第一章 / 21話 『アンディス』


 ――――真っ暗な森の中で、泣き声が響いた。


 布にくるまれた赤子が泣いた理由としてはたくさんあるが、結局は一つだ。

 それは、恐怖。親に捨てられ、森の中で独りぼっちとなった赤子が感じるのは恐怖の他にない。


 だから、赤子は泣く。泣いて、力尽きるまで、泣いて、泣いて――。


「グルル……」


 その時、泣き声を聞きつけた一匹の魔物の狼が近づいて来た。

 その狼は人間の赤子に顔を近づける。勿論、食らうためである。そして、狼が口を開けて赤子を頬張ろうとしたその時、赤子と視線がぶつかった。だが―――、


「……だ、ぁ」


 泣き声が止んだ。

 そして、赤子が狼向けて手を伸ばしている。まるで、母でも見ているかのように、その両掌を狼に向けている。


「ぅ、あ……」


「―――――」


 それを見て、少しの思案の後に狼がその布を噛んだ――否、咥えた。

 優しく、それこそ、母のように、赤子を咥えた。そして、自分の住まう巣へと、歩を進めたのだ。



               △▼△▼△▼△▼△



 その狼が赤子を食わなかった理由は、複数ある。

 まず、一番大きいのは狼が我が子を亡くしたばかりだからであろう。魔物にだって、知性がある。むしろ、高い知性があるからこそ人類の脅威となっていたのだ。そして、知性があるなら、情もある。――死んだ我が子と、その赤子を重ねた。

 我が子は、森に迷って死んだ。自分が不注意だったために迷い、見つけた時には、瘦せ細ったむくろとなっていた。一方この赤子は、恐らく親に見捨てられたのだろう。ここで、自分が育てなければ、親の顔もロクに見ないまま餓死してしまうだろう。

 だから、これは狼にとっての償いだった。死んだ我が子の代わりに、この子を育てるという、贖罪だった。


「あぅー、だぁー」


 赤子には、近くの牧場の牛を殺して牛乳を飲ませた。

 それから時は立ち、大きくなって、髪も伸びてきた時には、森で生きていく上で必要なものを教えた。


 そして、その赤子を拾って6年がたち、今や幼子となった時の出来事だった。


「あ! うぁう!」


「ヴォウ、ヴォウァ」


 昼、二匹は狩りのために森を歩き回っていた。


「――シュルルルルルルル………」


 異様な、そしておぞましい吐息とも鳴き声とも捉えることのできる『それ』を、二匹は見付けた。―――否、『捕食者』と『被捕食者』という観点から見れば、見つかったのは幼子と狼の方だろう。


 ―――なお、それが『星獣』の一角、英雄殺しの星射手シャウラト・スラーガであることは、この場の二匹が知る由も、知ることもないため、『それ』と表記する。


 その悍ましい『それ』を見て、まず目を引くのは長く、先端の尖った尻尾で、両手は大きな鋏となっており、全身は真っ白な甲羅で覆われている。足から節足動物であることはわかるが、今はそんなことを気にしてる場合ではない。『それ』の尖った尻尾の先端が、輝き始めていたのだ。


「――ウヴォゥッ!」


 その輝きが増したとき、狼は幼子に飛び掛かる。次の瞬間、幼子のいた場所に光が差し込んだ。だが、それは『差し込んだ』と言うには、余りにも激しく、地面をその光が抉ったのだ。

 そして、抉ったのは地面だけではない。


「ヴルル……」


「あう!」


 光が掠めた横腹を見て、幼子が声を上げる。

 そんな幼子を背後に置き、狼が『それ』を睨む。その時だ、


「ヴ、ヴォォォ………」


 凄まじい剣幕で『それ』を睨み、狼の唸り声と共に、その体が肥大化する。

 ―――この狼は、群狼グルースウィルフィンの亜種である。

 群狼グルースウィルフィン、それは基本的に十から十五匹の群れで行動し、群狼グルースウィルフィンの間にあるネットワークで意思疎通をする、一蓮托生の厄介魔物である。その連携が、まるで一匹の魔物のようであるから、群れで群狼グルースウィルフィンという一体の魔物として識別されているのだ。

