第一章 / 26話 『殺すか、恨むか』

「ん……」


「あ、起きた」


 寝心地のよさそうなベッドの上で目覚めた渡を見て、障子はそう溢す。

 先の戦い――といっても、二日前なのだが、そこで倒れてから、ワタルは寝たきりだった。

 霞む目を擦りながら、ワタルは誰もいないその部屋を見渡す。


「ここは……」


 確か、見覚えがある。恐らく、ここはワタルが借りていた宿だ。

 しかも、自分の体を見てみると服まで綺麗に着替えられてある。

 次に何故こんなところで寝ていたかだが……


「―――ワタル様?」


 その時、扉が開かれ、部屋に入ってきたエレクシアが起き上がったワタルを見て、名前を呼んだ。


「えーっと、おはごぶへっ!?」


 頬を掻きながら、とりあえず挨拶をと発する声を聴かず、エレクシアがワタルへと飛び掛かる。

 そして強い力がかかり、ワタルはえずいてしまう。だが、そんなことは気にせず、エレクシアはワタルへ話しかける。


「ワタル様…二日間も起きられなかったから、心配しましたのよ!?」


「悪い…悪かったから…いったんどいてくれ……」


「あ、すいませんですわ!」


 ワタルが掠れた声でそう言うと、エレクシアはハッとしたようにワタルの上からどいた。

 ……それにしても、二日間も寝ていたのか。確かにそれは、ここまで心配するのも当たり前か…


「よっ、と」


「ワタル様…お体の方は大丈夫ですか……?」


 重たい体を動かし、ワタルはベッドから降りる。

 そして軽くストレッチをして心配するエレクシアの方を見る。


「うん、大丈夫そうだ。ちょっと体が重い感じがするけど、問題なく動けはするな」


「そう、ですか…」


 ワタルがそう言うと、エレクシアの顔が少しばかり暗くなったように見えた。

 その態度を疑問に思い、ワタルは首を傾げる。


「……申し訳、ございませんですわ」


「え?」


 そして、エレクシアから放たれた突然の謝罪に、ワタルの疑問は更に強くなった。


「って、待て待て、なんでいきなり謝ってきたんだよ」


「め、迷惑でしたでしょうか…?」


「いやそうじゃなくて……理由を聞きたいんだ」


 ワタルが質問の意図を問うと、エレクシアは顔を伏せて答える。


「わたくしは、ワタル様があの男によって危機に陥っている時、わたくしは何もできませんでしたわ……それどころか、気絶してしまうなどと……」


「あー……」


「………」


 きっと、エレクシアは無力感を抱いているのだろう。障子とエレクシアの無力感を比べるのは失礼極まりないが、その感情の辛さは、障子にもわかる。


「それはそもそも、俺が無理させてシルクを追わせちまったせいだ。だから、責任は俺にある……つっても、そう言ったとしてお前は気にするだろうけど、それはしゃあねぇ。でも、少なくとも、俺は気にしてない」


「………」


「だから、謝る必要なんてないんだよ、エレクシア」


「――――はい」


 ワタルの言葉に顔を上げ、見開いた目から涙が溢れてまた顔を伏せた。

 本当に、心配してくれていたのだろう。


「話したいことは山々なのですが…ともかく、今はギルドに向かってください。アンディスさんも、相当心配されていたので……」


「わかった。行ってくるよ」


 エレクシアの言葉に頷き、ワタルはギルドに向かおうと扉を開く。

 それにしても――、


「――心配、か」


 不謹慎かもしれない。だけど、ワタルは彼女たちの『心配』が、とても嬉しかった。



               △▼△▼△▼△▼△



「あ、おーい! アンディスー!」


 ギルドにて、ワタルはアンディスの名前を呼ぶ。

 その声に振り向き、アンディスは目を見開いた。


「ワ……リベルド!?」


 本名を言いかけながらも、アンディスはそれに反応した。


「悪いな、心配かけちまったみたいだし……」


「……いや、なんてこたァねェよ。それよか、謝んのはアタシの方だ」


「………」

 

