SMOKES-殺意の先に希望はあるか?-

咲間美哉

prologue.

閑静な住宅地に立ち込める、嫌に重苦しい空気。空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだ。俺は思わず舌打ちをする。年がら年中、この国は梅雨だか台風だか分からないが、湿気と雨ばかりで気が滅入る。気圧が低ければ予定は潰れ、一日中気が沈むだけだ。まったく、たまったもんじゃない。…まあ、雨のことはひとまず置いておこう。俺は手に握った紫陽花の花束を胸に抱え、足を進めていく。向かう先は、決して気軽に訪れることのできない場所だった。


目の前に立つのは、赤茶色の煉瓦屋根が特徴的な、年季の入った家。

この家を訪ねるのは俺にとって、いつまでたっても慣れない行為だ。


ピンポーン、と呼び鈴を押す。

「はーい…」


かすれた声が玄関の向こうから聞こえた瞬間、俺はごくりと唾を飲み込む。

嫌に高鳴る心臓。緊張が全身を支配する中、ガチャリと扉が開く。

現れたのは、やつれた顔に疲れが滲む中年の女性だった。乱れた黒髪を無造作にひとつ結びにしている彼女の姿に、俺の背中を冷たい汗が伝う。


「…あ、あの」


声が上ずった。彼女の背後から、まるで殺意のような冷たい覇気が漂っているせいだ。俺が抱えた紫陽花の花束に目を向けた彼女は、眉間に深い皺を寄せ、鋭い視線を向けてくる。重苦しい曇天に加え、この圧迫感。息が詰まりそうだった。


「…花はいらないから帰って頂戴」


彼女の冷たい声が、俺の耳を突き刺す。


「いやっ、その…美鈴さんの命日、ですし…」

俺の声に、彼女の眉がわずかに動く。だが、その覇気はさらに色濃くなった気がした。しくじったか――そう思った瞬間、彼女が低く言い放つ。


「…ああ、献花ってやつね。そこら辺に置けば」


その冷酷な声が、俺の胸を深く抉る。


「す、すいませんでした…」


俺は咄嗟に頭を下げた。それ以上、言葉が出てこない。これ以上ここにいても、彼女の機嫌を損ねるだけだ。俺も正直、これ以上の緊張に耐えられそうになかった。

玄関脇の傘立ての近くに、鮮やかなピンクの紫陽花の花束をそっと置く。

その瞬間、彼女はドスの効いた声で言い放った。


「…二度と、来ないで。」


バタン。玄関の扉が閉じられた音が、嫌に耳に残る。

俺はしばらくその場に立ち尽くしてしまった。


「…やっぱ、無理もないか。」


呟いた瞬間、空からぽつりぽつりと雨が降り始めた。

まるで俺の心を代弁するかのように。…そうだ、無理もない。

あの日も、こんな風に雨が降っていたのだから。




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