第6話 マサハルの誘い
かすみと距離を置くことで、かすみに自己顕示欲の強さを感じた。
彼女は、自分に自信があるようにいつもふるまっているが、その時は、
「何て、自己中心的な性格なんだ」
と思っていたが、今思い返してみると、よく、他人に、自分をどう思っているかということだったり、自分がいかに見えているかということが気になって仕方がないようだった。
それだけ、自分に自信がないということだろう。
そういう意味では自己中心的だというわけではなく、自分に自信がないから、少しでもまわりに自分が強いと思っているということを思わせたいのかも知れない。
「俺と付き合っているのも、そういうことなんだろうか?」
と感じた。
確かに、自分のことを悪く言ったり、責めるような言い方をする人を自分の近くに置いておきたくないという気持ちが強いのは当たり前であろう。
そういう意味では、
「イエスマン」
をまわりに置いておきたいという気持ちは、
「猜疑心が強い」
というのとでは、どこかが違うのだろうか?
なかなか、心理学のことには、あまり詳しくないマサハルには、よく分からなかった。
さすがに心理学でも、自分に関係のあることは調べたりするが、他人に感じたことまで調べようとは思わない。
というのも、心理学というのは、あくまでも学問であり、統計によって、
「よくある症状」
などという発想から、消去法に近い形で見られるものだと、マサハルは考えていた。
そんな中で、マサハルは少し、自分の五月病が落ち付いてきたのを感じると、余裕が出てきたのか、かすみのことを考えるようになったのだ。
これまで自分のことで精いっぱいだったこともあって、かすみのことを考えていると、かすみと一緒にいた時期が、遠い昔のことのように思えるのだ。
「一体、躁鬱のトンネルをいくつ潜ってきたのだろう?」
と、すでに、姿すらまったく見えなくなってしまったことで、その間にいくつのトンネルがあったのか、想像もつかなかったのだ。
思い出そうとしても、顔もぼんやりとしてしか思い出せない。
「まるで、自ら光らない、邪悪の星のようではないか?」
と考えた。
いつもそばにいるのに、その存在感を消していて、近づいても分からない。だからこそ、死んでしまって初めて気づくという笑えない話を、その星に感じたのだった。
もし今、
「ねえ、かすみちゃん」
と、声を掛けたとすれば、その時返ってくるであろう、笑顔を想像できるだろうか?
普段の顔は見れば思い出せるのかも知れない。記憶の片隅に残っているものを拾ってくることができるからだが、笑顔は忘却の彼方に消えていったのだろうか? まったく想像がつかないのだ。
「まさか、今までに笑顔を見たことがなかったんじゃないだろうか?」
ということを感じて、寒気がした。
何が怖いといって、想像できないことが怖いのではない。笑顔を見たことがなかったのではないかということを考えたこともなかった自分が怖いのだ。
笑顔あっての、カップルだと思っていたのに、笑顔を見たことがないかも知れないなんて、誰が想像できるというのか?
それを思うと、かすみの普段の顔も思い出せそうで思い出せない自分に苛立ちを覚えていた。
「もし今会ったら、初めましてと言ってしまうレベルだ」
と思うのだった。
「本当にカップルだったのか?」
と思い始めると、
「もし、今度は彼女の笑顔を見たとしても、こちらも、つられて笑顔になることができるのか?」
と考えてしまう。
きっと、こういうことを考えている時点で、すでに元に戻ることのできないカップルになってしまったのかも知れない。
マサハルは、そんな風に考えていたが、では、かすみの方はどうだったのだろう?
マサハルのことを考えて、自ら遠ざかっていたのだが、マサハルの気持ちが躁鬱になっているなど、想像もできなかった。
そもそも、マサハルに躁鬱の気があるなんて気づいていなかった。ちょうど、つき合っていた時期に、そのようなイメージがなかったのか、マサハルが必死に隠していたのを、かすみが鈍感で気づかなかったのか、どっちにしても、二人の心のスレ違いは、完全に、
「交わることのない平行線」
に違いはなかった。
マサハルは、五月病が何とか収まって、躁鬱の、躁状態になり、やっと精神的に落ち着いてきたのが、もう飽きも深まってきた頃だったのだ。
マサハルから連絡があった。
「今度会えるかな?」
と言ってきたのだ。
久しぶりに聞く、電話越しのマサハルの声は、かなり遠くで聞こえたような気がした。その声に聞き覚えは当然あるのだが、まるでマスク越しに聞こえたような気がした。伝染病が流行っていたので、マスク越しの声に違和感はないはずなのに、それでも違和感があったのだ。
それよりも、なぜいきなり電話だったのか、それがまずはビックリだった。
「まずは、LINEじゃないのかしら?」
と思ったのだ。
相手が電話に出れない可能性もあるのに、それにも関わらず、いきなり電話を掛けてくるというのは、どういうことなのか? よほど、早く声を聞きたいと思ったのか、それとも、マサハルという男が、あまり空気を読める人間ではなかったということなのだろうか?
