episode01.


ザアザアと音を立てて降り注ぐ雨に打たれながら、俺は自宅へと向かっていた。

あいにく傘を忘れた俺に、濡れて帰る以外の選択肢はない。湿った空気と冷たい雨粒、そしてついさっき俺を睨んでいたあの女性の顔が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。


「…にしても、あんな冷たい顔しなくてもいいだろうに」


呟いた声は雨音にかき消され、静かな住宅地に溶けていく。全身が雨に濡れていく不快感と、どうにもならない形容しがたい感情の行き場がわからず、俺はため息をついた。まるでどっかの漫画に出てくるワープ装置でもあれば、今すぐにでもこの場から消え去りたい気分だ。


「くそったれが…」


ざあ、ざあざあ───。

地面に転がっていた小石を鋭く蹴り上げようとした、その瞬間だった。


「おぉ、こんなところに居たんかァ。」


背後から低く濁った声が響く。嫌に聞き覚えのある声だ。俺は思わず動きを止める。


「…あ?」

「そんなぶっきらぼうになる必要たあねえだろうよ、衛ぅ」


振り返ると、そこには筋肉隆々の男が立っていた。黒いシャツを着て、黒い傘を差し、白髪交じりの頭を雨から守っている。左手首には紺色の折りたたみ傘がぶら下げてこちらに近づいてきていた。


「なんだ…アンタか」


俺は溜息をつきながら言った。


「おいおい、実の親父に対して”アンタ”呼ばわりは無ぇだろお」


男は笑いながら、手首にぶら下げていた折りたたみ傘を俺に渡してきた。


「…ありがとう」


「良いってことよ。んにしても、おめえ随分濡れたなあ…透けてんぞお?」


男は俺の胸元を指さし、眉を下げる。まあ、無理もない。この雨の中を傘も差さずに歩いていたんだから。女に見られているわけでもないし、下着が透けていようが俺には関係ない。だが、男は若干困惑したような目で俺を見ていた。


「…で、なんでここに親父がいるんだよ」

「あ~? 散歩に決まってんだろぉ。運動しなきゃ体が鈍っちまうからな」


へらへらと笑う男を見て、俺は呆れたように言葉を返した。


「…あっそう」


俺の冷たい態度が気に障ったのか、男の眉が少しだけ歪む。


「あぁ? 随分と冷たいなお前。雨に濡れて頭も態度も冷えちまったか」


その濁声がさらに低く重くなる。男は差していた傘を閉じると、それをバットのように構えた。


「親にする態度じゃねぇだろ、それはよ」


その声に、俺の体は無意識に身震いする。脳裏に浮かんだのは幼少期の記憶――。

この筋肉隆々の男に何度も何度も「教育」という名目で暴力を振るわれた日々。

忘れたくても忘れられない、刻みつけられた追憶。


「…あの頃と、同じように躾けてやろうか?」


男の声が冷たく響く中、俺の息が荒れ始めた。

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