第2話 1ー2 四菱と吉崎航空の試作機
吉崎航空機製作所は、1939年(昭和14年)5月までに、劣化版となるルー101改を造り上げていたが、この改造では、敢えて過給機のブースト圧を減少させることでエンジン馬力を少なくして速力を落とし、また翼の形状を変え翼面積を増加させることによって更に速力を落とすとともに、搭載燃料を少なくして重量を減らし、また、航続距離を減らして十二試艦戦計画書が要求する離陸距離と着陸速度をぎりぎりクリアしたのだった。
二重反転プロペラの採用を取りやめることも一旦は検討されたが、生憎と出力を落としてもなお、房二型エンジンの出力が大きいために、プロペラの回転により左転又は右転のスラストが生じてしまい、特に着艦時には重大な事故を招く恐れもあったことから断念された。
二重反転プロペラのメリットは単発のエンジンであっても横方向のスラストを抑えてくれることにあり、特に高出力の房二型エンジンを単発機に使うならば必須ともいえるものであった。
因みに双発の場合は、右と左でプロペラの回転方向を変えることでスラストを相殺できるのである。
四菱と吉崎航空の艦戦試作機を比較すると、スペック的には明らかな差異が生じていた。
四菱の試作一号機(A6M1)では、
全幅: 12m
全長: 8.79m
全高: 3.49m
翼面積: 22.4m&㎡
翼面荷重: 107.89kg/㎡
自重: 1,754kg
全備重量: 2,421kg
最高速度: 時速491km
上昇力: 6,000mまで7分17秒
航続距離: 約3,000km
実用上昇限度: 10,080m
発動機: 四菱「瑞星」一三型(離昇出力780馬力)
兵装: 翼内20mm機銃2挺、(携行弾数各60発)
胴体7.7mm機銃2挺、(携行弾数各700発)
30kgまたは60kg爆弾2発
であったが、吉崎航空のルー101改では、
全幅: 11.99m(折り畳み時5.2m)
全長: 9.37m
全高: 3.96m
翼面積: 24.8㎡
翼面荷重: 131.2kg/㎡
自重: 1,756kg
正規全備重量:3,256kg
発動機: 房二型-乙(1800馬力)
プロペラ: Y/K可変速3翅反転
最高速度: 583km/h(高度6,000m)
実用上昇限度:12,650m
上昇力: 6,000mまで5分17秒
最大航続距離;2,140km
2,896km(増槽タンク使用時)
3,595km(軽貨フェリー時)
武装: 翼内12.7mm機銃4挺(携行弾数各300発)
又は、7.7mm機銃4挺(携行弾数各700発)、
爆装: 100kg爆弾4発 又は 250kg爆弾2発
ルー101改の武装について、海軍要求の20㎜機銃ではなく12.7㎜にしているところが若干問題視されたが、20㎜機銃の破壊力に匹敵する新型機銃であると吉崎製作所が主張するために、実際に試射を行ったところ、400mの距離で厚さ30㎜の鋼板を撃ち抜く威力を見せ、しかも爆裂弾のマ弾を使用しているために、30㎜鋼板で装甲された車両擬きの標的が一瞬にして破壊されたのを目の当たりにして、20㎜機銃よりもはるかに威力のある新型機銃であることが証明され、計画書にあった20㎜機銃の記載を撤回したほどである。
そもそも20㎜機銃は弾丸が重いため弾薬携行数が少ない上に、どうしても初速が遅くなり、射程距離が短い上に弾道が山なりになるというデメリットがあったのだが、吉崎製作所が製造した新型12.7㎜機銃は、これまでの12.7㎜機銃よりも初速がおよそ4割増しであることと、破壊力が大きい新型炸薬のマ弾を使用しているために、攻撃力が極めて大きいのだった。
後に検証で確認したところでは、距離400mからの射撃において、厚さ1mのベトン要塞が数秒の連射で貫通するほどの破壊力を示したのだった。
また、同様に7.7㎜機銃もこれまでのものよりも初速が速く、なおかつ、小さいながらもマ弾を使用しているために、ジュラルミン製の航空機がこれを打ち込まれると大穴が空き、弾痕が盛大にめくれあがって凄まじい被害を与えることが判明したのだった。
当たった時の被害が余りに大きいので、味方が密集する空域や国内の市街地上空では使用が
一応の安全装置として発射後3.5秒で炸裂する仕掛けにはなっているのだが、吉崎製作所の技師曰く、『今までの試射では問題が発生しておりませんが或いは数十万分の一の確率で不発弾若しくは安全装置が働かない可能性もございます。』ということであった。
いずれにしろ航空機の武器としては革新的なものであったことから、新型の12.7㎜機銃及び7.7㎜機銃についてもそのまま採用が決定されることになったのである。
因みに吉崎航空機製作所製造の12.7㎜機銃は九九式十三ミリ機銃として、同7.7㎜機銃は九九式八ミリ機銃として正式に海軍部内での名称が与えられ、後に他社製の航空機にも採用されるようになっていった。
軍用機で20㎜から小口径の機銃に換えるメリットは、その携行弾数の増加にある。