そこまで考えると、
「そういえば、あの人、融通の利かない人だったわね」
と、いまさらのように思い出した。
そう思うと、
「私は、彼のことをどこまで知っているというのかしら?」
確かにつき合っているという意識はあるのだけど、どういう付き合いなのかというのを、考えたこともなかった。
かすみも、それまで恋愛経験があるわけではなかったし、マサハルも女性と付き合ったことがなかったといっていた。就職活動の前に知り合って付き合うようになった。お互いに一人でいなければいけない寂しさが二人を引き寄せたのかも知れないが、それにしても、就職活動という忙しい時期、なかなか会うことはできない。それでも、
「自分は一人じゃないんだ。お付き合いをしている人がいる」
という思いが、寂しさを和らげてくれて、就職活動を頑張ることができるという、カンフル剤になっているということは確かだった。
「一生懸命にやらなければいけないことへのカンフル剤以外に何があるというのか?」
などということを考えたことはなかった。
就職活動を、苦しみながらであったが、うまく乗り越えて、実際に入社前までの短い期間であったが、何度かデートを重ねたが、そのデートの間に、どこまで近づくことができたというのか、キスまではできたが、それ以上のことはできていない。
マサハルが、それ以上を求めてこなかったのだが、かすみも、正直、自分でどこまで求めていたのか、身体を与える覚悟ができていたのかと聞かれると、曖昧だった。
ひょっとすると、迫ってこられると、拒否していたかも知れない。そして、相手を傷つけていたのではないかと思うと、自己嫌悪に陥ってしまうのではないかと思うのだった。
それも、微妙な気がした。
迫られると、受け入れる自分も想像できるし、断る自分も想像できた。
「ということは、覚悟くらいはできていたのではないか?」
と、感じるのだった。
かすみは、そんなことを考えていると、
「処女を失うことができなかったのを、後悔しているんだろうか?」
と感じた。
処女のまま、社会に出るのと、処女を喪失してから社会に出るのとでは、見えてくる世界が違っているのではないかと思った。
正直、一度浮かんできた後悔は、どんどん膨れていく。
「どうして、学生時代に失わなかったのだろう?」
まったく機会がなかったわけではないが、勇気がなかったというのが、一番の理由だが、もう一つは、ここまであとになって、後悔するなど、思ってもみなかったというのが、本音であろう。
会社に入ってから、しばらくは孤立した気持ちになっていたが、それは、自分が処女だということを必要以上に意識していたことであり、まわりは少しでも歩み寄ろうと気を遣ってくれているということが分かっているのに、自分から歩み寄ることはできなかった。
そのうちに、かまってくれることは少なくなり、ホッとした気分ではあったが、一抹の寂しさを感じないわけではなかった。
ホッとしたのは、仕事を自分なりに覚えてきているという自覚があったからで、それが余裕に繋がってきたのだろうが、一抹の不安を感じたのは、余裕というものが、仕事を覚えられていることに対してだけ感じているということを分かっていることで、気持ちが微妙なところにいる。それが、一抹の寂しさとして残ったのだろう。
だから逆に、マサハルのことを、
「マサハルのために」
と思っている自分がいじらしく感じられた。
いじらしく感じられる自分が、微妙に感じる自分を補ってくれるような気がしてきたことで、自分が何を求めているのかということを考えようと思ったのだが、思いつくわけもなかったのだ。
そんな後悔と微妙な気持ちで、孤立を感じていた、かすみに対して、マサハルが電話をくれたのだ。
いきなりだったので、ビックリした。
それが嬉しかったことには変わりはないが、その嬉しさも、また微妙な感じがしたのだ。何が微妙なのかというと、実際に自分でも分からない。
「かすみちゃん、元気だったかい?」
と、受話器の向こうから、籠った声が聞こえた。
「ええ、何とかね」
と、微妙な気持ちを表すかのように、答えたが、その気持ちが相手に伝わっているだろうか?