 その亜種の力は、群れで連携することが強みである群狼グルースウィルフィンとは真反対で、一匹でその群れ全体の力を持っているのだ。

 要するに、群狼グルースウィルフィン十五匹分の力を、この亜種は持っているのだ。今、名付けるとするならば……孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンといったところだろうか。

 だが―――、


「ヴォォ―――――ンッ!!」


 孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンが、けたたましく吠えた瞬間のことだ。――その足が、光で消し飛んだのだ。

 孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンは、速度も、力も、全てが群狼グルースウィルフィンの内の一匹の十五倍近くの力を持っているのだ。しかし、そんなものも足が無ければ速度を出そうにも出せないのだから問題ない。が、それこそこの孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンには問題のないことだ。

 ―――孤高の撃狼ソリタルトウィルフィン群狼グルースウィルフィンの内の一匹の十五倍近くの力持っている。その中には、魔力も含まれているのだ。

 だから、魔力で足を形作ればいいのだ。これで戦闘はできる。後は――、


「あ、うぁうい……」


「―――――」

 

 命の危機に晒され、怯えながらも幼子は孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンへ心配の声をかける。そんな幼子に、孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンは顎で後ろに隠れているよう指す。

 言われた通り、幼子は隠れた。


 ―――それから、音だけでもわかるほどの激戦が行われる中、幼子は隠れ続けた。


「―――うわ、こりゃ酷いな……」


 しばらくした時、知らない言葉が聞こえた。

 その方向を見てみると、そこには金髪のニンゲンがいた。そしてニンゲンの視線の先には―――


「ぁ、うぁ……」


 今まで、自分を育て続けてくれた、狼の亡骸があった。

 毛皮を赤く染め、もう既に冷たくなった狼を見て絶望の淵にいる幼子に、ニンゲンが気付く。


「あれ? キミ、こんなところで何してるんだい?」


「う”ぅ……!」


 何を言っているのかはわからないが、今この状況で、幼子の警戒は最大を超えており、鋭く尖った牙を剥いて唸る。

 それに手を引き、男は困った顔をした。


「んー、人の言葉が離せない…のかな? 大丈夫だよ、僕は怖くないさ」


「あ、ぅぅ……」


 突然、幼子の勢いが弱くなり、怪訝な顔になる。

 理由はそのニンゲンの笑顔、それを幼子は何か知っていた。――優しい、顔だ。

 母同然の狼から、いつも向けられていた眼に、その眼はとても似ていたのだ。

 

「よかった、わかってくれたか……にしても、どうしたもんかな。とりあえず、この子をギルドに預けるか…でも、暴れられると困るから――ちょっと眠っとこうね」


 笑顔のまま、ニンゲンが手を向けた。言ってる意味はわからなかった。わかったのは―――


眠りへと誘ってディープニル


 次の瞬間唐突に眠気に襲われ、その場で眠ってしまったことだけだ。


「よいしょっ、と」


 眠って倒れこんだ幼子を抱き上げ、ニンゲンはギルドへと向かおうとする。


「………これも、持って行っておこっかな」



               △▼△▼△▼△▼△



「あ、ぅあ……?」


 目が覚めた時、幼子はふかふかの高寝床の上にいた。


「あ、起きたみたいだね」


 扉を開けて、先ほどのニンゲンが入ってくる。笑顔はそのままで、手には温かな食べ物?を乗せた板を持っていた。そしてそこから立ち込める香りが幼子の鼻腔をくすぐり、腹を鳴らせる。


