第一章 / 17話 『身の程』


「ねぇ? キトウ・ワタルさん」


 飲食店の隅、ワタルの名を、ウェイルは呼んだ。


「―――――」


 一瞬、明らかに動揺してしまった。エレクシアがボロを出さないよう必死で精神を凪ってたというのに、ワタルが動揺してしまった。

 なんとか平然を保っている中、ウェイルの目を見る。その目は、全てを見透かされているような商人の目をしていて、その微笑は何もかもを掌握されているような、そんな感覚を味合わせる。


「――全く、本気にしないでくださいよぉ! 冗談じゃないですか冗談!」


 顔色を一変させ、ウェイルはその笑みを明るいものにする。

 そうか、どうやら本当はばれていなかったのか――――なんて、そこまで脳内お花畑じゃない。


「―――もういいよそういうの。だけど、場所は変えよう」


「―――そうしますか」


 ワタルがそう言うと、ウェイルの顔色はまた一変させ、笑みをまた怪しい微笑に戻した。どうやら、胡散臭いという第一印象は間違えていなかったようだ。

 というわけで、ワタル達はお会計をすることになった。


「あぁ、いいですよぅ。私が払いますので」


「ヤダ。お前に借りは作りたくない」


「――――」


 借りとは、永久保存が可能な商品だというのを聞いたことがある。そしてそんなものを、こんな『商人』に作りたくない。

 そう思っての判断に、ウェイルは更に笑みを深めた。

 そして、ワタル達は人気の全くない裏路地へと移動した。


「―――それでだ、何でお前が俺の名前を知ってる。あ、あとエレクシア、もう喋っていいぞ」


「ぷはっ…息が詰まりましたわ……」


「俺は息が止まったかと思ったぜ」


「……緊張感なさすぎませんかねぇ!?」


 和気あいあいとしすぎな雰囲気に、ウェイルが堪え切れずツッコミを入れる。


「それで、何故私が貴方の名前を知ってるか、でしたね」


「あぁ。一応、俺がキトウ・ワタルってことを知ってるのは、一人、二人、三人……」


「……結構いるんですね…って、もう! 脱線が激しい! と・に・か・く! 私が貴方の名前を知ってる理由ですよね!」


「うん」


「ですわね」


 痺れを切らしたようにウェイルが無理やり本題へと持っていく。

 ……なんか、こいつ面白いな。いやまぁ、怪しくて危なそうな奴なのは間違いないんだろうが。


「私が貴方の名前を知っているかというと……さっき、貴方が動揺したからです」


 ……まぁ、要するにワタルはカマをかけられてしまい、それにまんまと引っかかってしまったというわけか。だとしても――、


「散々溜めた結果の答えがそれかよ、なんかもっと無かったのか?」


「……いや、一応ワタル様のせいでばれたんですからね? もっとを求められる立場じゃないんですからね? 当事者ですからね?」


「うっ……」


「よかった、まともな方でもあった……」


 エレクシアの正論パンチにワタルが苦しむ一方で、ウェイルは安心を覚えた。

 

「でもよ、なんでお前は俺にカマをかけようとした?」


 本来なら「あ、この人に犯罪者じゃないかカマかけてみよ~」って思うはずがない。まぁ、ワタルの目つきが余りにも悪いせいで犯罪者かもと判断した説はあるが、流石にそれは商人だ、そんなことはないだろう。


「突如として現れ、街一つを救った超新星。奈落に落ちた数日後に、ですよ? 奈落を脱出できる実力があれば、街を救うこともできるはずだ。と、考えたわけです」


「なるほどな、それはわかった。―――で、何が目的だ?」


 犯罪者かもしれないというある程度の根拠も持ってて、実際そうだったわけだから、兵隊さんにでも突き出せばし謝礼金だのなんだのを貰えるはずだ。なのに、わざわざワタルに話しかけてきた。その上彼は商人を営んでいるようだし、まぁそういうことだろう。