伝わっていたとしても、いなかったとしても、どちらでもいい気がした。彼が解釈することだから、自分には制御はできないと思ったのだ。
普通だったら、自分の中に確固たる気持ちが存在し、その気持ちとは裏腹な解釈をされると嫌だと思うものなのだろうが、実際にはそんな発想ではなかった。
「どっちだと思ったとしても、私にとっての損得は今の自分では、分からない」
と感じたのだ。
それよりも、
「今、私、彼との会話の中で、感情に損得勘定が入っているんだ」
ということを感じてしまったことが、おかしな気がした。
恋愛に損得勘定などはないものだと思っていて、むしろ、損得で考えるようになると、それは、危険信号なのでは? と感じていたのだった。
二人はまだ恋愛に入っているのかどうかも、微妙で、まだ入り口に差し掛かったくらいではないか?
「そもそも、恋愛関係に入ったというのは、何をもってそう言えるのだろう?」
正直、かすみの今までの感覚からすれば、それは、
「身体の関係になってからだ」
と思っていたので、今のところ、彼とは恋愛関係に突入しているわけではなく、一種の予備軍と言っていいだろうということであった。
かすみは、
「結婚と恋愛は別のものだ」
と考えるようになっていた。
最初の頃は、皆と同じように、
「恋愛の延長が結婚なんだ」
と思っていたが、そこに何の根拠があるのかということを考えると、
「結婚が本当に幸せなのか?」
とも、感じられ、結局、
「恋愛と結婚は別だ」
と思うようになった。
だから、恋愛をした人に対して、結婚したいと本当に思えるのかどうか、疑問でもあったのだ。
特に最近、かすみは、ある言葉に疑問を感じるようになった。
最近ではあまり聞かないし、言われなくなった言葉なのかも知れないが、自分が子供の頃、親からよく言われていたのは、
「平凡でいいから、人並みの幸せを持てればそれでいいのよ」
という言葉であった。
「平凡? 人並?」
と言葉を聞いて、すぐに疑問に感じた。
それだけ、曖昧で抽象的な言葉なのだ。
「平凡と人並って、どこが違うんだろう?」
と考えた。
今の言葉を聞くと、人並みの中に、平凡という言葉が入っているような気がした。諸時期、この二つを並べて考えたことがなかったので、曖昧に同じような意味のことだと思っていたが、こういう言い方をされれば、人並みという大きな器の中に、平凡が入っているということになるのだろう。
しかし、言葉のニュアンスでは、平凡という言葉の方が、幅が広いような気がしていた。となると、どちらかが錯覚となるのだろうが、どう解釈すればいいのだろう?
自分が、結婚というものに疑問を感じるようになると、マサハルも、どこか、結婚したくないオーラがあったことを思い出した気がしてきた。
その思いに間違いはなく、結婚を人生の墓場とまで思うようになっていたようだった。
もちろん、皆が皆だとは思わないが、決して、
「結婚が人生の墓場だ」
という言葉を笑うことができない立場にいるのだということを、マサハルは感じているのだろう。
かすみの方は、
「人並みの幸せ」
という言葉に疑問を感じるようになってきた。
最初は絵画から入って、今はマンガを描いている。自分の中では迷走しながらも、曲がりなりにも、趣味としては、かなり真面目に取り組んでいる気持ちになっているのだった。
そんな毎日に自分では充実感を持っていて、
「こんな毎日がずっと続けばいいのに」
と考えるようになった。
仕事は仕事で頑張っている。
「私は仕事に命を懸けている」
などというバカげたことを考えているわけではなく、
「趣味のマンガを頑張ることができるのは、仕事という気分転換があるからだ」
と思うようにすれば、仕事も苦痛ではないと思っていた。
そもそも、仕事を苦痛とは思わない。覚えるまでは、結構きついところもあったような気がしたが、実際にはそこまではないような気がした。
趣味との両立が、いい方向に相乗効果をもたらしている。これは、
「負のスパイラル」
という言葉の裏返しで、
「正のスパイラル」
と言ってもいいのではないか?
上昇気流と竜巻が一緒になったようで、一気に吹き上げられるような気分になっていたのだ。
気持ちにかなり余裕も出てきている。そんな状態で、一抹の寂しさに負けて、マサハルと会うとどうなるんだろう?