「あはは、お腹空いてるよね。ほら、食べていいよ」


 相変わらず言っている言葉はわからないが、それが目の前に出されたということは食べていいということだろう。

 そう判断した幼子が、料理にかぶりつく。


「……そういえば、キミって名前はあるのかい?」


「あう?」


「って、言葉わからないのか。じゃあ、そうだな……アンディス、とかどう? 『勇敢』みたいな意味何だけど……」


「あんいう?」


 言葉はわからないが、それが、自分のものだというのは何となくわかった。




 そして、幼子――アンディスは、ギルドの養護施設で言葉や人間社会のいろいろを学び、数年の時を過ごして冒険者となった。


「よォ、オッチャン。生きてッかァ?」


「……酷いなぁ。僕、一応二十代なんだけど」


 アンディスの元気な呼びかけに、ニンゲン――タイルス・ズィームは複雑そうに苦笑しながら頬を掻いた。


「アタシにとッちゃオッチャンだ。で、突然呼び出してなんだッてんだ?」


 今、アンディスはタイルスに呼ばれて彼の仕事場に来ている。

 そのアンディスの問いに、タイルスは「あぁ、それはね…」と前置きをして答える。


「これを見てくれ」


「んだ、こりゃァ……」


 アンディスは見せられたそれを見て、驚きの声を上げる。

 それは、等身大の人形に着せられたホネホネした服と大剣……


「――なァ、オッサン。この服ッつーか、この骨ッて……」


「うん。キミの、お母さんの骨だ。あの時、持って帰っておいたんだ。そして、あの時キミを守ったように、防具にして、これからもキミを守ってもらおうと思ったワケさ。勝手かもだけど」


「―――いんや…あぁクソ、なんつったらいいんかな。なんかよ、嬉しいッつーか、ありがてェよ。ほんとに、オッチャンにも、カアサンにも、メイワク、今まで結構かけただろうに、さァ、こんなに……ッ、いろいろとさァ……!」


 アンディスの語彙では言い表せられないような感情に満たされ、溢れる。

 ボロボロと、感情が目から溢れてくる。

 でも、タイルスからすれば、その涙だけでアンディスが伝えたいことはよくわかる。


「あはは、変なこと言うね。僕も、キミのお母さんも、きっとキミからかけられる迷惑は、むしろ嬉しいものだと思うよ」


 なんで、そんな優しいことを言えるのか。そんなことを聞くのが野暮なのは、アンディスもわかった。だから、この厚意を、ありがたく受け取るべきだとアンディスは思い、鋭い犬歯を見せて笑った。


「ありがとう、オッサン。すんげェ嬉しいよ」


「……だから、オッサンじゃないってば。――それと、だ」


 その感謝を受け、タイルスは笑った。

 だが次の瞬間、タイルスの表情が一変し、神妙なものになった。


「―――キミの、両親の話だ」


「両、親……」


 アンディスには、母はいる。だが、父はいない。あの狼が、アンディスにとっての永遠の親だ。両親なんて……


「確かに、キミにはお母さんがいる。彼女はキミを育てた。だけど、厳しいことを言うとそれはあくまで、育てただけだ。知っての通り、キミは人間だ。―――狼の間に、人の子は生まれない」


「……まァ、そりゃわかッてる。あれだろ? コウノトリッつーのが赤ん坊を運んでくるんだろ?」


「――…そこらへんは、後々教えるからいいとして、だ。キミの生みの親が、最近ようやく判明した。伝えないべきか迷ったけど、これは話すべきだと思ったんだ」


 アンディスの言葉に困った顔をしながら、タイルスはそう説明した。アンディスとて、もう子供ではない。タイルスの言葉はよくわかる。だが、怖いのだ。知ってしまうことで、何かが変わってしまいそうで。


「大丈夫、キミはキミのままだよ」


「……あァ、言ッてくれ」


 そうだ、誰が何であろうと、魔物でありながらも赤子だった自分を生かしてくれたあの狼が母であり、その母が死んでしまった後、自分を育ててくれたタイルスこそが命の恩人で、父だ。