「貴方と、『取引き』がしたくてですね」


「うーん……」


 『取引き』を持ち掛けてくるのはわかっていた。だが、問題はその先だ。

 ワタルが出せるものといえば、お金か自分の命くらいだ。かといって、「○○あげるからお金頂戴?」みたいな簡単はお話のはずがない。

 ―――正直、受けたくない。そういう読み合いで本物の『商人』に、ワタルが勝てるという見込みがなかったからだ。

 だが、ウェイルはワタルの名前を知っている。それは、実質的にワタルの命を握っているというわけであり、断ることができないというわけだ。

 こういう状況も込みでワタルに『取引き』を持ち掛けたと考えると……頭痛が痛い。


「ワタルさん、貴方……私が何を売ってるか知っていますか?」


「は? 知るわけねぇだろ。馬鹿か」


「急に辛辣じゃないですかねぇ!?」


 おっと、余りにむかついたので少し当たってしまった。


「で、お前は何を売ってるんだよ」


「――――情報です」


「なるほどな」


 それを聞いて、ワタルは納得する。

 ウェイルは商人にしては手ぶらすぎる。仮にも、今から取引きをしようというのに、その取引きのブツが見当たらない。

 そして次に、これはなんというか、ただのワタルの偏見みたいなものだが、ウェイルのミステリアスな感じというか、胡散臭い感じというのは、情報屋という存在に合ってる気がする。

 ともかく、情報なら…いや、ワタルが出せる情報少ねぇだろ。


「……それで、どんな情報がお望みだ?」


「それって大体私側が言うもんじゃないんですかねぇ……? まぁ、もう疲れたからいいです……」


 ウェイルは疲れたのか、つっこみを放棄する。


「そうですね、私が望む情報は……奈落の主は、どんな姿をしていましたか?」


「え?」


 思ったよりも軽い要求に、ワタルぽかんとする。

 いや、そういえば『奈落』は未開拓の地だったか。確かにそれは貴重な情報だ。ワタルに聞くのも頷ける。だが、少し引っかかる。なんで、それを聞く必要があった?

 いやまぁ、別にこの程度の情報提供で済むならこの上ないんだが。


「えーっとだな、あそこの主はキマイラ―――」


「―――キマイラ」


 ワタルが言ったキマイラという名を、ウェイルが反芻する。

 その時、ぞくりと悪寒が走り、ワタルはその言葉の先を急いで話す。


「の、擬態をした擬態蛇ミミックスネークだ」


「―――――。なぁんだ、擬態蛇ミミックスネークですかぁ……いい情報ネタがあると思ったんですが……」


 ……それにしては、物騒な雰囲気を醸し出していたが、ワタルはそこは言及しなかった。

 してはいけないような気が、した。


「それで、取引きなんだろ? なんか情報を貰えたりするのか?」


「えぇ、可能ですよ。……料金さえ払ってくだされば、さらに情報を提供することも可能ですよ」


「……じゃあ、情報の流通を禁止することは?」


「――――えぇ、可能です」


 ウェイルは情報屋だ。手に入れた情報全てが彼の商品。それは、『リベルド・アンク』が『キトウ・ワタル』であるという事実でさえもだ。

 この先、有名になるにつれて、ワタルをよく思わない人間も多数出てくるだろう。その中でも、勘のいい人間がワタルの情報をウェイルから聞き出したらどうなるか……ワタルの死闘も、全てパーだ。