20㎜機銃であれば容量制限と重量制限から一丁について精々100発前後の弾丸しか携行できない(十二試艦戦で想定していたのは20㎜機銃一丁につき60発程度の携行弾数だった)とされていたが、12.7㎜では少なくともその三倍程度が携行できることになる。
携行弾数の増大は、継戦能力に対する大きなメリットになるのだ。
いずれにしろ、この数値で見ることのできるスペック差から、海軍航空本部内ではルー101改を推す声が多かったが、一方で離陸距離と最低速度の問題で、空母艦載機としては四菱のA6M1が望ましいとする慎重派の声もあった。
特に、提出されたデータの最大航続距離で四菱のA6M1がやや勝っていたことや20㎜機銃が搭載できる点などから、中国奥地での戦訓を踏まえてA6M1の方がやや有利とする声が現場の声として届けられたのであった。
しかしながら、実際問題としては、四菱のデータは武器や爆弾を搭載していない軽貨状態でのデータであり、航続距離も燃料消費量から計算した上のデータであったのだが、一方の吉崎航空機製作所ではほぼ全備重量での(金谷工場と南鳥島近辺間を夜間に往復させて得た)生データを使用していたので、そもそも元になるデータの基盤が異なっていたのである。
このため、後になってこの勘違いが明らかになるのだが、同じ条件で二つの機種を比較するとさらに格差が大きく広がることが海軍の航空基地で試験運用を始めてから判明したのである。
但し、この段階では、既に海軍航空本部では四菱のA6M1と吉崎航空のルー101改双方の採用を正式決定していた。
一つには四菱との長年の付き合いも有ったので、その開発部門が苦労に苦労を重ねて生み出した傑作機を無下に落とすことができなかったという
また、小型空母の鳳翔では飛行甲板が168m(後に180mに伸長)、次級の龍驤では更に短い160m未満であったことから、高速機のルー101改をそのまま小型空母で運用することが運用上又はパイロットの技量上で制約されると判断された事情もあった。
従って、海軍航空本部としては、昭和14年末までに四菱に実用機30機、吉崎航空にも実用機30機を製造させ、霞ケ浦などの海軍航空基地でのテスト運用の結果を踏まえて更なる製造発注を掛けることとしたのであった。
因みに四菱で本格製造が可能なのは概ね半年後、吉崎航空ではすぐにでも30機の納入が可能だということで、ここでも二つの航空機メーカーに差が付いた。
吉崎航空では日産5機、月産150機の製造が可能としており、四菱がこれから製造ラインを作るのに比べるとはるかに進んでいる。
四菱の生産台数は、96式艦戦の生産機数から見て、当面は多くても年間で600機程度ではないかと見られていた。
現状で航空母艦に必要な艦戦搭載機数は、赤城、加賀、蒼龍、飛竜で各16機、鳳翔、龍驤で各10機程度が見込まれており、総数では84機、建造中の翔鶴、瑞鶴では各20機、更に内外地の各航空基地配分戦闘機の予定数はおそらく千機を超えるものと予想されていることから、予備機を含め次年度以降は運用試験結果を踏まえて大量に発注されることになるだろう。
当然に一度に配備もできないので、順次96艦戦等との交換になると見込まれている。
予定としては、概ね半年程度の航空基地での試験運用を踏まえて各基地や空母への配分を始めたいところなのだが、実はパイロットの訓練と整備要員の養成も併せて実施しなければならない。
特に両機とも実戦配備されている96式艦戦に比較してかなり性能が上がっている上に操縦感覚も異なるから、ベテランパイロットと謂えども十分な完熟訓練を行わなければ空母の離着艦は難しいのだ。
整備についても、例えば四菱のA6M1の場合のエンジンでは、試験機の瑞星(780馬力)にしろ、四菱の栄12型(920馬力)にしろ、これまでの96艦戦に使用された中島の発動機とは異なるので、そもそも整備方法や整備機材が異なる。
まして、吉崎航空の房二型-乙(1800馬力)エンジンは、高性能な過給機を搭載した全く別物と言っても良いほどの化け物エンジンであるから、整備士も余程気合を入れないと整備ができない代物だ。
従って、海軍選りすぐりの整備士を、四菱と吉崎航空に派遣して各エンジンの整備の研修を行うことになったのだった。
いずれにしろ、四菱のA6M1と吉崎航空のルー101改の採用がほぼ決まり、同時に両機の海軍での呼称が決定した。
1940年(昭和15年)が皇紀2600年になることから当初十二試艦戦については零式艦上戦闘機の呼称をする予定であったのだが、二種の機体が同時に採用されることから、A6M1を零式一型艦上戦闘機「旋風」と、吉崎航空のルー101改を零式二型艦上戦闘機「蒼電改」と名付けることになった。
因みに二つの戦闘機の名付け親は、航空本部長の豊田貞次郎中将であり、陸上航空基地配分予定のルー101については、正式名を99式基地用戦闘機とし、呼称は「蒼電」とされた。
当然のことながら蒼電改よりも蒼電の方が、性能が上なのは皮肉なことであるが、飽くまで艦上戦闘機と基地戦闘機の違いとして容認されたのである。
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