 今までも思っていただろう、自分を捨てた人間なんて、気にする必要はない。アンディスは、アンディスだ。


 タイルスの言葉に勇気を貰い、アンディスも覚悟を決める。

 それを受けて、タイルスが何かを取り出した。


「これが、キミの両親だ」


 その何かは、写真だった。そこには、優しそうな女性と、怖そうな眼の男性。


「これが……」


「この女性が『シーニ・ティメンタ』、この男性が『ダルヴィス・ティメンタ』だ」


 その写真を見た時、アンディスは不思議な気持ちになる。

 何だろうか、この気持ちは……


「なァ、この人たちは今、どこにいるんだ?」


 それは、子供として当然の疑問。

 それを知って、どうするかなんてわからないが、とにかく、知りたかった。


「―――死んだ」


「………は?」


 その疑問に帰ってきた意外にも程がある言葉に、アンディスは理解が追い付かなかった。

 「シンダ」…それは、「死んだ」ということなのか?


「なん、で?」


「それが、よくわかっていないんだ。わかっているのは、キミの父がキミの母を殺し、自殺したということだけ……」


「自殺……」


 フラリと、眩暈がした。

 自分を捨てたと思っていた人は、捨てたわけではなかった。

 しかも、何故か死んでしまっている。聞いた話からアンディスがわかるのは、父親がとんでもない糞野郎だったということだけ……


「あァ、チクショウ。わけわッかんねェ……!」


「まぁ、こんがらがるのも無理はないさ。僕はそれをキミに伝えた。それをどうするかは、キミ自身が決めることさ」


「……いんや、アタシは揺るがねェ! 何があろうと、アタシのカアサンはカアサン! トオサンはオッサンだ!」


「オッサンと言われるのは複雑だけど……悪くないね、トオサンっていうのは」


 色々悩んでも仕方がないというアンディスの結論に、タイルスは微笑みを見せ、喜びの言葉を口にした。



 ―――まさか、それがタイルスとの最後の思い出になるとは思わなかった。



「なん…ッで…!」


 唇をから血が出るほど噛む。

 そうさせる理由は、目の前の死体。――それは、タイルスだった。

 何者かが、タイルスを殺した。


「チクショウ…が……!」


 拳を握り、怨嗟の籠る眼で、虚空を睨む。

 ―――絶対、そいつを見つけ出して、復讐をする。


 その復讐心が、アンディスが冒険者を続けるための燃料となった。



               △▼△▼△▼△▼△



 ―――時は少し経ち、現在。



「―――なんで、テメェがここにいやがる!」


 忘れもしない。

 あの復讐心と同じで、ずっと心に残り続けていた、三人と、一匹の顔。

 その三人の内の一人である、父親の顔。多少老けてはいるが、その顔と目の前の男の顔は、一致していた。

 そんなハズはない。そうわかっていても、記憶は嘘をつかない。あの顔と、この顔は、同じだ。

 しかし、相手にアンディスの顔は見覚えが無かったらしく――、


「あぁン? ンだオメェ。俺ぁオメェに見覚えなんざネェぞ」


 攻撃を防がれ、距離を取った男――いや、ダルヴィスと呼んだほうがいいのか、ダルヴィスが、訝しんだ顔をする。

 まァ、それもそうだろう。


「……アタシがあんたと顔合わせたのは、アタシが赤ん坊だッた時だけだからな」


「赤ん坊……? ――――! まさかオメェ……!」


 アンディスの言葉にダルヴィスは何か気付いたように、表情を驚きへと変える。やはり、アンディスの記憶は間違えていなかった。


「あァ。アタシは、テメェとテメェが殺した人の子供だ」


「……ンで、生きてやがる」


「あの後、魔物の狼に拾われてなァ、こうして今も五体満足で生きてるッてわけだ」


「はン、運のいいヤツだな」


「あ”?」


 余りにも、親とは思えない言葉に、アンディスは怒りをあらわにする。


「やッぱ、テメェは糞野郎だ」


「なんとでも言え。――にしても、そういうことか」


「んだよ」


 含みのある男の言い草に、アンディスは眉を顰める。

 そして、次のダルヴィスから放たれた言葉に、アンディスは絶句した。


「なンてこたァねェ。少し前だったか、俺ンことを探ってたやつがいたんでな、そいつを殺したんだ。多分、オメェも知ッてンじゃねェか? 確か、タイルスとか言ったか? 危うく俺の自殺偽装がバレそうに――」