「そうか。なら、俺がキトウ・ワタルだって情報は流通禁止だ」


「そこに気付くとは、流石としか言いようがないですねぇ」


「―――ちなみに、もし俺の知らないところでそんな噂が流れてたら……」


「流れてたら?」


「俺は、お前を恨んでやる」


 目つきの悪い目で、ウェイルを睨みながら、ワタルはそう言い放った。


「プッ……アッハハハハハハハハハ!」


「――――何か、可笑しかったか?」


 ワタルの宣言を受け、ウェイルは高らかに笑った。

 その笑いを見たワタルは、警戒を強める。


「あぁいや、すいません。そういう悪役的な笑いではなかったんですよ。ただぁ……少し、あなたがお人好しすぎたものでね」


「あ?」


「……これは、ウェイルさんが正しいですわ」


「お前まで!?」


 味方のエレクシアからもそう言われ、ワタルは本当に何が可笑しかったのかわからなくなった。


「ったく……それとだ、お前『無双の神判』って知ってるか?」


「ワタル様……!?」


 突然その名前を出したワタルに、エレクシアが驚く。


「……残念ながら、初めて聞きます。それは……何かの名前ですか?」


「あぁいや、知らないならいいんだ」


「そこで話を終わるのは中々酷いですねぇ……」


「まぁそれはしょうがないって割り切ってくれ。それじゃ、俺はエレクシアと依頼してくるから」


「わかりました……あぁ、それと」


「?」


 去ろうとするワタルたちを、ウェイルが呼び止める。

 何かと振り向くと、


「……服は、変えておいたがいいですよ?」


「あ」


 この世界には似つかない現世の服。それを指摘され、ワタルは忘れていたように口を開ける。

 見なくともわかる。エレクシアが、半眼を向けていた。



               △▼△▼△▼△▼△



「まーた森か」


 そこら辺で適当に会いそうな冒険者用の服を買ったワタルとエレクシアが、森の中を歩く。

 受けた依頼は討伐依頼。それも、群狼グルースウルフィンという如何にも群れで一体という感じの魔物だ。聞くところによると、こいつら単体自体は、なんの変哲もないただの猛獣なのだが、なんせ繁殖能力が異常に高いらしく、気付いた時には対処不能な量にまでなっているそうなので、早急な駆除が必要な魔物らしい。


 それにしても、森が多すぎる。正直、ほんと森にはいい思い出がない。ゴブリンに殺されたのも、『死導者』に会ったのも、スコックに殺されたのも、森での出来事だ。そんでもってまた森………嫌な予感しかない。

 しかも、ここの森は木々が異様に高く、一本一本が15m近くあり、それがまるで雲のように太陽を隠していた。『草木雲くさきぐもの森』と呼ばれるのも納得だ。

 なんだか、薄気味悪い。


「ワタル様、嫌なこと考えるとほんとになりますわよ」


「エスパー!?」


「いーえ、ただワタル様のことだから、また嫌なことを考えていらっしゃると思っただけですわ」


 なんだそうなのかー……


「って、やっぱお前わかるよな?」


「? 何がですの?」


「いやほら、エスパーって意味わかってるのか? 一応、俺の地元というか俺の元居た世界の言葉なんだが……」


「あぁ、それはですわね……あの蠍男と戦う時、わたくしは分断されましたでしょ? その時に出会った敵が、ワタル様がたまに使うような言葉を使っておりまして」


「たとえば?」


「そうですね……「あんでぇぁすてぇんど」だとか「おりずぃなりてぃー」だとか言っておりました」


「随分とネイティブな発音だな…………」


 エレクシアが戦ったという敵のクセの強さに、ワタルは少しあってみたいような気がしたが、やっぱりそれでも『無双の神判』の人間なので、戦闘はしたくない。

 というより、他の世界でも元世の言葉はあるのだろうか。それとも、ワタルのような日本からの異世界転生者が『無双の神判』に入ったとか……?


「――――ワタル様」


 エレクシアの声が、ワタルを静止させる。

 神妙な面持ちで、周りに意識を配るエレクシアを見て、ワタルは何となく状況を察した。


「……囲まれたのか?」


「みたいですわね」


 辺りから向けられる無数の視線。

 十中八九、群狼グルースウルフィン等のものだろう。


「―――――」

「―――――」


 無言のまま、ワタルは《器》からダガーを、エレクシアは鉤爪を手に取り付け、電気の爪を顕現させる。

 

