第27話 3ー9 石油と領海

 1941年(昭和16年)4月から本格稼働し始めた吉崎石油により、樺太から原油が運ばれ始め、輸入原油よりも格段に安い価格で提供され始めたことから、昭和16年の海軍の燃料費予算の一部が若干なりとも流用を認められるようになった。

 大蔵省も原油の売却に伴う収益の税金で、昭和16年度は約2百万円、17年度は三基のリグの稼働によりおよそ800~1千万円程度の歳入があると取らぬ狸の皮算用を見込んでいた。


 しかもこの原油は国内需要の一部を賄うだけではなく、リグが12基~15基にまで増える予定の昭和18年後半には、日本の植民地や満州帝国に向けても移出や輸出される可能性があったのである。

 その恩恵に預かれないのは米国、ソ連、英連邦諸国及びその植民地となるだろう。


 満州帝国の問題及び日米自動車摩擦問題を契機に米国政府は日米修好条約の破棄を宣言したのだが、ここに来て若干雲行きが怪しくなってきていた。

 何となれば米国産の石油よりも樺太産の原油の方がかなり安いことがわかり、自動車業界、航空業界それに造船業界が若干色目を使いだしたからである。


 米国としても、外交の切り札として米国産原油の禁輸を既に打ち出す方針を表明しているのだが、日本が国産の原油を使い始めてやや輸入量が減ったことから、原油を切り札とする効果が果たしてあるのかどうかと危ぶむ声が出だしたのである。

 無論、日本の原油輸入は今でもかなり大量の枠で続いているので、禁輸を実施すればそれなりの効果はあるはずだが、仮に樺太原油が更なる増産を始めて米国からの輸入が無くても自立できるようになれば、日本は、原油で縛ろうとする米国のくびきを離れることになる。


 いずれにせよ、通商問題で外交的に優位に立とうとする方向性に若干の先行き不安が生じたのは事実である。

 このほかにもマレーシアのゴムやオーストラリアのボーキサイトなども、日本の輸入量がわずかずつながらも減少していることから、何らかの国内手当てが為されているという観測はされていたが、何故、輸入量が減少しているのか直接の原因は探れていなかった。


 先頃まで順調だったくず鉄の日本向け輸出も1940年(昭和15年)を境に徐々に減少しつつある。

 現状で日本と通商を断交しても本当に日本が困ることになるのかという若干の不安要因が大きくなっていたわけである。


 この日本の原油産出で面白くないのは、米国内で原油を採掘している石油業界である。

 樺太原油の稼働により徐々にではあるものの国際的な原油価格が値下がり傾向を示し、一時期は1バレル当たり5ドルにまで値上がりしていたものが、1941年の年明け以降1バレル当たり3ドル40セントを割っているのである。


 今のところはまだ採算ベースには乗っているものの、この傾向が続くならば大幅な減収は避けられなくなっているのである。

 何せ日本での樺太原油は、1バレル当たり8円(≒2$)と、とんでもない安値を付けているのだ。


 そうして樺太石油の代表者であるYoshizakiは、今後の増産が可能であれば原油価格をより引き下げるとプレスに発表しているのだ。

 現状では産油量が少ないから日本国内、しかも極一部だけの流通なので影響が最小限に抑えられているが、万が一にでも樺太石油が海外向けに輸出を始めでもしたならば大幅な値崩れは避けられないだろう。


 その段階では米国産の原油も否応なく1バレル当たり2$台に突入せざるを得なくなるのである。

 もともと自動車業界の隆盛により石油の需要が高まってかなり儲けさせてもらったのは事実だが、それがここにきて急激な価格低下は間違いなく大きな痛手になるのだ。


 為に、彼らは謀略を企て始めた。

 樺太油田の破壊活動である。


 しかしながら、米国石油業界のそうした動きも予想してか、吉崎石油は、内務省、法務省、農水省、海軍省、陸軍省を動かして、『領海及び接続水域等に関する法律案』を策定、議会で同法案が採択されたのである。

 国益に適うものについては、国会で審議された際にも、党派を超えて賛成票が集まり、通過できた時代である。


 特に原油と言う金の成る樹を守るために、多くの政治家が率先して動いた。

 しこうして1941年(昭和16年)3月には、くだんの法律が公布され、同年4月から施行の運びとなり、各国にも周知された。


 その内容は、第一に、大日本帝国は従来の太政官布告に基づく領海3海里の方針を破棄し、新たに領海12海里とすること、また、領海内では排他的に帝国の主権を行使することとされた。

 従って、帝国領海内での外国人による漁業、資源探査・採掘等の行為は、帝国の領土及び内水域と同様に行政当局の特許を得た場合以外これを認めないこと。


 帝国領海内における外国船舶の通行は、無害通航に限り、これを認めることとする。

 無害通航は、公海から公海に至る航路、外国の領海から公海に至る航路若しくはその逆の航路であって、当該通行しようとする海域が、帝国の二つの陸域に挟まれた領海である海峡を通行する場合のみに適用され、帝国に対する如何なる損害も与えない通行を言う。