「情けなく気絶させられちまッて、悪かッた……」


 なんとなく、予想はしていた。

 でも、この話は――


「とりあえず、場所を変えてからだ」


 周りを見ると、アンディスがリベルドと名前を呼んだからか、ワタルの方へ視線が向けられている。

 ……どうやら、『禁止指定路』の問題がうまくいき、それがワタルのお陰だということが広まってるらしい。

 それは喜ばしいことだが、今この場で色々と話すには少し困る。と、いうわけで、場所を変えようという算段だ。


「……わかッた」


 その意図を察してか、アンディスはそれを了承した。




 ――――そして、場所は近くの飲食店。



「それでだ、さっきの話、エレクシアにも同じこと言ったんだが、俺は気にしてない。アンディス達の心配は、正直嬉しいよ。でも、だからって謝んなくていい。俺はやることやっただけだしな」


「そう…か……」


 ワタルの言ったことを、アンディスは多少不服そうではあるが、それを承諾した。


「そんで、俺もお前に言いたいことがあるんだ」


「あァ?」


 ワタルの突然の申し出に、アンディスは眉を寄せ、訝しげな表情を見せた。


「―――これから、お前どうするんだ?」


「……」


 二日前のシルクとの戦闘、そこでアンディスは彼女にとってかなり因縁があるであろう人物と戦い、勝利した。

 それは、恐らく彼女の人生にとって大きな節目となったハズだ。


「そうだなァ…オッサンの仇はとッたし、アタシがこの街にいる理由なくなッちまッたからなァ……リベルドについてくッてのもいいかもしんねェな」


「マジで!?」


「お、おォ…んだよいきなり……そのつもりで聞いたんじゃねェのか?」


 彼女の言葉へのワタルの異常な食いつきにアンディスは少し気圧されながらも、疑問を口にする。

 事実そうなのだが、それはアンディスの話を聞いてから提案として話そうと考えていたのだ。逆にアンディスから提案されるとは思ってもみなかった。


「いや、そうなんだけど…まさかお前の方からその提案されるとはな」


「アンタの旅に、興味が湧いてよォ。アンタの方から誘おうとしてたんなら、承諾ッてことでいいんだよな?」


 アンディスは口角を上げ、鋭い犬歯を覗かせた。

 それにワタルも笑った。


「………」


「……なんだよ」


 それに目を見開き、黙ったアンディスに、ワタルは怪訝な顔をした。


「あ、あァいや、アンタがんな風に笑うの初めて見たからなァ…ちッと驚いただけだ」


「似たようなこと、エレクシアとかテガイズにも言われたな…そんなに笑ってないか? 俺……」


 顔をむにむにと揉みながら、ワタルは日頃の自分を思い返すが、そこまで笑ってないことはないと思う……


「ともかく、だ」


 話を本題へと戻し、そう前置きしてワタルは拳をアンディスの方へと向ける。

 それから真っすぐアンディスを目を見て――、


「俺に、付いてきてくれ。頼む」


 そして、そう懇願した。

 それに犬歯を見せながらふっと笑ったアンディスも、その拳に自分の拳を合わせた。


「当たりめェだ。地獄でもなんでもアタシは付いて行ってやらァ」


 双方の合意により、『契約』が完了した。


「お、おォー……なんか、変な感じだな……」


 自身の体を見ながら、アンディスはそう言う。


『あー、あー、聞こえるかー』


「のわァッ!?」


 そして、テレパシーでアンディスに語り掛けると、実に面白い反応をしてくれた。


「これは……?」


「直接脳内で話す…俺の世界では『テレパシー』って呼ばれてたな」


「てれぱしー…アンタの世界では、んなモンがあッたんだな」


「あー、実はそういうわけじゃなくてな、これは…なんつーか、そういうモンがあるんじゃないか、みたいな……ともかく、実際にあるわけじゃないんだ」


「お、おう?」


 ワタルの纏まらない説明に、疑問符の付いた返事をアンディスは返す。

 まぁ、実際に無い物に名前を付けるなんて、傍から見たら異様なことだ。


「とにかく―――よろしくな、アンディス」


「おう、リベルド」


