第一章 / 22話 『風と狼を搔い潜って』
「ワタル! 作戦はなんだァ!?」
「フェンリルの魔力切れまで粘る!」
「りょォかい!」
―――結局、作戦としてはフェンリルの魔力切れを待つ形となった。
「おォォらァ―――!」
風のバリアを纏うフェンリルの周り旋回しながら、攻撃できるタイミングになったら攻撃、そして向けられる風の刃を何とか避ける。
これを繰り返して、繰り返すも、中々終わりが見えない。
「一体、どれだけ魔力を持っているんですの……!?」
「流石は魔王軍幹部といったところだな」
「………なァよ」
「ん?」
先の長そうな戦いに歯噛みするワタル達に、眉を
「……今、よくよく考えてみたらよォ、コイツッてフェンリルなんかじゃねェんじゃないか?」
「―――そりゃ一体どういう……」
「……魔族ッてのは、そもそも人の姿をしてんだ。フェンリルはその人間の姿から魔物の姿へと変わるらしいが、知能は当然そのまんまだ」
「………」
「けどよォ、コイツは風の壁がばれたからッて、任意発動を常時発動にした……変じゃねェか? 普通、幹部くらいのヤツなら、そんなことしたら持久戦で負けるッてことぐれェわかんだろォが」
「―――ぁ」
確かにそうだ。
もしかしたらその理由がワタル達を魔力が切れる前に殺せるという絶対的な自信からくるものかもしれないが、それにしてはヤケクソすぎる。
「―――――ワタル様」
「………ちょっと面倒だな」
思案するワタルを、エレクシアが静かに呼びかける。その理由は、いつの間にか辺りから感じる視線――。
「ヴルルルルル……」
「数が逆転しちまッたな」
「ですわね…」
その視線の正体。それは、
さて、どうしたものか……
「グルルァッ!」
「ヴォゥッ!」
「ちィッ!」
「ですの!」
二匹、三匹、四匹と、次から次に襲い掛かってくる狼達を、ワタルとアンディスとエレクシアは撃墜していく。
「ヴォ――――ンッ!」
そこへ、あの時の黒狼がワタルへと襲い掛かってくる。
「―――でも、今回は前とは違うぜ?」
自分に向けて振るわれる鋭い爪を、《器》から取り出した木の板を《不変》で固定し、防ぐ。
そしてその黒狼の股下を飛び前転で通って背後を取り、地面に触れた。
《カゲロウっ!》
下から上へ手を振り上げると同時、ワタルの影から黒い棘が飛び出して黒狼を貫く。そして、貫き役割を失った影は霧散していく。
当然、それで黒狼は絶命する。――あれ? というか、これフェンリルがまだバリアを任意発動だった時にやっとけば勝てたのでは?
……まぁ、今更考えても遅いから置いておこう。今は―――、
「やっぱ、カゲロウは楽だな……でもまぁ、これは本当に大切な時だけだ」
暴走する可能性を考慮し、使用は最低限にという風に決めてある。
が、しかし……
「―――――」
「―――――」
「うーん……まぁ、一応
立ち位置はそうでも、実力は雑魚敵の比にならないほどのモノと来たから溜まったものではない。
そんな評価もあり、ワタルはいつの間にか現れた六匹近い黒狼を見て苦虫を嚙み潰したような表情をする。
一体一体が強く、量の多い敵を相手にしないといけない上に、フェンリルから飛ばされる風の刃にも気を配っておかないといけない……どうやら、クソゲーなのは変わらずのようだ。いや、むしろ増している。
「だったら……!」
「―――えぇ! わかっておりましてよ!」
ワタルの目くばせに、即座にエレクシアが反応する。
その次の瞬間だ。
「―――ガアゥッ!」
「お前マジかッ!?」
エレクシアの体が膨張し、変化する。
そして、雷獅子の姿となり牙を剥いたエレクシアが、雷の如き速さで狼の多数を蹴散らす。
その唐突の変化にアンディスも動揺するものの、すぐにそれを制す。
「そらァッ!」
それに少しの困惑が狼の間で起こり、その隙を見てアンディスが大剣で一体の黒狼を切る。そして、それと同時に何故かその一直線上の黒狼まで胴が別れる。タネはわからないが、これはアンディスの技術か何かなのだろう。
