第一章 / 25話 『図々しくて、おこがましくても』


「――――!?」


 突然起き上がったフェンリルに、センファは目を見開いた。だが、すぐに切り替え、魔力を纏い始―――、


「これ、は……」


 体内の魔力を外に出した瞬間、センファの魔力が解けて霧散し、フェンリルに吸い込まれていった。いや、センファだけではない。

 空気中に散布する魔力が、全てフェンリルに集まっていき、ジッと街を見つめるフェンリルの口元、そこに集まった魔力が膨らんでいく――。


「させるかぁ―――――――っ!」


 フェンリルの背後、ウェイルの追跡をやめたワタルが血相を変えて走る。


 ――センファが攻撃をしていない。恐らく、魔力を吸い込んでるフェンリル(仮)のせいで魔法が使えないのだろう。

 背後からゼロを込めた拳で叩くというのがいいかもしれないが、多分、意味はない。体を強制的に動かすことで操る手法、いくら痛みを与えようと、操作する側にリスクがないのなら、フェンリル(仮)は止まらない。フェンリル(仮)の攻撃は、終わらない。


 そして、ワタルはフェンリル(仮)の上をジャンプで通り、空中で体を翻してフェンリル(仮)の方を向きながら着地した―――その時だ。


「―――――――――――――――――――ッッッッ!!!!」


 咆哮というにしても、余りに爆音なその声に、地面が揺れる。それと同時に、極太の風の渦がフェンリル(仮)から放たれた。その攻撃は、確実に目の前の街を用意に壊滅状態へと陥らせることが可能なほどで、 止めなくてはいけない攻撃だった。


「――――クッッッッッッソ、がぁあぁぁぁぁあぁぁ!!」


 大きく声を張り上げ、決死の表情でワタルは顔の前でバツを作る。

 その瞬間、腕へと強烈な圧がかかり、腕がひしゃげる感覚をワタルは味わう。


「〰〰〰〰っ」


 痛みに顔を顰めながらも、足の踏ん張りは緩めず、より強く踏みしめる。


「ク…ソが、ぁぁ……!」


 下がるな、前へ踏み出せ。

 風が強いなら、打ち消せるようすべての力を使え。ゼロや不変を使って、風を乱せ。

 一歩も退がるな。街に、こんな物を届けさせるな。


「………っ!!!」


 唇を噛みしめ、一歩ずつ前へ踏み出す。

 風と混ざって飛んでくる砂塵が、ワタルの肌を切り裂いていく。

 痛い。とんでもなく痛い。でも、逃げるわけにはいかない。

 その理由は、街を守るという使命感と、もう一つ。


「お、い……聞こえてるか!」


 風を腕で受けながら、ワタルは声を張り上げる。

 その相手は、エレクシアでも、アンディスでも、センファでも、ましてやベルガルトでもない――この魔物だ。

 今、風を放って、マーケストを危機に晒している、目の前の魔物に、話しかけている。


「お前は…ベルガルトに、利用されたんだろ?」


 ワタルは、利用された。

 あの王女と勇者が『支持』を得るために、ワタルは利用された。

 この魔物も同じだ。ベルガルトに操られて、利用されて、やりたくもないであろうことをさせられて……もし、それで殺されてしまったりしたら、余りにも不憫だ。

 それが、ワタルがカゲロウを使わない理由だった。


 返事はない。ただ、叫ぶ。語りかける。

 声が、届いていると、そう信じて。前へ進む。歩み寄る。


「悔しく、ないのか…? そんな風に、自分の命をないがしろにされて、悔しくないのか…?」


 ワタルは、悔しかった。何もできない自分が、何もできない状況が、悔しかった。 

 だから、この魔物もそうであると信じて、ワタルは歩み寄る。


「悔しい、だろうが。見返したいだろうが……!」


 ワタルは、そうだ。あんな風な冤罪をかけられて、それを見返すために、旅してる。

 この魔物が、どう思っているのかなんて、ワタルにはわからない。でも、重ねてしまった。この魔物の気持ちを、理解できたような気がしてしまった。


「もし…もしも、この声がお前に届いてるなら……そんでもって、見返したいって、思ってるのなら―――俺と、契約しろ」


 ワタルの『契約者』の能力で、ベルガルトの操作を上書きする。

 それが、この魔物の無念を、この状況を、打破できる、ワタルにしかできない、方法だった。

 いや、それよりも、ワタルは――、


「―――……お前を、助けたいんだ。利用されて、こんな事させられてるお前を……助けたいんだ。だから―――」


 そこでワタルは言葉を切り、一考の後、また口を開いた。


「お前を、助けさせてくれ……! ―――!!」


 ワタルは、一つの言葉をその口で紡いだ。『シルク』という、眼前の魔物の、名前を。

 この名前は、ワタルが考えたものだ。純白の魔物へと、ワタルがつけた名前だ。利用されたこの魔物が、黒い心に溺れず、白のままでいてくれることを願った、名前だった。

 勝手に名前を付けるなんて、おこがましいことをしているのはわかっている。それも、『相手にこうなって欲しい』なんて願望を、ワタルが乗せるなんて、図々しいにもほどがある。

