仮想戦記:蒼穹のレブナント ~ 如何にして空襲を免れるか

@Sakura-shougen

第一章 十二試艦上戦闘機

第1話 1ー1 プロローグ

 1937年(昭和12年)4月、千葉県君津郡金谷村の山中に吉崎航空機製作所なる会社ができた。

 中外商業新報の片隅に会社創設の記事は載ったが、事実を伝えるのみで取材はせずに何のコメントも無かったことから、それを読んだ者が居たとしても余り記憶には残らなかったはずである。


 それより五年前の1932年(昭和7年)に、帝国海軍は七試艦戦の要求仕様を伝え、仲嶋、四菱に試験製造を依頼し、出来上がった試作機から最終的に四菱のカー14を採用、1936年(昭和11年)には九六式艦上戦闘機として航空母艦に搭載を始めたのである。

 折しも、中国軍との戦闘においてその機体の優秀さを示したものの、一方で九六式艦上戦闘機は航続距離に難があった。


 航続距離が1200キロしかなく、空母から発進した場合、戦闘行動範囲は精々400キロ程度であったのだ。

 例えば、上海沖から武漢まで行こうとするならば、最短でも片道700キロ程度を飛行しなければならない。


 無論、陸上の航空基地も有るのでそこから発進すれば良さそうなものだが、中国の前進基地はゲリラなどに狙われやすい危険地帯でもあったので海軍機が進出するには不向きと言えた。

 その点、洋上に浮かぶ空母や日本が統治する台湾ならばそうした攻撃は受けにくい。


 従って、海軍はより長距離を飛べる艦上戦闘機を欲しがったのである。

 為に十二試艦戦の要求性能は爆上がりした。


「昭和十一年度 航空機種及性能標準」にその基準の一部が記載されている。


 機種:艦上戦闘機

 使用別:航空母艦(基地)

 用途:1. 敵攻撃機の阻止撃攘/2. 敵観測機の掃討

 座席数:1

 特性:速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること

 航続力:正規満載時全力1時間

 機関銃:7.7mm 700発 ×2

 機関砲:20mm 60発 ×2

 通信力:電信300浬、電話30浬

 実用高度:3,000m乃至5,000m

 記事:1. 離着陸性能良好なること、離艦距離 合成風力10m/sにおいて70m以内/2. 増槽併用の場合6時間以上飛行し得ること/3. 促進可能なること/4. 必要により30kg爆弾2個携行し得ること


 最終的には、1937年(昭和12年)10月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に基づいて新たな戦闘機を製造することになったのである。


「十二試艦上戦闘機計画要求書」

 用途:

  掩護戦闘機として敵軽戦闘機より優秀な空戦性能を備え、要撃戦闘機として敵の攻撃機を捕捉撃滅しうるもの

 最大速力:

  高度4000mで270ノット以上

 上昇力:

  高度3000mまで3分30秒以内

 航続力:

  正規状態、公称馬力で1.2乃至1.5時間(高度3000m)/過荷重状態、落下増槽をつけて高度3000mを公称馬力で1.5時間乃至2.0時間、巡航速力で6時間以上

 離陸滑走距離:

  風速12m/秒で70m以下

 着陸速度:

  58ノット以下

 滑走降下率:

  3.5m/秒乃至4m/秒

 空戦性能:

  九六式二号艦戦一型に劣らぬこと

 銃装:

  20mm機銃2挺、7.7mm機銃2挺、九八式射爆照準器

 爆装:

  60kg爆弾又は30kg2発

 無線機:

  九六式空一号無線電話機、ク式三号無線帰投装置

 その他の装置:

  酸素吸入装置、消火装置など

 引き起こし強度:

  荷重倍数7、安全率1.8


 帝国海軍は、世界初の建造空母である「鳳翔」(1922年竣工)を始め、「赤城」(1927年竣工)、「加賀」(1928年竣工)、「龍驤」(1933年竣工)、「蒼龍」(1937年竣工)の五隻の空母を保有し、なおも「飛竜」(1939年竣工予定)も建造中である上に、更に大型空母二隻の建造計画も秘密裏に進めている最中であった。

 それら空母が搭載し、運用する航空機として旧態然とした複葉機では、作戦運用も中々ままならないことから新たな高性能航空機の国産化を軍需産業に求めたのが七試艦戦であって、その結果として九六式艦戦が生まれ、更に要求が上がったのが十二試艦戦であった。


 十二試艦戦については、海軍は仲嶋と四菱にオーダーを出したのだった。

 その結果として、1938年(昭和13年)半ばには何とか開発の目途が付いたのが四菱であった。


 しかしながらここで予期せぬ横槍が入ったのである。

 新興の吉崎航空機製作所が、十二試艦戦の要求スペックとは若干異なるものの、はるかに優秀な性能を有する航空機を産み出し、海軍航空本部に掛け合って1938年(昭和13年)7月18日に横須賀海軍航空隊の飛行場でデモンストレーションを行ったのである。


 海軍航空本部の将官が居並ぶ中で、ルー101は凄まじい性能を披露した。


 名称: ルー101

 全幅: 11.99m(折り畳み仕様にすることも可能、折り畳み時5.2m)

 全長: 9.37m

 全高: 3.96m

 翼面積:   23.5m²

 翼面荷重:  161.70 kg/m²

 自重:    1,852kg

 正規全備重量:3,799kg

 発動機:   房二型(2400馬力)

