第3話 1ー3 昭和13年の出来事

 ルー101が初めて登場した1938年(昭和13年)は、大日本帝国にとっても大いなる転換点の年であった。

 同年1月16日には、近江このえ富美麿ふみまろ首相が「以後、国民政府を対手とせず」の声明により支那事変日中戦争和平交渉の打ち切りを宣言し、同時に国際連盟との協力関係終了を閣議決定したが、その二ヶ月後、3月21日の払暁、自宅にて就寝中の近江首相が、心不全により急逝した。


 歴代の首相でも二番目に若かった近江首相の死は、大日本帝国の政財界に大きな衝撃を与えたが、支那事変を抱えている最中さなかにおいて、政治の遅滞は許されず、すぐに幾人かの首相候補が挙げられたが天皇陛下が特に東功爾宮ひがしくにのみやの名をあげて大命を下したのだった。

 東功爾宮殿下については、これまで二度ほども首相候補に挙げられたことがあったが、その都度岐土きど内相が意見具申してそれを潰してきた経緯があった。


 岐土内相が反対した理由は支那事変という準戦時下の現状にあって、皇族が政府の舵取りをすることは、仮に政治的な失敗が有った場合に天皇陛下御自身の権威にきずがつくことを恐れたためであった。

 しかしながら、此度は天皇陛下からの勅命であって、陛下の意思が固く、流石の岐土内相でもその大命を覆すのは無理であった。


 政界の陰の立役者であった犀園寺さいおんじ監物けんもつ公も陛下の意向を受け、東功爾宮殿下を後押ししたのであった。

 東功爾宮ひがしくにのみや愛彦王なるひこおう殿下はフランス留学の経験を有するリベラル派の皇族として知られ、中国大陸への侵攻には内々苦々しく思ってはいたものの、一方で皇族の義務として兵役にも就いており、その時点では中国大陸の華北にあって陸軍中将として第二軍司令官についていた。


 大命を受けて、東功爾宮愛彦王殿下は早速に内地へと呼び戻されたのであった。

 首相に着任する直前の時点で、中国大陸での紛争の泥沼化を懸念し、支那事変の拡大を望まぬ陸軍幹部の慎重派から東功爾宮愛彦王殿下に対して種々の意見具申があったのは言うまでもない。


 その為、陸軍部内の統制派が進めていた国家総動員法は、公布間際になっていながら新生内閣により一旦棚上げされ、その代わりに同年5月から昌偕石しょうかいせき政府及び王超銘おうちょうめい臨時政府との停戦交渉が鋭意開始されたのだった。

 この東功爾宮内閣の出現により、これまで何かと内閣に対して我儘わがままを言ってきたタカ派の陸軍将官も抑え込まれるようになった。


 宮家に抗弁することは天皇陛下に唾することと同じであり、特に統制派の急先鋒であった東城秀樹辺りは尊王精神が強いことから、同じ陸軍将官であった東功爾宮愛彦王殿下に対しては至極従順だったのである。

 日中関係については、10月までの精力的な交渉の結果、最終的に大日本帝国軍は二年以内に山海関さんかいかん以北に撤収すること及び満州帝国を中国が容認すること、更には秘密協定としてこれ以上の列強諸国の租界地の拡大を認めないこと及び諸外国の軍隊の駐留を今後10年間を限度に一切認めないことを条件にして、最終的に講和が締結されたのだった。


 親日の王超銘一派にとっては、願っても得られない好条件であったし、中國内陸部の武漢方面にまで押し込められていた昌偕石軍にとっては、満州建国を容認すること自体は必ずしも納得が行かなかったものの、日本軍が勝手に山海関以北にまで撤収するとなれば、これまた御の字なのであった。

 従って、中国国内における事後の内紛はさておき、これを機に支那事変は一気に終息に向かうことになったのである。


 中国共産党はこの講和交渉に招かれず、放置されたが、相も変わらず河北省方面でのゲリラ闘争を続けていた。

 これに対する帝国陸軍は、攻撃されれば過酷なまでの反撃はするが、決して深入りはしなかった。


 かつての第二軍司令官が今では首相となっており、その息のかかった陸軍将官が無駄な戦を極力避けたのであった。

 このために6月に発動を計画されていた武漢作戦は当然のように中止されたのだった。


 一方で、未だ交渉中のため日中間で最終的な講和の成否が見えていなかった7月15日、帝国政府は閣議で1940年に予定されていた夏季東京オリンピックおよび冬季札幌オリンピックの開催権返上を決定した。

 支那事変に伴う軍関係予算の巨額出費のために、オリンピック開催に必要な予算面での都合がつかなかったこと、また思いのほか中国への大量出兵によって国内経済が疲弊していたために、IOCとも協議の上で今回は見送ったのだった。


 その一方で、7月30日には、張鼓峰ちょうこほうにおいて日ソ両軍の衝突があり、陸軍参謀本部の指示を待たずに第19師団が独断でソ連軍を攻撃するがソ連軍の反撃を受けて多大の損害を出した。