 でも―――


「名前ってのは、そういうモンだろうがよ」


 『相手にこうなって欲しい』という願望を乗せて、そうなろうとも、ならなくとも、永遠に変わらず存在するのが、『名前』だ。

 『名前』の意味なんて、本当はちっぽけなモノなんだ。


 ―――だって、『名前』を授けて、『名前』を授けられる。そのことに、意味があるのだから。


 ワタルが名を呼んだ時、魔物――シルクの瞳が、赤ではなく、黄色になっていた。

 その視線が、ワタルと交差する。そして、ワタルはふっと笑顔を浮かべ――


「――シルク…お前は、どうしたい?」


 真正面からの、ワタルの質問。

 それを受けたシルクの答えは―――、


「――――――」


 風の渦が、止んだ。

 シルクの口から放たれていた暴風の渦が、消えた。それは、シルクとの『契約』が、成立したことを表していた。

 ―――この戦いが終わったことを、表していた。


「あークソ、めっちゃ痛ぇ……」


 センファに治してもらったばかりだというのに、もうボロボロになってしまった手足を見て、ワタルは顔を顰める。

 無理した分しょうがないところはあるものの、それでもやっぱり痛いものは痛い。


「ヴ…ァウ……」


「ん? あぁ、大丈夫だよ大丈夫。お前を何とかできたんだから、これくらい訳ないってんだ」


 怪我をしたワタルを、シルクが心配そうな顔をしながら寄ってきた。

 それにワタルは笑顔で返すが、シルクの顔から心配――というより、罪悪感にも近しいそれは拭えなかった。まぁ、仕方ないか。ワタルだって、シルクの立場だったら、いくら操られてたとしても自責の念を捨てられないだろう。


「―――リベルドさん! 大丈夫ですか!?」


「おう。俺も無事だし、こいつにはもう敵意はない」


 険しい表情で走ってきたセンファにワタルはシルクに危険がないことを知らせる。


「それは…まぁ信じますが、それよりも早く止血を……」


「ん? お前の治癒魔法使えばいいじゃん」


「……私の治癒魔法は、正確には治癒促進魔法…要は、受ける側の体力を使うんです。リベルドさんは既に重い怪我を治癒しましたから、次治癒したら疲労困憊で倒れますよ。それに、血液は補充できるわけじゃないので、とにかく早く止血を―――」