「―――――ッ!?」


 エレクシアの雷の速さによる斬りつけが、先手となった。


「ヴォゥッッ!!」


 突然飛び込んできて仲間の首を掻っ切ったエレクシアに、狼が吠える。それに呼応するように、四,五匹の狼がエレクシア向けて牙を向ける。


「こんのッ!」


 その内の一匹の首にダガーを突き立て、二匹目に蹴りを与え、ダガーを持ってない方の手で狼の首根っこを鷲掴み、それをもう二匹向けて投げつけた。


「あぁ! 忙しい!」


「申し訳ございませんわ!」


「大丈夫!」


 元気よく会話をしながら背中を合わせ、周囲を警戒する。

 視線はほんの少し、それも六匹分減りはしたものの、それでもまだまだ多い。


「この全部を削りきるってのは骨だな……」


 こんな調子でチマチマ削ってくだけではジリ貧だ。いずれ、ワタルたちの体力がつきて食い殺させる。それくらい敵が多い。


 ……一応、この状況を打開する方法はある。それは、《変幻自在の影カゲロウ》だ。こうも暗い森の中だと、カゲロウの独壇場。数など関係なく一瞬で殲滅できるだろう。懸念すべきはたった一つ、暴走だ。

 あれはスコックによって引き出された怒りによるものだ。それはわかっている。しかし、ワタルはこうも思う。―――多用することで、カゲロウの制限が緩くなってしまうのではないか、と。


 カゲロウを使っていない状態を、蓋で塞がれた瓶に収まっている状態とした時、使うときにそのカゲロウの入った瓶を開けてそこからカゲロウを出して、能力を使うとする。そうすると、一度能力を使うために瓶を開け、瓶を閉め、瓶を開け、瓶を閉め、としている間に、その瓶の締りが緩くなり、『中身』が、どす黒い『なにか』が、漏れ出てしまうというのが、ワタルが想像している最悪だ。

 使えば使うほど、ちょっとした反動でその瓶の蓋が抜けやすくなってしまうというのなら、できるだけ多様しないが吉だ。


「よって、カゲロウは使わん」


 だから、この状況の打開策は一点に絞られる。――――群れのボスを、倒すことだ。

 こいつらは群れ。群れということは、必ずボスがいる。群れを導く、指揮者が――――。


「―――――」


 神経を研ぎ澄まし、向けられる視線を、冷静に、それでいて素早く吟味する。


 視線一、殺意、違う。視線二、殺意、違う。視線三、殺意、違う。視線四、殺意、違う。視線五、殺意、違う。視線六、殺意、違う。視線七、殺意、違う。視線八、殺意、違う。視線九、殺意、違う。視線十、殺意、違う。視線十一、殺意、違う。視線十二、殺意、違う。視線十三、殺意、違う。視線十四、殺意、違う。視線十五、殺意、違う。視線十六、殺意、違う。視線十七、殺意、違う。視線十八、殺意、違う。視線十九、殺意、違う。視線二十、殺意、違う。視線二十一、殺意、違う。視線二十二、殺意、違う。視線二十三、殺意、違う。視線二十四、殺意、違う。視線二十五、殺意、違う。視線二十六、殺意、違う。視線二十七、殺意、違う。視線二十八、殺意、違う。視線二十九、殺意、違う。視線三十、殺意、違う。視線三十一、殺意、違う。視線十二、殺意、違う。視線三十三、殺意、違う。視線三十四―――――、