 そう互いに笑い合い、飲食店を後にした。



               △▼△▼△▼△▼△



「それで? エレクシアの奴がなんか話すことがあるッつッてたのか?」


「あぁ。結構神妙そうな顔だったぞ」


「多分、あのこッたろうな…」


「心当たりがあるのか?」


 思い当たる節がありそうなアンディスに、ワタルは問いかけると、彼女は「そりゃァお前…」と前置きしたところ、ワタルの視線が別のものへと移っていたことに気付いた。

 その視線の先に、なにかあるわけではない。ただ、アンディスにはワタルが何を見たのかが何となく察せた。


「……アンディス、先行ってろ」


「オイ…リベルド……!」


「大丈夫だ。――多分」


「あー糞! わァッたよ! なんかあったら、ぜッてェてれぱしーで呼べよ!」 

 

 半ば自棄ヤケになりながら、アンディスは一足先に宿へと向かった。

 そして、ワタルはすぐそこの裏路地に足を運び、そこにいた人物に声をかける。


「―――よくぬけぬけと殺そうとした奴に会いに来れるな、ウェイル」


「―――そちらこそ、よく殺されかけた相手の誘いに乗りましたねぇ」


 そこにいた人物は他でもない。

 一度、『仮面怪奇』としてワタルを襲い、そして『愉悦の道化』としてワタルを痛めつけた、今だ謎多き情報屋―――ウェイルだった。


「お前が俺を奇襲して殺そうとしないで、わざわざ話しに来たんだ。それなら、話しを聞いたがいいだろ? 俺としても、話したいことがあったんでな」


 ワタルがそう言うと、ウェイルは笑みを深めた。

 こいつはいつもそうだ。そうやって、この状況を楽しんでいる。


「それで? 貴方の話とは?」


「先に言うように誘導されてる感は否めねぇけど、まぁそれはいい。俺は、お前と『取引き』をしたい」


「ほう?」


 ワタルの『取引き』という言葉に反応して、ウェイルが眉を上げた。

 どうやら、興味を示していただけたらしい。


「俺がお前に求める情報は、お前の正体と狙いだ。お前が何を狙ってるのか、それがどんな目的に繋がるか…それを教えろ」


「……随分と強欲な願いですねぇ。その代わり、貴方が差し出す代償が大きくなりますが……まさか、それを考慮してないとは、言いませんよねぇ?」


 ワタルの要求を聞き、ウェイルは微量の圧を放ちながら、ワタルの差し出す代償を聞く。

 だが、ワタルは気圧されない。姿勢を崩さないまま、口を開く。


「当然だ。俺が出す情報、それは――俺が一番嫌いで、怖い奴らだ。お前よりもな。そんでもって、俺が知ってる限りのそいつらの情報も話そう」


「貴方…客の興味を引くのがとても上手ですねぇ…」


「そりゃどーも」


 ワタルが差し出せる代償。それを聞いたウェイルは笑みとともにワタルを称賛した。

 その称賛に軽く肩をすくめる。


「んじゃまぁ、まずは俺から―――俺が一番嫌いで怖い奴ら、そいつらは『無双の神判』って奴らだ」


「『無双の神判』ですか。確か、以前も口にされていましたよね?」


「あぁ。そいつらは色んなの世界で悪さしてるやつらでよ、マジで怖い奴らなんだ」


「なるほど…次にその方たちの―――」


「はい、アウト」


「――――――?」


 『無双の神判』の話を聞き、頷いた。

 そこで放たれたワタルの言葉に、ウェイルは疑念と警戒の念を抱く。

 そんな彼の態度に、ワタルは不敵な笑みを浮かべながら答える。


「情報の『無償提供』ありがとさん。どうやら、お前も異世界を自由に行き来できるみたいだな」


 『色んな異世界』

 その言葉には、どんな異世界召喚がある世界――特に、代々『日本』から異世界人を召喚している世界での必ず違和感を持つはずだ。

 だが、ウェイルは頷いた。それはつまり、ウェイルが異世界が複数存在してることを知っているということだった。

 いい収穫があったってもんだ。


「―――してやられましたねぇ」


「あぁ、言っとくけど、俺が言った情報は嘘じゃねぇ。その証拠になるかどうかはわからんが…レイブウィアの街での襲撃者。あれは、『無双の神判』の奴だな。襲撃者の出自とか、なんもわかんなかったろ?」