「――なぁ、センファ」


「はい? なんです?」


 センファの治癒魔法の仕組みを説明され、ワタルはそれに納得する。

 なんにせよ心配してくれているセンファ、しかし、ワタルにはどうしても気になることがあった―――。


「―――今視界がフラフラしてるんだけど、これってヤバめ?」


 こうやって立ち止まってみるとよくわかる。視界が揺れ、目がチカチカする。

 この状況が安全かをセンファに問うが、返事はない。いや――――、


「あ」



 多分もう、センファに問いを投げた後には、既にワタルは気を失っていた。



               △▼△▼△▼△▼△



 ―――部屋の中心にある大きな円卓を、椅子が取り囲むように並んでいる。

 そこへ、一人の人物が入室した。


「―――おや? 珍しいですねぇ、何にもない日なのに、結構人がいるんですね」


 そう声を発したのは、不気味な笑顔の浮かべる仮面をつけた一人の男――『愉悦の道化』だ。

 そんな彼が見たのは、四人の人物。しかも、その全員が『愉悦の道化』と同じように仮面を着用していた。だが、仮面を付けているのは同じでも、その仮面の表情は違っていた。


「オマエこそ、珍しいじゃねぇか!!」


「ちょっと、うるさいわよ。でもま、確かにそーよ、新人のクセして会議の出席率最下位なんだから」


「ハハハ、しょうがないじゃないですか、情報屋は色々と忙しいんですよぅ」


 最初に口を開いたのは、服を豪快に着崩した『奮起』で、それに便乗して、ドレス姿の『倦怠』も口を開く。

 それに言い訳すように『愉悦』は笑う。


「――それで、何かあるからここに来たのじゃろう? 早う話さぬか、儂の我慢が持つうちにの」


「そう生き急がないでくださいよ。ただでさえお爺さんだというのに、そんなんだったらすぐに死んじゃいますよ?」


「若僧が、調子に乗りおって……」


 本題へと入らせようとする黒装束に身を包んだ、杖をつく『固陋ころう』を『愉悦』が煽ると、その間に険悪な空気が流れる。


「はーはっはっはっは! 最年長対最年少の戦い…おもしれーじゃねぇか!」


「ちょっと? そんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」


「それは、この若僧を懲らしめた後で、ゆっくり聴くとしよう」


 そう言い、『固陋』は手に持つ杖を握る。

 それに対応するように、『愉悦』も腰のククリナイフに手をかけ、まさに一触即発の空気が―――、


「ね、ねぇ…ぼ、僕話しを聞きたいんだけど…ダメ、かな……?」


「――――」

「――――」


 そこへ、一つのおどおどした声が割り込む。

 その声の主は、声の通りおどおどとした、俗にいう萌え袖の可愛らしい顔をした子供…一見女児のように見えるが、彼は男だ。

 だが、男児であろうと女児であろうと、そんな小さな声の忠告など、一触即発な大人二人が聞き入れるはずがない。そう、普通は。


「はぁ、そうですね。本題にはいるとしますか」


「……ふん」


 二人は互いに殺気を消して、話しへと戻る。

 何も、この男児の可愛さにあてられたという訳ではない。この男――『慷慨こうがい』は我ら一面倒だからだ。ちなみに、一番しぶといのが『奮起』で、一番厳しいのが『倦怠』、一番恐ろしいのは『倦怠』。そして一番厄介なのが『愉悦』だ。


「それで本題なんですが……私は皆さんに、忠告をさせていただこうと思いましてね」


「―――それって、どういうことなの?」


 『愉悦』の物言いに、その場の全員が警戒を強める。特に、『倦怠』は今にも殺しに来そうなほどに殺気を放っている。


「怖い怖い、そんなに警戒しないでくださいよぅ。私の忠告というのは、とある人物に気をつけろという物です」


「ってーと?」


「私が先ほどまでいた世界なのですが…そこでとんでもない方と出会いましてね。どれくらいとんでもないかというと……私が愉しむよりも、恐ろしいが先行する方です」


「ふん…『愉悦』であるはずの貴様がそれほどまでに畏怖するとはの」


 彼――キトウ・ワタルの恐ろしさを伝えるのに、それはとても効果的だった。

 だが、そこで彼らには一つ疑問が浮かんだだろう。


「で、でも…『愉悦』さんがいた世界なら…私たちに危害は…ないんじゃ……」


「普通はそうなんですけどねぇ。彼……キトウ・ワタルという方は、一回死んだら生き返って、もう一回死んだら異世界に転生するっぽいんですよ。記憶は残ったまま」


「その情報だけで十分恐ろしいわね……それで、そいつどんな感じなの? ちょー恐ろしい残虐非道な奴なの?」


「顔は…いかにもそんな感じなのですが、性格としてはまさに聖人って感じですね。狂った、聖人です」


 含みのある『愉悦』の言葉に、皆が仮面の下で眉を寄せる。


「狂ったぁ…? どういうことだ?」


「死んでも大丈夫なクセして、死ぬのを極端に嫌い生を渇望する――かと思えば、誰かを助けるために、命を平然と捨てる。矛盾の塊で、それの自覚がない」


「確かに、恐ろしいわね」


 『愉悦』によるワタルの説明に、その場のみんなは納得する。だが、あの矛盾は、実際にあって彼と戦闘しない限りは感じることのできないものだ。

 なんにせよ、言うことは言った。


「ということなので、会っても、仕方のない場合を除いてお仲間は殺さないことをお勧めします。――死んでも死なない化け物が、文字通り決死の覚悟で殺しにかかってくるんですよ? まぁ、利害はわかる方なのが唯一の救いですね。ともかく、他の方々にもお話ししといてください」


 ひらひらと手を振り、『愉悦』はその部屋から離れようとする。


「なんだかんだ、教えてくれるなんて優しいわね。やる気がないから、忘れてるのかと思ってたわ、あの言葉を」


「……一応、私なりに準備なり実践なりしてますよ。『私たちは利害が一致してここにいる。だが、ただの利害関係であれど、皆は協力すべき仲間だ』―――忘れるには、彼の印象は強すぎます」


「―――そうね」


 『倦怠』にそう言われ、『愉悦』は仮面の下で目を伏せながら『彼』の言葉を代弁すると、彼女は短く返事をした。

 そこで『愉悦』は一つ息を吐き、他のみんなの方を見る。


「―――目的の為に人生をして」


「「「「―――仲間の為に命を掛けよ」」」」


 『愉悦』の言葉に呼応して、その場の四人がそう声を上げる。

 これは、この組織の合言葉、目的の為にその人生を使い、仲間を助けるが為に自分の命を捨てる――無論、そういう心構えでいろというだけだが、ともかくそういう意味合いの言葉だ。

 一応、『愉悦』は最年少なため、『初めの言葉』を言うのは図々しいかと思って言わないで置いていたのだが……案外、悪くないものだ。

 そしてそれを言った後、『愉悦』は背を向けて、今度こそその部屋の扉を開ける。


「―――それでは、また」


「おう! 頑張ってこいよ―――!」

「今度の会議に顔を出すの、期待せずに待っておくわ」

「ふん…」

「さ、さようなら……」


 そう言い残して、『愉悦の道化』は、『ウェイル・ポースド』としてまたこの世界に身を投じた。

 そして、この世界に足をつき、ウェイルは思った。


「……そういえば私、今度の会議の日程知りませんね」




『図々しくて、おこがましくても』


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


補足のコーナー


『固陋』→がんこで考え方が古くて新しいものを受け入れないこと。


『慷慨』→正義にはずれた事などを、激しくいきどおり嘆くこと。

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