「―――いた」


 向けられる大量の殺意の視線の中、ワタルは一つ、異様な視線を見つける。

 それは、周りの狼のように殺そうと殺気立っているわけではなく、ただひたすらに、ワタル達を見定めるように、見つめ続ける視線。

 昔、何かで読んだ気がする。――王の器に相応しいのは、危機管理能力が高い者だと。


 その目と、ワタルの目が交差する。

 それと同時、その視線が消えた。恐らく、ワタルが気付いたことに気付いたのだ。

 だが、もう遅い。


「エレクシア! 向こうだ!」


「了解、ですわ!」


 ワタルが呼びかけた瞬間、その意図をも汲み取ってエレクシアは指定された方向へ跳ぶ。だが、そうはさせまいと狼がその進路を塞ぐよう飛び出す。

 しかし、エレクシアはそんなもの意に介さず、隙間を縫うように走り抜けていく。そして、その後を追うように跳んだワタルが、拳を握りしめる。

 バラバラと別れていては面倒くさかったが、エレクシアを止めようと飛び出し、ワタルの進行方向に重なった大多数の狼は、恰好の的だ。


「――ゼロ」


 腕を曲げ、肘から力を噴射する。そうすることで推進力を得たワタルは、上へと上がっていく。そしてその過程で、狼を巻き込む。


「―――ゼロ、ゼロ!」


 もう一度、そしてもう一度と、ゼロを使い、ワタルは上へと上がっていき、巻き込まれた狼たちは、二十匹。


「ゼロ! ゼロ! ゼロ!」


 二十一匹、二十二匹、二つ飛ばして、二十四匹、二十五匹。

 1.5メートルはあろう狼二十五匹分の体重を右手で支え、上空へと上がり―――、


「ゼぇぇロぉぉおぉ!」


 そう叫び、その狼らを一気に散らした。

 ―――そして残るは、雑魚八匹。


 繁殖能力が高いのがウリなら、一匹も取り逃せまい。


「まぁ、見えるな」


 取り出した板に《不変》を使って足場にし、下を見下ろす。

 ワタルに向けられる畏怖の視線、それが丁度八つだ。

 それぞれの位置を把握し、ワタルは《器》から少し大きめの石ころを取り出し、両手に持つ。


「ゼロ&通常投球!」


 手に持った二つの石、その片方にゼロを付与し、もう片方は普通に投げた。


「ギャンッ」

「ギャゥ」


 立て続けにもう一個、もう一個、石を投げ――――、


「ギャアゥッ」


 最後の雑魚敵を仕留める。

 これで残るは―――、


「ボス野郎」


 そこからひょいと飛び降り、ワタルは落下した。



               △▼△▼△▼△▼△



「ヴルルルルル」


「手強い、ですわね」


 睨み合いの最中、エレクシアが他の狼よりも一回り大きい、群れの主らしき狼を称賛する。だが、こいつの命もそう長くはないだろう。

 先ほど、ワタルの叫び声が聞こえた。すぐ、こちらにやってくると、ワタルへの信頼がそう囁く。


「でもそれまでに倒して、褒めてもらいたいものですわ!」


「ヴォゥルァッ」


 そう願望を口にし、エレクシアが飛び掛かる。それに反応し、その狼は爪を向ける。

 ―――その爪同士がぶつかる寸前のことだ。


「ヴゥッ!」


「―――らぁっ!」


 突然、狼が後ろへ跳んだかと思うと、その頭上からワタルが降ってきた。


「ワタル様!? なぜ空から……」


「色々あった!」


「―――了解ですわ!」


 この人の返事は相変わらず曖昧だが、ワタルが今ここにいるということは、何ら問題はないということだ。


「で、こいつがボスか」


 さっきは闇に紛れていたので見えなかったが、その大きさは2m近い巨体で、真っ黒な毛で身を包んだ狼……黒いので、黒狼と呼ぼう。どうやら、ワタルの見立ては間違っていなかったようだ。さっさと、というわけにはいきそうにはないが、早く勝って、この森から抜けよう。


「ヴォルルルァァアァッ!」


 鋭い咆哮と共に、黒狼が大口を開いてワタル達を食らおうと接近してくる。が、それを二人は上方向に跳んで避ける。虚無に嚙みついた狼が、身を翻してワタルに向かって後ろ蹴りを放つ。


「うごぉ!?」


 空中だったこともあり、衝撃は少ないが、ワタルは空高く蹴り上げられた。

 だが、それなら好都合だ。さっきは避けられたが、今回は落下攻撃を当てる。

 そう思い、ワタルはあの黒狼を探す――――。


「――――あ?」


 いない。勿論、奴から殺気がないから気配が探りにくいというのはある。だが、そんなものは関係ないくらい、奴の体は大きい。上から俯瞰して見れば、尻尾の先っぽくらい見えても不思議はない。