「テメェぶち殺す」


 復讐の相手が、そこにいた。

 そう分かった瞬間、アンディスは瞬間的に接近して、手に持つ骨の大剣を振るった。


「はン」


 その刃が、ダルヴィスを肩から引き裂く寸前、ダルヴィスの体に異変が起きた。

 ダルヴィスの体に、細かな四方形が隙間なく刻まれた。そして刃が当たった瞬間――、


「な……ッ!」


 ダルヴィスの姿が消え、切り裂く相手を失った刃が地面を割る。


「どこにッ!」


「―――ッたくよォ、実の親に容赦なく攻撃するたァ親不孝な野郎だぜ」


「が、は……ッ」


 いつの間にか真横へと移動していたダルヴィスが、アンディスの無防備な脇腹へと肘を入れる。

 それに少しだけ吹っ飛び、地面に背中を引きずる。


「んだ…今の……」


 さっき、ダルヴィスは何をした?

 気付いた時には、ダルヴィスは横にいた。瞬間移動? なんにせよ、これがダルヴィスの能力なのは明らかだ。


「どこ見てンだ?」


「――――ッ」


 今度は後ろに現れたダルヴィスからの蹴りに、今度は前へと吹き飛ばされる。

 そして今度は――、


「――ここらへんだろォォ!」


「チィッ!」


 着地し、今度は現れる場所をあらかじめ予想しておいてそこに大剣を振ると、見事的中。現れたダルヴィスを今度こそ切り裂く―――。


「なンてな」


 確かに、今、アンディスの大剣はダルヴィスに当たった。当たって、振り切った。だが、それにしては手応えがない。―――そう、まるでただ通り抜けたように。

 事実、まったくの傷も付いていないダルヴィスが短刀でアンディスを切りつけようとする。しかし、アンディスも手練れの冒険者だ。正面からの攻撃なら避けようがある。


「ほォらよッ!」


 ダルヴィスを通り抜けて地面に突き刺さった骨の大剣、それを持つ手を軸とし、アンディスは飛び上がって大剣を引き抜きながら縦回転。

 そして一回転ざまにダルヴィスを背中へ踵を入れる。しかし、それもまたダルヴィスを通り抜けてしまう。

 攻撃は当たらなかった。だが、わかったことがある。


「通り抜けたッてより、肉が避けた?」


「はン、よくわかッたなァ。俺ンジョブは『不定者』ッつッてよォ、能力は自身の肉体と身に着けてるモンの分解と再構築だ。そんで、分解中に自由に動くことも可能ッつー能力……要は、オメェに勝てる筋道はネェッてこッた」


 本質を掴んだアンディスに、慢心からかダルヴィスがご丁寧に説明を入れる。


 分解と再構築、瞬間移動と思われたあれも、自身の体を見えないほど細かく分解し、アンディスのすぐそばで再構築したというわけらしい。あの攻撃の通り抜けも、攻撃を避けるように肉体を分解し、瞬時に再構築をしたものだろうと推測できる。

