第13話 心理とエルフ
結局、屋上から戻ってきたときには、部活がはじまる時間になってしまっていた。
だけど幸いにもこの日は顧問が休みだったこともあり、部長はいつもより早く部活を切り上げたのである。
現在、俺たち一年生は道具の片付けをしてから上級生が先に帰った部室で着替えている。
まだ図書館が閉まるまで三十分もある。この時間なら彼女に会えるかもしれない。
汗を拭いて急いで制服に着替えた俺が部室を飛び出したそのとき、籠原さんと鉢合わせになった。
「お? セトハルくんも部活おわりなの?」
「籠原さん、そっちも?」
「うん、そうだよ。一緒に帰ろうよ、この前みたいに駅まで送ってー」
「ごめん、これから図書館に行くんだ。借りたい本があってさ」
「んー? 図書館なら休館日だよ」
「え、休館日……。そうなんだ……」
それなら文芸部の部室に行ってみるか? 文科系の部室が集中する北校舎のどこかにあることは間違いない。
そういえばね、と籠原さんは言いづらいそうに視線を逸らした。
「見っちゃったんだよね、あたし」
「なにを?」
「さっき、セトハルくんがうららちゃんと屋上に行くところ」
「あー……、そうなんだ」
誰かに見られないか警戒していた訳じゃないから目撃者がいてもおかしくはない。
校舎の屋上に向かう男女の姿、変な誤解されても仕方がないシチュエーションな訳で、やましいことなど一つもないけど、妙にドギマギしてしまう。
「ふたりで何してたの? あんな場所で。てか誰もいない屋上でって、もうなんか色んなことを想像しちゃうんだけど」
「別になにもないよ、ただの悩み相談」
「えー、うららちゃんが悩み相談? 転校してきたばかりのセトハルくんに? あやしいなー」
籠原さんは目を細めた。疑いの視線に俺は左右に手を振り否定する。
「ホントだって、籠原さんが想像しているような展開はないから」
「ふーん……。ま、あたしはセトハルくんのこと信じるけどねー。でも、うららちゃんって人気あるからさ。もしも男子たちにバレたら嫉妬の嵐が吹き荒れるよ」
「そうだろうねぇ」
「後ろに乗せて駅まで送ってくれたら、見なかったことにしてあげる」と彼女はウインクした。
水瀬さんを探しに行きたいけど、今回は仕方ない。もちろん断っても籠原さんは言いふらしたりしないだろうけど。
「わかったよ、乗って」
「捕まったら一緒に謝ってあげるね」と彼女が荷台に跨ったことを確認した俺はペダルを踏む。自転車は夕闇を走り出した。
この状況を誰かに見られたらそれこそ勘違いされるような気がするけど、籠原さんはそれでいいのかな? 薄暗いからはっきりと分からないし大丈夫か。
「ごめん、俺、汗臭いかも」
「えー、あたしだって同じだよ」
後ろから籠原さんが顔を覗かせる。
「いや、さっきシトラス系の匂いがしたよ」
「セトハルくんはミントかな?」と彼女は俺の背中に鼻を近づけてきた。
「正解、だけど直に嗅ぐのは勘弁して」
そう訴えると彼女はクスクスと笑う。
「ねぇ、ザイオンス効果って知ってる?」
彼女の問いに俺は前を向いたまま首を振る。
「ザイオンって町なら知ってるけど」
「アメリカにあるの?」
「マトリックスって映画に出てくる架空の町。ハリウッド映画だよ、あまり観ない?」
「うーん、あたしは日本の映画の方が好きかな。英語聞いてると疲れちゃうから」
籠原さんは俺のシャツの裾を掴む。自転車の振動のせいだと思うけど彼女の手がすこし震えている気がした。
「話の腰を折っちゃってごめん。それで、そのザイオンス効果についてご教授ねがいます」
「うむ、教えてしんぜよー。これは単純接触効果って言ってね、会う回数が増えると好きになっていくって心理のことよ」
「へぇー、言われてみれば確かにそうかも。ところでなんでその話題を?」
「ただいま検証中なのだよ」
「え?」
駅前の交番に差し掛かったところで、彼女は自転車の荷台からぴょんと飛び降りた。ブレーキを掛けて俺は後ろを振り返る。
スクールバックを後ろ手に持った籠原さんは無邪気な笑顔でこう言った。
「水瀬さんやうららちゃんには負けないぞってことだよ。じゃあまた明日ね!」
踵を返して駅に向かって走り出した彼女のポニーテールが元気よく揺れていた。
◇◇◇
俺のアバターの前でマッチョなアングロサクソンが大剣を振り回している。
「ジェニファー」
『なんだー、万年発電機』
ジェニファーの一撃を交わしたドラゴンが空に飛び上がり、俺の操る銀髪のエルフが弓を引いた。
「俺はもしかしたらコクられたかもしれない」
放たれた矢がドラゴンに突き刺さる。
『ほう? エルフちゃんにか?』
「違うよ、クラスの女子に」
『ふーん、かもしれないって具体的には?』
俺はかくかくしかじかと帰宅路であった出来事を彼女に伝えた。
ドラゴンは再び地上に降りてきた。怒り狂って突進してきたドラゴンを躱してジェニファーが大剣を振り下ろす。
『なるほどなー』
「どう思う?」
『脈はあるつーか、揺さぶりにきてやがるな。なかなかの策士だぜ、そいつ』
「策士? そんな駆け引きするような子じゃないと思うけどな」
『かーっ! これだからクサレホーケー野郎はよ。告白に限りなく近い絶妙な寸止めだ。どう考えても、気を持たせてお前からコクさせようって戦法じゃねぇか。もう待てない、我慢できないってなったら向こうの勝ちだ』
「そうか……、確かに……実際、俺はこうして彼女を意識しているし、少し浮かれた気分になっている」
『実際、どうなんだ。可愛いのか』
「可愛いよ、胸も大きい」
『……このルッキズムの権化め。お前は人を外見でしか判断できねぇクサレインポ猿だ』
ぺっとジェニファーは唾を吐き出した。
彼女が自分のささやかな胸にコンプレックスを抱いているのを失念していた。
「ひどい言い方ぁ……、この前と言っていることが対極だぁー」
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