皿の上にあるのは
この辺りは、家がほとんどない。
辺りは拓けた場所で、田んぼと畑があるくらいだ。
暗い中、人っ子一人もいない。
夜。
夜なら確かに、夜中に歩き回る人いるわけないだろう。
外出たって、なにもないんだからっ!
都会であれば結構な頻度でどこにでも人がいる印象がある。だけどここは、限界集落と言われてもおかしくないほどには人が少なくなった田舎だ。
田舎を恨めしいと思ったのは今が初めてだった。
走る。
気配は何も感じない。
走って、後ろを振り向く。
誰もいない。
いや、誰かいるかなんてわかるわけがない。
暗くて。
今何時だ、なんて思うくらいに暗くて。
思わず電灯を探してしまう。
光は? 光はどこ?
真っ暗闇の中をただただ走っているような印象を受けてしまう。自分が本当に走って前へ進んでいるのかさえ分からなくなるほど真っ暗だ。
だけども、その暗闇の中、誰かが追いかけてくる気配はない。
逃げ切れた。
『確かおはぎに関係していたんだよなぁ……』
『おはぎ? お婆ちゃんがいつもくれるあれ?』
誰もいないけど、だけど、逃げた。
僕は、逃げてしまった。
『そう、あれ。ただ、覚えているのは、逃げたら殺されるんじゃなかったかなぁ』
『なにそれ。直接的』
『ご当地あるあるなんてそんなもんだろ』
逃げたら、殺される。父さんの言葉を思い出した。
もし本当だったら?
本当に出会ったあれが、鎌剥ぎ婆さんだったら?
剥ぐ?
そういえば剥ぐって何を?
その鎌で?
人を殺して剥ぐ。それが追剥。普通は衣服や物なんだろう。
だけど当時の話を聞くと、食糧難だったと言っていた。食料を求めて、なかったら。何を剥いでいたんだろう。
誰もいない。
追いかけてくるものもいない。
誰もいないから、足を緩める。
次に出会った時にすぐに逃げ出せるように息を整える。
頭の中に浮かぶのは最悪のパターンばかり。
自分が死ぬっていうパターンだけが浮かんでは消えていく。
死ぬ。
本当にそうなら死ぬ。
きっと生きたままあの鎌で、草刈るみたいに皮とか剥がれて死ぬんだ。
助けて。
きっと逃げた後に助かる方法だって、父さんかお婆ちゃんが知ってるはず。
助けて。
助けて。
たどり着いた。
自分を助けてくれるはずの人がいる、そこに。
そこは、家。
お婆ちゃんの住んでいる、豪邸。
こんなにも家が恋しいと思ったことはない。
そこに助けてくれる誰かがいると思って涙が出そうになる。
走る。
走ってすぐに縁側へ向かう。
「お婆ちゃんっ! お父さん、いる!?」
縁側から声をかける。
「お母さん! 誰かいない!?」
妹も、お母さんにも。
誰でもいい。誰かがこの声に反応してくれないか。
「——はんごろし」
声が、聞こえた。
それは今僕が望んだ声じゃない。
振り返る。
そこは庭だ。
庭。
その庭に、人がいる。
「はんごろし、あるけ?」
片手には鎌。
片手にはぶちぶちと、重力で簡単に切れていく紐のようなもので辛うじて持ち上がっている黒い塊。切断部からは赤い液体をぽたぽたと地面に吸わせたその塊が、自分の親の顔をした何かだと気づいたとき。
「はんごろし、あるけ?」
再度の同音が、目の前に。
笑顔を浮かべたその人が画面いっぱいに広がり。黒い口腔をめいっぱい拡げて笑うその人が。
鎌を、振り下ろす。
「——はっ!?」
がばっと体を起こした。
夢。
夢である。
間違いなく、あれは夢だ。
なぜなら自分は、今祖母の家の和室のど真ん中で昼寝をしていて、起きたのだから。
この体が先ほどまでアーケードにいたわけでもなく、あの墓に続く道にいたわけでもない。
だけども、まるでこの体はここまで走ってきたかのように汗をかき、全速力で走ったかのように動悸も激しい。
あれはなんだったのか。
何があったのか。
「おやまぁ、起きたんけ」
部屋の仕切り襖がすーっとゆっくりとスライドして開いていく。
その隣の部屋はどうやら電気がついていなくて、暗かったようだ。
ぼやっと。暗闇の中だからこそ、その割烹着の白がより目立つ、お婆ちゃんが正座して姿勢正しく綺麗な所作で襖を開けてそこにいた。
「全然起きなかったから、
「お、お婆ちゃん……」
「そうそう、ボク——」
「——はんごろし、喰うけ?」
その言葉に、ぞっとする。
そういった、襖で姿勢正しく正座したお婆ちゃんの手元にある皿にあったのは——
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