 なら、攻略方法はフェンリルの風壁と同じ、予想外を突くことだ。


「―――対応できると思ッたかァ? 残念だが、無理だぜ」


「か」


「知ってても対応できネェのが、俺の能力だ」


 少し離れているという、位置関係は変わらない。なら、今アンディスの首を掴むこの手は一体―――、


「俺の分解と再構築はよォ、体の一部だけでもすることが可能なンだぜ?」


 不敵な笑みを浮かべるダルヴィス、その右腕が消えていた。

 つまり今アンディスの首を絞めるこの手は――、


「ち、くしょう……がァッ!」


 吠えるも、状況は変わらない。

 手を切ろうにも、切れない。

 振りほどけない、この手。どうする、どうする―――。


「う、ぉおぉぉ―――――!」


 ふと、向こうのほうからリベルドの雄叫びが聞こえた。

 そしてその次の瞬間だ。


「なン、だ……ッ!?」


 ダルヴィスの体が、真っ二つに裂けた。

 チラリとリベルドの方を見ると、リベルドもダルヴィス同様に真っ二つに胴と足が泣き別れになっていたのだ。


「――――キトウ・ワタル」


 ボソリとリベルドと名乗っている彼の名前を呼んだ。エレクシアの失言によって知ってしまった、彼の名前。王女を襲った死刑になった犯罪者。しかし、彼はそれが信じられないような人間だった。今もきっと、自分を助けるがために、命を投げ捨ててまで、守ってくれた。―――まるで、あの時の母狼のように。


 そして、手による首への拘束が解ける。

 解けて、解けた瞬間、アンディスは骨の大剣を握りしめる。その大剣を、離れたダルヴィスを断ち切らんがために振り上げる。


 アンディスは、アンディス・ティメンタだ。

 それは、アンディスがシーニ・ティメンタと、ダルヴィス・ティメンタの間に生まれた以上、変わることのない事実だ。

 だが、アンディスはそれを『』としない。


「アタシは、アタシだ」


 アンディスは、アンディスだ。

 アンディスは、二人の間に生まれた人間だ。それは認めよう。だが、アンディスを育てたのは紛れもなくあの狼とタイルスだ。それが、『真実』でなくてなんというのだろうか。

 タイルスも言っていた。たとえ親がどうであれ、アンディスは、変わらずアンディスのままなのだと。

 故に、そうであるために、そうであるがために、アンディスは目の前の因果を切り裂く。


 当然、大剣とはいえ、人三人分ほどの距離にいる相手を切ることはできない。だが、アンディスなら、届く。


 ―――アンディスの育て親である孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンは、魔力で何かを形成するのが得意である。

 アンディスは、孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンから色んなことを学んだ。森の中で生きていく術、狩りの仕方、そして、魔力操作。


 ―――ここで一つ、『魔力』と『魔物』の関係について話そう。

 魔力とは、全ての生物が持つ生命エネルギーのようなもので、殆どの世界の人間は、これを自分たちの感じる自然の力へと変え、『魔法』として魔力を放出している。

 しかし、魔物や魔族は違う。

 魔物や魔族は、魔力を『魔法』や『魔術』、『呪術』として魔力を使う者も稀にいるが、主な使用方法は自身の肉体の機能を発動させるために使うことだ。

 例として、雷獅子を挙げよう。

 雷獅子は電力を扱う。一見すればこれは『魔法』のように見えるが、少し違う。実際にはこれは雷獅子の体内の発電する機能を魔力で起動させることで電気を起こす。更に、それを帯電するのも、魔力の利用しての力だ。

 そして、孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンは、本来群狼グルースウィルフィンが持つ、魔力で『意思疎通ネットワークを作る』という機能が無い分、魔力で『高度な魔力操作』という機能が備わった。


 そして、そんな魔力操作に長けた孤高の撃狼ソリタルトウィルフィンに幼いころから魔力操作を教わったアンディスは、流石に魔力を人体の一部として自由自在に扱えるとまではいかずとも、大剣の切っ先を魔力で伸ばし、離れた距離へ不可視で、予想外な刃を叩き込むことなど可能である。


「喰らいやがれェ――――ッ!!」


 大きく声を張り上げ、その大剣を振り下ろし、横に別れたダルヴィスの体を、縦にさらに断絶する。

 ダルヴィスの能力であれば、体が切られていようが、意識さえあれば分解して再構築すれば傷は癒せる。だが、更にそこへ完全に断ち切る攻撃を加えられては、意識は更にバラバラになり、再生は不可能となる。