「なるほど、情報を疑われないようにする証拠も完璧と……本当、貴方は恐ろしい」


 圧を発しながら、笑顔でウェイルがそう言う。

 

「恐縮だな。ま、話を戻そう。そんで、次は俺が知ってるあいつらの情報だが…まず、あの組織にいる奴らの数はよくわからんが、『支部長』と『部隊』がいて、『支部長』は多分七人、『部隊』は72部隊あるっぽい」


「随分多いですねぇ…支部長が多分七人というのは、一体どういう点から予測したのですか?」


「あー、それはな…その内の一人が仲間のことすっげー悪く言っててよ、その時の人数が七人だったんだ。それと、俺の世界に『七つの大罪』っつークソかっこいい言葉があんだ。その内容と、あいつら支部長の肩書が同じだったんだ」


「ほう…その七つの大罪は、何があるんですか?」


「えーっと、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲……ってところだな」


 中々、七つの大罪をすべて言うのは恥ずかしいな……まぁ、ウェイルは真剣に聞いてるっぽいしいいとしよう。


「それでだ、俺があったのはその内の二人。暴食と、怠惰だ」


 今でも、思いだす。あの日の苦痛を、あの日の、地獄を。


「その顔を見るに、相当の思い出だったようですねぇ」


「――…あぁ。まず、『暴食』だが、あいつは子供の姿で、多分多重人格だ。能力は…よくわかってない」


 あの時、『暴食』たちと戦ったのはドルガルだった。

 だからワタルは奴の能力はわからない。……まぁ、ドルガルが弟であるエドルのことを忘れていたことは少し気になるが、不確定な情報は出さないが吉だろう。


「そんでもって、『怠惰』は―――魔物を、操る」


「――――……なるほど」


 ウェイルは、その『怠惰』の能力を聞いたとき、その言葉ですべてを察したようだった。


「あの偽フェンリルを操ったのは…その『怠惰』の仕業というわけですか。貴方があそこまで警戒していたのも納得です」


「まぁただの『もしかしたら』だけどな。…事実、あいつは姿を現さなかったし」


 といっても、奴がシルクを操っていたというのは疑っていない。


「ま、俺が出せるの情報はこんぐらいだ。お前も異世界を移動するときは注意しろってこった。あいつらは、殺しを何とも思ってない。多分、お前よりも」


「……注意しろ、ですか。本当、貴方はつくづく甘いですねぇ」


「…ある程度、自覚はしてる」


 確かに、殺されかけた相手に注意を促すなんておかしな話だ。


「とにかく、次はお前だウェイル。お前の狙いを話してくれ。―――それに見合う情報は、出したつもりだ」


「……確かに、私をも知らない異世界を行き来する巨大組織の情報を出されたら、文句の言いようがないですねぇ。それに、前払いされてしまっては、断れない。はぁ……わかりました」