 8月11日の停戦協定の調印により事件は一応落着したが、日露戦争以前からの脅威としてソ連が再び浮かび上がったのである。


 同年12月上旬、への匿名のタレコミにより、ソ連側スパイであるリヒャルト・ゾルゲを首塊とするスパイ組織が一斉に摘発され新聞紙上を大いに賑わせた。

 特に近江前首相のブレインでもあった小崎秀実や犀園寺公一(犀園寺公爵の嫡男)がその中に含まれていたことは驚きの目で迎えられた。


 急逝した近江首相の関与も疑われたところだが、既に鬼籍に入っている人物の罪を暴くのは帝国の慣例では忌避されていることから、そこは当然のように曖昧にされたままで終結した。

 ゾルゲ事件ではゾルゲ以下三名の外国人、小崎秀実以下二十名弱の日本人の名が上がり、いずれも厳罰に処されたが、特にゾルゲと小崎は翌年5月末に死刑に処された。


 国外を見ると、3月12日には、ドイツ軍がオーストリアに進駐し、翌日ドイツへの併合(アンシュルス)を宣言し、14日には実質的に併合が為されていた。



 ◇◇◇◇


 1937年(昭和12年)4月に創設された吉崎航空機製作所の最寄り駅は、国鉄房総線の浜金谷はまかなや駅(1916年(大正5年)10月11日開業)である。

 浜金谷駅は、小さな田舎駅であり、日々の乗降客は左程多くは無い。

 

 房総半島でも上総かずさと呼ばれる南部地域は、縄文時代からの遺跡が数多く分布している地域でもあるが、流石に山中の遺跡は少ない。

 尤も、房総半島で最も高い山地を形成する鋸山のこぎりやま(標高330m)の山麓部の斜面では、江戸時代から「房州石」として知られる石切場が存在する。


 房州石は、この近辺にある凝灰岩や凝灰質砂岩であり、柔らかくて整形し易く、耐火性があるために、家屋や土蔵の塀、壁、門柱などの建築石材として盛んに利用され、後年大谷石が産出されるまで隆盛を誇ったのである。

 最盛期には金谷の人口の八割がこの房州石の切り出しに従事していたという。


 金谷村は集落の戸数も至って少なく、人口は三千に満たない田舎なのだが、その更に山の奥、浜金谷駅から東北東に直線距離で半里(約2キロ)ほど離れたほとんど人手の入っていない山中に社屋が建設され、同時に幅500m、長さ5000mに及ぶ範囲にある敷地の小さな山と小さな谷がならされて広大な人工平地が生まれたのである。

 その敷地のほとんどが元国有地であり、史跡に類するものは敷地内には存在していない。


 土地のマタギから「キラセ」と呼ばれる場所付近を起点に概ね東南東方向に伸びる平地であり、元々は起伏の多かった土地が均されて標高八十mほどを維持しているのである。

 その広大な敷地の西端から浜金谷駅に向かって道路が伸びているのだが、こちらはそのほとんどが隧道ずいどうでできており、外からは道路があることすらうかがい知れない。


 隧道は敷地の西端から緩やかな弧を描くようにやや北西側に膨らみながら、住宅地のある場所を巧妙に避け、金谷尋常小学校の裏手の丘陵にその出口があった。

 隧道そのものはその半ばが海面下10mの深度に保たれているために近隣の私有地に影響を与えることは無かった。


 この隧道についても内務省から建設許可を受けており、隧道そのものは会社の私有地と見做されている。

 距離にしておよそ2キロの隧道は、付近の住民がほとんど気づかないうちに建設されており、尋常小学校の裏手にトンネル入り口が一夜にして出現した時は、付近の住民が随分と驚いたものであった。


 在所の住民は、立派な道路と隧道ができたことにすぐに気づいたが、自分たちの生活に何ら支障はなかったので「官許の道路であり、立ち入りを禁ずる」との高札こうさつを見て、「どうせお上のやること」として誰も気にすることは無かったようである。

 但し、当該道路の終端部では、余りに立派な舗装道路ができあがり、旧来の非舗装道路が随分とみすぼらしく見えたことで、役場にこの差は何とかならないのかと改善を求める声もあったようだ。


 吉崎航空機製作所の代表取締役吉崎よしざき博司ひろしは、1936年(昭和11年)11月に内務省から認可を受け、この金谷のキラセから小鋸山このこぎりやま西方に至る国有地約160万坪の払い下げを受けて、工事に着手した。

 そうして、わずかに半年足らずの間に、広大で平坦な敷地と浜金谷駅周辺に至る取り付け道路を完成させたのである。


 後に房総の新興財閥の金と技術力による偉業として知られることになるが、当時は特段の宣伝もしていないことから、会社の存在そのものが余り世間には知られていなかった。


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