と考えている自分がいるが、これは、不安だらけの付き合い始めとは、違っていた。
かすみは、マサハルの精神異常、躁鬱症というのが、異常なのか、それとも、疾患なのかまでは分からないが、少なくとも自分を見失っている状況において、どのように接すればいいのか、考えなければいけなくなるという予感めいたものがあった。
だが、なぜそんな付き合い方や接し方をいまさら考えなければいけないのかという細かい理由を分かるはずもなかったので、この感情が、勘違いなのかも知れないという思いになっていることに疑問を感じていたのだ。
電話の声が籠って聞こえたというのも、一つの理由だろう。
そして、もう一つは電話で話しているマサハルを、
「本当にこの人、私が知っているマサハルさんなのかしら?」
と感じたことだ。
その意識の裏には、聞いたことのないような言葉がマサハルの口から電話を通して聞こえてきたことだ。言葉自体は聞いたことはあるが、
「まさか、その言葉を私が知っているマサハルさんの口から聞くことになるなんて」
という思いが強いことだった。
マサハルがどういう人なのか、ますます分からなくなってくるのだった。
実際に会ってみると、マサハルは、見た目は変わっていなかった。ただ、あまり気取ったところに連れてきてもらったことがなかったはずだったのに、今回は、ホテルのレストランに招待してくれた。社会人にあったら、気取ったところでないといけないとでも思ったのだろうか? 融通が利かないタイプのマサハルから考えれば、納得は行くのだった。
だが、お互いに、この雰囲気は、却って緊張を誘うものだった。
「まるで、お見合いでもしているようだ」
と感じたのだ。
お見合いというと、かすみは、一度だけしたことがあった。親から言われて、勝手に申し込まれたようで、
「一度どんなものなのか、経験しておくのもいいかも?」
ということであった。
かすみの両親は、結構天真爛漫なところがあり、それはいいのだが、そんな天真爛漫な自分たちの考えが、誰にでも通用するという、何でもポジティブに考えてしまうのだった。
だからこそ、天真爛漫なところがあるのだろうが、それはそれで、
「面倒くさいところがある親だ」
と言ってもいいだろう。
人の気持ちや都合を、本当に考えているのか、そのあたりが不思議なところであった。
お見合いパーティと言っても、男女、それぞれに別れて、対面式の1対1の席に男女が向かい合って座り、それらの席が、少し離れて、20個近くできていた。最初に渡された番号札の席に座り、同じ番号の男性が、正面に座るという形である。
人数が集まれば、開始となるのだが、最初に、まずは目の前の人と話をして、時間がくれば、男性が、隣の席に行くという形の、
「カニ歩き」
をするのだった。
これにより、皆が一度は会話をするという形の、自己紹介タイムである。大体一人に対しての持ち時間が3分、20人いれば、ちょうど1時間というところであろう。
それが終わると、今度はフリータイムになる。この会社のシステムは、フリータイムも、何度か時間を区切って、話したい相手と話をすることにするようだ。
基本的には、次の時間になると、別の人と話をするのがエチケットなのだが、自分が話しかけられることもなく、相手もあぶれていれば、別にもう一度会話をしてもかまわないはずであった。
フリータイムも、大体1時間くらいが目安であろう。
そうして、いよいよ告白タイムになるわけだが、直接の告白という形式ではなく、最初に貰ったカードに、第三希望まで、相手の番号を書き込むことになっていた。それを、主催スタッフが回収し、カップルを決める。決め方にはそれぞれにルールがあるようだが、どうも、難しいようだ。
「一人に集中したりすると、その人にとってのナンバーワンは誰なのか?」
ということを決めなければならない。
もちろん、参加者には一切非公開なので、あくまでも、想像でしかないが、完全に優先順位が一緒の相手が出てきた場合、どうするのか、難しいところなのだろう。
「まさかとは思うが、抽選や、くじ引きなのかも知れないな」
とも思ったが、公平性を考えると、それも無理もないことではないだろうか。
非公開なのは、そのあたりがあるからだろうが、同じ優先順位であれば、公開であっても、抽選やくじ引きというのが、妥当な方法であろう。それで文句を言う人などいないだろうし、文句をいうようなら、そもそも参加するべきではないのかも知れない。
この時、かすみは、幸運にもと言っていいのか、カップルになれたのだ。かすみの番号は6番、第一希望で上げた男性の番号は8番だった。
カップルになれる人の番号を、スタッフの女性が読み上げていく。そして、最初に、
「今日誕生したカップルは、5人です。少し多いですね」