 第二に、領海の外側12海里は接続水域として、当該海域では、軍事、防疫、通関、出入国に関わる予備的管理を行うこととし、国内法の一部を適用する。

 接続水域においては、一般船舶の自由航行を認めるが、他国の軍艦については水路調査、資源探査及び軍事行動を取らないことを条件として通過通行を特に認めることとする。


 なお、接続水域内における徘徊、停留は認めない。

 特に、潜水艦若しくは潜水船にあっては、領海及び接続水域において潜航したままの通行及び潜伏はこれを認めない。


 第三に、接続水域の外側24海里の空域を自国の防衛のための制限空域とし、他国の軍用機の空域侵入は原則として認めない。

 他に方法が無く止むを得ず当該空域に入る場合は、事前に通知することを要するが、緊急避難等による海上等への不時着を認めないものではない。


 交易等による他国間の往来であって我が国の領海及び接続水域に入らない制限空域の飛行はこれを認めるが、事前の了解を得る必要がある。

 但し、我が国の制限空域を含む、接続水域及び領海の上空を通過することについて、主務大臣の特許を受けた場合はこれを認めるものとする。


 民間機の定期航空路線において、我が国の空港に着陸し、第三国へと向かう権利を以遠権と称し、互恵の原則に従い、我が国民間航空機の以遠権を認める国家に属する民間航空会社にのみこれを認める。

 なお、以遠権の獲得においては、我が国と当該国の間にて、民間航空機の路線開設に関する協定を締結することを要する。


 第四に、領海について、領海基線と他国との直線距離が24海里以内である場合は、他国海岸線との中間線を領海線とする。

 基線とは、海岸の低潮線を基本とする領海の基準線を意味するが、当該基線より24海里以内に島若しくは岬が存在する場合は、当該島若しくは岬に引いた直線を基線とし、当該基線から12海里内を領海とする。


 また、外界に突き出た湾の場合、湾口が24海里以内であれば当該湾口線を直線基線とし、当該基線から12海里内の海域は領海とする。

 湾口が24海里を超える場合は、湾口の岬を含む任意の点から24海里の湾を形成する任意の地点に引いた線を直線基線とし、当該直線基線から12海里内の海域を領海とする。


 第五に接続水域について、他国との直線距離が48海里以内である場合は、他国海岸線との中間線を接続水域線とする。

 第六に、制限空域について、領海基線から96海里内に他国の海岸線がある場合は、中間線より相手国海岸線までの半分の距離を境界線とする。


 制限空域は、場合により隣接する他国の制限空域と重複を認めることとし、この限りにおいて当該他国の航空機が中間線までの空域を飛行することを認める。

 第七に、海岸線から24海里より短い我が国領土同士の間にある海峡又は水道であって、公海から公海に抜けることのできる国際海峡にあっては、宗谷海峡、津軽海峡、大隅海峡、対馬海峡、北得撫キタウルップ水道についてのみ、船舶の航行に関して、通過のための無害通行を認めることとする。


 当該海峡又は水道においては、徘徊、停留を認めない。

 またこの海域においては、帝国以外の潜水艦は浮上航行をしなければならない。


 第八に、この法令に違反したる外国艦船及び航空機に関しては、我が国は、臨検の上拿捕し、又は、強制的に着陸させ、若しくは、撃沈又は撃墜する権利を有する。


 この法案が発表されるに及んで国際的にもかなりの反響と議論を呼んだが、既に帝国が国際連盟を脱退していることから、この件に関する国際的合意を得るための場は無かった。

 帝国が領海を明示し、その外側の接続水域、更には防空識別圏をも設定するのを見て、これに習う国家もあったほどである。


 一方でこの発表に衝撃を受けたのは、米国の石油業界であった。

 彼らはアウトローを雇って、海から秘かに侵入して、油井の破壊を狙っていたのだが、領海がそれまでの3海里から12海里以上に広がったことで、隠密行動が非常に難しくなったのだ。


 そもそも、樺太全域が不開港であるために、外国船は侵入しにくい環境であったものが、更に厳しくなったこと、事前調査のために樺太に接近させた漁船が沿岸から12海里線の手前付近で軍艦により警告を受け、威嚇射撃まで受けて追い払われたことから、ほぼ接近する手立てを失ったのである。

 強行すれば、はるか手前で拿捕されるか撃沈される恐れが多分にあった。


 しかしながら、手をこまねいていては米国の石油企業は、じり貧になる恐れが高かった。

 彼らは戦場を国内に移し、日本を経済的に追い込む方向に動き始めたのだった。


 かくして、米国のロビィストは、日本を敵視する企業群と、場合により日本と親交を結ぼうとする企業群の思惑が絡み合い、実に混沌とした状況になっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る