 溜息を吐きながら、ウェイルは承諾した。


「それで…私の狙いでしたよね…私の目的は、魔物の『核』です」


「魔物の…『核』?」


 聞き覚えの無い言葉を、ワタルは口の中で反芻する。


「えぇ。魔物にある核…それが私の狙いです」


「それはわかったが、なんでシルクだけを狙った? 他にも魔物はいたはずだけど」


「それは…私が狙うのが他の魔物とは一段階上の魔物だからです。フェンリルは、それに該当する…というわけです」


 一段階上…つまるところ、ワタルの世界での伝説の生き物的なのがそれに該当するのだろう。なら……


「キマイラとか…もしかして、マンティコアとかフェニックスとか……そんなのもいるのか?」


「――――貴方の情報源…本当に謎ですねぇ」


「あーいや、この魔物の名前は俺の世界で結構有名でな…あ、でも創作でだぞ」


「貴方の世界って、本当何なんですか…?」


 まぁ確かにそうだ。

 ワタルの世界で創作物だったものが、他の世界に実在するなんておかしな話だ。


「さぁな。もしかしたら、俺の世界にも異世界転生者が来てるのかもしれねぇし」


「それは…随分素敵な考えですねぇ」


「その言い方だと、嫌味かどうか区別つかねぇな……」


 ワタルの考えへの返答にワタルは頬を掻く。

 それから「それは置いといて…」と前置きして話を戻す。


「―――それを集めて、お前は何する気だ?」


「――――――」


 話を戻してからの唐突の質問、それに対する返事は『沈黙』だった。

 不自然で、それでいて明らかで確実な、『沈黙』だった。


「話すつもりはないってか」


「いえいえいえいえいえ、そういうのじゃぁありませんよぅ。―――これは、お客様のことを思って…です」


「……ってーと?」


 含みのあるその物言いに、ワタルは怪訝な顔をしながら問い詰める。


「―――知るべきではないこと…とまでは言いませんが、ことが、この世にはあるんです」


「―――――」


 笑顔は変わらない。だが、目の色が違った。

 多分、これ以上は追及はできない。


「はいはい、わかったよ。じゃあ、その代わりにお前がこの世界で狙ってる魔物ヤツを紙に書いてくれ。箇条書きでな」


「うまぁく乗せられた感じはしますけど…まぁいいです」


 そう言って、ワタルが取り出した紙とペンを手に取ってスラスラと書き、それをワタルに返した。


「……なるほどなるほど…こいつもいんだな。あ、でもこいつは知らないな」


 リストに書かれていたのは、フェンリル、キマイラ、ベヒモス、カリュインという文字、最初の三つはわかるが、最後の『カリュイン』という魔物、これだけは聞き覚えがなかった。


「なぁ、このカリュインって……やっぱいいや」


「言うなら最後まで言ってくださいよぅ……答えられることなら答えますよ」


「だからいいって! これ以上情報求めると追加料金発生しそうだから聞かねぇ!」


 ウェイルからあの提案を拒絶すると、彼は「それは残念」と軽く肩をすくめ、いかにも残念そうじゃなさそうな表情で言った。

 そんな彼の態度にワタルは顔を顰めながら頭を掻く。


「何がともあれ、これで俺の話は終わりだ。次は、お前の話だよ」


 頭を掻いたまま、ワタルはウェイルが姿を現した理由の話へと話題を変える。


「あぁ、そうでした。まぁといっても、私の話は結構短いですよ」


 腕を広げ、眉を上げ、灰色の瞳とワタルの瞳が交差する。

 そして、その瞬間だった。


「―――――」


 首筋に、冷たい感覚が走る。

 正確には、


「―――これは」


 首は動かさないようにしながら、ワタルはその『冷たい物』へ視線を向けた。

 ―――それは、ウェイルのククリナイフだった。

 恐らく、凝固した空気を操り、ククリナイフを持たせる的なことをしたのだろう。ワタルの首を挟むように、二本のククリナイフの刃が首にあてられていた。

 そんな状況が目に入っていないかのように、もしくは、それが当たり前だとでもいうかのように、ウェイルが口を開く。


「私の話はただ一つ。―――私が『愉悦の道化』……もしくは『仮面怪奇』だということを、決して外部に洩らさないでください」


 そう提案するウェイルの顔からは、笑みは消えていた。


「――――それは、『取引き』か?」


「違います。これは、私からの『注意喚起』です。もし洩らしたら、私が貴方を殺します。―――私が貴方が言っていた「恨む」を、優しいと笑った理由わかりましたか?」


「……できれば、こんな形でわかりたくなかったけどな」


 ワタルがウェイルに『リベルド・アンクがキトウ・ワタルであることを言わない』という『取引き』をした時、ワタルは『言ったら恨む』と脅した。だが、ウェイルは『殺す』と来たものだ。

