第5話 二人の初配信と表情管理。
配信を始める、その前に。
打ち合わせをした。
機材──私のスマホを支えるスタンド、顔を明るく見せるリングライトや、少し性能のいいマイクの、セットをしながら。
零奈と話をする。
「……緊張してきた。ちゃんと話せるかな。
零奈は、私の方にじっと視線を送って。
「でも、せんぱい。わたしとは普通に話せてますよね」
「え、うん」
がんばってるからね。
多少、どもりは出るけれど……。
「わたしが思うに、せんぱいは一対一のコミュニケーションには問題ありません。おそらく、できないのは配信用の一対多のコミュニケーションですね。
なるほど、と頷く。
対人経験が少ない私のコミュニケーション力は、基礎だけで精一杯。今は筋力が足りなくて、キャパシティ越えを起こしているんだろう。
その結果が、無言筋トレ配信とかです。
「だからせんぱいは、コメントを拾おうとしないで。それはわたしがやります。流石に
ソファの隣で。零奈は私の顔に手を伸ばす。掴まれた頭、強制的に合わせられた視線。
「あなたは、わたしだけを見て。わたしの話を聞いて、話して。それだけでいいです。カメラさえ見なくていい。できますね?」
わたしは、頭を掴まれたまま。こくり、と頷いた。
◇
そして、配信が始まる。
スマホのインカメラに視線を合わせて、息を飲む。
大丈夫。序盤の台本は用意した。
『いざとなればわたしのスマホをカンペに使いますから』と零奈も言ってくれている。
マイクテスト、接続を確認。私は、深く息を吸って。
笑顔を作る。
「皆さん、こんばんは。"夕焼け小焼けでいつか君の帰るところになりたい"、『
手で作った望遠鏡から夕陽を覗くグループ用のハンドサインを作り、マネージャーに言われて自分で考えた気恥ずかしい口上を、どもらず、震えず、はきはきと述べる。
完全に、笑顔を保ったまま。
私は、人前でニコニコするのは苦手だし、声だって緊張してよく震える。
でも声帯も表情筋も筋肉の一つだ。その時になれば使い物になるように、ちゃんと、鍛えてある。
そしてアイドルにとって、表情を管理することは必須の
何故ならダンスにおいては、表情も含めて振付の一貫なのだから。
内面は緊張状態のまま、外面にはきりりと薄い微笑を固定。カメラさえ見るなと言った零奈に従って、最初の挨拶が終わった途端に目を逸らす。
逸らした先で、零奈を見つめる。
「告知がぎりぎりになってしまったのに、今日は初めてのコラボ配信に来てくれてありがとう。ゲストを紹介するね」
「"夜なんてこないままでいい、まだあなたと一緒にいたいから"——この度、『
配信前までのダウナーな態度から、一転。その透明感ある雰囲気を引き立たせる、明るい笑顔で。零奈はカメラに向かって、手を振った。
……ああ、プロだ。と思った。
声がブレないように話すだけじゃない。わざとらしくなく抑揚をつけて、自然に感情を込めて、目の前で顔も見えない誰かと本当に会っているみたいな、楽し気な表情で。零奈はカメラに映っていた。
笑顔を作るだけ、声を発するだけで精一杯の私とは年季が違う。
零奈は、瞬間、カメラから目を逸らし、皮肉気な流し目を向けてみせる。
私の隣で、自分のスマホを持ったままの零奈の手は、テーブル下でメモを打つ。
『せんぱい、やればできるじゃないですか』
上から目線の生意気な褒め言葉も、今は素直に嬉しかった。
だって、上だもの。アイドルとしては零奈が、文句の付けようもなく。
今日の配信内容は、内容と言えるほどではないけど、"雑談"だ。
『百合配信をすると言っても、いきなりイチャイチャなんて難しいですから。まずは自然体の会話から初めましょう』と、零奈と相談して決めた。
お互いの自己紹介をしながら、コラボ配信をすることになった経緯とかを話す。
百合営業が学費がどうとか、裏事情には触れないように。嘘を言わないように。
「わたしたち、学校も同じで。学年は違うんですけど、顔合わせる機会は多くて」
他のメンバーよりは多いね。嘘じゃない。
「高校生のメンバーは私たちだけだからね。折角だから仲良くしたいな」
これも嘘じゃない、本心。
同時接続者数は、コラボのおかげで零奈のファンもいるけれど、百人にも満たない。でもクラスの人数より、ずっと多い。
カメラ越しに、皆に見られていることは意識しなかった。
本当に零奈と雑談をしている気分で、リラックスはしないけれど、緊張するのは目の前の零奈にだけ。
零奈の、配信前までの毒舌を封印した猫被りに戸惑わなかったのは、事前に「そうする」と聞いていたのと、もう一つ。
猫を被った零奈は、アイドルらしいアイドルに見えたから。
明るくて溌剌としていい子な、王道のアイドル。