「……なんで、アタシを産んだ母親を殺したなんてこたァ、もう聞かねェよ。どォーせ、くだらねェことだろうからな。ただ、一つだけ言ッてやる。―――あの世で、メイワクかけた全員に謝ッてこい!」


「チ、ィ……ッ!」


 ダルヴィスが、妻であるシーナを殺した理由は、産んだからだ。

 顔がよく、簡単な女。だから、都合がよかった。

 性処理を愛としてする。そう、単なる性処理だった。あと、金をくれる。そういう女だった。だというのに、産みやがった。

 避妊用の魔法薬を飲まず、妊娠して、産みやがった。だから、殺した。子供ができると、面倒だからと子供を殺そうとすれば、性処理用で都合のいいだけの女のくせにぎゃいぎゃいと泣き叫ぶもんだから、殴った。

 殴ったら、子供を連れて逃げやがった。だから、殺した。ダルヴィスの能力から、逃げることなんてできないから、馬鹿な女だと思った。殺すのまで簡単で、都合のいい馬鹿女。

 そして、赤子は森に捨てた。魔物の巣窟。すぐ死ぬ。

 そんでダルヴィスは自殺したということにした。そして、この殺人は闇に葬られ、誰も気にしない。

 だというのに、だというのに、あのタイルスとかいう男が、掘り返しやがった。だから殺したそしたら、今度は死んだと思っていたあの女が生んだ餓鬼が殺しにかかってきた。

 糞が、本当にムカつく。だから――、


「―――道、連れだ」


 死ぬ寸前、そんなことを口にして、ダルヴィスは散り散りになった。

 だが、何を言おうと、この戦いはアンディスの勝利で―――。


「ご、ふッ……!」


 勝利を確信した、その瞬間、アンディスが血を吐いた。


 なんだこれは、戦いのツケが今来たのか? いや、こんななるほどの傷は受けていない。痛い。現在進行形で、痛い。いや、今痛み始めたのだ。

 だが何故? 何故――、


 そこで、アンディスが一つの可能性へと辿り着いた。


「―――あんの、糞野郎がッ……!」


 生物が生きていく上で大切なもの、それは呼吸だ。

 ダルヴィスは、それを利用して、散り散りにしたまだ意識を保てる自分の頭部を分解して口から体内へと入り、体中をズタズタに切り裂いているのだ。


「まじィ、めちゃくちゃにまじィ……ッ」


 このままじゃ、死ぬ。道連れにされる。

 どうにか、どうにかする方法はないのか?

 内部を攻撃されては、いくら頑丈な人物でもそう時間もかからずに死ぬ。

 