 確かに、甘かったのだろう。だけど―――、


「俺は、それでいい」


「――――?」


「甘くて結構、俺はお前を殺す気ねぇし」


「あのですねぇ……一応、私のほうが脅してる側なんですけど……」


 確かに、そこには誰でもわかるような明らかな殺意が込められていたが、ワタルは臆さない。――そんな姿勢をとる。


「はぁー…わかった、わかったよ。言わない言わない。あいつらにもそう言っとく。つーか、ハナから広めるつもりねぇっての」


「……それはよかったです」


 ワタルがそう言うと、ウェイルは笑顔を取り戻し、微笑みかけた。

 それと同時、ワタルの首筋にあてられていた冷たい感触がなくなった。


「話は以上です。――次合う時は、敵同士じゃないことを願ってますよ」


「勝手だな……まぁいいけど」


 頭を掻きながら、ワタルはその場から立ち去ろうとする。

 だが、「あ」と思い出したように振り返り、ウェイルを指さし、それから口を開く。


「念押しだ―――俺が『キトウ・ワタル』だってことを広めたら、やるからな」


 その言葉に、ウェイルは滅多に見せないような驚き顔を見せ、その後に笑顔を浮かべた。


「―――それは何とも、恐ろしいですねぇ」


 そして、ウェイルの返答を背中で受けて、ワタルは裏路地から出た。


「―――――行きましたか」


 その背中を見届けて、ウェイルは言葉を溢す。

 次に、自分の背後にある建物の『影』に視線を向け、


「――――本当に、話しが通じる方でよかったです」


 と、そんな安堵の声を発したのだった。



               △▼△▼△▼△▼△




 裏路地を出て、数十歩歩いたところでワタルは立ち止る。


「ふぅうぅぅぅぅ―――――」


 そして、緊張の糸が途切れたワタルが、その場にへたり込んだ。


「怖すぎだろ、あいつ……おちゃらけたいじられキャラはどこ行ったんだよ……」


 思い出すのは、ウェイルの正体がわかるより前の彼。

 あの時は胡散臭いだけで面白い人間だったけど、今となってはただの笑顔でものすんごい圧をかけてくる怖すぎ人間だ。―――正直、《カゲロウ》をウェイルの後ろに張っててよかった。

 多分、ウェイルはその存在カゲロウに気付いていた。気付いた上で、気付かないフリをしていた。それはきっと、ワタルに「いつでも奇襲できる」という精神的油断を作ろうとしていたのだろう。ウェイルが背後にある、しかも見えないカゲロウに気付くのは中々に彼の強さを表しているが、むしろそれでよかった。


 気付いてくれたお陰で、ワタルの強気な姿勢が活きた。いつでも奇襲ができることに油断してるわけではなく、慢心しているわけでもない。

 そんなワタルの姿勢に、ウェイルはきっと「俺的には勝算ないからやりたくないけど、お前がやる気ならやってやる。勝てる気せんけど、お前も手足一本くらいは覚悟しろよ?」ってな感じのメッセージくらいは感じてくれたのだろう。

 だが、それはウェイルが「あ? やってやるよ」みたいにならないかの賭けだったが……どうやら、ウェイルは『未知』を恐れるらしい。


「ま、情報屋って考えたら妥当…か?」


 そうだとしても、『愉悦の道化』と名乗ってる人間としてはどうなのかとは思うが……生憎、ワタルは人の生き方にどうこう言う気は、言いたい時以外はない。


「ウェイルとの話は決着ついたし、とりあえず宿に戻るか……あぁクソ、朝からどっと疲れた……」


 そして、ワタルは宿へと戻った―――。



               △▼△▼△▼△▼△



「ったく、無駄に遠いんだよなぁ…ギルドと宿」


 宿の前で、ワタルはそう愚痴を洩らす。

 人込みも相まって、宿とギルド間の移動時間はかなりかかる。まぁ、この街にいさせて貰ってる身として、贅沢は言えないのだが……

 ともかく、ワタルはその宿の扉を開いた。すると――――、


「おかえりなさませ! 主様!」


 笑顔のエレクシアが、ワタルを迎えた。

 それだけでも少しおかしいのだが、もっとおかしいのはその周囲だった。

 全体が食堂となってる一階部分。その場の活気が凄まじく、さらにその場の全員がワタルの方を見ていた。


「おー坊主! お前さんがフェンリルを倒してくれたっつー話じゃねぇか! ありがとうなぁ!」

「あいつのせいで、俺ぁ商売上がったりだったんだ!」

「あんたは俺らの恩人だぜ!」


 まだ朝だというのに酒を右手にとった中年の男性が、ワタルへと感謝を述べた。

 ……それにしても、巷ではフェンリルはやっつけたことになっているのか…まぁ確かに、王都とマーケストの間の道を破壊するなんて相当なことをした魔物をワタルが使役しているなんて知られてはいけないことだ。

 っていうか、シルクはどこにいるんだ? ギルドでセンファが保護中だとかだろうか。エレクシアに聞けばわかるか?