「ナイス!」
「―――? おうよ!」
アンディスのファインプレーをワタルは称賛すると、アンディスは言葉をわからないながらも返事をする。
―――先の戦いが終わった後、アンディスはどこか吹っ切れたようだった。
あの時アンディスが『糞野郎』と罵った男、彼がアンディスの何なのかはわからないが、決着をつけるべき間柄だったようだし、ワタルも命を投げうってまでアンディスを助けてよかったと心から思う。
そして、ここでの戦いを勝って生きれたらなお良しだ。だから――
「出し惜しみしてる場合じゃねぇな、クソ!」
悪態を吐きながら、ワタルは地面に手をつく。そして―――、
《カゲ、ロウ――――ッ!》
その雄叫びと同時、ワタルの影が広がり、黒狼の足元が真っ黒になる。
無論、それだけではない。
「沈、めぇ――――!」
ワタルがそう叫ぶと、影が蠢き黒狼の足が沈んでゆく。
テガイズの魔法を真似しただけで、真似するのも初めてのぶっつけ本番だが、イメージさえできていれば思い通りに形を変えるというカゲロウの力なら関係ない。
ともあれ、これで動きは止めた。
「エレクシア―――!」
「ガォ―――ッ!」
名前を呼んだ時、それに応じるようにけたたましい鳴き声を上げる魔獣エレクシアが足の捉われた黒狼の全ての首を掻っ切った。
そこで、ワタルは危機感を覚える。
「ぁ、まっず……!」
動きを止めてしまった。この間にもフェンリルは風の刃が飛んできているかもしれないという危機感が、ワタルを襲う。
だが、その危機感を上回る違和感を、ワタル―――いや、その場の全員が感じた。
「消えた」
フェンリルの纏う風が、消えた。
「エレクシア―――! アンディス―――!」
「了解ですわ!」
「わァッてらァ!」
今が好機といわんばかりに、全員で突撃する。
それにフェンリルは、
「―――――ッ!」
踵を返して、逃げた。しかも―――、
「向こう……街の方だ!」
フェンリルが向かう先、そこがマーケストだと気付いたワタルは、焦燥に駆られる。―――あの時のような惨状を、また引き起こさせるわけにはいかないと。
「――――ヴォッ!」
「ちィッ!」
追いかけていると、フェンリルが木に向かって飛び、空中で方向転換してその木を蹴ってアンディスに襲い掛かるも、それは防がれる。
……にしてもだ、魔力が切れた状態であんな動けるものなのか? 漫画とかだと魔力切れは体調不良的なのを引き起こしていたのだが……
「エレクシアッ!」
「わかりましてよっ!」
フェンリルの爪を受け止めるアンディスがエレクシアを呼ぶと、その喉元を食い千切ろうとエレクシアが飛び掛かる。
「ヴルル……」
それを見ていたフェンリルは、少しだけ唸り声をあげる。そして、
「マジかよ!」
風の力で後ろに飛んだ。フェンリルのブラフに、ワタル達は驚きを隠せない。そしてこのままだと、エレクシアどころかその射戦上のアンディスまでは風の刃によって断たれる。
―――だけど、こういう時の対策なら……
「困った時の《カゲロウ》さーん!」
エレクシアとフェンリルの間に、負担を少なくするべく薄いカゲロウを挟む。当然、それだけだと防御として役に立たないため、《不変》を付与している。
《カゲロウ》が《不変》の対象内かどうかは、今知った。要するに、ぶっつけだ。
「ヴォォオォウッッ!」
「―――ぁ」
フェンリルが吠えた。その時だ、ワタルは『死』を覚悟した。
意表を突かれた。防ぐ場所をミスした。最初から、こうするつもりだったんだ。ワタルから、殺すつもりだったんだ。
後ろから、風の刃の気配を、風を切る音を、背後から感じた。一体いつ、風の刃を飛ばしたなんて、今は関係ない。思考と体の動作は、必ずしも一致しない。要は、頭ではわかってても、体が追いつくとは限らないということだ。
だから今はただ、その死が迫ってくるのを、スローモーションという死亡確定演出の世界の中、ゆっくりと待つだけ――……
「―――――?」