 プロペラ:  Y/K可変速3翅反転

 最高速度:  781km/h(高度6,000m)

 実用上昇限度:13,650m

 最大航続距離;1,700海里(3,148km)

        2,200海里(4,074km);増槽タンク使用時

        2,500海里(4,630km);軽貨フェリー時

 武装: 翼内12.7mm機銃4挺(携行弾数各300発)、

 爆装: 100kg爆弾6発 又は 250kg爆弾2発


 十二試艦戦については、1938年(昭和13年)初夏の時点ではその要求性能の実現が難しいとして仲嶋飛行機が試作機製造を辞退したために、四菱のみが挑戦を続けていたのだが、同年7月に至って、ダークホース的な存在である吉崎航空機製作所がルー101を横須賀海軍航空隊に持ち込むに及んで、十二試艦戦の有力候補であった四菱は十二試艦戦の製造辞退を申し入れるまでに至った。

 四菱は改良に改良を加えて極限までの軽量化に成功しており、要求の実現まで今一歩のところまで漕ぎつけてはいたのだったが、ルー101の余りの高性能ぶりに恐れをなしたというのが真実に近いだろう。


 しかしながら、吉崎航空機製作所のルー101はこれまでに無い非常に優れた航空機ながら、海軍が要求する艦上戦闘機としての十二試艦戦の性能からいささか外れていた。

 その主たる原因は、海軍が吉崎航空機製作所に十二試艦戦要求書の内容を伝えていなかったからに他ならないし、元々が実現困難かと思われた要求を上回るようなこんな高性能機が出現するとは思わなかった所為でもある。。


 そもそも海軍航空本部は、四菱と仲嶋以外の航空機会社に十二試艦戦を試作させようとは考えていなかったのだ。

 七試艦戦発注に際しても個々の航空機メーカーの力量を検討して三菱と中島に競わせたのであって、他のメーカーが参入できるとは考えていなかった。


 海軍十二試艦上戦闘機要求書では、離陸滑走距離について、風速12m/秒で70m以下とし、着陸速度を58ノット以下としているのであったが、ルー101は、海軍航空本部でも想定外の高速機のために、離陸滑走距離において毎秒12mの風速の中で78mと8mほど超過し、着陸速度も76ノット(140キロ)に達するため、必ずしも要求書を満たす性能ではなかったのである。

 このために、海軍航空本部は、吉崎航空機製作所に対して艦上戦闘機としてルー101の改造を要求する一方で、三菱に対しても試作の継続を要求したのだった。


 そうした一方で海軍がルー101の高性能を見逃すはずもなく、1938年(昭和13年)8月下旬には艦上戦闘機としてではなく、基地用戦闘機としての採用をほぼ内定したのだった。

 そんな中で、三菱の試作一号機が何とか要求書をクリアして、試作機の初飛行に漕ぎつけたのは1939年(昭和14年)3月半ばのことであった。


 また、十二試艦戦用に向けて「ルー101」の改造を要求された吉崎航空機製作所も、同年5月には、艦戦用試作機として「ルー101改」を造り上げたのだった。


 「ルー101」及び「ルー101改」に搭載される房二型と呼称される一連の新型の航空エンジンは、小型でありながら凄まじい馬力を生み出す化け物エンジンであった。

 当然にそれまでの国産エンジンとは格が違い、それを扱える整備士の早期育成が望まれることになった。


 このために海軍は基地用戦闘機として「ルー101」の採用内定が決まって間もなくの1938年(昭和13年)10月には、各航空基地の優秀な整備士を集め、吉崎航空機製作所に研修員として送り込んだのだった。

 ここでしっかりと整備手法を学ばせ、しかる後に各航空基地において他の整備兵に整備手法を広めることにより「ルー101」の地方展開を容易にするための方策だった。


 「ルー101」用エンジンである房二型(「ルー101改」用エンジンと区別するために後に「房二型―(甲)」と呼称)の低出力調整を行った「ルー101改」用エンジン「房二型―(乙)」の整備方法も同時期に叩き込まれるようになったのはすぐ後のことだった。

 機体は「ルー101」と「ルー101改」で翼等に多少の大きさの違いはあっても整備方法に左程の大きな違いは無かった。


 機体の素材は全くの新素材であって、現地での加工は一切不可能なものであったが、パーツごとの交換を可能にしていたために、整備は比較的容易であった。

 驚くべきことにエンジンや機体ごとの製品ばらつきが異様に少ないことを整備兵たちは肌身で実感した。


 ビスの一つであっても、統一された規格と品質が保たれており、整備方法さえ間違いなければ、工場出荷時と同じ性能を維持できる代物だったのである。

 彼らの研修の講師は吉崎航空機製作所のロートル技師が請け負い、ある意味でスパルタ式であったから、起床時から就寝時までほとんど休息の時間も取れないほどであったが、その集中的な研修により、研修開始から概ね半年後には「ルー101」及び「ルー101改」であれば、如何なる場合でも整備できる自信が付いたのだった。


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 レブナントとは、フランス語で「帰る」、「戻る」、「再び来る」という意味のレヴニール(Revenir)に由来し、ここでは「死より戻って来たりし者」のこと。

 但し、「亡霊」という意味合いもある。


 By @Sakura-shougen




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