という。
男性、女性、それぞれ、ほぼ20人近くいて、そのうちの5組ということだから、確かに多いのだろう。第三希望まで書けるとはいえ、重複などを考えると、却って、選ばれない人が増えるわけなので、カップルが多いというのは、それこそ、
「潰し合い」
になってしまい、難しいと思われる。
それを考えると、5組は多い。
そうであれば、自分が入っている可能性もないこともないだろう。
今回は、幸いにというべきか、第三希望まで書きたい人がいたからよかった。
一応、スタッフの人が最初の説明で、
「第三希望まで書けますが、絶対に書かないといけないわけではありません。一人でも構いませんし、誰もいなければ、白紙でも構いません。ただし、ご自分の番号だけは必ず書いてください。そうしないと、こちらの集計ができなくなりますから」
ということであった。
この話から考えると、白紙で出すということは、カップルになることを放棄しているのと同じである。白紙だと、何をどうしても、カップルにしようがないからである。
そんな中で、案の定、かすみは、三番目に呼ばれた。
かすみとカップルになった人は、かすみにとって、第一希望の相手だった。落ち着きがありそうな人で、大人の雰囲気を感じたからだ。
第二希望の人は、逆に、子供心を忘れていないような人だった。
「こんな人なら。楽しいだろうな」
という人だったが、実はその人も別の女性とカップルになっていた。しかも、その相手というのが、見るからに暗そうな人で、彼女が彼を書くのは分かるが、彼が、彼女を第一希望で書いたということだろうか?
もし第二希望だったとすれば、かすみと同じなので、競合の形になるが、すでにかすみは、自分が第一希望の人とカップルになっていた。
「ということは、私とカップルにあったあの人は、最低でも、第二希望までに書いてくれていたということなんだろうな」
と考えた。
第三希望だったら。その時点で、第二希望同士との競合になり、ややこしい判断を迫られるに違いないからだった。
だが、その日はそんなこともなかったのだろう。しかも、5組という多い人数だったので、結構楽に決まったようだ。
「では、カップルになれなかった方は、このまま、ご帰宅ください」
ということで、カップルになれなかった人は、徐々に帰っていったのだった。
カップルになった人には、スタッフから説明がある。
と言っても、ありきたりなことで、要するに、ここから先は、各々の問題であり、連絡先を交換するなど、ご自由にということである。
ただ、当然のことながら、ここから先のお互いにトラブルが発生しても、それは、この会社の責任の範疇ではないということだった。
少しうがった考えをするかすみには、
「もし、男女のうちのどちらかが、この会社のサクラだったら、そうするんだろう?」
と思ったが、それも含めて、ここから先はということであろう。
さすがに、これを運営会社にぶつけることなどできるはずもなく、黙ってしまったが、ありえないことではないような気がしていた。
ちなみに、こういうパーティは、男女の値段が違うというのが普通であった。
参加料は、女性が千円くらいなのに、男性は五千円近くするのだ。
これは、
「女性の参加者を募らないと、男性ばっかりになってしまって。そもそものパーティをせっかく企画しても、企画倒れになってしまうからだ」
ということなのだろう。
ただ、時には逆もあって、
「女性の参加者が満員なのに、男性参加者が少ないという場合もあるからだ」
と言えるだろう。
やはり値段が、千円だから女性は参加するのであって、男性も五千円だと二の足を踏むという場合もあるだろう。これをもし、女性を五千円にしていれば、女性の参加者も皆無だったに違いない。
こういうパーティは、毎回、コンセプトのようなものがあるようだ。例えば、
「熟年男女の婚活」
ということで、40代後半以上の人限定であったり、
「趣味友から始めよう」
と言って、趣味を何か持っている人の集まりのようなものであったりと、それによって、参加者のハードルも様々だったりするだろう。
下手をすると、参加者が男性に固まってしまって、女性がほぼ皆無などということもある。もし、何度か、集まらずに中止が続いていれば、運営としても、
「サクラでも立てるしかないか」
ということになるだろう。
だから、本当にサクラがいないとも限らない。それくらいのことは、参加するにあたって、会社の人に聞いて、予備知識を持っていたのだった。
そんな中でカップルになったのだが、
「なかなかよさそうな人なので、1,2度くらいは、デートしてもいいかな?」
と感じた。
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