そのスローモーションの世界の中、迫り迫る死を待つワタルが、違和感を感じとる。
―――来るはずの死が、来ない。
いや、そもそも―――。
「風の刃が……消えた?」
ワタルに迫っていた風の刃、その気配が完全に消えた。
何故かと、ワタルがフェンリルを見ると……
「グ…ヴゥ……!」
フェンリルは顔を顰め、何かに耐えるような、抗っているような様子だった。
今が絶好のチャンス、そうわかっていながら、全員は攻めきれずにいた。疑問が、倒そうという意思を上回っていたからだ。
だが、そんなフェンリルの苦しむような顔が、収まっていく。
「フーッ……フーッ……」
血走った目をらんらんと輝かせ、それは元より赤い瞳孔を大きくなったように感じさせた。
「―――っ。また逃げやがった!」
疑問がまだ晴れないまま、フェンリルはまた逃走を始めた。
そのフェンリルを、ワタル達は焦って追いかける。
「―――――」
そんな三人を、フェンリルは目線だけ後ろに回して確認する。そして次の瞬間、速度を上げた。
それでも追いかけようとするワタル達に、またもや黒狼らが前に現れた。
「ヴォォッ!」
「クッソ!」
「の野郎ォ!」
二匹の狼の爪を、それぞれワタルとアンディスが受け止め、ビリビリと痺れる腕を。
だが、こいつらの相手をしている内に、フェンリルに街に行かれるとまずい。
「エレクシア! 先に行け!」
『――…はい!』
足止め役に、ワタル達に速度を合わせてくれていたエレクシアに呼びかける。
一瞬の逡巡の後、エレクシアは走り出した。
「……先に行かせて大丈夫だッたのか?」
「あぁ。あいつなら上手いことやってくれるさ」
「へッ、そりゃ随分な信頼だな」
ワタルの言葉に、アンディスは笑った。
「まぁな……そういや、こいつらの事なんか知ってるか? 特徴とか弱点とか…」
ワタルは勝手に『黒狼』などと呼んでいるが、本当の名前を知るべく、アンディスに聞くと、
「いや、それがよ……こんなヤツ、見たことねェんだ。聞いたこともねェ」
「………」
それは一体どういうことだと、ワタルがもう一度問いを投げかけようとしたその時だ。
「なに、してんだ……?」
問いを投げるより先に、アンディスが口を開いた。
その疑問の先は、黒狼。黒狼が、嚙む動作を繰り返し、歯をカンカンと音を立てて打ち付け、その都度火花が散る。そして―――、
「なっ……」
黒狼の姿が、変わる―――否、正確には変わっていない。ただ、火花が黒狼の真っ黒な毛に燃え移り、黒狼を炎が包む。――そう、まるで、前々世でワタルを食い殺した『炎狼』のように。
大きさは、あの時のものとは違う。だが、それは確かに『炎狼』だった。
「――――っ」
「オイオイ、燃えても平気なのかよ、コイツらは……」
アンディスもその黒狼の変化に驚いているが、ワタルほどの衝撃は受けていない。
それもそのはずだ。ワタルの驚きは、目の前の黒狼――炎狼の、その奥だ。
アンディスがさっき言っていたが、この炎狼にアンディスは見覚えがない。それは、炎狼が異世界からきた魔物であるからだとわかる。
なら、それならば、そんな異世界人ならぬ異世界狼である炎狼が、ここにいるということは―――。
「ベルガルトが…来てる……?」
ベルガルト・オルス。
『無双の審判』の支部長で、ワタルを二度も死へと追いやった、ワタルにとっての『恐怖』そのものであり、憎むべき怨敵。
そんな敵が使役していた魔物が、今目の前にいる。
「……アンディス、急いでエレクシアのところに行くぞ。あいつが心配だ」
「ん? お、おォ……そりゃそのつもりだが…安心して任せられるんじゃなかッたのか?」
「状況が変わった。一刻も早く、あいつのとこに行かなきゃなんねぇ」
「……わァッたよ。―――でも、後でしッかり説明しろよ?」
「あぁ、わかってる」
エレクシアと一緒にも説明しないとだしな。
「そんじゃ、さッさとコイツらぶッた切るぞ」
「おう!」
心配と焦燥に駆られながら、ワタル達は構えた。
△▼△▼△▼△▼△