「―――――ァ」


 そして目に入ったのは、フェンリルと戦うエレクシア。

 確か、彼女は上級の回復薬を持っていたはずだ。だから、この一筋の希望に賭ける。


「エレクシア―――ッ! 回復薬を投げてくれェ―――!」


「アンディスさ―――……っ! わかりましたわ!」


 チラリとこちらを見ただけである程度の状況を把握したエレクシアが、回復薬をこちらへと放り投げる。

 その一筋の光―――。


「――――ヴォァッ!」


 くるりくるりと宙を舞って向かってくるその瓶が、突然弾けた。――フェンリルだ。

 一筋の光が、砕け散る―――否、まだだ。


「オ、ォオォォォ――――ッ!」


 撒き散るその回復薬を、アンディスは空中で飲み込む。

 その時、胃の中が震え、痛みが治まった。


「やッ、ぱり、なァ……!」


 そう、これがアンディスの狙いだった。

 ダルヴィスの『分解』というのが、怪我という風な扱いになるのなら、回復薬によって無理矢理『再構築』状態にすることができると考えたのだ。

 だから後は、消化に任せるだけである。



               △▼△▼△▼△▼△



「く、そ…ォ…」


 ゴポゴポと、溺れていく。

 意識は薄れ、自分が消えていくのがわかる。


 ゴポゴポゴポゴポと、沈んでいく。

 どうして、こんなことになってしまったのかと、不思議に思う。


 ゴポゴポゴポゴポゴポゴポと――怒りが湧いてきた。

 その理由を思い出したとき、こうなった原因を思い出した。


「ァの、お、ンなァ……!」


 そうだ、そうだ、あの女だ、あの女が、産んだから、こうなった。

 そうだ、そうだ、あいつのせいだ。あいつが生まなければ、奴は産まれず、俺が死ぬこともなかった。

 そうだ、そうだ、思い出した。全て、あの時、あの女が産まなければ、それでよかった。

 そうだ、そうだ、あの時、あの時……!


「ごゥ…ォ……!」


 ゴポゴポと、溺れていく。

 怒りながら、恨みながら、逆らえない運命にあらがおうと躍起やっきになる。


 ゴポゴポゴポゴポと、沈んでいく。

 あの時の女に、怒鳴る。声は出ない。だが、叫んで、叫ぶ。妻であった女へ、娘である女へ。


 ゴポゴポゴポゴポゴポゴポと、吞まれていく。

 嗚呼、憎い。嗚呼、恨めしい。嗚呼、苦しい。嗚呼、痛い。嗚呼、嗚呼、嗚呼―――。



 今この瞬間、ダルヴィスは死んだ。


 「何故ここにいるのか」というアンディスの疑問に、答えぬまま―――。



               △▼△▼△▼△▼△



「ワタル!」


 痛みが治まってすぐ、アンディスは胴と足が泣き別れとなったリベルド――ワタルへと駆け寄る。その遺体は痛々しく、その体は生気を失っていた。


「くッ…!」


 また、アンディスのせいで、一人死んだ。

 だが、泣き言言ってる場合ではない。まだ、フェンリルが残っている。

 だから、アンディスは立ち上がり、骨大剣を構える。そうして、立ち向か――、


「―――っ。戻って、来たぁ!」


「―――――ッ!?」


 突然、後ろから聞こえてきたワタルの声に反応し、後ろを振り向くと、そこには胴もしっかりと繋がっているワタルがいた。


「なッ……!? アンタ、なんで生きて……!?」


「あー、悪い。俺の能力だ……。お前こそ、大丈夫か…?」


「………」


 能力…生き返る能力なんて聞いたことはないが、本当にできているのだからしょうがないとして、体が上下に分かれるという苦しみを受けていながら、直ぐに持ち直して人の心配をするというワタルの異常性に、アンディスは絶句。そして、笑った。


「……あァ、大丈夫だ。――『蛮獣』のアンディス、やってやるよ」


「そりゃいい。―――なぁ、アンディス」


「ん?」


 そう、アンディスは宣言をする。

 その時、ワタルがアンディスへ拳を向けた。


「……やってやろうぜ」


「へッ」


 その拳にアンディスは自分の拳を重ねて、ぶつける。


「…ちょっと、お二人だけで何をしておりますの?」


 その隣へ、ご不満そうな顔のエレクシアが飛んできた。


「アンディスと話してたんだ。こっからが踏ん張りどころだってな」


「まァ、わからんことはたッくさんだが、そりゃ後でだ。行こうぜェ、ワタル! エレクシア!」


「おう! ……え? 今俺の名前呼んだ!? いつから知ってた!?」


「ん? つッてもさッきだぜ? エレクシアが口滑らしてたからなァ」


「………あ」


「お前コラオイ」


「……さぁ! やってやりましょう!」


「おい!」


「ア”ォ”―――――――――ンッ!!!」




 ―――――三人揃っての再戦は、あたふたしながら始まった。




『アンディス』


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序盤の『英雄殺しの星射手シャウラト・スラーガ』は第一章の13話あたりでちょっとだけ出てくるので覚えてない方は見に行ってください。

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