ドルオタの端くれとして逆に、見慣れたロールプレイに私はほっとしていたのかもしれない。
——口ではなんだかんだ言っても、白夜零奈はプロのアイドルなんだな、って安心感。
安心した分、できた余裕は会話に全部注いだ。
雑談だからって、雑に談笑するだけじゃいけないはず。
どんなふうに言葉を選んだらいいかな、百合配信として零奈と仲良く見えるように……も、そうだけど。
それ以上に、シンプルに、配信に来てくれたファンやこれからファンになってくれる、 画面の向こうの誰かに向けて。
私が、目の前の零奈としか話ができない代わりにせめて。
聞いていて、わかりやすい、心地のいい、喋り方ができればいいなと思った。
私と話しながらも、零奈は器用にリスナーさんのコメントを拾っていく。
「『昼に上げてた写真見た』……」
昼休みに零奈が投稿した、ツーショット写真についてのコメントだった。
零奈はぱっと顔を輝かせる。
「そう! せんぱいが今日、お昼に誘ってくれたんです」
ああ、なんでSNSにこまめに日常を投稿するのか、理由の一つが体感としてわかったかもしれない。
配信の中で、使える話題のカードが増えるんだ。
配信で内容を話すより前に、興味を持ってくれるんだ。
……口下手な私にはきっと、ありがたいこと。
SNSとかなんかよくわからなくてコワい、とか思ってる場合じゃないな。
と、思い直した。
その間も、零奈はファンに向けて話し続けている。
「あはは。そうなんです、わたし実は友達少なくて。お昼もいつもひとりで食べてたんですよ。だから……誘ってくれて、嬉しかったなぁ」
ふいに、柔らかい笑顔をこちらに向けて。
「ね、せんぱい?」
どき、とする。
甘く垂れ下がった目尻に、照れ混じりに緩んだような口元に。
……上手いな。
表情管理だとわかっているけど。
そんな顔で嬉しそうに言われたら。
本当にそう思ってくれてる、みたいじゃん。
溜息に見せかけて、呼吸を落ち着ける。
零奈に任せっぱなしじゃいられない。
私も、できることをしなくちゃ。
「その、せんぱいって呼び方なんだけどさ」
今日ずっと、考えていたこと。
「やめない? せめて学校以外では」
「……どーしてです?」
「だってそうじゃない。アイドルとしては、白夜さんの方が大先輩だよ。ううん、ですよ」
そう、据わりが悪いのだ。
「私は、アイドルとしてまだまだひよこだもの。だから、私の方こそ呼ばせてもらわなくちゃ。
――白夜先輩」
って。
零奈は目を丸く見開いた。
「え、ちょ、ちょっと! やめてくださいよ、もうっ」
……嫌がってるのは、素?
「じゃあせめて、同期メンバーとして、名前で呼んでよ。下の名前がいいな」
零奈は机の下でスマホを打つ。
『なんで人見知りなのに名前に関しては、ぐいぐい来れるんですか!?』
いや長文。器用だなぁ!
なんでと言われてもそれは、双子だったから。
宵崎って呼ばれても私か妹かどっちかわからないから、先生からも同級生からも名前で呼ばれるのに慣れていたからだけど。
それに、仲良く見せるなら名前呼びは、必要なことだと思うから。
零奈はたじろぎながら、カメラではなく私を見て。
呟くように、呼んだ。
「茜……? うう、なんだか照れますね」
上目遣いで。潤んだ瞳で。頬を紅潮させて。
なんか……破壊力、やばいかも。
共感性羞恥、っていうのとは違うのかな。
人が照れていると、こっちも照れてくるのって、なんて言うんだろう。
「ほら、呼びましたよ!」
「敬語は、そのままなの?」
「それは譲れませんっ」
零奈は拗ねたように、私を突く。
「わたしが、茜って呼んであげたんですから。茜も、私のこと『白夜さん』なんて余所余所しい呼び方、やめてください……」
「零奈」
「……なんで、即答なんですかっ! ちょっとは葛藤してくださいよ」
だって、頭の中では最初から零奈って、呼んでたし。
コメントは今はまだあえて読まないように意識している。情報量でパンクしてしまうから。
でも、コメントの流れがさっきより速い、ような?
零奈はまた、スマホの画面にすいすいと指を走らせる。
『いい話題のフリでした。今の』
横顔は、平然と。
……君、さっきまで赤面してたよね? 一体どこまでが演技なんだろう。
血管まで操作する表情管理は、私には無理なんだけど!
これが年季ですか、れいな先輩……。
そのまま、零奈はどこまでが素か演技かわからない態度で続ける。
「さて、せんぱい……じゃなかった、茜! わたしたちに質問来てますよ」
「——『どうしてアイドルになったのか』って」
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