「グオゥッ!」
『くっ……!』
ようやく追いつき、戦闘に入るも、フェンリルの背後からの攻撃に、エレクシアは顔を顰める。
『すばしっこい…ですわね…』
木と木を飛び移る立体的な動きからの攻撃、それをエレクシアは捌ききれない。
同じ様にしようとしても、フェンリルはエレクシアの速度をもってしても、捉えきれない。この森において、フェンリルは逃走の『ぷろ』らしい。
だから――、
「ヴォォウッ!!」
『相手のステージでは戦わない。これがわたくしのもっとーですわ!』
またもや襲い掛かるフェンリルの攻撃を、エレクシアは空中で身を翻して回避し、がら空きとなったフェンリルの背中を思いっきり蹴る。
「グル…ォ…」
背中からの蹴り、それに電撃のさーびすを付けられたフェンリルは、体が痺れて上手く動けない。
『それなら、もう木を飛び移るなんてことはできないでしょう?』
「ヴゥゥ……!」
エレクシアの言葉は伝わらないが、目から何かを感じたのか、フェンリルが唸る。
状況は有利。だが、安心はしてられない。――フェンリルは、風を使っていない。
考える理由は、二つだ。
推測一、使えない。先ほどのエレクシアの攻撃を避けたのが最後の魔力を振り絞ったものだという可能性。だが、これはどちらかというと願望に近い。
推測二、現在進行形で使っている。これこそエレクシアの創造にすぎないが、フェンリルの魔力を別の何かにまわしているのではないか、というものだ。しかし、それだと何に対して使っているのか、というのが疑問として浮かぶ。
『……考えても、しょうがないですわね』
残念ながらエレクシアはワタルのように柔軟な作戦を思いつくことはできない。だから、考えるのを一旦やめ、フェンリルへと鋭い眼光を向ける。
「グルル……」
「ガルル……」
二頭は睨み合いながら、一定の距離を保ちながら、円を描くようにゆっくりと歩く。
そして、その睨み合いを続け―――、
「――――」
ふと、エレクシアが違和感を覚えた。少しだけ歩いた後、フェンリルが動きを止めた。
仕掛けてくると、そう思った瞬間だ。
下から吹き上げる風が、エレクシアを宙へと飛ばした。
『―――――っ』
その時、聞こえたのだ。確かに。
――――風を切る音が、背後から。
△▼△▼△▼△▼△
時は、数秒遡る――。
「ぬォッ…あッつ…!」
「近づきにくいな……」
炎狼と交戦する二人は、相手の纏う炎に手を焼いていた。
燃えているせいで安易に近づけず、迂闊な判断は身を滅ぼす。
「それに《カゲロウ》はフェンリルのために取っておきたいしな……」
だから、できるだけ消耗は避けたい。それに、フェンリルの後にも、戦闘はあるかもしれない。――そう、それこそ、ベルガルトだとか。
「――…」
まだ見えない『怨敵』の存在。それを見据えて、ワタルは構え―――、
「―――――」
――そんなはずは、ない。
だって、奴は…フェンリルは、エレクシアが追っているはずだ。なのに、なぜ……
「風―――」
何度も聞いた。鋭利な風が、空を切る音。
それが、ワタルの背後から、聞こえてくる。
「―――っ」
振り返る。それでどうかなるわけではない。ただ、振り返り、その刃の存在を確かめる。そして、今度こそワタルの命を奪うその時を、待って―――。
『―――ウィード』
ワタルと、その命を奪う刃。二つの間に、一人の人影が挟まり、詠唱する。
瞬間、突風が風の刃を打ち消した。
「お前は―――」
突然の出来事に驚きながら、ワタルはその人影を見る。
すると、その人物を顔に笑みを浮かべ―――、
「私、ウェイル・ポースド。―――助力になりますよ? お客様」
――――そうして現れた情報屋は、堂々と参戦を表明したのだった。
『風と狼を搔い潜って』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
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