「ワタル様!! 横!!」


 エレクシアの呼びかけがワタルの耳に届いたと同時、ぐにゃりとした悪寒が背中を走る。それは、殺気だ。しかも、それはすぐ真横から―――、


「―――――っ」


 顔を横に向けると、そこには高い木に足を預けた大きな黒狼がいた。そして目と目が合ったその瞬間、無防備なワタルに、向けて黒狼が飛び掛かり、前足を振りかぶる。が、この黒狼程度の速さなら、ワタル防御が間に合う。

 そう思い、ワタルは腕を曲げてその攻撃を受けようとする。だが―――、


「―――――ぁ」


 振りかぶられた前足がワタルの腕に当たる寸前、ワタルは感じる。


 ――――これは、受けれない。


 その前足から、何か異様な……膜というのだろうか、そんなモヤのような感触が、ワタルの肌を撫でる―――――。


「が…ふ……っ!」


 気づけば、ワタルは左肩から地面に打ち付けられていた。

 上空から、硬い地面に叩き付けられた。だというのに、その打ち付けられた左肩より、攻撃を受けた右側の方が痛い。


「こ…れは……」


「大丈夫ですか?!」


 エレクシアが駆け寄ると同時、すぐさま取り出した回復薬をワタルにぶっ掛けた。


「……冷たい」


 なんか、もっと無かったのだろうか。飲ませるとか……まぁ、お陰で痛みは抑えられた。


「にしても、今のはなんだ」


「ヴルルルルルル……」


 今ので死ななかったワタルに対し、警戒を改めているのか、黒狼がこちらを睨んでくる。だが――――、


「―――――ッッ!」


「なっ…!?」


 何かに気が付いたように、黒狼がワタルに背中……いや、尻を向けて頭を下げる。

 戦闘中。それも、今しがた警戒を高めた相手に対し、だ。それほどのことをさせた原因、それが気になり、ワタルは黒狼の目線の先を見る。そこには―――、


「――――――」


 一匹の、狼がいた。

 凛とした立ち振る舞いで、純白の体毛に身を包み、真っ赤な相貌を持った、黒狼よりも一回りほど大きい……大きさでいえば、エレクシアの魔物モードよりも少し小さいくらいだろうか。

 ともかく、黒狼が頭を下げていることから、この純白の狼の方が立場が上だとわかる。

 ならば、倒すまでだ。と、言いたいところだが。


「―――――」


 正直、怖い。その狼の圧が、ワタルに冷や汗を伝わせる。

 でも、やるしかない。やるしかないんだ。


「フー……」


 一つ、大きく息を吐き、ワタルはファイティングポーズをとる。

 そして足に力を入れ、地面を思いっきり踏みしめ、その狼むけて走る―――――――――


「――――――――ぁ?」


 ―――一筋の、風が吹いた。


 それにより、ワタルの視界は反転、恐らく、風か何かで吹き飛ばされたのだ。なるほど、あの狼は風魔法を使うらしい。距離を取られると厄介だ。いや、逆にそれを使って接近させられるかも?


 視界がくるくると回り、ワタルは地面を転がる。早く、起き上がらねば。起き上がって、あの狼に向かっていかねば。

 そんな焦燥感が、ワタルを駆り立てる。


「―――――ぁれ?」


 そこで、ワタルは変なものを見た。


 吹き飛び、転がったワタルの目に映ったのは、ワタルと全く同じ服を着ただ。まさか、服が被るとは……まぁ、ワタルも適当な店で適当に買ったものだから、被ることもあるか……いや、それにしてはおかしい。


 ――――何故、胴体より上……首が、頭が、ないのだろうか。


 その首は一体どこへ行ってしまったのだろうか、そんな疑問が頭に浮かぶも、考えることができない。頭に、脳に、血が、回らない。


 おかしい。変だ。首が、ぁ、ないなら、どこ、に、あるんだ? そもそも、ぉ何で、あれは首、が、ないんだ? どうしして、どうし、し、ししぃ、ししししし、しししし――――――死。





 意識が、途絶えた。



『身の程』


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