「ワ……ッリベルドォ! アンタのお疲れ様会だとよォ! 食え食えェ! 飲め飲めェ!」


「わぷっ…ちょっ…アンディス!? 俺未成年! あと近い!」


 もう既に出来上がったアンディスが、木造のジョッキを片手にワタルの首に腕をかけて手の酒を飲ませようとしてきた。

 その勢いに押されるも、ワタルはまだ困惑しながらそれを断る。

 ……絶対、朝にするもんじゃないだろ、お疲れ様会。

 そんなことを思いながらも、ワタルはアンディスに絡まれながらも並べられた美味しそうな料理に手を出す。


「おお! 美味い!」


「これ、エーちゃんが作ったらしいよぉー? すごいよねー!」


「へぇ……流石だな、エレクシア!」


「え!? あ、ありがとうございますわ!」


「渡って案外悪い男だよね……」


 渡に褒められたエレクシアが、顔を真っ赤にして喜んだ。

 実はこの料理には障子も一枚嚙んでいるのだが、それを言う手段もないし、言っても特に意味はないので、二人の関係を微笑ましく見ておくことにしよう。


「それにしてもよォ、アンタやッぱスゲェよなァ! あいつの風がビュンビュンふいてやべェ時のアンタのあの攻撃……あいつァシビれたぜェー!」


「酒臭ぇ…! お前マジどんだけ飲んだんだよ!」


「……アンディスさんは今は飲みまくって大変なことになってますけど、主様のこと凄かったって、その場にいたわたくしにもずぅっと言っておりましたのよ? ……そのお陰というかというか…街では「リベルド・アンクはフェンリルを片手で仕留めた」とか、「リベルド・アンクは拳一つで国一つ消し飛ばすほどの攻撃を打ち消した」とか…そんな噂が蔓延ってますわよ?」


「マジか……ウェイル、ごめん」


 もしかしたら既にアンディスが話してしまってるかもしれないという事実に、心の中のウェイルへとワタルは謝っておいた。

 とはいえ、どんな噂であろうと広がるのは嬉しい。それがデマだとわかっていても、実際はどんなものなのか興味が湧くものだ。……いや、それ以上に、自慢に思われたことが、嬉しかった。


「ウチも、リベルドくんのこと自慢に思ってるのは一緒だよぉ~? ていうか、それを言うならリベルドくんと関わってきた皆も、リベルドくんを凄いって思ってるとおもうなぁ~」


「そうですわ。フェルさんも、テガイズさんも、エルミスさんも、デリバンさんも、ファリスさんも、センファさんも……当然、わたくしも、貴方のことを凄い方だと思っていますわ。―――そしてこの気持ちはきっと、永遠に変わりません」


「………」


 そんな二人の言葉に、ワタルは照れによるむず痒さで居心地が悪い。


「だから、今はとにかく楽しも~!」


「―――あぁ、そうだな」


「わ、いい飲みっぷり」


 笑顔で渡された飲み物を笑顔で受け取り、ワタルはそれを一気に飲み干した。

 甘い液体が喉を通り、ワタルを満たしていくのがわかる。

 酒飲みまくりのパーティーなんて、絶対朝にするもんではないが……せっかく、こんなに祝われたのだ。

 彼女の言う通り、楽しまないと失礼というものだろう。


 そう、楽しむ。楽しむのだ。このお疲れ様会を。

 しかし、今それよりも、重要なことがある。とても、とても重要なこと。

 それは――――、


「お前誰!?」


「んー?」


 妙にワタル達と知り合いっぽい感じをだす、黄色の瞳に艶のある綺麗な白髪をショートカットにした端正な顔立ちの眼前の少女。


 その正体を、ワタルは問い詰めた。



『殺すか、恨むか』


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

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