出ちまった。」


親父は笑みを浮かべている。…はあ、親父がこうやって言うときは

人生の経験上ろくなことがない。


「…仕事内容も話してもらえんのに、引き受ける訳ねえだろうが」


「ああ、そうかあ…」


親父は、ついうっかりしてたとでも言いたげな顔だ。


「でも、仕事内容は」


住宅街のあたりを親父は左右後方見渡しはじめた。

まるで何かを警戒している様子にも思えた。


「…悪いが、どこで聞かれてるか分かんねえ。ちいと場所を移したい」


そういう親父の顔は、いつもよりも真剣な顔をしていた。

へらへら笑うのが日常茶飯事の親父がそう言うくらいだからきっと

割と深刻なのかもしれねえ。いや、でもくだらねぇことだったらどうしよう。


「なんてったってこの仕事は機密事項トップシークレットだからな。」


機密事項トップシークレット。その言葉を聞いた途端に、

何故か俺はさっきまで襲われていた鼓動は収まり、好奇心がわいてきた。

いや、なぜこの言葉に惹かれているのか俺でも理解できないが。


「…とりあえず、その表情かおを見るに仕事の話は話して大丈夫そうだな。

今から俺の仕事仲間に迎えに来てもらう事にするわ。」


そういって親父は、腰ポケットから携帯を取り出した─。

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